第27話 怖いよ


 学校で流れていた噂を否定はしているけれど、そう簡単には収束しない。


 これまで恋愛系の話を聞かなかった間宮だからという理由もあるだろうけど、翌日から明らかにそうじゃないものまで聞こえてくるようになった。

 というのも――『間宮は藍坂とは遊びのつもりなんじゃないか』なんて悪意しかない事実無根の説が耳に入ってきたのだ。


 当然間宮にそんな意思はないと知っている俺は嘘だと判断できるが、他の人は違う。

 優等生の間宮を知っていても、もしかしたらという疑いは誰もが抱いてしまう。


 そして向けられる疑いの目が……確実に間宮のメンタルを消耗させていた。


「……あんな嘘を真に受ける必要はないからな」

『わかってるよ。わかってるけど……私がアキトくんのことを遊びだと思われてるの、普通に考えてどっちに対しても失礼じゃない?』


 画面越しに聞こえてくるのは怒気を孕んだ声。

 俺も間宮の考えには全面的に同意だった。


 普段の間宮を見ていれば不誠実な行いをするはずがないとわかりそうなものなのに、そんな嘘が囁かれているのは誰かが糸を引いているとしか思えない。


『しかもさ、今回のことも私に対する攻撃じゃない? それは構わないし覚悟はしているけど、アキトくんまで一緒にするのは違う』

「そう決まったわけじゃないだろ。間宮と付き合ってるなんて噂が流れた相手の俺を排除しようとした可能性もあるし」

『それならアキトくんが私を脅して付き合ってる――とかの方がアキトくんには迷惑がかかるんじゃない?』

「…………」


 否定しようとして、できる材料がないと口を噤んだ。


 無用な慰めにしかならないし、嘘の噂は止まないので意味がない。


『本当にごめんね。また私のせいで迷惑かけるみたい』

「ユウだけのせいじゃない。俺も注意が足りなかったし、誰かに見られたらこうなることくらい簡単に想定できた」

『……いつにも増して私が優等生なんて呼ばれている立場が嫌になるね』

「そう言うなよ。間宮が頑張ってきた証拠なんだから」

『アキトくんは私が欲しい言葉をわかってるね。嬉しい』


 控えめな笑い声が聞こえて、少しだけ妙な気分になってしまう。


 誰から見ても学校での間宮が努力していることは明白で、俺はそれをより身近で知っているだけ。

 優等生という立場を守るためではあっても、間宮の積み重ねてきた日々の重さは誰も笑えるものではない。


 俺は素直に尊敬できる。


 でも――だからこそ、一つだけ間宮に聞かなければならないことがある。


「俺は、ユウのことを信用したいと思ってる」

『……急にどうしたの?』

「要するに……本当に嘘の噂なんだよな? ってことを確認したかった」


 胸の痛みを感じながらも間宮に問う。


 画面の向こうから伝わってくる沈黙。

 少しして『続けて』と静かながら僅かに震えを伴った声が届いた。


「……俺はユウが知っての通り、女性不信は治っていない。その原因になった出来事についても話した。だから薄々察しがつくと思うけど――怖いんだ。こんなにも『好き』だって言ってくれる間宮が、実は俺のことを遊びでそう思っていたんじゃないか……なんて考えてしまって」


