第52話 花言葉
放課後。
合流した僕たちは早速神社へ向かった。
安全のために色々と準備をして向かおうと思っていた僕とは反対に、恵里香はすぐ神社に向かった方がいいと提案してきた。
「急いで行こ、ほら、最近暗くなるのも早いし」
僕はあくまでも準備をした方がいいと思っていたけれど、恵里香のその言葉に納得した。
夏が終わり秋がやって来たことを実感する最近は、たしかに少しずつ日が暮れるのが早くなっている。
準備に時間をかけて、あの神社に着いた頃には真っ暗などという事態は避けたい。
僕は急かすような恵里香に手を引かれて神社へと脚を進めた。
僕の手を引いて薄暗い山道を歩く恵里香の背中からは、怯えや恐怖といったものは感じられない。
自分の心臓の音がやたらと五月蠅く、内心ではかなり怖がっていた僕には、堂々と歩く恵里香の背中が頼もしく見えた。
「……着いたね」
住宅街を抜けて山道を歩き、ほどなくして聞こえてきた恵里香の声に顔を上げると、僕たちはあの古びた鳥居の前に到着していた。
相変わらず薄暗い山の中で、そこだけスポットライトを当てられているかのように神社は明るい。
見ているだけで異様な雰囲気を感じた僕は、そこから一歩を踏み出すだけでも相当な勇気が必要だった。
「行かないの?」
神社の荘厳な空気に委縮している僕とは違い、恵里香は僕を案内するかのように先に鳥居をくぐっていった。
度胸があるというか、それとも感覚が麻痺してしまったのだろうか。
恵里香は何も気にしていないかのように、堂々と鳥居の真ん中を通っていく。
僕だって別に作法にはそこまで詳しくはない。けれど端を通るとか、くぐる前に一礼するとかしないとか、そんな事くらいなら聞いたことはあった。
ただこんな得体の知れないものを祀っているような神社に礼をする気にもなれない。恵里香のように不作法な入り方で丁度いいとも思う。
けれどガマズミ様が怖かった僕にはそこまでの度胸はない。結局は端の方をくぐって慌てて恵里香を追いかけた。
人と神様の世界の境界を越えて階段を上ると、代り映えしないと思っていた境内には、一つ大きな変化があった。
参道の両脇にまるで並木道の街路樹のように植えられていた低木が小さな赤い実を沢山つけていたのだ。
それは、僕の記憶にあった秋のこの神社の姿。
まるで鮮血がぶちまけられたような一面の赤は、それでも怖さよりは美しさの方が勝っていた。
この神社は心の底から嫌いだったといのに、純粋に綺麗だと思える景色を見せられたのがなんだか悔しい。
「綺麗……もう秋になったんだね」
「うん。この赤い実がなってたのはこの季節だったよね」
「ねぇ優君。この木はね、ガマズミっていうんだよ」
恵里香は小さな赤い実を見つめながら教えてくれた。
いつの間にか調べていたのだろうか、僕は少し驚いた。
話題には出さないながらも、恵里香もあの日の事を何かしら調べようとしていたのかもしれない。
それに、この低木の名前にはそれ以上の意味がある。
「ガマズミって、ここの神様の名前と同じだ」
そう、ここに祀られている子供の神様の名前が『ガマズミ様』なのだ。
初めて聞いた時からどういう意味か分からなかったけれど、この低木が何か由来になっているのだろうか。
「うん……ねぇ、優君はガマズミの花言葉って知ってる?」
「花言葉? いや、全然わかんないよ。もしかして何か神様に関係あるの?」
「ふふ、それはどうだろね……あれ? 何か聞こえない?」
急に話題を変えた恵里香は、赤い実から視線を外して社殿に近づいていく。
話の続きが気になったけれど、僕にも何か物音が聞こえて恵里香の後に続いた。
近づくにつれて、社殿の裏手から何かを引きずるような音がはっきりと聞こえてくる。
――ザァー、ザァー
それは聞き覚えのある音だった。
初めて聞いた時は得体の知れない音のせいで、想像上の神様を作り出して怖がっていたけれど、正体を知っている今は特に驚くこともない。
丁度区切りがついたのだろうか。音が止んで代わりに足音が社殿の裏手から近づいてくるのがわかった。
「こんにちは」
社殿の裏から出て来た予想通りの人物に挨拶をする。
僕たちの前に姿を現したのは、夏休み初日にこの神社で出会ったおじさんだった。
前回出会った時も、おじさんはこうして境内の掃き掃除をしていた。
近くに住んでいるらしく、たまに掃除をしていることはその時に聞いて覚えている。
僕はこのおじさんに色々と思うところがあった。
人当たりのいい笑顔が特徴の好々爺然としたおじさんは、あの時の僕たちに色々とガマズミ様の事について教えてくれた。
ガマズミ様から隠れるための方法だったり、色々と有益な事を聞けて感謝していたけれど、結局教えてもらった方法は何の意味もなかったのだと思う。
この人のせいで一真や神奈が死んだ。
なんて、流石にそこまでは思ってはいないけれど、それでもまったくの無意味だったと、理不尽だと分かっていても憤りを少しはぶつけたいと思った事もあった。
あの時偶然出会ったおじさんに、もう二度と会う事はないのだろうと思っていたけれど、こうしてまた出会えたのは皮肉にも神様の導きだろうか。
親切にしてくれたおじさんに身勝手な想いをぶつけるのは少し気が引けるけれど、僕にももうそこまで他人を気にする余裕はない。
僕はおじさんを睨みつけた。
以前出会った時、好々爺然とした人好きのする笑顔を浮かべていたおじさん。
再開できた事を喜んでいるだろうか。
