第48話 偽装①


 幼馴染が三人もいなくなったのは、僕にとって大きな穴となった。


 それでも僕が日常に戻って来れたのは、恵里香という大切な欠片だけでも守れたからだろう。


 だからこそ失った部分の大きさを嫌でも実感する。僕は日常を過ごすうちに三人がいなくなった穴を嫌でも意識させられていた。



 心に穴が開いたまま恵里香と二人きりの日々を過ごしていたある日の事、僕は帰り道の途中でふと寄り道をしたくなった。


 どうしてかと言えば、また三人のことを考えてしまったからだ。


 一番最初に翔也がいなくなってしまう前、僕たち五人は学校をサボって想い出の場所を巡った。


 あれは僕を気遣って恵里香が提案してくれたことで、懐かしい場所を巡るうちに僕たちは昔に戻ったように楽しんでいた。


 河原では翔也とまたキャッチボールをする約束をして、雑木林では虫取りをした想い出で一真と盛り上がった。近所の小さな図書館では、神奈と昔を思い出してあの頃を懐かしんだ。


 あの時は本当に皆楽しそうだった。


 僕を虐めていたらしい三人も本気で楽しんでくれていると思ったし、事実を知った今でもあの時の三人が演技をしていたなんてとても思えない。


 だからこそ、僕は心から三人を嫌いになることなんて出来そうになかった。


 そんなことを考えているうちに、僕はまた想い出の場所を巡りたくなったのだ。


「優君? どうしたの?」


 立ち止まっていた僕を見て恵里香が心配そうに声をかけてくれた。


 僕と恵里香は今では毎日一緒に帰っている。登校する時も一緒だし、学校でもなるべく離れないようにして過ごしていた。


 恵里香がそうしたいと言ってくれたからというのもあるけれど、僕としても恵里香とはあまり離れたくなかった。別々の場所にいる間にもし恵里香までいなくなってしまったらと思うと怖かったからだ。


 けれど今回ばかりは恵里香がいると都合が悪い気がした。


 恵里香は僕とは比べ物にならないくらいに三人のことを嫌いになってしまっている。


 そんな恵里香に思い出の地を巡ろうと言っても、きっと賛成はしてくれないだろう。僕は恵里香に本当の事は言わず、一人で行くことにした。


「そういえば用事があったことを思い出してさ、悪いから恵里香は先に帰っててよ」

「……ねぇ優君。私に何か隠してるでしょ?」


 ドキッとした僕はたぶん挙動不審になってしまっただろう。その態度がもう嘘をついていると薄情してしまったようなものだ。


「隠しても無駄だよ~。別に怒らないからちゃんと言いなさい」


 まるでお母さんのようなセリフを言う恵里香。かなわないなと察した僕は正直に打ち明けることにした。


「また想い出の場所に行きたくなってさ」

「優君……」


 案の定、恵里香は表情を曇らせてしまった。


 いつまでも前に進めない僕を心配してくれているのは分かっている。でも、だからこそ想い出の場所にまた行かなければいけないような気がしたのだ。


「このままだといつまでも三人の想い出に縋りついちゃいそうでさ、僕なりに心の整理をつけたいと思ったんだ」

「……そうだったんだね」

「うん。でも恵里香は三人のこと嫌いになっちゃったみたいだから、無理に誘ったら悪いと思って」

「そんなことないよ」


 心配する僕の言葉を、恵里香ははっきりと否定した。


「あの人達のことは確かに嫌い。でも、優君と離れるのはもっと嫌。だから一緒にいくよ」

「恵里香……ホントにいいの? 無理してない?」

「うん。むしろ優君と離れる方が無理しなきゃいけないから」

「ふふ、そっか、ならちょっと付き合ってほしいな」

「もちろん! どこまでも一緒にいくからね。これからも遠慮しちゃダメだよ?」


 恵里香は笑いながら手を差し出してくれて、僕は自然とその手をとった。


 恵里香の冷たい手は、残暑の厳しい中でもひんやりとしていてとても気持ちよかった。



 五人で来たあの時と同じく、僕と恵里香はまず河川敷に来ていた。


 ここは幼い頃、キャッチボールをして翔也と友達になった思い出の場所だ。


 前回来た時にした、またキャッチボールをしようという翔也との約束はもう果たす事はできない。


「翔也、いったいどうして……」


 思わず呟いていた。


 気持ちの整理をつけるために来たというのに、ここに来てからの僕は余計に伝えられた真実が信じられなくなりそうだった。


 心配してくれている恵里香のためにも、ちゃんと割り切るべきなのだろう。


 けれど、ここで昔の事を思い出すと、どうしても割り切れなくなってしまう。


 目を閉じれば自然と浮かんでくる幼い頃の記憶。


 河川敷の風景の中でまだ幼い翔也が一生懸命にボールを投げている姿が見えた。


 楽しそうにキャッチボールをしている翔也の姿。


 僕は確かにここで、翔也がキャッチボールをする姿を見ていた――




 ――見ていた?


