第2話 トワイライトゾーン(迷いの森)
春は、曙。やうやう白くなりゆく山ぎは、すこし明りて、紫だちたる雲の細くたなびきたる。
枕の草子より
江戸東京の町はずれに、小さな森がある。鎮守の森だ。森の中には古びたお稲荷さんのお社がぽつねんと建っている。
カーブを曲がると、山の向こうに夕日が沈むところだ。鎮守の森に自然に足が向いた。冬の夕日は落ちるように沈んでしまう。
普段なら、このカーブは影のように暗く感じて、早足で通りすぎるところだ。
そうよ、なんで曲っちゃったんだろう。
少し後悔した。
なにかに吸い寄せられるように暗い森に踏み入れた。音が消えた。車のエンジン音も、鳥の声も、虫たちのチリチリした鳴き声さえ聞こえない。
それでも、顔を上げて、あたりを眺めてみれば、なーんだ、気のせいか、先程と変わりない夕暮れの森に立っている。
だけど、目の前のお稲荷さんのお社は、白く美しい、真新しい檜で出来ている。 赤い生地ののぼりが何本も立って、ゆるゆるとはためいている。
ポケットを探ると、10円玉が入っていた。半分溶けかかったキャラメル。祭壇の白い紙の端にキャラメルをお供えした。だって、これしかないの、ごめんなさい。賽銭を投げ入れ、真新しい紐を揺らして鈴を鳴らした。
森全体が真っ暗になった。しまった、お賽銭なんか投げてる場合じゃない。日が落ちたのだ。
夜の鳥が鳴く声がする。
『夜鳴き鳥は怖いよ』祖母が語る昔話を思い出した。
もう、一歩も動けない。足を進めれば、カサカサと枯葉を踏んでしまう。
お稲荷さんの前に膝を抱えて座りこんだ。
ふっと気がつくと、横で心配そうに覗き込むイガグリ頭の男の子。
もぐもぐと口が動いている。
紙の上のキャラメルが消えていた。
なんだかほっとして、いつのまにか眠ってしまった。
朝になり、消防団の人たちに囲まれていた。
ちょっとしたニュースになったけど、誰かに叱られることもなかった。
それからしばらくして、夕暮れの縁側で、無性に寂しくてたまらなくなった。近所に不幸があり、みんな手伝いに行ってしまったのだ。
あたしは、ポケットに10円玉とチョコレートを持って森に入った。
すでに、暗くなっていた。寂しさがつのり、イガグリ頭の子に会いたくなった。すぐに、この間の真新しい社を見つけた。チョコレートを備え、10円玉を投げ入れた。
膝を抱えて、イガグリ頭が出てくるのを待った。
小さな物音に顔を上げると、イガグリ頭は、ばあちゃんの手を引いて、社の裏に入って行った。
あのばあちゃんが亡くなったので、家族が葬儀の手伝いに行っている。
そう言う事なのか、あたしは自然に理解した。イガグリ頭の後ろ姿には、ふさふさした尻尾が生えていた。お稲荷さんに違いない。自分と同じ子どもなのが嬉しい気がした。
ばあちゃんを神様の所に送って行ったのだ。その場で帰りを待つうちに、眠ってしまった。
2度目ともなると、思い切り叱られた。
消防団の人には、家が嫌なのかと聞かれた。
一生懸命説明したのに、嘘を言うなと、皆んなが言った。夢でも見たんだと、言う者もいた。
いくら叱られても、あたしは引き寄せられるように森に向かった。
今じゃないよ、子どもの頃の話しだ。あたしは、森で、行方不明の女の子を見つけて、表彰された。
また別の日には、首をくくろうと枝にロープをかけていたおじさんを、イガグリ頭と一緒に踏み台から下ろした。
ところが、ある日、突然森が怖くなった。
世の中の事がわかるようになっていた。
尻尾が生えているイガグリは人ではない。
社は本当は古びた建物で、新築なんかじゃない。
江戸時代にこのあたりの地主さんが、建てたのだった。
「今にあの世に引っ張られるぞ」すっかり、顔馴染みになった消防団の団長に手を引かれながら、暗い夜道を帰った晩。
あれ以来、恐怖が張り付いて、森には行けなくなってしまった。
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