第27話 だから、私は悪い子なの


「そんなのどうしようもないだろ。一方的に俺が悪いってなって終わりだな。不登校から自然消滅的に退学して、お先真っ暗の人生を送る……って、縁起えんぎでもない想像をさせるな」


 間宮から告げられた仮定の話に、俺は即座にそう切り返した。


 確かに俺と間宮は互いに秘密を握りあっている。

 けれど、立場は全く違う。


 男女で、優等生と一生徒で、秘密の内容だって見方次第で全部俺が悪いとなりかねないものばかり。

 要するにそんな仮定自体を考えるのが不毛で、俺にある選択肢は間宮へ表面上は従順であること以外は存在しない。


「……なんで?」


 だが、俺の答えに間宮は不満だったのだろう。

 両目に溢れんばかりの疑念と不信感を湛えながら、僅かに身を前へ傾けた。


「なんで、の意味がわからない」

「どうしてそんなに冷静なのかって話」

「冷静ってか、間宮は意味もなくそんなことをしないと思ってる。秘密を明かすのは間宮にも都合が悪いからな」


 俺を脅したのだって秘密を守らせるという狙いもあっただろうけれど、それに加えて写真撮影の人手が欲しかったのもあるはず。

 そして、間宮は未だに裏垢に上げるための写真を欲していて――それなら、秘密を明かすメリット自体が半減する。


 間宮は俺という人手を失い、俺は学校から弾かれる。

 どちらにしても損失しかない悪手を間宮が打つとは考えにくい。


「……藍坂くんは私を信用してるの?」

「ある意味では、な」

「私が本当は悪い女の子で、約束なんてどうでもよくて、好き勝手に遊べる相手が欲しかっただけの我儘わがままでどうしようもない女の子だったとしても?」

「仮にそうだったなら、俺は今ごろ学校にはいないと思うけど。そうなってないのが、間宮のそれを否定する材料になる」

「なにそれ。バカなの? だって、私は――ッ!!」


 叫びを噛み殺した間宮が、勢いよく俺を押し倒すように両肩を掴んだ。

 二人分の体重が背もたれにかかった椅子はがくり、とバランスを崩し、俺と間宮の身体が重なったまま後ろへ倒れる。


 ガッシャーン! と椅子が床と衝突した音が二人だけの教室に響く。


 咄嗟に間宮の頭を抱きかかえながら身体を横にずらしたため、ギリギリのところで頭を床に打ち付けることはなかった。

 だが、二人分の体重を受け止めた背中がじんとした痛みを訴える。


「いっって……」


 顔をしかめつつ目を開けば、俺の胸に顔を埋める間宮の姿があった。

 長い髪が一面に広げた布のようになっていて、近すぎる距離感のせいか妙に甘い匂いまで漂ってきて頭の奥がくらりとする。


 離れようにも俺が下敷きになった状態ではそれもままならず、全身に制服越しの若干硬い感触が伝わってきて、一気に身体が熱をもった。

 うう、と呻きながら、間宮は顔だけをゆっくりと上げる。


 吸い込まれそうなほどに澄んだ瞳と視線が交わって――怪我でもさせるところだと思ったのか、さっと顔から血の気が引いていた。


「……っ、あ、私、そんなつもりじゃあ――」

「わかってるから動くな色々当たってんだよこっちはっ!?」

「ごめんっ、でも、怪我とか」

「頭も打ってないし多少背中を痛めただけだ。それより、この体勢の方が何百倍も問題があるとだけ先に言っておくぞ」


 言外に「早く離れてくれ」と視線に念を込めるも、間宮は俺が怪我をしていないことを確かめるように胸や顔を触ってくる。


 たどたどしく、壊れ物でも扱うように触れてくる細い指の感触。

 もぞりと動くたびに熱と確かな柔らかさを伝えてくる間宮の身体から必死に意識を逸らしながら、俺は息を止めていた。


 だが、俺の無事を察してか、間宮は露骨に安堵を込めた息を吐き出す。

 揶揄いやわざとらしさは一切なく、本気で俺のことを心配していたのだとわかる。


 そんなことは押し倒されるときの雰囲気でわかっていた。

 間宮としては肩を掴むだけのつもりだったが、勢い余って結果的に押し倒してしまったのだろう。


「……押し倒す気はなかったの。ごめんなさい」

「それはいいから。平然とこのまま続けようとするな」

「だってちょっと嬉しそうだったし。実際嬉しいでしょ? 男好きする身体だってことはわかってるし」

「否定に困ること言わないでくれ。こっちは免疫なさ過ぎていっぱいいっぱいなんだよ」


 これ自体は真実だし、間宮もわかっているはずだ。

 だから離れていないのだとすれば、やっぱり間宮は性格が悪いことになると思う。


「その割に平気そうだね」

「耐えてんだよ。襲うぞ」

「きゃーって悲鳴でも上げたほうがいい?」

「ならまずあわれむみたいな目をやめろ」


 わざとらしすぎて反応する気も起きず、フラットな感情のまま返すと、間宮は「仕方ないなあ」と俺の上から離れて起き上がった。

 それに続くように俺も身体を起こしている間に、間宮は教室の扉に施錠をする。


 ……え?


「先生から鍵を借りてきたの。勉強していくので最後になるかも――って嘘をついて。私、悪い子だから」


 静かだが、それでいてよく響く声で間宮は振り返りざまに告げた。


「安全に写真を撮るためってか? 優等生様ってのは信用されてるんだな」

「まあね。理由は他にもあるけど」


 間宮は教室の出入り口側に俺を招く。

 そっちにいないと入り口が閉まっているのに教室に人が居る、なんてことになりかねないからだろう。


 入り口から死角になる壁際の席を借りて向かい合うように座ると、神妙な面持ちの間宮が口を開いて、


「どこまで話したか忘れちゃったけど……もう、いっか。藍坂くん。私ね、君のことが信じられないの」

「……は?」

「正確には、藍坂くんが私を信じてくれるってことが信じられない」


 今度こそ本当に、間宮が言いたいことが理解できなかった。


 は? というのは俺のことが信じられないことへの疑問ではなく、あまりに話の流れが唐突過ぎたことへの疑問だ。


 しかし、俺の反応なんて始めから聞く気がなかったのか、間宮はそのまま続ける。


「お出かけのとき、藍坂くんは私を助けてくれたでしょ?」

「……まあ、そうなるのか」

「それはとても嬉しかったし、怖かったのも本当。でも、手を繋ごうとした理由は違う。藍坂くんが見ているのは優等生の私なのか、なんでもない普通の間宮ユウって女の子なのか考えて怖くなったから」

「…………」

「私と藍坂くんの間には誰にも言えない秘密がある。だから藍坂くんは裏切れない――ってわかってるのに、裏切られるんじゃないかって考えて、試すような真似をしたの。弱い部分を見せても藍坂くんの態度が変わらないのかな、って調べたくて」


 そう話す間宮の表情は苦しそうに見えて、思わず伸びかけた手を机の下で制する。


「別に変らないって。そもそも間宮を脅す弱味には足りない」

「うん。わかってる。わかっててやった。だから、私は悪い子なの」


 悲しげに言って、はかなさを感じるような薄い笑みを浮かべて、


「――せめてもの罪滅ぼしとして、私の昔話を聞いてくれる?」

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