 自分の中にある思い出にとてつもない違和感を感じた。気付いたのは小さな綻びだった。


 どうして一緒にキャッチボールをしていたはずの僕は、翔也の姿を離れたところから見ていたのだろうという事。


 そんな綻びに疑問を抱いてしまうと、違和感が急激に膨らんでくる。


 そういえば見つけられなかったグローブはいったいどこに仕舞ったのだろう。いや、本当に仕舞ったのだろうか。


 あんなに大切にしていたはずのグローブは、仕舞った場所どころか、どんな色をしていたのかも覚えていないし、いつどこで買ったのかも分からない。


 だいたい小さい頃の僕は今以上になよなよしていて、外で遊ぶのが苦手だったというのに、どうしてグローブなんて物を持っていたのだろう。


 そこまで考えてしまった時、恐ろしい仮定に辿り着いてしまった僕は悪寒に震えた。


 僕は、本当はグローブなんて初めから持っていなかったのではないだろうか……。



「……君、優君?」


 恵里香の声が聞こえて我に返る。僕は全身に鳥肌が立ち、腕の毛が逆立っていることに気が付いた。


「顔色悪いけど大丈夫?」

「……大丈夫、それより次に行こう」

「本当に大丈夫? 明らかに様子が変だけど」

「いいんだ。大丈夫だから早く行こう」


 心配そうにしている恵里香の手を強引に引いて、僕は次の場所に向かった。


 今感じた違和感をそのままにはしておけなかった。




 次にやってきたのは、よく一真と虫取りをした雑木林だ。


 着いた瞬間、僕はまた奇妙な感覚に苛まれた。


 この前来た時もそうだったけれど、草むらに対しての嫌悪を前よりもはっきりと感じたのだ。


 ここに足を踏み入れたら絶対に何かしらの虫がいるだろう。蜘蛛や芋虫が蠢いている姿を想像してしまい背筋が凍る。


 思えば僕は元からそういった虫が苦手だったはずだ。


 どれくらい苦手だったかというと、カブトムシなんて軽く霞んでしまうくらいには嫌だった。


 だとしたら、どうして子供の頃はあそこまで行けたのだろう。


 そこまで考えた時、脳裏にある記憶がよぎった。


 ――泣きながら草をかき分けているのは幼い頃の僕だ。そして、一真は何故か草むらに入らず離れたところから僕を見ているだけで、草むらには足を踏み入れようとしない……。


「優君! しっかりして!」

「……ぁ、ぇ、恵里香」


 恵里香に呼びかけられて我に返った時、僕は汗だくになっていた。


 河川敷で感じた違和感は、今はもう誤魔化すことなんてできない程はっきりとしたものになっている。


 翔也とのキャッチボールに、一真との虫取り、自分の中にあった記憶とはまるで違う光景が頭に浮かんできて頭がおかしくなりそうだった。


 いったいこれは何なのだろうか。僕が覚えている記憶とはまるで違うというのに、本当にあった出来事のように、詳細な光景が浮かび上がってくる。


 それは自分の記憶が本当に正しいのかと思わず疑ってしまうほどのリアルで、僕という存在を作り上げていたものが足元から崩れていくような気がした。


 あり得ないとは思う。でももし、今まで信じて疑わなかったものが、全て虚像だったとしたら……そこまで考えた時、僕は強い吐き気を催して、思わず口に手を当てた。


「優君、もう帰ろ? すごく辛そうで見てられないよ」

「……ごめん恵里香。でも、何か変なんだ。よく分からないけどまだ帰れない……もう一か所だけ行ってどうしても確かめなきゃ」


 僕自身限界だった。けれどいったい今何が起きているのか、僕は知らなければいけない気がした。


 喉までせり上がってきていたものを無理やり飲み込む。むせるような痛みを無視して、僕は河川敷に背を向けた。


 心配そうに付いてきてくれる恵里香の存在だけが、壊れてしまいそうな精神を繋ぎとめてくれていた。




「いい優君、本当にここで最後だからね」

「わかった。心配かけてごめんね」


 僕たちは町にある小さい図書館までやってきた。


 ここは神奈と仲良くなった想い出の場所……のはずだ。


 曖昧にしか言えなくなったのは、河川敷と雑木林で見た不可思議な光景のせいだ。


 自分の記憶が信じられなくなりそうな程リアルな光景。あれが何なのか知るために、僕は図書館の奥にある想い出の席に向かう。


 奥まったスペースにあるその机は今日も空いていた。


 もしここでも自分の記憶とはまるで違う光景が見えてしまったとしたら……僕は何を信じていいのか分からなくなりそうだと思った。


 けれどこのモヤモヤをそのままにもしてはおけない。僕は何が正しいのかを知りたかった。


 弱気になってしまいそうな心を叱咤して、覚悟を決めて思い出の席に座る――



「……ぁ、あぁ」


 ――見えたのはつまらなそうに向かい側に座る小さい頃の神奈の姿だった。


 僕の記憶にいた一緒に本を読んでいた神奈とは何もかもが違う。


 今見えている神奈はまったく楽しそうな顔をしていないし、僕を見る目は恐ろしいほどに冷たい。


 そしてその光景にこそ、僕は何故か現実味を感じてしまっていた。


 恐れていたことが現実になる。ここでも自分の記憶にはない情景を見てしまった僕は、もう立ち上がる事が出来そうになかった。


「……優君、ちょっとゆっくり休んだ方がいいよ。私はその辺にいるから」


 気を遣ってくれたのだろう。恵里香は僕の耳元でそう囁くと本棚の向こうに消えていった。


 自分の記憶が何も信じられなくなった今、自分以外の事を気にする余裕のなくなった僕にとって、恵里香の気遣いは正直ありがたかった。

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