第19話 二人だけのときなら、な


 昼食も食べ終わって洗い物を済ませれば、ナツと多々良が来る時間が近付いていた。


「ユウ。わかってるとは思うけど――」

「ボロを出さないように、でしょ? アキトくんこそ」


 つん、と脇腹を突こうとした間宮の指を止めつつ頷く。


 俺と間宮はあくまで友達で、恋人ではなくて、けれど見る人によってはそう思われてもおかしくないことをしている関係性。

 間宮の裏アカは特に秘密にしなければならない。


「呼び方もな」

「……わかってますよ、藍坂くん」


 声色を学校のもの――優等生としての間宮へと変えて言うも、あまり納得していないように感じられた。

 誰かを特別扱いすれば要らない軋轢を生むことを間宮は過去の体験から知っている。

 だから友達と呼ぶには近すぎる距離感になってしまっている俺に対しても、苗字呼びをする必要がある。


 少なくとも、誰かの目がある場所では。


「あ、そうだ。期末テストのことなんですけど……お互いに目標を決めませんか」

「目標? なんで?」

「目指す場所が明確な方が勉強にも身が入りますから。もちろん、頑張った人にはささやかなご褒美があるべきだとは思いますけれど」

「さてはさっきのゲームで味を占めたな?」

「そんなことはありませんよ」


 微笑みながら否定するも、その裏の意図は透けている。


 ただまあ……ご褒美の有無に関しては一考の価値があるな。

 ニンジンを目の前に吊るすような感じといえば聞こえは悪いけど、それで勉強に対するモチベーションが上がるのならあってもいい。


 でも――


「そうやって俺にだけ話を持ち掛けて来たってことは、また俺に何かやらせようとしてるのか」

「人聞きの悪い言い方はやめてください。あくまで『ささやかなご褒美』をお互いに求めるだけで」

「同じ意味では??」

「見方によってはそうかもしれませんね」


 素直に認めるんじゃないよ。


「ダメですか?」

「……『ささやかなご褒美』の内容次第だな。ダメなら飯でも奢ってやるからそれで我慢してくれ」

「それで構いません。まあ、『ささやかなご褒美』を請求する権利を保持しておくだけでも効果はありますし」

「精神戦のカードにするとかいい性格してるよなあほんと」

「ありがとうございます」

「わかっててとぼけているんだろうけど褒めてないからな」


 ジト目で制するも、帰ってくるのは楚々とした微笑み。

 早くも優等生の仮面を被っているらしい。


 この間宮に何を言っても無駄だと諦めの意味も込めてため息をつく。


 そこから、僅かに沈黙が部屋を満たして。


「もう二人が来ちゃうんだよね」

「やっと二人だけの時間も終わりだな」

「……その言い方、ちょっと嫌」

「冗談だって。一人でいるよりは楽しかったと思う」

「そこは言い切って欲しかったなあ」


 苦笑していた間宮の身体がこちらに傾いてきて――膝の上に頭が乗っかった。

 確かな重さと、温かさ。

 つやのある黒髪が少しだけ乱れていて。


「また、来てもいい?」

「……アカ姉も喜ぶだろうからな」

「素直じゃないね。私はこんなに真っすぐ伝えてるのにさ」


 目をつむり、身を委ねるような体勢のままささやいた。


「食べてすぐ寝たら牛になるぞ」

「迷信だよ、迷信。これは午後の勉強会のために活力をチャージしてるの」

「……普通、立場が逆じゃないのか?」

「いいのいいの。アキトくんも私の髪とか触ってていいから」

「いやそれは……」


 口では断りつつも、視線は間宮の長い髪へと吸い寄せられる。


 手入れを怠ることのなかったであろう間宮の髪は絹糸のように膝の上で形を変えていて、頬に触れていたときのことを思い出すに触り心地もいいのだろう。

 実際に触ってみたらどんな感じなのかと少しだけ興味はあったものの、髪は女性の命なんて呼ばれている以上、安易に触ろうとは思えない。


「指で髪を軽く梳いて、猫を撫でるみたいに優しく触ってね」


 そう言いながら腹の方へと頭を押し付けてくる。


 どうにもその感覚がくすぐったくて、込み上げてきた気持ちに逆らうことなく手を間宮の頭へと恐る恐る伸ばした。

 指先が髪に触れる。

 指は抵抗感なく髪に沈んで、こそばゆさを感じながらも手を髪の流れに沿って動かしていく。


 一度も手が引っかかることなく髪の先まで手櫛が通って、


「……こんな感じでいいのか?」

「ん。そうそう」


 緩んだ声の調子からして間違っていなかったのだろうと思いながら再度手櫛を通したり、言われたとおりに頭を撫でてみる。


 無言で、決して間宮に不快な感情を抱かせないようにと慎重な手つきで行われたそれは意外にも好評だったようで、間宮は心地よさげに両目を瞑っていた。

 本当に猫みたいだな、とか一瞬考えてしまったけど、この状態なら仕方ないと思えるくらいに珍しく間宮は静かだった。


 初めこそ緊張はしていたが、時間を重ねるにつれて穏やかな気持ちになっていたのを自覚し、つい苦笑が漏れてしまう。

 異性に……もとい、間宮への精神的な壁が薄くなってきている。


 他の異性ならば絶対にやらないであろうことも、間宮なら「仕方ないか」なんて思いつつしてしまうような気がしていた。

 その理由が、物的証拠からなる歪な信頼関係によるものなのか、はたまた常に揺らぐ間宮からの『好き』という感情のせいなのかまではわからない。


 だとしても、これは進歩と呼んでいいのではないだろうか。


 そんなとりとめのない思考を遮ったのは、唐突になった来客を告げるチャイムの音。


「どうやら終わりみたいだな」

「残念だけどそうみたいだね」

「ほら、膝から起きてくれ。二人を迎えに行ってくるから」


 てっきり居座るだろうと思って肩をトントンと叩けば、間宮は予想に反してすっと膝の上から退いていく。


 ソファから立ち上がって玄関に向かえば、間宮も何故か後ろをついてくる。

 玄関前まで来て、さて鍵を開けようかというところで――


「…………また、期待していいんだよね」


 急に後ろから抱き着かれ、耳元で囁かれたことで完全に動きが止まってしまう。


 背中に押し付けられるような胸の感触。

 うなじに当てられた間宮の頭。

 へその当たりで結ばれている間宮の手。


 まるで「私のもの」とでも所有を主張するかのような抱き着き方に、どう返事をしたものかと刹那の思考が挟まって。


 その間も鳴り響くチャイムの音。

 玄関の扉を一枚挟んだ向こう側にはナツと多々良がいる。


 緊張と、背徳と、脳を溶かすような甘い感覚と、軽い眩暈が同時に襲ってくる。

 カクテルされた感情のなかで、絞り出すように息を吐いて、


「………………二人だけのときなら、な」


 辛うじてそう言えば「言質取ったからね」と顔が見えずとも嬉しそうに呟いて、間宮は背中から離れていく。


 文句の一つくらい言ってやりたい気持ちはあったものの、なんとなく顔を合わせるのが気まずくて、そのまま玄関の鍵を開けた。


「お、やっとか。てか、アキトの顔赤くないか? 風邪?」

「知らん。風邪じゃないことは確かだけど」

「アキくんおはよーっ! ユウちゃんも来てたんだ!」

「はい。少し先に来てどうやって勉強会を進めるか藍坂くんとお話していました」

「へえ……随分と仲のいいことで」

「そういうのじゃない」


 ニヤニヤと疑ってくるナツの声を一蹴して、二人を家へと招き入れるのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る