第7話 そういうとこだぞ


 話題を二転三転させつつ夕食を食べ終え、アカ姉が引き続き間宮にダル絡みをしている間に使った食器を洗ってしまう。

 帰り際にアカ姉と遭遇して、間宮と夕食を共にするとは全くの予想外だったけれど、食べているときの様子を見るに楽しんでいたようなので一安心だ。


 間宮とアカ姉の相性はどうかと思ったが、意外と悪くないらしい。

 お陰で二人の連携が無駄に良く、返答に四苦八苦する羽目になった。


 なんて夕食時のことを思い返しつつ洗い物を終えてリビングに戻ると、まだ二人は楽しげに話し込んでいた。


「ユウちゃんってアキのこと名前で呼ばないの?」

「藍坂くんで慣れてしまって……」

「この際だからさ、もう名前でいいんじゃない? 私との区別もつくし。その方がアキも嬉しいでしょ?」

「いや別に」

「こう言ってるけど、どうする?」


 アカ姉が間宮へバトンを渡すと、俺の顔を見ながらかわいらしさを強調するように「うーん……」と考えて、


「……では、お二人が一緒にいるときは名前で呼ばせていただきますね」

「うんうん、そうしよっか。てことで、アキもユウちゃんのこと名前で呼ばないとね」

「そうですね。私だけ苗字で呼ばれるのは、なんだか仲間外れみたいで嫌です」


 アカ姉に続いて間宮も自分を名前で呼ぶように求めてくる。


 ……いやいや、悪ノリは勘弁してくれ。

 間宮は一人しかいないから区別もつくし、今更呼び方を変えるのは気恥ずかしい。

 それに、どうせ間宮は俺がこうやって困るのを期待して言っているのだろうから、思い通りになるのも面白くない。


 ただまあ、苗字呼びに固執していたらアカ姉が「もしかして意識してるのー?」とか変な勘繰りをしてきかねないので、平然としたまま受け入れる必要がある。


 大丈夫、やることは名前で呼ぶだけ。

 友達同士なら不思議ではないこと。


 緊張している俺の方がおかしいまである。


「……わかった。今だけだからな。ユウ………………さん」

「…………どうして『さん』をつけたのですか?」

「いや、なんていうか、名前呼びをすると急に距離感が縮まった気がして耐えられなかった」


 真面目に理由を言えば間宮とアカ姉は一瞬目を合わせ、


「アキらしい理由じゃない。そういうところが可愛いのよね」

「距離感が縮まるのは良いことではないですか?」

「俺に高度なコミュ力を求めないでくれ」

「……仕方ありませんね。当面は我慢することにします」


 間宮の表情にはありありと不満さが滲んでいたが、この場は矛を収めてくれるらしい。

 決して感謝はしないぞと硬い意思を持ちながら、頭の中で何度かユウさんと呼んでみた。


 だが、間宮呼びで慣れていたからか、妙なむずがゆさと違和感のようなものがあって、どうにもしっくりとこない。


「私としては学校でも名前で呼んでくれていいんですけれどね」

「それは勘弁してくれ。余計なことに巻き込まれるのが目に見えてる」

「ユウちゃんモテそうだからねえ。アキがその気なら早くしないと」

「うるさい。そういうアカ姉こそ――」

「お酒が恋人だからいいのよ」


 どうやってもダメ人間にしか聞こえないセリフを吐きつつ、レモンスカッシュの入ったグラスを傾けた。

 今日は間宮がいるからか普段よりもお酒の量が多い気がする。

 飲むのは止めようがないけど、健康には気をつけて欲しい。


 そんなこんなでふと時計を見れば、もう八時前になりつつあった。

 ゆっくり夕食を食べたらこんなものかと思いながらも、そろそろ間宮は帰すべきだろう。


「間宮、もう遅いから帰らないか? 送っていくから」

「名前で呼んでくれるのではなかったですか?」


 帰宅を提案すれば、返ってくるのは有無を言わせない微笑み。

 これは名前で呼ぶと決めておきながら苗字を呼んだ俺が悪いので甘んじて受け入れつつ、咳払いで気まずさを誤魔化して、


「……ユウさん。これでいいのか」

「はい。確かにもう遅い時間ですから、そろそろお暇させていただきましょうか。アキトくんが送ってくれるんですよね」

「まあ、な。あくまで安全のために」

「ユウちゃんも心配しなくていいわよ。アキはこれでも純情だから送り狼なんてことにはならないだろうから」

「あのなあ……仮にも本人の前で話すことかよ」

「する気だったの?」

「まさか」


 頬を引きらせつつ首を振って否定する。

 女性不信がなかったとしても送り狼なんて大層な真似ができるとは思えないし、したいとも思わない。


 俺はただ単にこの遅い時間に同じマンション内の家に帰るだけとはいえ、一人で女の子を帰すのは危険があると考えただけ。


「アキトくんはそんなことしませんよね?」

「手を出す度胸もないからな」

「私、手を出す気になれないほど魅力ないですか」

「それとこれとは話が別じゃないか? 魅力がないとは一言も――」

「あーもう二人していちゃついちゃって。もう付き合っちゃいなさいよ」

「いちゃついてないから黙ってくれ」


 呆れつつも間宮が荷物をまとめてコートを羽織はおったのを見て、


「準備ができたならいくか」

「お願いします」


 玄関に移動して靴を履き、さて出ようかという前に、間宮は律儀にアカ姉の方を向いて頭を下げる。


「アカハさん、今日はありがとうございました」

「いいのいいの。よかったら今度ゆっくりお茶でもしたいから」

「ええ、是非」


 どうしてかまた会う約束すら取り付けている二人に戦慄せんりつしつつ扉を開ければ、冬の夜らしい冷たさに満ちた空気が出迎えた。

