第8話 欲求不満、ってこと?


「勉強会は明日の午後からだよね」

「ああ。あんまり長くやってもアレだし、午後いっぱいでも十分進むからな」


 ナツと多々良を交えての勉強会を翌日に控えた俺と間宮は、予定を確認しつつ帰路についていた。

 どうして間宮と帰るのが当たり前になっているのか疑問をていしたいところではあるものの、それをしたところで聞き入れてもらえるはずがない。


 帰る方向もマンションも一緒なのだから、何かと理由をつけて間宮は着いてくる。

 善意ないし好意からくる行動だから、強く断ることも難しい。


 まあ、話し相手がいるのはいいことではあるけれど。


「……ねえ。アキトくん、午前中は暇?」


 間宮は探るように聞いてくる。


「……間宮、呼び方」

「いいじゃん、誰もいないのは確認してるから。あと、アキトくんもユウって呼んでいいからね」

「名ばかりの許可はやめようね?」


 ぐるりと視線を巡らせつつ小声で間宮に詰めるも動じた様子はない。


 アカ姉に招かれてからというもの、間宮は他に俺だけしかいないときは名前で呼ぶようになってしまった。

 それどころか俺が『間宮』と呼ぶと露骨に不機嫌な演技をするから、俺も名前呼びを余儀なくされていた。

 だから意識的に名前を呼ばないようにしているが、そういう考えも多分バレている。


「私の名前を呼ぶのってそんなに嫌?」

「嫌というか……前も言ったけど名前呼びするのって余程親しい間柄って感じがして気が引ける」

「……私たち、親しい間柄ではあるよね?」

「個人の基準次第では」


 親しいのはそうかもしれないけど、裏にあるのは秘密を共有するという目的。

 根っこの部分は利害関係で、けれどそれだけでもない。


 間宮のことは普通に友達だと思っているし、間宮に至っては俺のことを好きだなんて告白もしてきた。


 間違っても仲が悪い、なんて言えないのは確かだけど。


「……そういうの気にする当たり、アキトくんらしいっちゃそうなんだけどさ。一つわかっててほしいのは、私はアキトくんに名前を呼ばれるのは嫌ではないってこと。むしろ、呼んでくれた方が嬉しい」


 そうやって好意を直接的に伝えられるのは、やっぱり慣れなくて。


「……わかったよ、ユウさん」

「さん、は余計。恥ずかしいとか意識しなければいいのに」

「出来たら苦労してない」

「どちらにしろよそよそしさが抜けないのならユウさんの方がいいのかな。名前を呼ぶときにちょっと恥ずかしそうにしてるのもポイント高いし。ていうか、送ってくれた最後はユウって呼んでたじゃん」

「……あれは、その、あれだ。呼んでみただけってやつだ」

「言い訳が苦しいね」


 呆れたように間宮は笑っていた。


 俺程度の対人スキルじゃ勝てる気がしないよ。


「それはそれとしてさ。愚痴みたいになっちゃうんだけど、話聞いてもらってもいい?」


 唐突に、話の流れなど関係なく、間宮はそう切り出してくる。

 間宮がこういうことを言ってくるのは珍しいが、俺で力になれる内容かは怪しい。


「いいけど本当に聞くだけになるぞ、多分」

「それでもいいよ。実は、今日のお昼に先輩から告白されたんだよね」

「……珍しくはないんだろ?」

「うん。告白自体はよくあるし、それが先輩なのも慣れてる。でも、どうにもその人って結構人気らしくてさ」


 人から好意を寄せられること自体は嬉しいことのはずなのに、間宮は浮かない顔をしていた。

 その理由がかつての苦い記憶によるものだと知る俺は、ただ静かに間宮の話を聞くことにする。


「その様子からして断ったんだよな」

「まあね。そもそも、今好きなのはアキトくんだけだから」

「……………………」

「照れてる?」

「……………………照れてない」


 ぎこちなく目線を逸らせば、「誤魔化せてないからね」と邪気のない笑い声が聞こえて、いっそう喉の奥に何かが詰まったような感覚に見舞われる。


 何気ないながらも混じりけのない真実の「好き」に対して、どう反応していいのかわからなくなってしまった。

 同時にそんなに人気の先輩から告白されても間宮の好きがぶれずに自分へ向いている状況が嬉しくもあり、むず痒くも感じてしまったのだ。


 確実に自分の気持ちが間宮の方へと偏り始めていることを自覚しながらも、その思いは精一杯に作ったポーカーフェイスで隠して向き直る。


「……話を戻そう。要するに、間宮はまた何か言われないかって心配してるわけだ」

「平たく言えばそう。女の敵は女、なんて言われるくらいには怖い世界なの。たとえ私に告白してきた先輩が運よく返事を貰えて付き合えたら儲けもの――くらいに考えていたとしても、先輩を好きな人たちには伝わらないから」

「……自分もそういう目で見られるかもって考えたら信じようとは思えないよな」

「そう。だから面倒」


 はあ、と深いため息をついて、間宮は話を締めくくる。


 それは確かに面倒な話題だ。

 自分の力ではどうにもすることができないあたりも質が悪い。


「だからさ、溜まってるんだよね」

「……欲求不満、ってこと?」

「違うから。……違くはないけど、溜まってるのはストレス。ここまで言ったらもうわかるでしょ?」

「俺に付き合えってことだよな。でも、何する気だよ」


 そう聞けば、間宮は企むような笑みを浮かべて、


「勉強会の日、午前暇なんでしょ? だったらさ……おうちデート、しようよ」


 とても聞きたくなかった事実上の決定事項を告げられた。

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