それともまた神社にやってきて驚いているだろうか。
僕はそのどちらかだろうと考えていた。
けれど、今のおじさんは、不審な表情を露わにして隠すこともなく、こちらを露骨に警戒しているようだった。
思いもしなかった反応を返されて、言ってやろうと思っていた言葉も出てこない。
挨拶すら返してくれないおじさんのその反応は、まるで初対面なのに馴れ馴れしすぎる奴にするその顔で、僕にはどうしてそんな顔をされなければならないのか理解できなかった。
結局おじさんは軽く会釈をするだけで、そのまま無言で境内を出て行った。
足早に離れて行く間も、途中何度かこちらを警戒するように振り返りるその様を見ていると、まるで自分が不審者にでもなった気分にさせられた。
「どうしたんだろ? あれじゃまるで僕たちの事……」
「忘れちゃってるみたいだね」
僕が言えなかった言葉を引き継いだ恵里香は、特に驚いているようには見えない。
おじさんの反応を至極当然な物として受け止めているように見える。そんな恵里香の態度には些か納得できなかった。
「驚かないの? おじさんまるで人が変わったみたいに見えたけど」
「ねぇ優君……私はね、かくれんぼが好きなんだ。なんでか分かる?」
僕の問いかけを真っ向から無視して、逆に質問をぶつけてくる恵里香。
その雰囲気に圧倒されそうになりながらも、僕はなんとか口を開いた。
「いや、急になに? そんなの分からないよ」
「かくれんぼってさぁ、鬼になった人が必死になって探してくれるでしょ? 私だけを探して、私だけを意識してくれるのがさ、なんて言うか、幸せを感じられるんだよね。優君が私を見つけてくれた時は本当に嬉しかったよ」
恵里香がどうしてこんな話を始めたのか僕には理解できなかった。
「いきなりどうしたの、今そんな事を話してる場合じゃないでしょ?」
「そんな事ないよ。これはとっても大切なお話しだから」
「いやそんな事ないでしょ。おじさんが変だったのに、それにガマズミ様の事についても急いで調べなきゃ」
僕は焦っていた。
この日常が何かおかしいとは思っていたけれど、ああして知っている人までおかしくなってしまっている姿を改めて見せつけられると、今まで以上に心にくるものがあった。
酷い焦燥感に襲われる。
もし恵里香が、もし僕自身があんなふうに変えられてしまったら……それは考えるだけでも手が震えるような恐怖をもたらしてくる。
僕は恵里香との話しを切り上げて、また社殿の中で目ぼしい物を探してみようとした――
「大丈夫だから落ち着いて、一旦座ろう、ね?」
――そのはずだったのに、恵里香にそう言われた瞬間、僕は社殿の階段の途中で座り込んでいた。
自分でも自分の行動の意味が分からない。
僕はどうして座ったのだろう。
あんなにも焦って何かを探そうとしていたというのに、今は嘘みたいにそんな気にはなれない。
そのまま座っていると、うすく笑った恵里香が僕の隣に腰を下ろした。
座った恵里香はそうするのが当然のように僕の手を握ってくる。
いつもなら触れただけで安心するそのひんやりとした冷たい手は、今だけは僕に少しの不安を感じさせた。
「ねぇ優君、今日はどうして神社まで来たんだっけ?」
それはおかしな質問だった。
そんな事は来る前に当然話しているし、恵里香だって納得して付いてきたはずだ。
「それはガマズミ様について調べるためだって言ったじゃないか」
「どうして調べるの?」
「このままじゃ僕たちも危ないかもしれないからだよ。僕は恵里香まで失いたくないんだ」
僕がそう言った時、恵里香の笑みが深くなった。
「それじゃあ私のためってことだよね?」
「……そうだよ。改めて言わせないでよ」
「ふふ、ごめんね。でも神社まで来るなんて神様は怖くなかったの?」
「それは、正直怖いよ。けどそれ以上に……」
「それ以上に私が大事だったの?」
言おうとしていた言葉を取られて少し驚く。
恵里香は楽し気に笑っていて、僕は揶揄われているような気がしたけれど素直に答えることにした。
「そうだよ。僕にはもう恵里香しかいないんだから」
「嬉しいな。じゃあ私以外は何もいらない? 例えば……クラスメイトとかは?」
「あんな人達と恵里香じゃ比べる気にもなれないよ」
「じゃあ優君のお父さんは?」
「父さんも、もういいんだ。あの人もきっと変になってるから、じゃなきゃこんなにも帰ってこないわけないもん」
「うんうん。じゃあこの世界で優君に必要なのは私だけってことだ」
「そう、だね。こんな偽物の日常もいらないよ。恵里香さえいればそれでいいんだ」
気が付くと僕は恵里香の問いかけにスラスラと答えていた。
冷静に考えてみると、とんでもないことを言っているような気もする。
捉え方次第じゃまるで愛の告白にも聞こえるかもしれない。
普段ならこんな似合わない事は恥ずかしくて言えないというのに、今は何故か少しも羞恥を感じない。
聞かれたことにただ答える。そんなAIにでもなった気分だ。
僕が素直に答えるたびに、恵里香は満面の笑顔をさらに輝かせている。
無邪気に笑うその笑顔は本当に可愛らしく、僕はずっと見ていたいと思った。そんな事を呑気に考えていた時だった、
「じゃあもう死んだあの三人も、どうでもいいよね?」
恵里香から聞かれたその質問にだけは、僕はすぐに答える事が出来なかった。
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