第32話 ありえない


「……間宮さんが、僕の間宮さんが、あんな男とあんなことをしてるなんて。しかも、裏垢? 間宮さんが?」


 間宮と、彼女に藍坂くんと呼ばれていた男子が教室でよからぬことをしていたのを声だけで察した彼は、急いで廊下を走り去って部室まで逃げ込んでいた。


 動植物や校舎、部活動に精を出す生徒の写真などが飾られている写真部の部室。

 彼は一人、荒くなった呼吸を整えながらスマホを取り出す。


 壁紙には隠し撮りした間宮の写真。

 彼だけに向けた笑顔の間宮。


 それで少しだけ動揺していた心を落ち着けながら、Twitterを開いて検索をかける。

 内容はもちろん、さっき聞いてしまった間宮の裏垢について。


 キーワードを追加したりしながら検索をかけること数十分――あるアカウントが上げていた写真が目に留まった。


 片手でまみ上げられたスカートから伸びているのは、煽情的せんじょうてきな黒いタイツに包まれた脚。

 机に座っているようで、柔らかそうな太ももがぴったりと板の平面に沿って僅かに潰れるようにして広がっている。

 その奥には隠されているべき水色のパンツがしっかりと写っている。


 それだけならよかったが、その少女が身につけていた服は彼が見慣れた制服。


 アカウントの名前は『裏垢M』。

 詳細情報は何一つ書かれておらず、寄せられている気持ち悪いコメントに対しても返信をしている様子はない。


「……間宮さん、なのか?」


 浮かんだ小さな疑問は徐々にふくらみ、確固たる思い込みへと育っていく。

 彼はこのアカウントが間宮のものだと頭の中で結びつけてしまったが――それは間違いではない。


「……間宮さんだ。間違いない。だって、ほら。僕が撮った写真と同じだ。脚の形も、スカートの長さも、タイツの厚みだって――」


 彼はスマホのフォルダにある間宮を隠し撮りして集めた写真と、そのアカウントにあった写真を見比べて類似点を上げていく。


 彼は何度も「間宮さん」と呟きながら、間宮の隠し撮り写真を恍惚こうこつとした表情で見たり、その画面をなぞっていた。

 だが、それを一転させて、目にくらい感情を宿しながら、


「……間宮さんは僕だけのものだ。誰にも間宮さんを見せたくない。僕は間宮さんのことを沢山知ってる。毎日、毎日、毎日毎日毎日写真を撮ってるんだ。誰よりも間宮さんのことを理解できるんだ」


 自分に言い聞かせるように呟いて。


 日の暮れた空を無数の鴉が羽ばたいていった。



 ■



「ただいま」


 家に帰ってリビングに顔を出すと、仕事から帰っていたらしいアカ姉が「おかえり~」と気だるげに返してくれた。

 片手にはレモンサワーの缶が握られていて、テーブルにはつまみと思しき甘栗。


 ……甘栗とレモンサワーって合うのか?


