第15話 東京上野美術館

今は昔、道命阿闍梨とて、傅殿の子に色に耽りたる僧ありけり。和泉式部に通ひけり。経をめでたく読みけり。それが和泉式部がり行きて臥したるけるに、目覚めて経を心をすまして読みける程に、八巻読み果てて暁にまどろまんとする程に、人のけはいのしければ、「あれは誰ぞ」と問いければ、「おのれは五条西洞院の辺に候ふ翁の候ふ」と答へければ、「こは何事ぞ」と道命いひければ、「この御経を今宵承りぬる事の、生々世々忘れがたく候ふ」といひければ、道命、「法華経を読み奉る事は常の事なり。など今宵しもいはるるぞ」といひければ、五条の斎曰く、「清くて読み参らせ給ふ時は、梵天、帝釈を始め奉りて聴聞せさせ給へば、翁などは近づき参りて承るに及び候はず。今宵は御行水も候はで読み奉らせ給へば、梵天、帝釈も御聴聞候はぬひまにて、翁参り寄りて承りて候ひぬる事の忘れがたく候ふなり」とのたまひけり。

されば、はかなく、さは読み奉るとも、清くて読み奉るべき事なり。「念仏、読経、四威儀を破る事なかれ」と、恵心の御房も戒め給ふにこそ。

宇治捨遺物語より

 面白いので、冒頭からはみ出し一章まるまる載せました。敢えて現代語訳は付けません。かしこ



 若くして亡くなった友人が、会いに来る夢を見た。単なる夢とは思えないほど、目覚めてからも、夢は鮮明に残っていた。


 友人が逢いに来ているから行こうと、先輩に誘われて、先輩の車に乗って出かけた。椿の花が咲く生垣に沿って、細い路地を走った。

車を降りて、寺の石段を上ると、鐘楼があり、

鐘楼には四方を向いて立つ大男がいた。境内には霧が立ち込めている。奥の方に石段が見えた。長い石段で、上の方は真っ白な雲に覆われている。石段を上から友人が降りて来た。先輩が駆け寄り抱き止めた。


2人とも懐かしむように、言葉を交わしている。私は友人の元には近づけなかった。彼女はすでに亡くなっている。私は冷たくなった体に抱きつくことなんか出来ない。『ごめんなさい』私は自分の非情さに心から詫びた。なんて、嫌な奴だろと自分を呪ったところで目をさました。


それから20年ほど経過した。

私は美術館にゴッホの絵を観に来たついでに、仏像を鑑賞していた。すると、毘沙門天の彫刻の前で、あの夢をふいに思い出した。

四天王のうちの、多聞天、毘沙門天とも言う。四天王という存在をはじめて知り、あの日観た夢はあまりにもリアルで、何か意味があるのか? きっとメッセージがあったのだと、立ちすくんだ。


20年もまえの夢を、美術館で突然思い出すなんて、これは、私が迂闊にも蓋をしてしまったのかも知れない。仏像一体一体に祈っていた。そのメッセージが知りたい。無意識のうちに彼女を傷つけたのではないだろうか。彼女は二十歳の若さで自ら命を絶ってしまったのだ。


すると、展示の下から霧が巻き上がり、次第に足元が見えないほど濃い霧に覆われてた。私は身構えた、何かが起こる。すると、友人が目の前に立った。私は懐かしさに彼女を抱きしめた。

「会いたかった、このまえはごめんね」

「待っていたの。また来ると思ってた。先に死んじゃってごめんなさい」

彼女の気持ちが声を介することなく、伝わった。


八重歯がのぞく笑顔がみえた。ほっとした。彼女が後ろを向いたときに、焼け爛れた横顔が見えた。私には意味がわからなかった。なにか死後に罰でも受けたのだろうか?

また夢に現れてくれるのか?


単なる夢であって欲しいと願っても、今日存在をはじめて知った、須弥山の帝釈天に仕える四天王を夢に見る訳がない。いや、これは夢なんかじゃない!


私はやっと我に返り、人混みに紛れた。

美術館の外には日常の風景があった。

ビルの隙間の空を見上げると、自分は大きな罪を背負っている気がして、恐ろしくなった。

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