第30話 取り消していただけますか


「間宮。この人が――水瀬先輩が噂を流していたらしい」

「そう、ですか」


 間宮はそれを聞くと本当に少しだけ驚きつつも、表情に出さないように押し込めて彼女と正面から向き合った。

 目に宿る強い意志の光。


「私に何か御用でしょうか」


 警戒と不穏な気配を優等生の仮面で覆い隠しながら聞けば、水瀬先輩は軽く鼻を鳴らして、


「いい気味ね。これから遊びの彼氏くんと遊ぶの?」


 嘲笑と共に投げられた言葉。

 それだけで間宮は水瀬先輩があの嘘の噂を流していた張本人と理解しただろう。


 水瀬先輩は挑発のつもりで間宮が気にするであろう言葉を使っている。

 俺も間宮の傷を掘り返すような行為にはらわたが煮えくり返る思いだった。


「一つ確認したいのですが、私と水瀬先輩は面識がありましたか?」

「ないわよそんなの」

「そうですよね、安心しました。私の記憶違いかと思いましたので」


 驚くことに間宮と水瀬先輩はお互い初めて会ったらしい。

 だとしたら、何が変な噂を流される原因になったのか。


「貴女が噂を流していたのですね」

「噂? 私はてっきり本当のことだと思っていたんだけど」


 白々しい笑み。

 その裏側に透けている悪意は感じて久しいもの。


「そもそも、先に手を出してきたのはあんたでしょ」

「……心当たりがないのですが」

「本気で言ってるの? ……ほんっと、不愉快。あんた、私の篠原くんを取ろうとしておいて」

「篠原さん……?」


 間宮が懐疑を含ませながら首を傾げた。

 知らないふりをしているようには思えない様子に、水瀬先輩は露骨にむっと眉間にしわを寄せる。


「バスケ部の二年でエース! 他に誰がいるのよ。あんたが篠原くんを誘惑して取ろうとしたんでしょっ!?」


 ヒステリックに叫ぶ水瀬先輩。

 言いがかりも甚だしいと一笑に付すのは簡単だけど、これ以上逆ギレされても困るし話はややこしくなるばかりだ。


 でも、きっちり否定しておかなければ今後も尾を引いてしまうだろう。


「それは先輩の誤解です。私は貴女の言う篠原さんから告白はされましたが、丁重にお断りしました」


 間宮は毅然とした態度のまま事実だけを伝えると、水瀬先輩は俯きがちに肩を震わせて、


「……うるさいわね。そうやっていい子ぶって何も知らない男たちを誑し込んできたんでしょ? あんたに集ってくる男なんてそれこそ吐いて捨てても余るくらいいるからいい気になってるのよね、嘘つきさん?」

「私は嘘をついていません」

「はあ……ほんと、あんたなんかの彼氏と間違われる男も可哀想。でもまあお似合いかもね。野暮ったい、如何にもどんくさそうな陰キャくんが」


 水瀬先輩は俺と間宮を順にみてせせら笑う。


 確かに俺はお世辞にも明るい性格とは言えないし、水瀬先輩が言う篠原先輩とやらにはルックスという面で遠く及ばないはず。

 俺を貶めるのは別にいいけど、そこで間宮を引き合いに出すのは違う。


「この女、見た目だけは良いもんね。だからあんたも誑し込まれたんでしょ? うける」


 ケラケラと指さしながら笑う水瀬先輩に「違う」と否定をぶつけようとして。


「――取り消していただけますか」


 静かな、しかし無視できない圧を秘めた間宮の一言が笑い声を引き裂いた。


 間宮は一歩前に踏み出して、水瀬先輩との距離を縮める。

 スカートの横で固く握られた手は震えていた。


「藍坂くんへの暴言を、取り消していただけますか」


 再度、間宮は水瀬先輩へ普段よりも強い口調で求めた。


 雰囲気の変わりように呆気に取れらていた水瀬先輩だったが調子を取り戻すように咳払いをして、


「なによ。まさか、本当に彼氏だったとか? 男の趣味悪すぎじゃない?」

「彼氏ではありませんよ。ええ。ですが、大切な人であることに変わりありません。貴女が不満なのは私でしょう? 他の人を巻き込まないでください。駄々をこねる子供ではないのですから」

「なっ……あんた、それが先輩に対する口の利き方!?」

「先輩として敬われたければそれ相応の行いをしてからにしていただけませんか?」


 ヒートアップしていく水瀬先輩に対して、間宮は酷く冷たい対応のまま。


 けれど、その言葉の裏には燃えるように熱い感情が存在することを察していた。


 目じりをきつく上げて水瀬先輩は間宮を睨むも、どこ吹く風といった様子で何事もないかのように受け流す。

 間宮にしてみればこの手の悪意や言葉は過去に何度と遭遇したもので、ある種の耐性がついているのだろう。


 痛みを感じないわけではない。

 辛くないわけでもない。


 苦痛に慣れて隠せるようになってしまった。


 だというのに、間宮は他ならない俺のために怒りを露わにしていて、その末に自分が傷つくかもしれないと予感しながらも突き進んでいる。


「貴女は好きな人が私に取られたと言いましたよね? ですが、それは貴女自身に篠原先輩を振り向かせられるほどの魅力がなかったからではありませんか?」

「……ッ」

「本当はわかっているんですよね、悪いのは自分だと。私は普通にしていただけで、貴女は篠原先輩を好きでありながら振り向かせる努力を怠った。違いますか?」


 有無を言わせぬ口調で詰めていく間宮に、水瀬先輩は何も言い返せなくなっていく。


 水瀬先輩としては間宮を一方的に批判できるとでも思っていたのだろう。

 優等生としての姿しか学校では見せていない間宮は気の強さを出していない。


 だが、現実は違った。


 間宮の優等生という姿は仮面で、芯の通った強さと優しさを裏側に秘めている。


「貴女は自分のことを篠原先輩が好きになってくれないことを私のせいにしたいだけですよね」

「……ッ、言わせておけば――!」


 遂に水瀬先輩は限界を向かえたのか、鬼気迫る表情で拳を振り上げる。

 しかし、間宮は避ける素振りもないまま水瀬先輩のことを冷めた目で見つめていて――口よりも早く、俺の身体は動いていた。


 二人の間に割り込むようにして入り、水瀬先輩が間宮に向けて振った拳を左の手のひらで受け止める。

 パシンッ、と空気が強く弾ける音。

 ヒリヒリとした感覚と衝撃が腕を伝わって、少しだけ顔を顰めてしまう。


「……案外痛いんですね、人の拳を受け止めるのって」


 勢いを無くした水瀬先輩の拳から手を離しつつ、しみじみと呟く。


「…………なによ、なんなのよっ!! わかってるわよ!! これが意味のない八つ当たりだって!!」


 水瀬先輩は突き出していた腕を横に振りつつ悲痛に叫ぶ。

 彼女は力無く項垂れ、啜り泣き始めた。


 ……これどうしたらいいの??


「……アキトくん、女の子泣かせちゃダメなんだよ?」


 後ろから耳元に口を寄せていた間宮から呆れたような声で告げられ、こんな状況なのに微妙な気分になってしまった。

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