第33話 潰れてしまえ


「おはようございます、藍坂くん」


 翌日、登校して席につけば、以前と同じ優等生として隙のない笑顔で間宮が挨拶をしてくる。

 昨日のことを引きずっている様子はない。


「おはよ、間宮」


 だから俺も軽く返して、授業の支度を始めておく。


 普段ならそれで会話は途切れ、各々やるべきことや友達との談笑に移るのだが――今日は少し違った。


「……ありがとね、昨日」


 誰にも聞こえないような声量で間宮は呟く。

 それで昨日のことを思い出してしまい――顔が発火でもしたのかと錯覚するほど熱くなった。


 間宮の熱量と妙に甘さを帯びた声。

 耳を甘噛みされたときの湿った感覚を思い出して、間宮と顔を合わせるのが途端に恥ずかしく感じてしまう。


 悟られないように頬杖をついて間宮の反対へ顔を向け、


「なんのことだか」


 素っ気なく口にすれば「そういう人でしたね、藍坂くんは」と呆れたように言われて、思わず眉間にしわが寄る。


 それが誉め言葉として聞こえるくらいには、間宮という人間に対しての理解が深まってきたのだろうか。


 ……複雑な気分だ。


 でも、雰囲気が悪いよりはよっぽどいい。


「今日も楽しくなりそうですね」

「そうだといいな」


 だから、こんな日常が続けばいいと心の底から思った。


 四限が終わると、クラスの生徒は昼食の準備を始める。

 俺も例にもれず弁当を机に出そうとしていると、ポケットに入れていたスマホがバイブを伝えた。


 こんな時間に誰からの連絡かと思えば、隣に座っている間宮からだった。

 直接口で言えばいいのにと思わないでもないが、残念なことに俺と間宮の間には絶対に誰にも言えない関係がある。


 今回もその手の話だろうかと思って内容を確認してみると、簡潔に「体育館裏に呼ばれたから行ってくる」とだけ書かれていた。


 どうしてこんなことを俺に言うのか――と考え、間宮との取り決めを思い出す。

 俺と間宮の秘密を知ったかもしれない生徒がいて、どちらかへ悪意を持って接触してくる可能性があると感じたため、対策としてどこかで誰かと一対一で会う場合は場所だけ伝えることにしていた。


 律儀にも間宮は守ってくれるようで、俺は「了解」と返事をして教室を出ていく間宮の背を見送る。


 場所と時間帯からして、また間宮は誰かから告白でもされるのだろうか。

 優等生というのも大変な立場だな、と他人事のように思いながら弁当を開けようとすると、正面に一人の生徒がやってくる。


「飯、一緒にいいか?」


 俺より少し大きめの弁当箱を手に提げて、にいと白い歯を見せて笑うナツだった。


「ナツか。いいけど、彼女は良いのかよ」

「このくらいで壊れるような愛じゃないっての」

「あんだけイチャイチャしてたら嫌でもわかるわ」

「照れるぜこんにゃろ」


 ふふん、と鼻を鳴らしつつナツは体面に椅子を借りて座り、二人で各々の弁当を広げて食べ始める。


「間宮と仲直りしたんだな」

「仲違いした覚えもないけどな」

「ま、俺としてはギクシャクした空気じゃなくなって一安心だ」


 カラカラと笑いながらナツは玉子焼きを口へ運ぶ。


 ナツの目から見ても俺と間宮の雰囲気は良くなかったらしい。

 放課後の間宮の様子を思い出せば当然だけど、改めて腹を割って話せてよかったと思う。


「んで、肝心の間宮は?」

「俺が知るわけないだろ」


 嘘だ。

 何をしに行ったのかは知らずとも、どこへ行ったのかは知っている。


 その返答へ特に疑問を持たなかったナツは「そりゃそうか」と呟いて、


「ところでよ、結局アキトと間宮ってどういう関係なんだよ」

「またその話か。前にも言ったろ。ただの友達だって」

「今日はちゃんと自信を持って友達って言うんだな」

「……面倒な理由がある知り合いにしておくか」

「遅すぎ。でも意外だったぜ。アキトがあの間宮と仲良かったなんてさ。学校の男子どもが聞いたら血眼で掘り返されるだろうから気をつけろよ?」

「わかってるよ」


 今更言われなくても間宮が高嶺の花であることくらい、恋愛感情が一切なくともわかっている。

 現在進行形で間宮は誰かからの告白を受けているはず。


 告白されるのが嫌なら行かなければいいのに、それでも律儀に顔を合わせて断る間宮というのは誠実に映るのだろう。

 それも優等生としての仮面がさせている行動なのかと考えて、俺は余計な思考を振り払うように頭を振る。


 間宮の生活に俺が首を突っ込む必要はない。

 ただ求められたときに写真を撮って、この関係を誰にも知られないよう立ち回る。


 俺がするべきことはそれだけ。


「まあ、あれだけ人気だと息苦しそうだけどな。美男美女は苦労していないように見てて、裏では結構苦しんでたりするもんだ」

「まるで知ってるような言い草だな」

「アキトくんは知らないかもだけど、俺ってそれなりにモテるんだぜ?」

「嫌味か」

「本心だ」

「俺にどうしろと?」

「間宮と仲がいいなら助けてやれよって話」


 目をすがめて、ナツは俺を諭すように伝えてくる。


「……俺より頼れるやつくらい間宮にもいるだろ」

「そういうんじゃないんだよ。学校の間宮と週末に会った時の間宮、全然雰囲気違うぞ。学校の間宮は……なんつーか、人間味が薄い。気を張る理由があるんだろうけどさ。そういう意味では、アキトは本当に近い間宮の傍にいた。少なからず信用されてるんじゃないか?」

「買い被りすぎだ」


 鋭い追及にドキリとしつつも不愛想な返事で誤魔化すと、そのタイミングで教室に間宮が戻ってくる。


 優等生としての振舞いを貼り付けた間宮は一度隣の席に戻って来て、弁当の包みを持って女子生徒の集まりに混ざっていく。


 その背を無意識に追っていたことに気づいて視線を正面に戻すと、含み笑いをするナツの顔があった。


「気になるか?」

「全然」

「正直に白状すればいいものを」

「白状するような罪はない」

「罪の意識がないってこともあるだろ?」

「……何が言いたいんだよ」

「恋の悩みなら宍倉恋愛相談事務所までご一報を、と思いまして」

「潰れてしまえ」

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