 美味しそうに食べてる当たり合うんだろうな。


「ん? アキも食べる?」

「平然とレモンサワーを差し出すな。甘栗は貰う」

「私は早くアキと酒が飲みたいわ。二人して学校と職場の愚痴を語るの。36時までヤケ酒よ」

「飲みすぎだろ。気を付けてくれよ、ほんとに」

「わかってるわよ。お酒ってものは適量がいいのよ。まあ、飲める限界が適量ね」

「適当過ぎる」


 ほんとにうちの姉は……どうしてこうダメ人間的な思考回路なのか。

 頭自体は良いはずなのになあ。


 本人もどれくらい飲めば酔うのかくらいわかっているはずだし、放っておけばいい。

 俺がするべきは夕飯の支度。


 着替えてキッチンに行き、中身を見て献立を頭の中で組み立てる。

 この材料だと……楽に炒飯とスープとかでいいか。


 さてと材料を棚にだして調理をしていると、アカ姉が夕飯の気配を感じてかキッチンに顔を出した。


「今日は……炒飯?」

「正解。それとスープ、具材は適当。酔っ払いが手伝うようなことはないよ」

「冷たい弟ねえ。可愛い弟が変な感じのまま帰ってきたから話くらい聞こうかと思ってたのに」


 くい、とレモンサワーの缶を傾けて、視線をこちらへ流してくる。


 ……鋭すぎるって。

 今日の放課後は色々ありすぎて気持ちの整理がまだついていないんだろうけど、それにしたって見抜かれるとは思ってもいなかった。


「話せることなら話してごらんよ。お姉ちゃんは弟の全部を受け止める義務があるんだからさ」

「じゃあまず、そのニヤニヤした笑みを引っ込めてくれ」

「ちゃんと青春してきたのかなあと考えたら自然に」

「…………わかった。壁打ちみたいな感じになると思うけど」

「私は壁。喋る壁ね」


 やりにくいから黙るか喋るかどっちかにしてくれないかな。


 炒飯の具材を炒めながら、話せる部分だけをかいつまんで言葉にしていく。


「……今日さ、知り合いに昔のことを話した」

「…………へえ」

「で、その知り合いも似たような経験があったらしく、理解し合えたんだと思う」

「よかったじゃん。それだけなら良い話だよね」


 言外に「続きがあるんでしょ?」と促すアキ姉に嘆息しつつ、今度は言葉を選びながら続ける。


「でもさ、その知り合いは女の子で、やっぱり俺は信じられなくて。でも、その女の子は俺を信じたいって言ってくれて、行動で示してくれた。俺はその行動に寄りかかるしかできなかった」


 今日、確かに俺は間宮を間接的ながら信用するところまでたどり着いた。

 けれど、それは間宮が能動的に動いた結果の産物で、俺自身は何もしていない。


 罪悪感のようなものがあったのだろう。


 間宮は秘密を共有する共犯者のような存在で、でも俺を否定せず理解を示してくれた数少ない知り合い……知り合いと濁したけれど、もう友達と称してもいいくらいの間柄ではあるはず。

 やっていることはその範疇はんちゅうに収まっていないのは重々承知しているけど。


「別にいいんじゃない? 何か問題なの?」


 なのに、アカ姉は俺の疑問をバッサリと切り捨てる。


「だってさ、その女の子はアキの事情を理解して、それでも信じてくれてるんでしょ? なら、ゆっくりでいいんじゃないかな。もちろん甘えすぎるのも良くないけど、いきなり気持ちが変わることなんてないんだし」

「それ、は」

「わかってないと思うから言っておくけど、そういう風に相手のことを考えられるのはアキのいいところだからね。理解しようと歩み寄れる。それって、案外難しいことだよ?」


 違う、俺はそんなこと考えてない。


 過去を理由に、目の前の人から逃げているだけだ。


 だから今もどう返して良いのかわからず、フライパンで炒められている具材に意識を注ごうとしている。


「焦らなくていい。その子がアキのことを理解してくれているなら、きっと待ってくれるはずだから。あんまり遅いと逃げられちゃうかもだけど」

「逃げるって……別にあいつはそういうのじゃない」

「違うの? 私が思うに、その子ってアキのこと少なからず好きじゃない?」


 間宮が俺のことを、好き?


 ……いやいや、ありえない。


 間宮は勉学優秀、容姿端麗、品行方正を地で行く優等生。

 少なくとも学校内だけで見ればその通りだけど、優等生の姿は仮面。


 本当の間宮は普通の、どこにでもいる女の子で――俺と似たような傷を抱えている。


 間宮も俺も本来なら信用関係なんて築けない相手だった。


 だから、その先とでも言うべき恋愛感情なんて抱けるはずがない。


「その気なら早いうちにゲットしちゃいなさいよ? お母さんも早く孫の顔が見たいって言ってたし」

「アカ姉こそ早く彼氏作ったら――なんでもない」


 絶対零度の空気をいち早く察して口をつぐむと、アカ姉は冷蔵庫から二本目のレモンサワー缶を取ってリビングへ戻っていった。


 はあ、とこぼれたため息。

 同時に漂ってくる焦げ臭さに意識が戻って、慌てて火を弱める。


「……ちょっと焦げたな」


 でもこれくらいならいいアクセントになるだろうと強引に納得させて、俺は冷ましておいたご飯をフライパンへ投下した。

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