第7話 後悔のようなもの
家に帰れば、いつもの静けさが私を出迎えた。
数年前に離婚して父親に引き取られた私だけど、肝心の父親は出張が多く家を留守にしている。
「はあー……今日も疲れたぁ」
靴を脱いで廊下を歩く間にぐーっと背を伸ばして、今日一日の疲労を言葉一つで吐き出す。
優等生を演じるのも楽じゃない。
今では演じている意識も薄くなってくるほど馴染んできたけど、それでも気を抜けば素の私が出てしまう可能性もある。
特に最近は……放課後のこともあって、境界線が緩くなっているのかもしれない。
刺激を求めて学校でちょっと過激な写真を撮るまでは良かったけど、それが藍坂くんにバレてしまったのは不覚だった。
それでも不幸中の幸いだったのは、申し訳ないけど藍坂くんを脅して口止めできたことと、私の秘密を言いふらそうとしない相手だったこと。
これが先生とかだったら……学校生活が終わっていた。
「……でも、これはこれでよかったのかも」
手洗いうがいを済ませてからリビングのソファに腰を下ろす。
スマホを起動して、学校で撮ってきた写真を表示する。
若干ローアングル気味で、脚と下着が映った煽情的な一枚。
これなら今までよりもたくさんの反応が貰えそうだ。
男はこういうフェチ的な要素が強いものが好きってよく聞くし。
藍坂くんの反応を見てもそれは間違いないと思う。
というか、藍坂くんがあまりに初心だったから
今時、珍しいくらいに女の子への耐性がない。
それが面白いところでもあるけれど。
「ま、その分いい思いはさせてあげてるし、文句を言われる筋合いはないかな」
今日だって色々と提供したし。
家で私の写真を使ってるのかなあ……それはないか。
もしその気があるなら写真撮影のときに遠慮なく見ていたはずだし。
そこまで考えて、ついため息が漏れ出た。
「優等生を装うのも楽じゃないなあ。……ほんと、どうしてこんなこと始めちゃったんだろ」
私が少しだけ抱いていた後悔のようなもの。
ほんのわずかな興味と承認欲求を満たしたくて、私は裏垢女子になった。
私の身体は自分で言うのもなんだけど女性的で胸もあるし、ちょっとエッチな写真を撮れば簡単にいいねがついた。
彼らが私じゃなく私の身体を目当てで見ていて、そういうコメントをしてきているのはわかっていたけれど、それでも承認欲求は満たされる。
とても、気持ちが良かった。
以来、私は裏垢に上げるための写真をいろんな場所で撮っている。
学校で撮ろうと思ったのは、もしかしたら誰かにバレてしまうかもしれない、というスリルも同時に味わうためだった。
本当の私はみんなに褒められるような優等生じゃない。
裏垢女子なんてことを始めてしまう、承認欲求が強くてちょっとエッチな女子校生。
「それにしても……藍坂くん、あんな姿を見せても手すら出してこないって男としてどうなんだろ。私、そんなに魅力ないのかな」
胸を触らせた写真で脅しているのは差し置いて、私に好意を抱く様子のない藍坂くんの顔を思い浮かべるのだった。
■
「ただいま」
「お帰り、アキト」
家に帰った俺を出迎えたのは、社会人二年目の姉――アカハだった。
知り合いからは大学生くらいに見られるほど若い見た目の姉だが、その中身はお酒大好きなダメ人間……かと思いきや、頭もよく職業は看護師をしている。
今日は早番だったのだろう、まだ六時前にも拘わらずソファに背中を預けてビール缶を傾けている。
時々職場の愚痴を聞かされて大変なのは知っているので、それがお酒で紛れるのならいいと思っていた。
飲み過ぎは良くないけど。
「母さんは?」
「仕事よ。夜は麻婆豆腐作ってあるからそれ食べてーって」
「わかった。で、何かあったの?」
姉がこんな時間からお酒を飲んでいるときは、大体職場で何かあったからだ。
俺が聞いてみれば、姉がぐぐっとビール缶を煽るように傾け――最後の一滴まで喉を通してから空の缶をテーブルに置いた。
「そうよ! あーっ、思い出したら腹立ってきたー! あんのクソジジイ、私の尻を触って「若い女の割に硬いのお」とか言ってたのよ!? 私はまだ24だってーのっ! しかも人のケツを勝手に触んなよクッソジジイっ!」
ぜえ、はあ、と息を切らしながら姉は捲し立て、「ビールおかわり!」と俺に取ってくるように要求する。
俺はそれに逆らわず、冷蔵庫から缶ビールを取ってきて手渡し、
「あんまり飲むなよ? 身体壊すよ」
「このくらいで壊れる身体なら私は今頃ストレスで死んでるっつーのっ!」
姉は缶ビールのプルタブを開け、勢いよく喉へと流し込む。
っぷはぁーっ! とどことなくキマった表情で一度缶をテーブルに置いて、姉は俺に視線を向けた。
「……で、アキトは? 学校楽しかった?」
「別に普通だけど」
「素っ気ないわね。そろそろ彼女の一人や二人……はダメ。寝取り寝取られ展開NGだから」
「彼女? 出来るわけないだろ」
自分でも驚くほどに冷たい声音だった。
「……やっぱりまだ、ダメそう?」
「前よりは良くなったとは思うけど。ただ、彼女を作ろうなんて気にはならないってだけ。自分から進んであんなことを思い出すのは御免だし」
心配するようなアカ姉の言葉に返しつつ、俺は二年前の出来事を思い出す。
俺は二年前、中学二年のときにとある女子から告白された。
その女子は可愛く、当時の俺は舞い上がり――答えを口にしようとした直後、どん底へと落とされた。
「罰ゲームでも藍坂なんかに告白とかやっぱり無理!」……そう聞いた俺は頭が真っ白になって、その人からの冷ややかな視線に耐えきれず、逃げ出した。
その出来事をきっかけに俺はアカ姉と母親以外の女性に対する不信感を抱くようになり、多少の改善はあったものの心からの信用は出来ないまま今に至る。
間宮のあれは正直不意を打たれてしまったからだが、あくまで秘密を守るためという理由があるから成り立っている。
日常生活を見ている限り間宮が嘘をつくとは思えないし、そのメリットも薄いだろうと考えてはいるが、完全に信用することはないだろう。
常に疑ってかかるのが、もう癖になっていた。
「ま、俺は無理だろうし。それよりアカ姉はどうなのさ」
「………………なにが言いたいの?」
鋭い眼光。
言葉を間違えれば斬られる――ことはないだろうけど、被害を被りたくないので視線を逸らす。
はあ、とため息の音が聞こえて、空気が僅かに弛緩する。
「私ならアキみたいな男は放っておかないのに。見る目ないわね。昔のそいつも、アキのクラスメイトも」
それはどうだろうか。
「それより夜ごはん食べない? お酒だけじゃあ飽きちゃうし」
きっとお酒のつまみが欲しいのだろう。
俺は一度部屋に戻って制服から着替えて、冷蔵庫に仕舞われていた麻婆豆腐を電子レンジで温めるのだった。
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