第15話 気が抜けてたかも


「……んえ? 私が熱? まさかぁ」


 間宮は声も表情のふにゃふにゃとしていて、どこか危うい印象を受けた。


 弓なりに曲げられた目元、長い睫毛がゆっくりと羽ばたく。

 浅い吐息は熱っぽく、首筋にかかって落ち着かない。


「布団退けるぞ」

「ええー……あったかいのに」


 ぎゅーっと俺を抱きしめる力が強くなって、女の子としての柔らかさや甘ったるい匂いを感じてしまう。

 しかし理性を総動員して掛け布団を払いのけ、籠った熱が消えていく。


 間宮の腕を痛くしないように引き剥がし、ベッドから起きて離れる。

 すると、間宮は頬を膨らませつつ俺のことを睨んでいた。


「女の子に乱暴しちゃダメなんだよ?」

「乱暴した覚えはない。というか正気に戻ってくれ。絶対後悔するぞ」

「後悔……? あー、でもあったかいほうがいいなあ」

「じゃあ布団被ってろ。体温計探してくるから」


 間宮にベッドで寝ているように言えば、むーっと唸りながらも仰向けに寝転んだ。

 そこに掛け布団をして、俺は体温計を探し出す。


 幸い医療箱の中にあったのでそれを間宮に預け、熱を測ってもらうことにする。

 カーテンで仕切った外側で待ち、ぴぴぴと測り終えた音がしてから一声かけて仕切りの中に入り、


「何度だった」

「うーんとね、こんな感じ」

「37度4分……微熱だな。いつからだ」

「たぶん朝からかなあ。さっきおかしい感じがしたから来たの」


 甘えるような返事に喉を詰まらせつつも、様子を見るに風邪だろうと判断する。

 というか朝からだったのか……大人しく休む選択肢はなかったのだろうか。


 それはまあいいとしても、微熱ならこれから上がりそうだ。


「とりあえず寝てろ。担任と保険の先生には俺が言っておくから」

「……藍坂くん、いっちゃうの?」

「そりゃあまあ授業あるし、先生にも伝えてこないとだし。第一、俺が居たら怪しまれるし迷惑だろ」


 俺は体育の授業を抜けてここにいる。

 間宮も理由はわからないが、恐らく同じ。


 なら、その二人が次の授業にも帰ってこないとなったら――変な勘繰りをされることもあるだろう。


 それは俺も困るし、間宮も本意ではないはずだ。


「そういうことだから大人しく寝ててくれ」

「……じゃあ、今日は一緒に帰ってくれる?」

「病人を送っていく体だな。他の人が居なければそれでもいいよ。今の間宮を一人で帰したら危ない気がするし」


 正直、このふわふわした感じの間宮を一人で帰宅させるのは、そこはかとない怖さがある。


 あるべき警戒心とか、正常な思考力が根こそぎ奪われているし、知らない人にもついていきそうだ。

 ……それは流石に失礼か。


 担任が一人で帰す判断をするのかがわからないけど、同じマンションなのだとわかっているから監視的な意味合いで送っていくのはやぶさかではない。


 だから、その信用しきったような目をやめて欲しい。


 間宮にそんな気がないとしても、俺はいらない心配と警戒をしてしまう。

 もうこれは癖みたいなもので、そう簡単には直らない。


 俺はすがるような視線を背に受けつつも、仕切りを締めて保健室を後にした。

 それから担任と保健の先生に間宮が寝ていることを伝え、俺は授業に戻ることとなった。


 隣がいないのはほんの少し寂しさのようなものを感じたものの、元からこんなものだったと納得して授業に集中する。


 昼、教室に来た担任が間宮の荷物を女子生徒に纏めるように頼んでいた。

 早退するのかと思われたが、担任は俺に「家が近いなら放課後一緒に帰って送って欲しい」と頼まれ、俺はそれを承諾。

 クラスからの視線が妙に痛かった。


 形はどうあれ間宮と二人で帰れるのだから、それをうらやむ男子諸君は多い。

 敢えてその視線や気配を黙殺して放課後まで過ごし、保健室に間宮を迎えに行けば額に冷却シートを張った状態で眠っていた。


