第49話 偽装②


 どれくらい経っただろう。


 数分か数十分か。どちらにしろ僕はまだ気持ちの整理がつけられず、座ったまま視線だけをさまよわせていた。


 それだけ長い間座っていても動揺が抜けきらない程の衝撃だったのだ。


 今日の想い出巡りで、どうしてあんな光景が見えてしまったのかは分からない。


 僕自身の存在を根幹から揺るがすような記憶のぶれは、自分という存在に自信が持てなくなりそうな程の影響を僕に与えて来た。


 あれはいったい何なのだろうか。


 まるでこっちが本当の過去だと言うように、僕の脳を浸食してくる。


 必死に落ち着いて考えてみようとしても無駄だった。


 とても落ち着けるような精神状態じゃない僕は、何の考えも纏まらないまま辺りを眺めていた時、不意にある物が目に留まった。


 そこは地元の新聞コーナーだった。古いものはしまわれているのだろうけれどここ数週間分のものが置かれていた。


 近寄っておもむろに新聞を手に取る。深い意味はなく、ただ三人の死を少し客観的に見てみようと思っただけだ。


 今までは避けていたけれど、現実を受け入れなければこのまま自分がおかしくなってしまうと思ったのだ。だが、



「……ない」


 記事がなかった。


 おかしいとは思いつつ違う日付の新聞を手に取るが、その新聞にも三人についての記事はない。


 どんなに小さな記事まで見ても、どこにも三人の事が載ってないのだ。


 あるだけの新聞全て遡って調べていく。その結果、事件当日分までは置いていなかったが、近い日付までは遡って確認したというのに三人の記事は一つもなかった。


 あり得ないと思う。高校生が三人も死んだというのに、小さな記事一つもないなんておかしすぎる。当日の分まで新聞を見せてもらわないといけない。そう考えた時、


「……ん?」


 顔を上げるとカウンターにいる職員と目が合った。


 高校生が過去の新聞を読み漁る姿を珍しいと思ったのかもしれない。職員はじっと僕を見ていた。


 僕は目が合ってしまった瞬間に気まずくなって視線を外した。すると、今度はその視線の先にいた一般の客と目が合ってしまった。


 きっと近所の人なのだろう、初老の男性だった。


 僕はまたすぐに視線をそらす、そしてその先で、また別の人と目が合ってしまう。


 それを何度か繰り返して気が付いた。



 図書館にいる人全てが、じっと僕の方を見つめていた。



 それに気が付いた時、僕は手元の新聞にゆっくりと視線をおとした。


 心臓がうるさいくらいになっていて腕には鳥肌がたち毛が逆立っている。


 僕は今、身の危険を感じていた。


 この場にいる誰もが、瞬きひとつせずに僕を見ている。


 初めは高校生が熱心に新聞をあさっている姿が珍しいからかと思った。


 けれど違う。


 ここにいる人達の様子は、明らかに異様だった。


 恐怖に包まれそうになった時、恵里香の存在が頭によぎった。


 もう僕が新聞を見始めてすでに一時間以上が経っている。それなのに、別れてから一度も恵里香の姿を見ていない。


 それに気が付いてすぐに席をたった。


 視線が突き刺さるのを感じる。


 僕は床を見て、なるべく誰とも視線を合わせないようにして恵里香を探した。


 焦燥感で吐き気がしてくる。


 もし恵里香になにかあったら、僕はもうどうしていいのかわからない。


 もうほとんど走るようにして図書館の中を探していると、



「あ、優君こんなところにいた」


 同じく僕を探していたような恵里香と出くわした。


「もぅ、あの席にいないから探したんだよ」

「恵里香無事?」

「へ? 何が?」

「いや、大丈夫。それより出よう」

「え、ちょっ、ちょっと優君!?」


 戸惑っている恵里香の手を強引に引いて図書館を出る。


 僕は一刻も早くこの場所から離れなければと必死だった。


「優君、優君ってば! ねぇ、急にどうしたの優君!!」


 耳元で聞こえた恵里香の声で我に返る。


 気が付くとすでに恵里香の家の近くまで歩いてきていたようだった。


 すぐに後ろを振り返る。誰かが付いてきていないか確認するも、どうやらその心配はなさそうで、僕はそこでやっと少し安堵した。


「大丈夫? 何かあったの?」

「僕は、平気。それより恵里香は大丈夫? 図書館で何かされてない?」

「何かって? 図書館で何かあったの?」

「あの図書館にいた人達、何か変だった。じっと僕のことを見てきて、それで怖くなって恵里香を探したんだ。ホント、恵里香が無事でよかった」


 口ではそういいながらも、僕は恵里香の存在を感じたくてその手をきつく握った。


「優君……私はどこにも行かないから安心して、いつでも優君の傍にいるから」

「うん……ありがとう恵里香。落ち着いてきた」


 恵里香がちゃんといてくれると実感できて、僕はようやく落ち着いてきた。


 けれど冷静になるほどにあの図書館での出来事が気になって来る。


