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2021年12月1日 01:22
随筆の形であれ小説の形であれ、風流を重んじる文体はすばらしい。平安時代の日本は、さぞかし風趣にみちた美観をなしていたことでしょう。物あれば名あり、荻生徂徠の言葉どおり美しい言語あれば、そこに風情の名前は存在するのでしょう。平安、江戸、現代に至っては、現代人の言語の衰退ばかりが目立ちます。言語の衰退は思考回路まで衰弱させます。そんな現代社会のなかで風流を重んじる小説家は、とても貴重な存在であります。
作者からの返信
同感です。大木はいつの間にか巨木と言い、人の流れをジンリュウと言う、茶道をチャドウなんて混乱するばかりです。言葉は意味をなすもの。コロナウィルスじゃあるまいし、流行に乗るんじゃ先が心配です。私に言葉の美しさを教えてくれた教師に教えを乞うた。「頭にくるからTVは観ない、本は読めない、退屈してるよ」と辟易していました。私はまだ勉強途中なのに。
随筆の形であれ小説の形であれ、風流を重んじる文体はすばらしい。
平安時代の日本は、さぞかし風趣にみちた美観をなしていたことでしょう。
物あれば名あり、荻生徂徠の言葉どおり美しい言語あれば、そこに風情の名前は存在するのでしょう。平安、江戸、現代に至っては、現代人の言語の衰退ばかりが目立ちます。言語の衰退は思考回路まで衰弱させます。そんな現代社会のなかで風流を重んじる小説家は、とても貴重な存在であります。
作者からの返信
同感です。大木はいつの間にか巨木と言い、人の流れをジンリュウと言う、茶道をチャドウなんて混乱するばかりです。言葉は意味をなすもの。コロナウィルスじゃあるまいし、流行に乗るんじゃ先が心配です。私に言葉の美しさを教えてくれた教師に教えを乞うた。
「頭にくるからTVは観ない、本は読めない、退屈してるよ」と辟易していました。私はまだ勉強途中なのに。