第50話 裏側①


「なんで、ここに?」


 僕が辛うじて言えたのはそれだけだった。


「それはもちろん仕事だからだよ。ご家族と少し話しがあってね」


 やれやれと肩をすくめている小田巻は、相変わらず目の下に酷いくまを作り、ともすれば病院で会った時よりもくたびれているように見えた。


「それに今のはこっちのセリフでね。事件関係者の家の付近をあまりウロチョロされては困るんだよ」


 小田巻が少しきつい視線を向けて来る。その視線からは僕たちの行動をたしなめるような意図を感じた。


 僕は小田巻から向けられたその非難に憤りを抑えられなかった。


 だって僕は何も悪いことなんてしていない。


 昔から何度も遊びに来ていた幼馴染たちの家を訪ねただけだ。それの何がいけないというのだろうか。


「なんでそんな事を言われなきゃいけなんですか? 僕はただみんなの家族と少しだけでも話しが出来ればと思って来ただけなのに」


 気持ちで負けないように小田巻を睨む視線に力を込める。


 自分としては気迫のこもった表情をしたつもりだったけれど、小田巻は面倒くさそうに肩をすくめただけだった。


「キミはまだ子供だから何も分からないと思うがね、その行動こそがご家族にとって迷惑でしかないんだよ」

「そんな事、どうして貴方に分かるんですか!?」

「いいかい、自分たちの子どもが自殺したんだぞ。少し考えてみれば分かるはずだ。まだ気持ちの整理もつけられていないというのに、他人からあれこれと話しを聞かれたくなんてないだろう? ただでさえご家族はマスコミに悩まされているんだ。警察の方でも気にかけてはいるが、きっと疲れ切っているだろう。今は思いやるべきだというのに、まさかキミまでご家族の心情を考えずにそんな事をするというのかい?」