 ただ見られていただけとは言え、あの雰囲気は明らかに異様だった。


 来た時は皆普通だったはずだ。それなのに、たぶん新聞を読み始めた辺りから皆おかしくなっていた。


 僕は今まで漠然としか感じていなかった違和感を、今はっきりと感じていた。


 考えてみればおかしなことはこれまでも沢山あったのだ。


 翔也の事件の時も感じたけれど、一真と神奈の死もまるで世間に影響がない。


 三人だ。


 一つの高校の生徒が三人も死んでいる。しかも短期間で、なのになんでこんなにも影響がないのか。


 警察はすぐに自殺と断定し、報道関係者が学校に来ている場面も見たことがない。


 もしくは僕が知らないだけかもしれないと思っていたけれど、新聞の記事にすらならないなんてあり得ない。


 若干震えている手でスマホを捜査する。


 かるくしか検索できなかったけれど、三人の事件についての記事は一つも見つけられなかった。


 学校でもそうだ。人気者の三人がいなくなったというのに、その話題はまったく聞こえてこない。


 初めは三人の死を面白おかしく話題にされない事に安心しいたけれど、よく考えてみるとおかしいと言わざるを得ない。


 どうして誰ももっと騒がないのだろうか。


 警察も。


 マスコミも。


 学校関係者も。


 皆反応がなさすぎる。


 まるで平穏な日常というフィルターをかけられているかのごとく、日々は波風の絶たない凪の海を見せられているかのようだ。


 さっき僕は、そのフィルターの裏側を少し覗き込んでしまったのかもしれない。


 何よりもおかしなことは、こんなにも異様な状況を不審に思いながらも、今まで僕自身がそこまで気にしていなかったことだ。


 翔也の時はたしかに不思議に感じていたはずだ。


 まともに思考できていたら、れだけおかしな状況をそのまま受け入れることなんてできないはずなのに……。


 一気に頭の中に湧いてきた疑惑に、僕の脳は限界だと悲鳴をあげている。


 妄想だと言われたあの神様の気配をすぐ近く感じた気がした。


「優君、本当に大丈夫?」


 心配そうに覗き込んでくる恵里香。


 今の僕には本当に恵里香の存在だけが頼りだった。


 他には誰も、この事件の事をまともに話せる相手がいない……いや、いたはずだ。


「そうだ!!」

「ど、どうしたの急に?」

「皆のご両親だよ! なんで忘れてたんだろ?」

「皆のって……あの三人の?」


 恵里香が怪訝そな顔をさらにしかめる。やっぱりもう三人には関わりたくないらしい。


 それでもここで引くわけには行かなかった。三人の家族なら、このおかしな日常の裏側にきっと気が付いているはずだからだ。


「すぐ会いに行かなきゃ」

「どうして急にそんな、優君は体調悪そうだったじゃない。今日は止めておいたら?」

「大丈夫。むしろ三人の両親とすぐに話さなきゃいけない気がするんだ。恵里香にも付いてきてほしい」

「どうしても今から行くの?」

「うん。今更だけど三人の事件の影響が少なすぎる気がするんだ。それについて話さなきゃ! どうせみんなの家は近くなんだし、これから行って見ようと思う。お願い恵里香!」

「……まぁ、優君がそこまで言うなら」

「あ、ありがとう!」

「ふふ、もう離れないって決めたんだから当然でしょ?」


 恵里香が笑ってくれるとそれだけで少し勇気が湧いてくる気がした。


 けれど、三人の家に向かった僕は、そこで今以上の絶望を味わうことになった。




「……なんで、なんで誰もいないの?」


 三人の家はどこも不在だったのだ。


 どうして今日に限って、というよりもあり得ないという思いの方が強い。


 翔也の家に至っては、あの事件の日から何度も訪ねているというのに一度も家族には会えていないのだ。


 それに三人の家には何度も行っているけれど、これほど家族が留守にしていることなんて今までは一度もなかった。


 いったい、今何が起きているといのだろうか。


 言いようのない不安に襲われて、背筋に鳥肌が立つ。


「なんで、いつもなら絶対誰かいるはずなのに!」


 最後に訪れていた一真のマンションでオートロックに阻まれた僕は、それでも諦めきれずに何度も一真の家の部屋番号を呼び出し続けた。


「ゆ、優君、ちょっと落ち着いて」

「でも、こんなの絶対おかしいよ!」


 流石に見かねたのか恵里香に止められてしまう。


 それでも僕は諦めきれなかった。何とか恵里香を説得しようとした時、



「ちょっとキミたち、これ以上変なことはしないでくれないか」


 急に後ろから急に声をかけられた。


 振り向くとそこにいは見覚えのある男がいつの間にか立っていた。


 その人物は病院で目覚めた時に真相を説明してくれたくたびれた警官、小田巻だった。

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