第25話 崩れていく日常②


 その日の昼休みのこと。


 なかなかやってこない一真が心配になった僕は、神奈と恵里香を残して一真の教室を見に行くことにした。


 廊下から教室の中を覗いてみるけれど、どこにも一真の姿は見えない。


 本当にいないのかじっと確認していると、教室の中にいる生徒たちから白い目を向けられた。


 当然のように僕はここでも嫌われているのだろう。廊下にいる生徒たちからも睨まれ始めて、僕は足早にその場を離れた。


 一応見た限りでは一真は教室にはいないようだった。


 教室にいた人達に聞いてみるという手もあるけれど、心よく教えてくれるとは思えない。


 よくて無視。悪ければまた何かしら虐められるかもしれない事はすぐに想像出来るから誰かに聞くことも出来ない。


 あとは一真の行きそうな所をしらみつぶしに探してみるしか方法がなかった。


 実はもう入れ違いになっていて、一真はすでに中庭にいるかもしれない。


 けれど、そうなれば恵里香か神奈から連絡が来るはずで、何の連絡もないということはまだ一真は中庭に来ていないのだろう。


 ならばと闇雲に校内を歩き回る。


 特に当てがあるわけでもなかった。


 だから時間がかかるかもしれないと覚悟していた一真の捜索は、それからすぐあっけなく解決した。


 校舎裏。


 翔也の死体が落ちていた場所。


 少し前まで立ち入り禁止のテープが貼ってあったその場所に一真はいた。


 立ちすくんだままピクリとも動かない一真に近寄って声をかける。


「一真、お昼食べないの?」

「ん? あぁ、優人か……わりぃ、探させたか」

「いや、割とすぐ見つけられたから」

「そうか」


 振り返った一真は疲れ切った顔をしていた。


 一真のトレードマークだった自信に満ちていた表情は、今では見る影もなく鳴りを潜めてしまっている。


 このまま憔悴していけば、いずれ別人のような顔つきになってしまいそうだ。


 目の前の一真の顔が急激に老けていく。


 肌の張りがなくなり、皺が深く刻まれ、目からは生気ななくなる。老人というよりは、ミイラ。そんな恐ろしい想像をしてしまった僕は、自分のあり得ない考えを追い払うように頭を振った。


「神奈と恵里香はもう食べてるよ。僕たちも行こう」

「あぁ、そうだな……」


 そう応えて、けれど一真は動こうとしない。


 今は何もない翔也が落ちていた地面をじっと見つめている。


「なぁ優人。翔也は何で死んじまったと思う?」


 急かすこともないかと思って待っていると、一真がそんなことを呟いた。


「僕は、翔也が自殺なんてしないと思う。けど、神様なんかよりは自殺の方が現実的なのかもね」

「……本当はあくまでも誰かに殺されたって思ってるか?」

「それは……分からないよ。最初はそう思ったよ。僕を庇って、虐めを止めようとしてくれた。そのせいで突き落とされたんじゃないかって」

「今は違うのか?」

「どうだろう。最近いろいろあったから……けど、まだそうじゃないかとも思ってるよ。それが一番可能性としては高そうだしね。だけど、警察に自殺って言われちゃうとね……僕が虐められてたことを言ったらちゃんと捜査してくれるかなって考えたけどさ」

「それは止めておけって、前にも言っただろ。大人に言ったところでかき乱すだけで碌な事にならないってよ」

「うん……ちゃんと覚えてるよ。だから言ってない。あの小田巻って奴もまともにこっちの話しを聞いてくれなそうだったしね」


 本当はすぐにこういう背景があることを大人に知らせるべきだと思っていた。


 けれど一真は以前から僕に忠告してくれていた。


 僕にとっては大人たちよりも一真の方が信頼できるから、親にも教師にも、誰にも虐めの事は言っていない。


 僕の答えを聞いていた一真は、少し安心した様子で頷いてくれた。


「一真はどう思ってるの? 翔也は何で死んだと思う」


 今度は逆に聞き返してみる。


 一真は考え込むように俯いてしまった。まるで、今もそこに翔也の死体が落ちていて、それからずっと目が離せないみたいに見える。


「オレは……そうだな、オレも分かんねぇ」

「まぁ、そうだよね」

「警察が自殺って言うんならそうなんだろうな。ただ優人が考えたこともあり得そうだなとは思ってるよ。だから下手に騒がない方がいいって言ったわけだからな。けど、最近の、あの視線だけは……一体何なんだろうな」

