東京奇譚

きしべの あざみ

第1話 境界線

 今は昔、竹取の翁といふものありけり。野山にまじりて竹を取りつつ、万の事に使ひけり。名をばさぬきのみやつことなん言ひける。竹取物語りより


 家の階段から落ち、したたかに腰を打った。

塀をつたいながら、やっと病院に行き、鎮痛剤を処方してもらった。


家に戻り、ベッドに寝転がったとたんに、ドアを激しくノックされた。返事をしても、ドアは叩き続けられる。


なんとか、体を起こしてドアを開けると、隣りの家の老人が満面の笑みで立っている。

「畑をしまったから食べて」

モロヘイヤの葉を山ほど抱えてていた。老人は耳が聞こえない。畑をしまったとは、畑を休止して、次の作物に備えるらしい。

断る理由も見つからない。受け取らざるをえないのだ。


ベッドに座り、太い茎から葉を1枚ずつ外し、茹でて冷凍保存した。大鍋で湯をかえて、冷水で冷やす作業を1時間も続けた。腰が悲鳴を上げている。


翌朝は更に痛みが増した。

隣りの老人がやって来た。

『奥さん、腰が痛いの?』

とは言うものの、青紫蘇を抱えている。老人がせっかく作ったものだ、ありがたく頂いた。


枝から葉を剥がし、きれいに洗って、キッチンペーパーに2、3枚ずつ並べて冷凍する。

大量に頂いたので、作業を終えるのに、2時間かかった。痛みでうめき声が漏れる。じい様の笑う顔が頭によぎる。


電話が鳴ってる。居留守を決めるしかない。布団を頭から被ったが、すでに10分もなり続けている。なんとか電話まで這って行く。

『奥さん、冷蔵庫が壊れたようだ、冷えないんだよ。ちょっと診てくれない』

耳が遠いのだ。一方的に話し電話が切れた。


夏の暑い日だ、ひとり暮らしでは、さぞかし大変なことだろう。お隣まで、傘を杖代わりに見に行った。コンセントが抜けていた。『これ、持ってって』差し出されたのは、スーパーの袋に山盛り詰め込んだとうもろこしだ。4kg以上ある。


『腰が痛くて』

『ああ、そうかい、これはうまいよ』

差し出された手を引っ込める気はないようだ。

なんとか受け取り、また塀をつたって家に入ってた。


鎮痛剤もなかなか効果がなく、寝返りも打てない。やっと主人が帰宅した。

「なんだって動き回るんだ」

うめき声を上げる私に、夫は呆れていた。

「隣りの爺さんに同情するな、あれはわざとなんだ。知ってるだろ、婆様がなんで亡くなったのか」


「わざと?」

「言っても誰も信じないけど、隣りの婆様は、5年前の収穫のときに事故で亡くなったんだ。収穫した山積みの柿をトラクターに積んで、その上に婆様を乗せていたんだ。柿が雪崩落ちて、バランスを崩したトラクターが横転した。上に乗っていた婆様は下敷きになって、亡くなったんだよ」


嫁いでまもない頃だった。気の毒な事故。夫婦仲はあまり良いとは言えなかった。耳が遠いおじいさんは、よく大声を出して、おばあちゃんを叱っていた。そんな毎日の中で起こった事故だ。気の毒だと思っても、あの事故が故意などとは思えない。


「めったな事を言わないで、考えすぎよ」

あれから半年後、きな臭い匂いに気がついて、外に飛び出した。お隣の換気扇から煙が吹き出している。すぐに消防車を呼んだ。幸いボヤで済んだ。


火が消えた頃、自転車に乗ったじいさんが畑から帰ってきた。しきりに集まった周囲の人たちに頭を下げて回っている。小柄な姿をさらに丸めて小さくなっている姿が憐れだ。

「またやりやがったな」

夫の呟きが恐ろしい。


そして先週、自転車に乗ったじい様が夫の車に衝突した。路地から飛び出して来たらしい。

じい様は自転車ごとボンネットまで跳ね上がり、路上に倒れた。救急車で運ばれた。足の骨を骨折していた。


「事故じゃないよ、わざと突っ込んで来たんだ。前面のナンバープレートが曲がってるだろ。自転車のタイヤが挟まったんだ。ブレーキが間に合わなかったけど、こっちは、ほぼ止まってたんだよ」

「だって、骨折したのよ、自分だって死ぬかも知れない」

「いや、誰もが偶然だと思っても、わざとだ。次はどんな手でくるか」


故意か夫の被害妄想か。じい様は昨日退院した。


「みーちゃん、みーちゃん」

向かいの家では、朝からいなくなったネコを探している。

隣りの家の裏庭には、ネコを抱いてぼんやりしているじい様がいる。家の中では、柱に身を隠してじい様を見詰める夫の姿が‥‥‥。

 


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