第29話 それでも
「嘘告白って、あるだろ?」
「あるね。好きでもない人に罰ゲームとかでやるやつでしょ? 私には何が楽しいのか理解できないけど」
「……そうだな。俺、中学のときにそれされて、最後に人格否定みたいなことまで言われて……言ってしまえば女性不信になったんだ。で、それは今も治ってない」
要点だけを纏めて伝えると、間宮は真剣な眼差しを俺に向けたまま間近で頭を下げる。
「……ごめんなさい。知らずに色々してた」
真面目に、誠実に謝罪の言葉を口にした間宮は触れ合っていなければわからない程度ではあったけれど、震えていた。
間宮の過去を考えるに、誰かから自分が否定されるのを極端に恐れている節がある。
そして、俺にその古傷を刺激しようという
「顔上げてくれ。間宮は悪くない。全部引きずってる俺が悪い」
「でも」
「間宮に悪気はなかった。事情も知らなかった。俺だって間宮に色々酷いこと言ってる自覚はある。だからお相子だ」
早口で
「話を戻すぞ。女性不信になった俺は一時期引きこもるようになって、人と関わるのが怖くなった。家族相手なら話せるけども、それ以外となると自分から関係を持とうとは思えなかった」
「…………」
「で、その女子たちと離れるために勉強してある程度の偏差値がある学校……ここに入って、リセットしようとしたんだ。まあ、結果はこの通り。当たり前だけど全然上手くいかなくてさ。ナツがいなかったら本当にボッチだったと思う」
「…………そっか」
「俺の事情なんてこの程度だよ。たった数分で話終わるくらい、薄っぺらい傷跡だ」
掠れた笑いが漏れ出て、同時にじくりと胸が痛む。
この程度とは言ったものの、まだ自分で振り返るには痛みを伴う記憶だ。
だからこそ、間宮には笑い話のように受け止めて欲しいと思ったのに――
「――この程度じゃない。全然、これっぽっちも、そんなこと思わない」
俺の甘い考えを切り捨てるように鋭い声音で告げられては、二の句が継げなかった。
一瞬で散らかった思考をかき集めようとして、けれどその前に頭が間宮の方へ……正確には間宮の胸に引き寄せられ、ほどなくして弾力のあるクッションのような感覚が顔全体に伝わってくる。
ブレザー生地のすべすべとした肌触りの奥にあるものを頭に浮かべてしまい、一気に顔の温度が上昇していく。
浅く呼吸をしてしまい、妙に甘い香りの混じった空気を取り込んでしまう。
吐き出そうにもそれが顔全体を覆っている事実にめまいがして、緊張と気遣いが混線して荒いながらもゆっくりと息を吐きだし、
「……間宮、手を退けてくれ」
「喋らないで。息が胸に当たってこちょがしいの」
「お前の胸で息苦しいんだけど」
「よかったじゃん。大人になったらお金を払わないと体験できないことだよ?」
「偏見だ。全ての大人に謝れ」
「ごめんなさーい……って、これで満足?」
「お前が俺の顔を解放すれば満足だ」
「無理な相談だね。せめて、もっとまともな顔になってからなら受け付けるけど?」
優しげな声が頭上から降りかかって、俺は遂に言葉を失った。
間宮が言いたいことは俺自身が良くわかっている。
頭を軽い手つきで撫でられ、気づかないうちに張っていた神経が解れていくような感覚に襲われる。
同時に、こんなことを信用していない相手にするだろうか――と考えてしまい、さらに胸が鈍い痛みを訴えた。
「これはさ、藍坂くんがあんまりに酷い顔をしてたから……ついやっちゃっただけで、深い意味は何もないから」
「……言い訳みたいに言われても説得力皆無だぞ」
「そうかもね。これは自分に対しての言い訳。もう、藍坂くんを他人と思えないから。鏡に映った自分を見てるような気分なの」
鏡に映った自分、という表現は言い得て妙ではある。
過程はどうあれ自分を否定された者同士、共感できる部分が多すぎた。
同じ痛みを知っているのなら、互いに傷つけようとはしないはず。
等速的な呼吸音が徐々に精神を落ち着けてくれて、顔から強張りが抜けきる。
「……もう大丈夫だ」
「ほんとに?」
「嘘つく理由は……あるか。弱味を見せたくないって大事な理由が」
「ここまでしておいて気にすることかなあ」
「……ほっとけ」
ぶっきらぼうに返事をすれば間宮は頭を抱きしめていた手を解いてくれて、俺は頭を胸から離していく。
ようやく呼吸が楽になって、目いっぱいに空気を吸い込んで、吐き出す。
そのままなんとなく間宮から顔を逸らしていたのは、気恥ずかしさのようなものを感じていたからだろう。
過去を話して、理解をされて。
弱い部分を晒したのは自分だけれど、そこに優しく触れられてどうしていいのかわからなくなっている。
でも、それは間宮も同じ。
間宮とて知られたくないことで、胸の内に秘めておきたいことだったはず。
互いにさらなる秘密を握り合った今、もう元通りの関係には戻れない。
「ねえ、藍坂くん。私は藍坂くんを信じたい。信じて欲しい。だけど、今の私には無理」
「そうか」
「でも、私が藍坂くんを裏切ってあの写真をバラまいて、情報を誘導すれば破滅するのは藍坂くんだけ」
「そうだな」
「……怖くないの? 裏切られると思わないの?」
「思わないね。絶対」
あえて断言する。
いじめなんかではよく聞く話だが――傷つける側は忘れて、傷つけられた側は覚えているものだ。
後者である俺も間宮もその痛みを、苦しみを、辛さを覚えていて、それを誰かへ振るうことに俺は少なくとも途方もない抵抗感がある。
鏡に映った自分という表現を使った間宮も同じ思いを抱いているはず。
だとしたら、間宮は俺のことを絶対に裏切れない。
裏切られる痛みを、他ならない自分自身が知っているから。
「……じゃあ、私を安心させるために脅迫材料を増やせる?」
「今更増えても間宮への意識は変わらないぞ」
「それでも」
強い言いきり。
しかし間宮の表情は不安げで、今も俺の制服の袖をきゅっと掴んでいる。
普通なら頷くメリットのない提案。
けれど、今だけは受けることで間宮が俺を信じるというメリットが発生する。
俺はまだ間宮を信じることは出来ないだろう。
それでも、間宮が俺に対して絶対的に優位な証拠を握り、それ故に俺を信じられるというのなら――間接的に間宮を信じられることになる。
俺が信じるのは、間宮が俺を信じるに値すると評価を下した脅迫材料。
感情ではなく、現実に存在するものだ。
「……ああ。写真でいいのか?」
「うん。動画は容量が大きいから。でもさ、決定的な証拠写真を撮るとなると、藍坂くんが私のおっぱいを触るより凄いことをするってことだよね」
「おいやめろ今必死に目を逸らそうとしていたことを突き付けるな」
「いいじゃん役得だと思えば。好きでしょ? そういうの」
「頷けるわけないだろ……!」
「それもそっか。ま、とりあえず……よろしくね?」
間宮からカメラを起動したスマホが手渡され、俺はそれを緊張したまま受け取った。
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