 けれど、寝ていたはずの間宮はゆっくりと目を開けて、ぼんやりとした眼で天井を見上げ、俺の存在に遅れて気づく。


「……あ、藍坂くんだ」

「起こしたか」

「ううん。もう放課後?」

「迎えに来たけど帰れそうか?」

「多分、大丈夫。寝ていたら少し良くなったから」


 そうは言うものの、間宮の顔はほんのりと赤かった。

 目は僅かに潤んでいるし、熱に浮かされたような雰囲気が拭えない。


 間宮は上半身を起こし、ふうと息をつく。


 寝やすいようにか、間宮はジャージのままだった。


「着替えある?」

「ん? えっと……これだな」

「ありがとね。帰るなら着替えないと」

「それなら外に出てるか」

「いいよ、別に保健室にいても。着替えてる間、話し相手になってよ」


 それは……いや、まあいいか。

 どうせ仕切りはあるし、俺もそっちを見るつもりはないし。


 仕切りをしめて、長椅子に腰を下ろす。

 背にしたベッドの方から衣擦れの音が聞こえてきて、本当に着替えているのか……と考えてしまい、慌てて意識を逸らした。


「……私、ちょっと気が抜けてたかも」

「何が?」

「まさか熱を出して、藍坂くんに付き添われながら帰ることになるとは思ってなかったって話」

「ああ……そいえば、間宮が体調崩すのって珍しいよな」

「自己管理はきっちりしてるつもりだったんだよ? なんでだろうね。藍坂くんと話すようになったからかな」

「まるで俺が熱の元凶みたいに言うな」

「あはは、ごめんごめん。そんなつもりはなかったんだよ?」


 控えめに笑いながら謝る声が聞こえて、つい眉間にしわが寄る。


 間宮としては学校では優等生……隙のない自分だけを見せていたし、実際俺の目にもそのように映っていた。

 別に熱を出したくらいでイメージが崩れるとは思えないが、本人的には気にしていたりするのだろう。


 誰も気にしないと思うけどな。

 熱なんて誰でも出るし、なんなら仮病使ってるやつは普通にいるし。


 それと比べたら間宮のなんと真面目なことか。

 優等生として過ごすしわ寄せが俺に来ているような気はするものの、精神保護の観点から考えないことにする。


「でもさ、やっぱり優しいと思うよ? 藍坂くん」

「……そういうのじゃない」

「じゃあ自然な優しさってことかな。にじみでてるんだよね。だから、疲れた私は甘えちゃう」


 静かで、柔らかさを帯びた声。

 衣擦れの音が止んで、仕切りのカーテンが開いた。


 制服に着替えた間宮の姿は見慣れた優等生然としたもの。


「ねえ、写真撮ろうよ」

「ここで脱ぐのは流石にやめろ」

「そうじゃなくて、普通にツーショット撮らない? って話」

「……それこそ意味が分からない。俺とツーショット撮って意味あるか」

「今日という日を永遠に思い出として残すため?」

「理由から意味不明だった」


 全くもってそういう思考に至る道筋がわからない。


「まあ、撮りたいなら勝手にしてくれ」


 拒否するようなことでもないかと思って承諾の返事をすると、間宮は目に見えて頬を緩ませながら俺の隣に立った。


 肩が触れ合い、流れた髪が首筋をくすぐる。

 左手でスマホを掲げ、その画面に入るように距離が縮まった。


 画面に映る自分の顔は、やっぱり緊張というか強張りのようなものがあった。

 対する間宮は自然体。


「はい、チーズ」


 しかし、そんなのはお構いなしと間宮はシャッターを切った。

 パシャリ、と音がして、その一瞬が画面に切り取られる。


 間宮が離れ、撮った写真を確かめて「やっぱり藍坂くんの表情硬いよー?」と邪気のない声が聞こえてくる。

 無茶を言うな、と言ってやりたいものの、相手は熱を出している病人。


「ほら。満足したなら帰るぞ」

「はーい。もし倒れたら支えてね?」

「救急車くらいは呼んでやるよ」

「冷たいなあ」

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