第16話 ずるいってか、あくどいっていうか


「熱は下がったんだな」

「薬を頂いて眠っていましたから。それなりには回復したと思います」

「ならよかった。家に人はいるのか?」

「ええと、今日は一人ですかね。……もしかして、病人を襲う気ですか」

「家で体調悪くなったらどうするのかって話だよ」


 帰り道。


 前よりもゆったりとした足取りで帰路につきながら、ふと聞いてみた。


 間宮はこれでも熱を出しているため、多少なり体調を心配になってのこと。

 返ってくるのはいつもの優等生モードと素顔の中間のような軽口。


 外だから誰かに聞かれてもいいように丁寧口調を心掛けているのだろう。

 間宮にとって素顔がバレるのは避けたい事項だ。


 ただ、やはり元気がないように感じる。


「どうもしませんよ。一人なのは慣れていますし。食べれそうなものを作って、薬を飲んで寝るくらいでしょうか」

「そう、か」

「心配してくれているんですか?」

「悪いかよ。一応知らない仲じゃないわけだし」


 友達と呼ぶには歪で、知り合いという表現も微妙に正しくないように感じられる関係だからこそ、明言はしない。


 そもそも脅されている立場上、友達とは口が裂けても言いたくない。


 だが、それに何かを感じたのか、間宮は薄く笑みを浮かべる。

「わかっていますよ」とでも言いたげな視線が、どうにも居心地悪く感じられた。


「……ああ、ごめんなさい。今のは本当に揶揄からかうつもりはなかったんですよ? ちょっと新鮮な気分になったといいますか」

「心配されるような経験が少なかったって話か?」

「端的に言えば。なにせ学校で関わる方々には自分の弱みなんて見せられません。油断や隙をさらせば死が待っています」

「大袈裟な」

「女の子の世界というのはそういうものです。まして、それを男子に知られようものなら、俺が助けてあげるよ――なんて、言い寄られること間違いありません」


 心底迷惑そうに間宮は言う。


 もしかすると、実際に体験した話なのかもしれない。


 学校では勉学優秀、楚々とした立ち振る舞いで教師や先生からの信頼も厚い間宮は、相応の評価を受けて人が集まってくる。

 その中には単純に尊敬や友人として付き合いたいと思っている人もいるだろうが、邪な思いを抱いている人がいてもおかしくない。


 ただ――


「俺が言い寄るとは思わなかったのかよ」

「そのつもりも、度胸があるようにも思えませんので」

「遠回しにヘタレ扱いしたなこいつ」

「違うのですか?」

「まあそんなつもりは毛ほどもなかったけど」

「態度でわかりますし……あんなことがあっても手を出せないような人ですから」


 あんなこと、という言葉が示すものを思い浮かべてしまい、そのときの感覚を朧気に思い出してしまう。


 柔らかな胸、熱を帯びた吐息、絹糸のような触り心地の髪。

 汗と混ざった独特の甘い匂いと、ほんのり赤くなった間宮の表情。


 今にしてみれば熱があってあんなことをしたんだな、と無理やり納得できなくもないが……忘れるのは難しい。


「一つ言っておくと、あれは熱があったからではありませんよ。ああするのが最善だと思ったので。私だけなら言い逃れもできますし」

「最後だけは聞きたくなかった」

「私がずるい人だと知っているのに、ですか」

「ずるいってか、あくどいっていうか」

「……その言い方はないと思います」


 抗議をするような視線は黙殺。


 間違っても流れるように脅迫してくるような女子校生のことをずるいで済ませられるわけがない。

 あくどいってのもちょっと違う気はするけど。


「なんていうか、間宮って意外と子どもっぽいよな。そういう表情、学校では見せないから知らなかったけど」

「……っ、私が子どもっぽい、ですか」

「気を悪くしたなら謝るよ」

「……他の誰にも言わないのなら構いません」


 つんとした態度。

 少し恥ずかしいのか、顔は俺から逸らしている。


「私、みなさんが思っているような人間じゃないですし。完璧でもなければ、間違えることだってあります。今日のように体調を崩すことも」

「……疲れそうだな、そういうの」

「ええ、疲れます。身体はともかく、心が疲れます。常に気を張っているのは面倒で、いっそのこと本当の自分でいられたらいいのにな、と思うこともあります」

「それでいいんじゃないのか? もし間宮が見限られるのなら、それは勝手に期待していた奴が悪い」


 注目を集めてしまう者としての悩みなのだろう。


 確かに俺は間宮の素顔を知った時、多少なりとも動揺した。

 けれど、それは俺が目にしていた間宮という人間に関する情報が増えただけで、根本的な部分は何一つ変わっていない。


 そしてなにより、間宮の根が素直でいいやつなのは知っている。

 でなければ今頃、俺の学校生活は終わっていたはずだ。


 利害が一致したとはいえ、それは間宮が持ち合わせている要素の一つ。

 嘘でも偽りでもない、現実のもの。


「……今更なんですよね、本当に。勉強は自分のため。素行がいいのも教師からの信頼を得るため。いつも微笑みを絶やさないようにしているのも、無用ないさかいを生まないようにと身につけて剝がれなくなった処世術のようなものですから」

「大変なんだな、優等生様も」

「そういうことです。なので、ちょっとくらい気が抜ける相手が欲しいなあ、と思っている訳で」

「何がお望みだよ」

「夕ご飯、一緒にどうですか? 私の家で」


 何気ない調子の言葉に、思わず足が止まる。


「料理できるのか?」

「できますけど……作るのが面倒だなと思いまして」

「俺に作れってことかよ。そこまで上手くはないぞ」

「いいですよ。単に、誰かといたい気分なだけですから。風邪を引くと無性に寂しく感じるじゃないですか。今、そういう気分なんですよ」

「初めに襲われるとか言ってたのは誰だよ」

「その気になったんですか?」

「……飯作って食べたら帰るからな」

「ええ。贅沢は言いません。誰かいてくれるだけでも気は紛れるので」


 そのときの間宮は笑顔だったのに、どこか寂しそうに映ったのは気のせいだろうか。

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