第28話 聞かせたいなら素直にそう言えよ


「いや、別に聞きたくないけど」

「………………せめてもの罪滅ぼしとして、私の昔話を聞いてくれる?」

「聞かせたいなら素直にそう言えよ」

「だって負けた気がするし」


 そっちは素直に言わなくていいんだよ。


「……だって、いいのか? 言いたくなかったんだろ」

「それはそうだけど、聞いて欲しいって思っちゃったの。悪い?」

「悪い。俺を致命的に間宮の事情に巻き込むのはやめろ」


 俺はあくまで間宮に脅されて、秘密の関係を持っているだけ。

 踏み込む気も、踏み込ませる気もなかった。


 だというのに、間宮はその壁を越えようとしてくる。


「――じゃあさ、無理やりでも聞いてもらうから」


 間宮はあくまで自分の意思を突き通すつもりのようで席からすっくと立ちあがり、俺の隣にたたずんだ。

 何をする気だ? と警戒していたが、ぬるりと伸びてきた間宮の両腕が首にまとわりつき、抱き着くような形になる。


 そのまま間宮の尻が俺の膝の上に乗って――


「座り心地、あんまりよくないね」

「重い柔らかい変な感じがする重いから早く退いてくれ」

「重いって二回も言った……そんなに重い?」

「体重もだけどメンヘラみたいな精神性が一番重い」

「メンヘラのそれは愛の裏返しだから大丈夫だね。これはただの嫌がらせだし」

「なおさらやめろ」


 抱き着くようにしているせいで間宮の胸が押し付けられているし、身じろぐたびに尻が太ももに沿って形を変えて悩ましい感触を伝えてくるのに、俺の理性がそう長く耐えられるとは思えなかった。

 茹ってくる思考を「これは嫌がらせだ」という言葉で冷ましつつ間宮に視線と言葉で求めるも、悪ノリをしている間宮はより抱き着く力を強めるばかり。


 ……本当にやってられない。


 間宮の過去なんて知りたくもないし、知ってどうなるとも思えない。


 俺の立場は変わらず、要らない情報が増えるだけ。


 それでも、あんな声と目と、自分も覚えのある諦めを伴った表情を見たら、心の底から否定なんてできるはずがなかった。


 俺が何も言わないのをいいことに間宮は緊張を和らげるように一呼吸おいて、


「……中学校の頃、結構な嫌がらせを受けてさ。それ以来、自分を隠して今の学校のみんなが知ってる優等生の仮面を被るようになったの」


 昔を懐かしむような、嫌がるような、複雑な感情を貼り付けた表情で語り始めた。


「自分で言うのもアレだけどさ、私って結構可愛い方でモテたんだよね。それで、ある人に告白されて、でも私はその人が好きじゃないから断るの。次の日、学校に行ったら友達だと思っていた女の子から「私の好きな人を取らないでよ!」って、誰もいない体育館裏で怒鳴られてさ。笑っちゃったよね。私、なにか悪いことをしたのかなって」

「…………」

「私は普通にしていたつもりでも、周りからは気取ってるように見えたのかな。陰で「調子乗ってるよね。嫌われてるとも知らないで」って、仲がいいと思ってた友達が言ってた。もう誰を信じていいのかわからなくなって、帰って泣いたのを今でも覚えてる」

「…………」

「それでさ、やっと私わかったんだ。普通にしてたらダメなんだなあって。本当の私はいらないんだって。だから私は誰にでも都合のいい優等生っていう仮面を被って、悪意から目を背け、誰も信用しないで自分の世界に引きこもった」