 アカ姉に見送られながら間宮と外に出て、扉が閉まる。


 そこでようやく緊張が解れたのか、自然とため息が漏れ出てしまう。


「どしたの? そんな不幸の極致みたいなため息して」

「誰かさんのせいで疲れたんだよ」

「私って言いたいの?」

「半分は」

「いい子にしてたと思うけど?」

「表面上だけな」


 実際、優等生を演じる間宮が世間一般的にいい子であることは理解している。

 俺もその面だけを知っていれば素直に頷くところではあったが、残念なことに裏面……間宮の素がどういうものかも知っている。


 まあ、素が悪いかと言えば、一概にそうとも言えないのだけれど。


「それより、送ってくれるんでしょ?」

「まあな。嫌なら帰るけど」

「ううん、お願い。話し相手も欲しいし――」


 ぴとり、と手の甲に細い指先が当たって。


「この時間、寒いから。……いい?」


 普段の間宮からは考えられないほど慎ましい頼みごと。

 頬を仄かに赤くしながら、ささやくように聞いてくる。


 それがどうにも可愛らしく思えてしまって、けれど間宮の手を本当に取って大丈夫なのかと自分自身に問いかけ――やがて、差し出してきた手を包むように握った。


 間宮が驚いたように顔を見せる。


「……寒いからな」


 これ以上は聞くな、と言外に求める。

 女性不信なんて面倒極まりないものを抱える俺が求められたとはいえ、手を握り返すのはある種の勇気がいること。


 そうさせた要因が間宮との間にある信頼を担保する写真のせいであり、おかげなのだと理解しているからこそ、素直に認めたくない。


「……実は私、今結構暑いかも」


 寒いから手を繋いだはずなのに、間宮は一転して暑いなんて言い出す。

 確かに繋いでいる手の温度は俺よりも高く、じんわりとした熱を持っている。


「なら手は離すか」

「ダメ。帰るまでこのまま」


 でも、離す気はないらしく、それならいいかと繋いだまま歩き出す。


 何かしらの話題を振られるものだと思っていたが、意外にも間宮は無言のまま夜の街の景色を眺めつつ歩くだけ。

 チラチラとこちらへ視線を流すが、それは様子をうかがっているような慎ましいもの。


 やがてエレベーターに乗って下に降り、止まったところで降りてまた歩く。


「………………あのさ」

「ん?」

「なんていうか……私、楽しかったよ。アキトくんと、アカハさんと一緒にご飯を食べて、お話しできて。家には私しかいないから」


 表情を緩ませながらの言葉に、間宮は一人暮らしだったと思い出す。

 家に帰っても出迎える人はいなくて、食事も常に一人。


 俺は大抵家族の誰かがいたから寂しさを感じることはなかったけれど、それは決して普通ではないのだと思い知る。


「……アカ姉のことだから、間宮が家に来たら喜ぶと思う」

「それはまた家に行ってもいいってこと?」

「……やぶさかではない、とだけ言っておく」

「そっか。うん。どうしても寂しくなったらお邪魔しようかな」


 言って、間宮は薄く笑みを浮かべたが、すぐに「それはそうと」と持ち直し、


「どうしてまた間宮なんて呼んでるの? 名前でいいのに。今は……二人きり、なんだからさ」

「……学校では絶対に呼ばないからな」

「わかってるよ。少し残念だけどね。また秘密が増えちゃった」

「弱みの間違いじゃなく?」

「こんなに可愛い女の子から名前で呼ばれるのに喜ばないなんて損じゃない?」


 それは……なんとも認めにくい理由だ。


 やがて間宮とプレートが掲げられた一室の前に辿り着く。

 ここまでだなと思って手を離せば、間宮は何か言いたげにこっちを見てくるも、そのまま何事もなかったかのように鍵で扉を開けて、


「じゃあね、アキトくん。また明日」

「……またな、ユウ・・


 気恥ずかしさを誤魔化しながらも名前だけを呼べば、間宮は驚きつつも微笑みを残して、


「うん。またね」


 嬉しそうに声の調子を上げながら、扉を閉めた。


 ……やっぱり、俺にはまだ名前だけで呼ぶのは難しそうだ。


「………………ほんと、そういうとこだぞ」


 油断も隙も無いとはこのことか。


 そうやって純粋な好意を見せられては、こちらとしても思うところがないでもない。


 顔を触ってみれば驚くくらいに熱い。

 心臓の鼓動も早く、自分が緊張状態にあることがわかる。


 ため込んでいた熱量を深い呼吸に乗せて吐き出し、


「……散歩でもしてから戻るか」


 この顔をアカ姉に見られたくないと考えてのことだったが、それはそれで帰りが遅くなってしまうから誤解を招きそうな気がする。


 感情の整理をしなければ、明日間宮に合わせる顔がなさそうなのも確かだった。


――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

数日前にラブコメの短編を投稿しています。ゆるあま系です。面白いので読んでもらえると嬉しいです! 

『お腹を空かせて倒れていた美少女シスターさんにご飯を食べさせたら、実質同棲みたいな生活が始まった。~今日も美味しいを聞きたい俺と、いっぱい食べる腹ペコシスターさん~』

https://kakuyomu.jp/works/16816927861770458854/episodes/16816927861770867467

また、星も頂けると執筆の励みになりますので、よろしくお願いします!


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る