第17話 身近な奇怪なこと
「夢にも身過ぎの事わするな」これ長者のことばなり。
世間胸算用より。
後輩に呼びだされて、渋谷の駅前で待ち合わせをした。駅前は相変わらず所在なさげな若者で賑やかだった。私はすぐにスクランブル交差点を渡り、大手チェーン店の喫茶店を見つけて入った。彼女にはメールで店の名前を知らせておいた。
「どうして、地下の喫茶店なんかで待つの? 」
「それは、あなたが遅れて来たからでしょ」
「だって五分だけじゃない」
この女は会社であまり好かれていない。27歳にもなって、給湯室やロッカーに幽霊がいるとか、その仕事はやめた方がいいとか、営業の邪魔をする。勝手に部長の机に盛り塩をしたこともある。
『ヤバイ系』と囁かれている。一般的な社会常識が分からないのか、日々注意しなくてはならないお荷物社員だ。
「今日、時間空いていますか? 一身上の都合で、相談したいことがあります」
一身上と言われたので、めんどくさいが来てやったんだ。しかも私は上司であり、彼女から誘ってきた。たった5分遅れただけとは、よくぞ言えたものだ。しかし、黙っておく事にした。
「なにかあったの? 」
「朝起きたら、あたしのキキちゃんの顔が真っ黒になっていたんです」
ここで、拍子抜けした。
彼女はショルダーバッグから、10㎝程の猿の人形を取り出した。顔はセルロイドで、顔以外は茶色毛で覆われている。可愛くもなんともない、駄菓子屋でも売っていそうな粗悪品の猿人形。確かに顔は焦げ茶色だ。
今朝も遅刻して、注意されていた。わざわざ言い訳をするつもりなのだ。
「ストーブのそばに置いたんじゃないの?」
「違うの、夜中にもの音で目が覚めて、この子があたしの顔をふさいでたの。顔の上にうつ伏せになってた。明かりをつけたら顔が真っ黒になってたの、どうすればいい?」
そんな相談をされたところで、答えなんかない。
「神社でお焚き上げをしてもらえるか聞いてみたら」
「やっぱり、さすが、先輩頼りになるわ」
「なにか、被害はあるの?」
待っていましたとばかりに話はじめる。
「この子の顔が黒くなっていたから、洗ってみたんだけど、洗面台の棚に置いたのに、玄関の靴の中に入ていたの、拾って拭いてあげてタオルに包んだりしてたら、遅刻しちゃいました」
遅刻の言い訳をしているつもりなのかしら。
「床に落ちたのを、蹴飛ばしたんじゃないの?」
「先輩、ふざけてますか? なにかに取り憑かれたみたいですよ、ほら、肩のところに黒い影が、だから地下はやばいのに」
実に不愉快、同情もしない、関心もない素振りに仕返しのつもりなのか、これ以上かかわりたくない。
「私、用事があるから、そろそろ帰るわ、明日は遅刻しないでね」
「先輩、ありがとうございました。帰り気をつけてくださいね、盛り塩したほうがいいかも知れません」
どこまでも陰湿だ。いやな気分にさせてくれる。
いつもなら電車で帰宅するけど、気分が悪い。
タクシーを拾い、目白通りに出たところで、運転手が車を脇に寄せて止まった。
「バックから落ちたのかなあ、ほら座席に猿の人形が座ってますよ」
あの猿が後部座席、私の横にころがっている。
私は軽い口調の世間話のように、事情を話した。
「私は霊感なんてのはないですが、なんか嫌な感じがしてたんですよ。ちょっと神社に寄りましょうか」
「そうしていただければ助かります」
運転手はカーナビの操作をして、目白通りを直進する。
「あまり大きな神社じゃないんだけど、お犬様が祀られてる神社です」
「犬猿の仲って言うでしょ、喧嘩しちゃうんじゃないの?」
「私にはわからないけど、わからない私が気持ち悪いくらいだから、早く処分した方がいいですよ」
タクシーは神社の入り口に横付けした。運転手も降りて来て世話を焼いてくれる。
運転手は先に立って歩き、境内の横にある家の呼び鈴を押した。
出て来た男性に事情を話している。
「祈祷料が5千円かかります」
それくらいならと、財布から札を取り出して、テッシュにくるみ渡した。
「すぐにお焚き上げをしておきます」
私は車に戻るとお礼を言った。
「夜に受けつけてもらえるなんて、本当に助かりました」
「こんな仕事をしていると、いろんなお客様に出会います。実はね、あなた二人で乗っていたんですよ、ルームミラーには二人映るんですが、振り返ればお客さんひとり切りだ。カーナビが狂い、妙な道に誘導されたから止まったの。すぐにナビを切って、元の道に戻ったんだ。自分から事情を話してくれて良かったですよ。あそこは、山岳信仰の神社です」
私はすでにほっとして、運転手の話しに興味を持った。
「他にもこんなことがあったんですか?」
「谷中の墓地や青山界隈は、夜フリーのお客さんは乗せたくないね。いろんなところに連れて行かれる」
「どうなります?」
「さっきのあのあたりの病院だったり、溜池のあたりだったり、着いてもね、誰も乗っていないんだ。料金踏み倒しだよ」
笑い合ってるうちに到着した。運転手にも3千円ばかりだけど、チップを渡した。
あの猿はもう焚き上げが済んだだろうか。
部屋に入ると着信があった。リダイヤルすると、彼女だ。
「先輩、ありがとうございました。焼いてくれたんですね」
彼女が、普段話している心霊話はすべて本当のことなのかも知れない。
火にくべられる猿の姿がフラッシュバックのように見えた。燃えかすは、犬が咥えていたと言う。
彼女が日頃話すことは、事実だったのだ。見えれば見えたで生きにくい世の中に違いない。
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