第29話 あんたにはわかんないでしょ?


 日直の当番が回ってきたため、間宮と一緒に教室の掃除をしてから溜まったごみを外の廃棄場に捨てに行っていた。

 間宮は職員室に日誌を届けているはず。


 制服の隙間からしみ込んでくる寒さに耐えつつ、雲が覆っている空を見上げる。

 山の方では雪が降り始めているらしい。

 街の方はまだだけど、もうじき降るだろう。


「……冬休みに入るまでの辛抱だな」


 二学期の終業式まであと一週間くらい。

 冬休みになって他の人と会わなくなれば自然と噂話が消えると願いたい。

 出来れば解決する方が望ましいけれど……そっちの進展は今のところ皆無。


 俺にできるのは噂を否定し続けることだけ。

 俺に噂の真偽を聞いてくる奴は間宮のことを大なり小なり好きな人だろうけど。


 そんなことを考えつつごみを捨てて教室に戻ると、見慣れない女子生徒が教室の扉の前で腕を組んでいた。

 誰かを待っているのだろうか。


「あ、やっと来た。君、藍坂アキトだよね」

「……そうですけど、そういう貴女は」

「水瀬ミソラ。二年よ。あんたたちの噂を流した人……って言ったらわかる?」


 水瀬ミソラと名乗った女子生徒が口にした言葉に衝撃を受け、思わず彼女のことを睨みつけてしまう。


「あたしはあんたのことはどうでもいいの。調子に乗ってるあの女に嫌がらせをするのに丁度いいから使わせてもらっただけ」

「……何が言いたいんですか」

「察しが悪いわね。間宮ユウが嫌いなのよ。あたしの好きな人を誑かしておいて、あんたで遊ぶ尻軽がね」


 憎しみと怒りに満ちた眼差しで水瀬先輩は呟きながら教室に入っていく。


 ……なんだよ、それ。

 一方的な勘違いと思い込みでこの人はあんな噂を流したのか?


 それでどれだけ間宮が苦しんでいたかも知らないで。

 間宮のことを全く知らないのに……いや、知らないからこそ、そうやって根も葉もない噂を流せたんだろう。


 込み上げてきた怒りを溢れる前に押し殺しつつ、俺も水瀬先輩に続いて教室に入る。


「……水瀬先輩。今すぐ噂を撤回してくれませんか」

「どうして? あたしがあんたの言うことを聞く理由はないし」


 あくまで強気な口調で水瀬先輩は拒否した。

 それもそうだろう。

 間宮に嫌がらせをすること自体が目的なのだとしたら、撤回する理由がない。


「間宮は先輩が流した噂とは全く関係ないし、人となりを知っていれば絶対に違うと誰でもわかる」

「本当にそう? 人は誰でも裏があるものでしょ? あの生意気な後輩の場合は、それが男遊びだったってだけで」

「……どうしてそこまでするんですか」

「あの女が嫌いだからよ。あたしの好きな人を横からかっさらって、そのくせあんたみたいな冴えない男が隣にいるのよ? ふざけないでって思って当然」

「だからって嘘を流すのは違いますよね」

「どうせ誰も嘘かどうかなんてわからないし。だってそうでしょ? その人の気持ちを本当に確かめる方法なんてどこにもない」


 それはそうかもしれないけど、だからって人を傷つけていい理由にはならない。


「あんたにはわかんないでしょ? 好きな人を横から奪われる気持ち」


 語調を強めて言う水瀬先輩だけど、裏には悲しげな気配が滲んでいるように思えた。


 ■


 誰があんな噂を流し始めたのかと考えながら、日直の私は日誌を提出するため職員室までの廊下を歩いていた。

 現状、明確に噂の出どころを特定する証拠は出てきていない。

 宍倉さんが見つけたSNSのアカウントもとっくに消されていて特定は不可能だった。


 ただ……私が個人的にその話題を上げていたアカウントは、どうやら私よりも一つ上の学年の生徒らしい。

 そこで、私の中では一つの仮説が浮上した。


 最近私に告白をしてきた先輩のことを好きな女子生徒こそが噂を流し始めた犯人なのではないかという推測だ。


 嫉妬は珍しくもなんともないけど、一方的な勘違いで嫌がらせを受ける私の身にもなって欲しい。

 私は告白をしてきた先輩のことをなんとも思っていないし、その人を好きな人がいることも構わない。


 そもそも私が好意を向ける異性はたった一人。


 アキトくん以外にその感情を向けることは、恋が冷めない限りはあり得ないだろう。


 ……まあ、これっぽっちも冷める気配はないんだけどさ。


 それはそうとして、噂の出どころについての推測を巡らせたところで、現実的にはあまり意味がなかったりする。

 本人たちに直接話したところで白を切られれば終わりだからね。


 SNSのアカウントなんて簡単に作り直せるし、それこそ「他の人が私の名前を勝手に使ってたんだ」――とか言われたらおしまい。

 警察沙汰にすればデータの出どころを調べたりできたと思うけど、確かな証拠もないうちは動いてくれないだろう。


 つまるところ、私とアキトくんは噂を否定しつつ、みんなが飽きて忘れるまで耐えなければならない。


 ……ほんと、面倒なことになっちゃったね。


「……はあ。こうもどうしようもないと、ため息も出てしまいますね」


 誰もいない廊下で独り言を呟きながら漏れたため息。

 自分でも精神的な疲労がたまってきていることがよくわかる。


 最近はアキトくんとあまり一緒にいられてないし、放課後の写真撮影も当然ない。


 お陰でストレスの解消方法が限られて、人目を忍んでため息を零すことが増えた。


 だけど、私には入学時から築いてきた優等生というイメージがある。

 迂闊に気も抜けないし、優等生でいることを選んだのは私だけど、それでも窮屈に感じてしまう。


 誰にでも都合のいい優等生。

 身について剥がれなくなってしまった演技に誰も彼もが騙される。


 本当の自分を見て欲しいという欲求があることをわかっていながら続けているのだから、私も相当な変わり者なのかもしれないけど。


 でも、今更やめられない。


 怖いのだ、単純に。


 本当の私を知られることが。


 鬱々とした思考を振り払い、表情を作ってから職員室に入って日誌を担任の机に置いて立ち去る。

 教室では同じく日直の仕事をしているであろうアキトくんが待っているはずだ。


 今日も早いとこ帰ろう――そう思いながら教室の扉を潜れば、


「――やっと来た。あんたが間宮ユウ?」


 何故かアキトくんと一緒に教室にいた同学年では見覚えのない女子生徒が、決して友好的とは言えない雰囲気を漂わせながら、ねばつくような視線と嫌な感じのする笑みを浮かべて私を見た。

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