 自己中心的で最悪な考え方だなと思いながらも、俺は間宮に偽らざる本心を告げた。


 ただの噂、ただの嘘。

 そう納得したいのは山々だ。


 現状、間宮が俺に対する絶対的な優位を握る理由となっている写真があるとしても――嘘告白なんて過去がある俺としては疑念を抱かざるを得なかった。


 もしも噂が本当で、間宮は俺のことを好きではなかったとしたら――そう考えるだけで、胸が酷く締め付けられる思いを感じてしまう。

 でも、俺個人としては間宮に疑いを持ちたくないし、お互いの過去を知っているのだから信用したいとも思う。


 だからこそ間宮を傷つけてしまうかもしれないという懸念があっても、霧のように立ち込めてしまった迷いを打ち明けた。

 俺が信じたい間宮なら、傷つけようとする意図はないと理解してくれるだろうから。


『――そう、だよね。私がもしアキトくんの立場なら、同じように考えたと思う』


 間宮からの返答は賛同だった。

 けれど、その声は神妙で、不安げな雰囲気を感じる。


『でも、そんな噂は嘘。私自身がアキトくんを好きだって知ってる。証明して欲しいなら、私にして欲しいことをなんでも教えて』

「……ごめん。悪いのは全部俺のせいだ。間宮がそんなことで誰かを傷つけるような人じゃないのはわかってる。でも、そう考えるのは俺が弱いから」


 女性不信になった過去があっても、それは過去で今ではない。

 ましてや、間宮はその一件に何一つとして関わりがないのだから、そこに結びつけるのはこじつけもいいところだ。


 そう、わかっていても。


 また自分が傷つくのを恐れて、信じたい相手も信じられない。


 沈黙を経て、どう切り出したものかと迷っていた俺よりも先に、


『――私も、怖いよ。こんな根も葉もない噂でアキトくんに嫌われるのが、泣きそうになるくらい怖い』


 今度は涙声のようにも聞こえる間宮の声があった。


 熱の籠った声色に喉の奥が締め付けられたような感覚に見舞われて、俺は静かに間宮の言葉の続きを待つ。


『……だって、せっかく少しずつだけど仲良くなれて、一緒にいたいと思えた人なのに、こんなことで遠くなっちゃうのは嫌だよ。初めて出来た、好きな人……なんだよ?』


 鼻をすする音。

 縋るような声の調子に、腹の中で自分に対する嫌悪感が膨らんでいく。


 なにやってるんだと。

 間宮が俺にしてきたことを考えれば、そんな噂はすぐさま切り捨てられただろうと。


 間宮を深く傷つけることだとわかっていながら、裏切られる痛みを知っていたのに保身を選んだ。


 その結果が間宮の泣き顔だと言うのなら――


「……ユウ。俺から一つ、頼みがある。脅してくれ、俺を。秘密をバラされたくなかったら写真を公開する――って」

『……なん、で』

「多分、こうでもしないと逃げそうだから。俺がユウを信じたいのは本当だ。だけど、心のどこかでは疑ってる。だから、変わらない物に頼る。その写真がある限り、俺はユウに逆らえない。嘘か本当かなんてどうでもよくなる。そうだろ?」


 自分で言っていて酷い理屈だった。


 まるで間宮の気持ちを考えていない自己中心的な提案。

 数秒に渡る沈黙は間宮の頭で検討されていた時間だろう。


『いいよ。それでアキトくんが楽になれるなら』


 絞り出すような言葉は俺が望んでいた答えのはずなのに、どうしようもなく胸が痛んで。


『でも、これだけは覚えておいて。私はアキトくんのことが好き。だって、私とアキトくんが付き合ってるってことはただの噂だって一番わかってるのに、本当だったらよかったって思っちゃったんだもん』

「…………ごめん」

『謝って欲しいわけじゃないから。アキトくんは何も悪くない。もちろん、私も普通にしていただけ。悪いのはこんな噂を流した人。そうでしょ?』

「……そうだな」

『それにさ、もしも噂の収拾がつかなくなったら……それこそ、私とアキトくんは付き合ってるってことにしたらいいんじゃない?』


 画面越しでもわかる嬉しさの滲んだ声音に、知らずのうちに感じていた緊張のようなものが解れていく。


 間宮がそれを望んでくれることは一人の人間としてとても喜ばしいことだと思うけど……そこはちゃんと答えを出してからにして欲しい。

 わがままで面倒で、間宮にばかり負担を強いるのはわかってるけど、その方が後の関係も健全なものになるはず。


「なら、ちゃんと噂話を収拾させないとな」

『遠回しに私と付き合う気はないって言ったよね』

「……少なくとも今は無理だな」

『知ってる。確認しただけだよ。私も誰かを遊びで好きになるとか思われてるのは嫌だし。遊びなわけないじゃん。そうならこんなに苦労してないよ』

「苦労させてる本人が言うのもなんだけど、その通りだな」

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