 瞼を閉ざしながら一人滔々と語る間宮のそれを聞きながら、俺も胸のうずきを覚えていた。


 間宮が語った過去は俺と違うはずなのに、「自分を否定された」という部分が共通しているからか、どうしても他人事と思えない。

 奇妙な一致によって生み出された感情。


 いつの間にか間宮の話に聞き入っていた。

 同時に、間宮が俺に抱き着く力が強くなっていて、強張りのようなものも窺える。

 密着度を増したことで間宮の存在をより近くに感じてしまい、妙な緊張感で早まった心臓の鼓動。


 長い髪が鼻先にあって、ゆらゆらと揺れてほのかに甘い匂いを運んでくる。

 髪の間から見える白いうなじには緊張からか、僅かに汗が滲んでいた。


 これは間違いなく、間宮にとって忘れたい過去なのだろう。

 それを俺なんかに話して良いのかと思う反面、間宮に逆らうことが出来ない俺だから話しているのだとわかる。


 優等生の過去。

 聞く人が聞けばゴシップネタになりかねないそれを明かすのはリスクが大きい。


 だが、俺はそれを誰にも話せないし、話したところで間宮が俺の弱みを公表すれば話題を塗り替えることだって可能だ。


「……それだけじゃないんだろ?」

「まあ、ここまで言ったら誰でもわかるよね。あとはお察しの通り、本当の自分を認められないことに耐えられなくて、私は裏垢を作って写真を上げるようになった。そんなある日、写真撮影中の教室に迷い込んだ藍坂くんに秘密を知られちゃったってわけ。それもこれも、今ではよかったのかなって思ってるけど」

「俺は全く良くないんだが」

「私に抱きしめられながら現在進行形でにやけるのを必死にこらえてあたかも「興味ありませんよ」みたいな顔してるのに?」

「思考を読むな。仕方ないだろ、生物学上は男なんだから。嫌なら離れろ。可及的速やかに離れろ」

「脳内審議の結果、その申請は却下されたよ」

「そんな議会滅んでしまえ」


 反抗の姿勢を緩めない俺に対して、間宮は全く離れる気配を見せない。

 それどころか頭まで肩にもたれさせてしまい、完全に身を委ねられている。


 俺が下手なことは出来ないとわかっていてこんなことをしているんだろう。

 本当に悪魔みたいな女だけど――その身体が僅かに震えているのが嫌でも伝わってくるから、無理に引き剥がそうと思えない。


 今の間宮は迷子の子どもみたいな雰囲気で、突き放せば泣き出してしまいそうな危うさがあった。


 だから、というわけではないけれど。


「俺はどうしたらいい? このまま背中をさすって慰めたら良いのか?」

「してくれるの?」

「そうしろと言うならやぶさかではない」

「そういうのって自発的にやってくれた方がポイント高いんだけど」

「気を利かせるような仲でもないだろうに」

「だからモテないんだよ」


 それは余計だろとにらんでやれば、つん、と鼻先を間宮の人差し指がついて、


「……こんなとこ、誰かに見られたら大変だね」

「ほんとだよ。どうしてくれんだ」

「そのときは付き合ってるんです――って誤魔化せばいいんじゃない?」

「断る。いつ背中を刺されるのかわからない学校生活とか嫌すぎる」

嫉妬しっとは男女どっちも怖いからなあ」


 間宮のしみじみとした呟きには実感がこもっていた。


 少しだけ、どちらも黙りこくって。

 教室に落ちた沈黙に、空を飛び去る鴉の鳴き声が響き、


「……どうして俺に話したんだ」

「藍坂くんを信じたいと思ったから。都合のいい解釈なのはわかってるけど」

「俺が本当は間宮のことが嫌いで仕方なくて、毎日のように寝首を掻く隙を伺っていただけだとしたら?」

「私のこと好きすぎだね。……ま、そうなら私の視る目がなかったってこと。でも、藍坂くんはまだ私の椅子になってくれてる。それが答えじゃない?」

「椅子になった覚えはない」


 そうだっけ? ととぼける間宮の額にデコピンをかまして、「女の子に暴力とか信じられないっ」なんて小さめの声量で器用に叫ぶ間宮から顔を逸らしつつ考える。


「信じたい」なんてことを間宮から言われるとは思ってもいなかった。

 間宮の本音なのは雰囲気から察せられるし、俺も嘘だと切り捨てる気はない。


 だけど――俺はやっぱり、まだ間宮を全面的に信用できる精神状態ではない。

 個人的には信用できるならしたいし、応えたいという思いもある。


 あくまで友達として、そう思ってくれるのは素直に嬉しいことだ。


 でも、それなら……間宮も秘密にしていた過去を話したのだから、俺が明かさないのはフェアじゃない。

 これは俺のエゴで、ただの自己満足。


「……ならさ、今度は俺の話を聞いてくれよ」


 緊張と、不安と、間宮という一人の人間へ真剣に向き合いたいという思いを込めた言葉に、間宮は静かに頷いた。

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