第2話 いつでも頼ってくれていいのに


「……言うほど寒くはない、かな」


 朝、登校のために玄関を出れば、冬も間近に控えた外の空気が頬を冷たく撫ぜた。

 とはいえ、まだ上着が必要ではないくらいの心地よい冷たさ。


 アカ姉は「外寒いよ?」と言っていたけど、単に寒がりなだけだと思う。


 そんなことを思いつつマンションを出て行こうとすると、エントランスの中で、


「あ、やっと来た」


 聞き慣れた声が耳に届いた。

 声の方へと顔を向ければ案の定、そこには黒いコートをブレザーの上に羽織はおった間宮がいる。


 コートの裾から僅かに出ているスカートをひらひらと揺らし、淡い微笑みを湛えながら俺の方にゆっくりと歩み寄ってきて、


「おはようございます、藍坂くん」

「……おはよう、間宮」


 なんとなく嫌な予感を覚えて警戒しつつ挨拶を返すと間宮は満足そうに頷いて、


「よかったら、一緒に学校まで行きませんか?」


 そう、当然のように言ってくる。


 ……俺と間宮が一緒に学校まで行く?


「めんどくさいことになるのが目に見えてる」

「まあまあそう言わずにさ。お話ししながらの方が楽しいよ?」

「俺は胃痛に耐えるのが苦しいよ」


 言外に「嫌だ」と伝えているのに、間宮は一向に引く気配を見せなかった。

 こうしている間にも登校時間は迫っていて、あまり悠長にはしていられない。


 俺は間宮を無視してエントランスを出て行こうとしたが、隣に張り付くように間宮が笑みを絶やさずに着いてくる。


「……なあ」

「なに? 私は学校に行こうとする途中で、たまたま、偶然にも藍坂くんと隣を歩いているだけだよ?」

「…………そうか。じゃあ、先行ってくれ」


 あくまで偶然を装ってまで俺と登校しようと言うなら、先に間宮を行かせればいい。

 だが、やはりと言うべきか、振り返った間宮は不満そうに口先を尖らせて、ジト目でにらんでくる。


 俺の態度が変わらないと悟ったのか、深いため息をつく。

 間宮の白い肌色の、頬の当たりに朱がさして、


「私、これでも結構勇気を出して誘ったんだよ? ……好きな人と一緒にいられたら嬉しいし」


 躊躇ためらうように小声で言って、すぐに目を逸らしてしまった。


 一瞬何を言われたのか理解が追いつかなかったが――要するに「好きだから一緒にいたい」ということだろうか。


 ……、…………。


「……好きにしてくれ」


 もうなんて答えても負けた気がして、今日のところは間宮の自由にさせようと降参宣言をして歩き出す。

 少しして、羞恥から復活した間宮が隣に追いついて、気まずい雰囲気のまま二人で学校まで歩くこととなった。


 会話のないまま学校への道を進んでいると、遂に間宮が口火を切った。


「そういえば、そろそろ二学期も終わりますね」

「もうそんな時期か……早いな」

「それだけ充実した学校生活だったということでしょう」


 言って、含みのある視線を投げてくる。


 充実したかどうかはともかく、少なくとも間宮と出会ってからの一か月ほどは濃厚な日々だったと言わざるを得ない。


 放課後の教室で間宮と出会って、裏アカの秘密を知り、脅されて、歪な関係が始まったあの日。

 俺の平和だった学校生活は確実に変な方向へズレてしまった。


 とはいえ後悔ばかりかと聞かれるとそうでもなく、楽しいと思うこともあったのは立場的に口にはしたくない。


 それにしても、二学期が終わる……?

 頭の中にカレンダーを浮かべながら、残りの日数を大体で数えて、


「あと二週間くらいで期末テストじゃないか?」

「そうですね」


 嫌なものを思い出してしまった。


 冬休みが近づいてくると同時に、学生である俺たちには一つの試練が控えている。


 ――期末テスト。


 大半の生徒から忌み嫌われるであろうテストに向けて、勉強していく必要がある時期になっていた。


「間宮は心配する必要ないんじゃないか?」

「いつも通りにしていればそれなりの点数は取れると思いますよ」


 平然と言う間宮。


 その自信は才能によるものではなく日々の積み重ねによるものだろうと、いつも隣で授業を受けていて、なおかつ間宮の過去を知る俺は考える。

 あの集中力と本来の真面目さがあれば、テストで点数を取るのは難しくないはず。


 優等生であるために必要なことを間宮がないがしろにするとは思えなかった。


「藍坂くんはどうなんですか?」

「俺も普段さぼってるわけじゃないし、テスト前もちゃんと勉強するつもりでいるから、そこそこの点数は取りたいと思ってるけど」


 前回、二学期中間テストの学年順位は238人中の47位。

 全体で見れば上位25%だが、点数的にはちょうど団子になっていた気がする。


 今回はもう少し上を目指したいところだ。


 学校のテストの結果が大学受験と直結するわけではないにしろ、多く点数を取るに越したことはない。


「それは良かったです。勉強しない、なんて言われたらどうしようかと」

「それこそまさか。仮にもうちの学校……上埜かみのは進学校だし、そうでなくてもどうせ大学受験で勉強するんだから今のうちにしておいて少しでも楽にしたい」

「いい心がけですね。今さぼっても苦労するのは未来の自分ですから」

「違いない」


 こればかりは間宮に同意しかなかった。


「もしもわからないことがあったら聞いてくださいね。出来る範囲で力になりますから」

「いいのか?」

「人に教えるのは自分の考えの整理にもなりますので」


 間宮から勉強を教えてもらえるというのは魅力的な提案だ。


 度々、間宮は授業内容をクラスメイトに聞かれることがある。

 そうして間宮が丁寧に教えていたクラスメイトは、最後には理解して帰っていく。

 教え方が上手いのだろう。


 そんな間宮の力を借りられるのは素直に嬉しい。


 問題があるとすれば、教えるのを対価に何を要求されるのかわかったものじゃないという部分だけ。

 疑うのは良くないと思うけど、無償の善意ほど疑わしいものもない。


「……もしものときは頼りにさせてもらうよ」

「――藍坂くんならいつでも頼ってくれていいのに」


 間髪入れずに返ってきた言葉。

 甘えるような声音に意図せず心臓が跳ねあがった。


「今、ドキッとした?」


 そう微笑みながら聞いてくるものだから動揺を隠すのも忘れてしまって、遅いとわかっていても咳払いを挟んで表情を繕い、


「……悪いか」

「ううん、嬉しい」


 言葉の裏なんて感じさせない自然な笑みを見せられ、妙な気持ちを抱えたまま登校する羽目になった。

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