 僕はとっさに返せる言葉が思い浮かばなかった。


 大人に上から諭されるように言われると、どうしても相手が正論を言っているように聞こえてしまう。


 実際に小田巻から言われた事をしっかりと考えてみても、僕の方が非常識だと言わざるを得ない気がした。


「分かってくれたかい?」


 先ほどまでの厳しい表情を消して、穏やかな笑顔で語り掛けて来る小田巻。


 張り詰めていたような空気が緩み、僕は思わず頷きかけた。


 けれど、ここでも違和感が消える事はない。


 小田巻はさっき、ご家族に話しがあると言っていた。


 警察としてはもう一月も前に自殺として片付けた事件だというのに、今更何の用があると言うのだろうか。


 もちろん僕は家族が自殺したり事件に巻き込まれた事もない。だから一見終わった事件でもその後もこうして警察と関わる事があるのかどうかは分からない。


 それでも僕たちがやってきたのを見計らったように出て来た小田巻の言葉には不審な感情を抱かずにはいられなかった。


 何より警察が家族をマスコミから守ったりまでするのだろうか。この傲慢な警官だと余計にそんな事をしているとは思えない。


「あの、さっき話しがあって来たって言ってましたけど、いったいどんな――」

「すいませんでした! 私たちこれで失礼しますね!」

「え、ちょっと!?」


 僕の言葉を遮ったのは恵里香だった。


 妙に明るくテキパキとした動作で小田巻にお辞儀をする恵里香。その姿はどこか焦っているように見える。


「分かってくれて嬉しいよ。警察も暇じゃないからね、これ以上手間がかかるなら、どうしようかと思ったところだ」

「お仕事のお邪魔してすみませんでした。では! ほら、行くよ優君」

「ぁ、う、うん」


 僕としては帰るつもりはなかったけれど、いつになく強引な恵里香には逆らえず、手を引かれるまま歩き出した恵里香に続いた。


「ねぇ恵里香? 急にどうしたの?」


 少し距離が開いたところで問いかけてみる。


 恵里香は足を止めることなく答えてくれた。


「あの人、変だった」

「え、変って?」


 珍しく要領を得ない恵里香の返答に首を傾げる。


「分かんない。けど、何となく嫌な感じがしたの」


 喋りながらも振り返ることなく、一歩でも遠くに離れようと歩き続ける恵里香は焦っていたのかもしれない。


 それだけ何かを小田巻から感じ取ったとでもいうのだろうか。


「嫌な感じって……ッ!?」


 会話をしている時は何も感じなかった僕は、歩き続けながらも後ろを振り返って絶句した。


 マンションの入り口。


 僕たちが小田巻と会話をした場所。


 小田巻はまだそこに立っていた。


 ただ立って、こちらとじっと見つめていた。


 その瞳は、図書館で僕を見つめて来た人達とまるで同じだった。


 目が合った瞬間、僕はすぐに視線をそらして前を向いた。


 けして見てはいけない禁忌を覗き見てしまったような焦りがこみ上げてくる。


「優君、もう三人の家に行くのは止めておこ?」


 恵里香の切実な願望が溢れ出したような声に、僕はただ頷きしか返せなかった。




 恵里香を家まで送り、それからマンションに帰ってきた僕は、部屋の電気は付けず、カーテンを閉め切った真っ暗な部屋でテレビだけを付けて過ごした。


 本当はテレビも付けたくはなかったけれど、どうしても三人の事件が報道されているところを確認したかったのだ。


 けれどいくらテレビを見ていても三人の事件が放送される事はなかった。


 一月以上前の事件だということを考えると仕方ないのかもしれない。僕の本命はネットニュースサイトの方だった。


 家に着いてからもう何時間経っただろう。


 僕は何も飲み食いすることなく、テレビをつけたままひたすらいくつものサイトの記事をあさっていた。


 そう、何時間も探した今でさえこうして探し続けている。


 つまり僕は未だに事件の記事を見つけられていない。


 同じ学校の生徒が短い期間で三人も死んだのだ。警察は自殺と断定したはずで、殺人事件ではないにしろ、こんな事があって騒がれない方がおかしい。


 だというのに、どこのサイトを遡っても三人の事はおろか、僕たちの通っている学校さえも記事にはなっていなかった。


 あり得ない事だと思う。


 そして、そんなあり得ない状況を、僕は半ば予想していた。


 初めから、翔也が死んだあの時から不自然過ぎたんだ。


 警察はすぐに自殺と断定し、マスコミは影も見えない。


 一真と神奈の時もそうだ。


 僕が目覚めた時には全てが終わっていた。


 悲しくなるからとニュースは意図して見ないようにしていたけれど、どうせ何も放送されていなかったのではないだろうか。


 三人の死は世間に何の影響ま与えていなければ、認知すらされていない。


 まるで人の死を隠蔽するような、そんなふざけたことをいったい誰ならやれるというのだろう。


 とんでもない程のお金持ちか、それとも社会的な地位を確立した人物か。


 本当にそんな事をできる人がいるのかは知らない。けれど、いたとしても今回のような事をできるとは思えなかった。


 警察やマスコミだけじゃない。学校の生徒も誰一人として三人の話しをしなくなった。


 学校全体とまではいかなくても、影響力のある三人だったというのに、死んだあとは皆が忘れてしまったかのように話題にならない。


 事件をもみ消すというより、まるで人の認識や記憶をそのまま変えてしまったような不気味さを感じる。


 普通ならそんな事の方があり得ないと思うだろう。まだ金や暴力で脅して黙らせる方が現実的だ。


 けれど今の状況を考えれば、あり得ないとも言えない気がした。


 もしかしたら、僕もその影響を受けているのかもしれないからだ。


 今日巡った河川敷や雑木林に図書館。それぞれの場所で見た記憶にはない情景が頭から離れてくれない。


 自分の事ですら信じられない訳の分からない状況で、僕はあの神様の気配を強く感じていた。



 机においていたスマホが振動する。


 恵里香から何か連絡が来たのかと確認すると、それは父さんからのショートメールだった。


 未だにチャットアプリを使っていない父さんは、簡単な連絡はこうしてショートメールで伝えて来る。


『こっちは元気です。優人は今日はどうでしたか?』


 父さんは出張中、毎日こうして連絡をくれる。


 日課のようなそのメールに返事を打とうとして、僕はまた違和感を覚えた。


 まさかとは思いながらも昨日父さんから送られてきたショートメールを開く。


『こっちは元気です。優人は今日はどうでしたか?』


 まったく同じ文面だった。


 さらに前の日のメールを開く、


『こっちは元気です。優人は今日はどうでしたか?』


 また同じ。その前を開く、


『こっちは元気です。優人は今日はどうでしたか?』


『こっちは元気です。優人は今日はどうでしたか?』


『こっちは元気です。優人は今日はどうでしたか?』


『こっちは元気です。優人は今日はどうでしたか?』


 どこまで遡ってみてもコピーしたような字ずらが続く、父さんから送られてきている文面は一文字も変わっていなかった。


 これだけ短い文だ。スマホの予測変換で打っていれば仕方ないことなのかもしれないし、面倒で本当にコピーしていたのかもしれない。


 文面についてはそう考えればなんとか納得できた。


 けれど納得できないのは、僕が今までこれを認識していなかったことだ。


 流石にこれに気が付いていれば、父さんとの会話のネタくらいにはしただろう。


 けれど、僕は今まで文面が毎日同じだという事を意識すらしなかったし、なんなら父さんと毎日違うやり取りをしていたと思っていたくらいだ。


 記憶や認識を変えてしまう。


 そんなふざけた事が現実味を帯びて来たような気がした。



――カタッ


 閉め切ったカーテンの向こう。ベランダで何かが動いたような音がした瞬間、僕はテレビの電源を切って、息を殺した。


 ただの風か家鳴り、そう考える方が自然だとは分かっていた。


 けれど、どうしてもベランダに得体の知れない何かが立っているような想像が消えてくれない。


 それだけ僕は追い詰められていた。


 恐怖で動けなかった僕はその場で身体を丸め、できるだけ小さくなって眠った。

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