「日に日に感じることが増えてるんだよね?」

「あぁ、オレが行く先行く先で、いつでもどんな時でも感じるんだ。ホント……どこに行ってもだぞ!」


 急に大声を出されて思わず身体が震えた。


 一真は地面を見たまま、僕の反応には構わず話し続ける。


「学校に行く時も、ただコンビニに行った時も、オレの行くとこ全部で感じるんだ! 家の中で全部閉め切ってもだぞ! ホントなんなんだよ!」

「か、一真。落ち着いて」


 恐る恐る声をかけると一真は大声を出していた事に今気が付いたらしい。


「……悪い。ちょっと、参ってて」


 目を見開いたまま苦しそうに言葉を漏らす一真。その姿を見ているだけで僕も辛くなった。


「仕方ないよ。そんな事があったら誰だって、それに、神奈も恵里香も同じみたいだから」

「あぁ、気のせいじゃないんだ。本当に、すごい嫌な感じがするんだけど、でも誰もいないんだ。それにさ、おかしいよな? なんで翔也のことはニュースにならないんだ?」

「それは……まだ正式に捜査が終わってないから、とか?」

「いや、そんな警察の都合はマスコミに関係ないだろ。学校で生徒が死んだ、我先にとスクープを掴もうとする奴がいてもおかしくないのに、なんで一人もいないんだ? オレが見てないだけか?」

「僕も見てないし変だと思ってるけど……分からないよ」


 矢継ぎ早にとんでくる質問に、僕はまともな答えを返せなかった。


 そもそも、一真は僕からの答えなんて期待していなかったのかもしれない。


 ただため込んでいたものを吐き出すかのように喋っている。


「なぁ優人、神様って本当にいるのか?」


 俯いたままの一真の声は、聞いているこっちが恥ずかしくなるくらいに震えていた。


 翔也が死んでからまだほんの数日しか経っていない。それでも、一真はだいぶ追い詰められてしまっている。今の一真の姿が、それだけ常軌を逸した事が起きている事を物語っていた。


「ごめん、分からないよ」


 本当はすぐに否定してあげたかった。


 こんな事が起きる前ならすぐにそんなのはいないと言えていた。


 恵里香が初めて神様の話を出した時は、そんな事言ってる場合じゃないと思ってたくらいだった。


 けれど、今はもう状況が違っている。


 翔也の死体の近くに置かれていた形代。


 僕だけが感じない何者かの視線。


 たった数日ですっかりとやつれてしまった三人を見ていると、そこには人間ではない何か別の存在を感じずにはいられない。


 今の僕には神様なんてものの存在を真っ向から否定する事が出来なかった。


「ごめん」

「いや、こっちこそ悪かった。変な事きいたな」

「そんな事ないよ。それよりお昼食べないと身体が持たないよ?」

「あぁ、けど、なんか食欲がなくてさ」

「うん、あまりわかないよね。でも軽くでも食べておかないと……とりあえず二人のところに行こう? 皆でいた方がいいよ」

「……そうだな。行くか」


 今まで話しをしている間、ずっと地面を見つめていた一真がやっと顔を上げてくれた。僕はそれだけでも少し嬉しかった。


 ゆっくりと振り向いた一真に駆け寄ろうとして、僕は変な音を聞いた。


 ――ギギィ


 何かをひっかくような不快な音。


 その後すぐに、バキイッ! っと何かが折れるような金属音がした。


 音につられて上を見る。


 屋上の手すりの一部が、一真の上に降ってくるのが見えた。

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