第21話 呪われた記憶

原夫(たづねみ)れば、内経・外書の日本に伝はりて興り始めし代には、凡そ二時有りき。皆、百済の国より浮べ来りき。軽嶋の豊明の宮に宇(あめのした)御(をさ)めたまひし誉田の天皇のみ代に、外書来りき。磯城嶋(しきしま)の金刺(かなざし)の宮に宇(あめのした)御(をさ)めたまひし欽明天皇のみ代に内典来りき。然れども乃ち外を学ぶる者は、仏法を誹れり。内を読む者は、外典軽みせり。愚痴の類は迷執を懐き、罪福を信なりとせず。深智の儔(ともがら)は内外を覯て、信として因果を恐る。


霊異記 景戒



呪われた記憶


私の生家は、商売をしていて、住み込みのお手伝いさんがいました。


 物心ついたときには、すでに家族同然で、日頃は優しい子守りのおばちゃんでした。まだ、着物に手縫いを被り、襷がけのスタイルだったのを覚えています。当時でも和服は少数派になっていました。


大人しい人でしたが、たまにひどく機嫌が悪いことがあり、突然ものも言わずに背負われて、家の外を歩き回ることがあります。


多分、これだけ記憶がはっきりしているので、4歳位になっていたと思います。彼女はおヨネさんと呼ばれていました。


「家に帰ろうよ」

「うるさい! こんちくしょう!」

ところ構わず八つ当たりをして、バケツや桶や、ブリキの壁をガンガン蹴るのです。

しばらく荒れると家に帰り、澄ました顔でおやつを出してくれます。


「嬢ちゃん、饅頭お食べ」

「あれ、あれ、冷たい足だ、こっちに来てあったまろうかね」

日頃、両親に構ってもらえない私はおヨネさんの姿が見えないと不安になり、よく探して回りました。


「嬢ちゃん、コンコン様にお参り行こうかね」

家の裏にお稲荷さんの社がありましたが、おヨネさんはさらにその奥の林に入り、松の木の下に私を下ろすと、松の木に向かって金槌を振ります。


「こんちくしょうめが、死にやがれ」

金槌の音が林の中で反響します。そんな時のおヨネさんは目をひきつらせ、ケケケと、奇妙な笑い声を立てます。私は少し離れたところで、おヨネさんの様子を見ていました。


 小学校に入学したころには、すでにおヨネ家にはいませんでした。ただ、通学路でたまに見かけることがありました。


金槌を持ったまま、裸足で道を走ってゆく姿や、桶の水を通りにぶち撒けている姿、そんな時には「死ね、死んじまえ」と何かに立ち向かっているようで、声がかけられません。


「おヨネさんによくおんぶしてもらったよね」

子供心にも、泥だらけの素足で走り回るおヨネさんが気の毒に思えました。


母も「身よりがなくて、可哀想だったから住み込みのお手伝いさんをお願いしたの」と眉をひそめる。

「なんで来なくなったの?」

「あの人ね、誰かを呪っているんだって、何回も警察のお世話になったのよ」

そんな人に子供を預けるなんて、怖くなかったのか呑気な母に呆れるばかりです。


「あのね、呪いなんて嘘だから、何回捕まっても出て来ちゃうの。本気にしないのよ」涼しい顔をしています。


 中学生の時に、理由は覚えていませんが、いつかの林に入ったことがあります。見覚えがある松の木には、藁人形が、5寸釘で打ちつけてありました。


人形の横には、私の名前を墨で書いた短冊が貼り付いています。


私は誰にもこの話をしたことがないのです。呪いの相手が子供だなんて、理不尽過ぎるでしょう。しかも、胸も頭も痛くない、健康体です。5寸釘を打たれたところで害はないけど、気味が悪い。


それからしばらくして、おヨネさんは、結核にかかり入院したと聞きました。その後、おヨネさんは亡くなり、我が家で簡単な葬式を出してあげたのです。おヨネさんが暮らしていた、バラックの片付けに父親と二人で行きました。


 軽トラックに投げ込まれた荷物には、父親の若い頃の写真が幾つもありました。

気まずい様子の父親に「お父さん、おヨネさんて、恋人だったでしょ」と当てずっぽうで言ってみました。


「ばか言うな、ずっと付き纏われて困っていたんだ。それを母さんが家に入れた」

「どうして? 」

「子供になにかされたら困るから、見張っていたんだ」


「藁人形はあたしだったんだよ」

「母さんが呪い返しをしていたから、問題なかっただろ」

母は藁人形を回収すると、神社で祈祷をしてもらっていたのだと言う。


呪いだとか、呪い返しだとか、そんな話しは大昔の遠い話しだと思っているなら、それでもいいのですがね。 


一応、知らせておくと、警察には逮捕されます。脅迫罪が適用されることがあるのです。


脅迫罪の条文には、『生命、身体、自由、名誉又は財産に対して害を加える旨を告知して人を脅迫した者は、2年以下の懲役又は30万円以下の罰金に処する(刑法222条1項)』とあります。


『呪ってやったからな』という発言がきっかけで、相手が精神を病み、体調を崩して病気になった場合は傷害罪に問われる可能性があります。ただし、実行行為が言葉のみとなると、長期間にわたり多数回当該発言を繰り返しノイローゼにさせる、といった極端な事案になるらしい。


 おヨネさんは、丑の刻参りの作法を知らなかったのです。作法通りにやっていたら、私は今頃いなかったかも知れません。また呪う者は必ず因果を受けます。


日本に古来からある呪いですから、侮ってはいけません。

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