第23話 そんな顔しないで欲しいな


「んじゃ、また学校でなー。楽しんでこいよー」

「余計なお世話だ」


 にしし、と悪だくみをする小悪党のように笑うナツと、微笑みを浮かべながら手を振っている多々良さんと別れ、俺はため込んでいた緊張を吐き出すように息をついた。


「楽しかったね」

「それは冗談だよな」

「藍坂くんは楽しくなかったの?」

「アレを楽しいと呼べるならこの世にある大体のことで楽しめると思うぞ」


 終始誤魔化せたかどうかと不安になっていた俺と違って、間宮は緊張すら表に出すことなく乗り切っている。


 これが普段から優等生としての仮面を被って過ごしている者の貫禄かんろく……見習いたいとは思わないけど。


「とはいえ、なんとか友達って体で通せたな」

「友達……?」

「おい急に梯子はしごを外すな」

「ごめんごめん。藍坂くんから友達って呼んでくれると思ってなかったから」

「そいえば間宮は友達いないんだったか」

「喧嘩なら買うよ」

「俺が友達じゃないなら事実だろ」


 ド正論を突きつければ間宮は沈黙し――諦めたのか軽いため息をついた。


「人間言っていいことと悪いことがあるんだよ?」

「開戦の狼煙のろしを上げたのは間宮な気もするけど」

「だとしても正論パンチはダメ。私傷ついたなあ。傷ついちゃったなあ」


 チラチラとこれ見よがしに「私可哀想でしょ」アピールをする間宮に、俺の絶対的な良心が痛む。


 間宮は自分に備わった強み……客観的事実として可愛い部類に入る容姿と計算されつくした仕草、声音や視線など、おおよそ考えうる全ての武器を使って俺に揺さぶりをかけてくる。

 普通の男子なら間宮の黒い術中じゅっちゅうに嵌ってしまうだろうが、裏を知っている俺としては多少の罪悪感を覚えるだけ。


 ただ――如何せん場所が悪い。


 ここはショッピングモール、人目は数えきれないほどにある。

 そんな中でこんなことをし始める間宮と、その隣にいる仏頂面の俺。


 嫌でも注目を集めてしまうのは必然だった。


「……何がお望みだよ」


 だから思わずそう呟くと、間宮は柔らかな微笑みを俺に返して、


「ランジェリーショップ」


 至極当然のようにそう言う。


 俺の顔は条件反射で引きった。

 申し訳ないけどナチュラルに頭おかしいんじゃないかと思ってしまう。


 今日散々断ったのにこれだよ……しかも脅してまで連れて行くとこか?


「なんでそんなに下着にこだわる?? 俺と一緒の時じゃなくていいだろ」

「だって面白そうだし。私が選んでいる隣で「間宮って学校にこういうのつけてくるのか……」とか恥ずかしそうに視線を逸らしつつも欲望に逆らえずチラチラ見ては顔を赤くして考える藍坂くんの顔が」

「発想が悪魔のそれだぞ」

「でもどうせ見るじゃん」

「それを言ったら全部台無しだし見せてるのは間宮だからな??」


 誓って俺が見たくて見てるんじゃない。


 世界が……もとい、間宮が強要してくるのだから俺は悪くない。


 恋愛に否定的ながら感性は至って普通の男子高校生である俺としては、間宮が意図的に見せてくるそれですら結構こたえる。

 惜しむらくはシチュエーションに情緒じょうちょと呼べるものが一切なく、従わなければ破滅が待っている状況ということか。


 いやまあ、間宮にその手のことを求める気は一切ないし、できることなら今日にでもやめて欲しいと思っているけれど。


 それはそうと今まで見た間宮のそれを忘れられるかと聞かれれば、残念なことに首は横に振られてしまう。

 俺のような免疫のない人間には刺激が強すぎた。


「でも、あんまり嫌がる藍坂くんを連れて行くのも面白くないし……別な場所にしよっか。折角のお出かけだもん。楽しかったって思って欲しいし」

「……間宮、お前」

「てことで食後のデザートとかどう? アイスクリームとかさ」

「太るぞ」

「別腹だから大丈夫。人間生きてるから何を食べても最終的にはゼロキロカロリーだよ?」

「間宮がいいならいいけどさ」

「じゃあ決まり! 早く行こっ!」


 ひらり、と長い髪を靡かせて、アイスクリーム店の列を目指す間宮。


 その声は、仕草は、表情は――ダメだ。


 間宮にそんな気は一切ないとわかっていても、記憶と重なって胸の奥が痛みを訴える。


 俺は都合のいい荷物持ちで、間宮との間には打算しかなくて、そんな感情を向けても向けられても迷惑なだけ。

 これは俺の一方的な勘違い。


 好きなんて感情は脳の錯覚だ。


 揺れる気持ちを落ち着けるように深呼吸を繰り返し――ようやく頭の中に立ち込めていた霧のようなものが晴れていく。


「藍坂くん遅いよー!」

「……ああ。今行く」


 意識的に気配を元通りに変えようとしたものの、緊張というか強張りのようなものは残り続けていた。

 それを見抜かれたのか、隣に立つなり眉間にしわを寄せた間宮に覗き込まれる。


「テンション低いね。アイス嫌い?」

「嫌いじゃないけど」

「じゃあ、やっぱり私といるのが嫌ってこと?」

「……いや。嫌なのは間宮じゃなく俺自身だよ」

「なにそれ」


 正直に伝えれば、返ってくるのは困惑の色が強い呟きだった。


 間宮はじーっと見定めるように俺の顔を注視し――右手が俺の顔に伸びてきて、頬に優しく触れていた。

 あまりに唐突で意味の分からない行動だっただけに一瞬だけ呆けてしまい、


「私は藍坂くんを嫌だと心から思ったことは一度もないよ。言葉も表情も嫌そうだけど、あったかいのはわかるから。だからさ、そんな顔しないで欲しいな」


 酷く優しく、子供に語り掛けるような温度の伴った口調。

 頬に触れている手のひらからじんとした熱量が伝播して、それを意識したのか身体が熱を持っていく。


 凝り固まった何かが解れて溶けていくような、身を委ねてしまいたくなる甘い余韻が意識を揺らして――そこでようやく、はっと我に返った。


 一歩退いて手のひらから離れればよかったのに、俺はわざわざ間宮の手首を掴んで離れさせる。

 頬に残る感覚から逃げるように顔ごと逸らして、またやってしまったと俯きがちに眉間を揉んだ。


「……悪い。本当に気にしないでくれ。間宮は何も悪くなくて、これは俺の問題なんだ」

「……そっか。うん、わかった」


 静かな声には、どうしてか残念そうな気配があって。


 じわりと心の裂け目から罪悪感が湧いてくる。


「で、アイスだったか。好きなの頼んでいいぞ」

「藍坂くんが買ってくれるの?」

「自己満足だよ。迷惑かけたおびとでも思ってくれ」

「ふぅん……じゃあ、お言葉に甘えよっかな。だからさ、お互いのものを交換するくらいはいいよね?」

「食べさせ合うとかじゃなきゃ別にいい」

「やったっ」


 間宮の素と思える微笑みに、鈍い痛みを訴える傷。


 その痛みを苦笑で誤魔化して、アイスクリーム店の列に並びながら何十種類もあるメニューを眺めた。

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