第53話 私だけを見て
それだけは頷けなかった。
途端に恵里香の表情が曇る。
まるで欲しかったものがもらえなかった子供のような、そんな露骨な反応だった。
「なんで頷いてくれないの? あの三人は優君を虐めてたんだよ? 悪い奴らなんだよ?」
「でも、それはあの警官が言ってた事だから」
病院のベットでその話しを聞いた時、僕はもちろん信じられなかった。
ただそれ以上に神様なんて訳の分からない記憶を信じてもらえるわけもないとも思った。
警察という公的な機関の調べだと言われたらその話しを否定する事なんてできず、結局は自分の曖昧な記憶の方がおかしいのかもしれないと思っていた。
けれど今は違う。
もうこの日常がおかしなものだと知った今は、喩え警察の言葉でも偽りがないとは思えない。
「恵里香だって気付いてるでしょ? この日常は何か変なんだ。あんな事件があってマスコミが一人も来ないし、学校も父さんも、警察だってそうだ。もう僕に信じられるのは恵里香だけなんだ。あの警察が言ってたことも信じられないよ。だから三人が虐めの主犯だっていうのもきっと嘘なんだ」
僕は本当にそう確信していた。
こんなおかしな日常に落とされて、恵里香がいなければもう気が狂っていたかもしれないほどの恐怖を味わったことは本当に最悪の出来事だ。
それでもこうして三人が虐めの主犯ではないと思えた事だけは価値があったのだと思う。恵里香だって冷静に考えればそこに気が付くはずだ。
そう思っていた僕には、目の前で急に笑い出した恵里香の意図が分からなかった。
「ここまでしてもあの三人を信じるなんて優君は本当にいい子だね。もう仕方ないから私が真実を全部教えてあげる。そうすれば優君はあの三人を嫌いになって、私だけを見てくれるよね」
まるで無邪気な子供のように笑う恵里香。
彼女が言う真実とは何なのか、僕にはまるで分からなかったけれど、何故か聞いてはいけないような気がした。
「よく聞いて優君。あの三人が優君を虐めてたのは本当だよ。だって」
笑顔の恵里香が語り掛けて来た時、僕は耳を塞ごうとした。
けれど、それは間に合わなかった。
「だって、ここで初めて遊んだ時にはもう、優君は虐められてたんだから」
恵里香の言葉を聞いてしまった瞬間、僕は激しい頭痛に襲われた。
脳の至る所に太い針を何度も突き刺されるような、鋭い痛みが連続で襲ってくる。
同時に脳内に直接語り掛けてくるような声が響いた。
『おい優人、オレは草むらになんか入りたくなんだ。代わりにお前がカブトムシ取って来いよ。見つけるまで戻ってくんじゃねぇぞ』
『なんだよ優人、一真とキャッチボールするからお前はあっち行ってろ。お前とキャッチボールしても面白くないんだよ』
『あぁ~あんたと一緒にいてもつまらないんだけど、読書好きなのが優人じゃなくて一真君ならよかったのに……私が変るしかないのかなぁ』
それは全て、間違いなく幼馴染たちの声だった。
声だけじゃない。
僕にははっきりと見えてしまった。
三人の蔑むような、興味の無さそうな目が……。
「……僕は、僕は虐められてた?」
「そうだよ。あいつらは本当に最低だったの」
「そ、そんなはずない。そんなはずないよ! こんな記憶、何かの間違いだ!」
「これは本当のことだよ。昔この神社に遊びに来ていた時だって、優君はあいつらから酷い扱いをされてたでしょ?」
「嘘だ! 皆が僕を虐めるわけない!」
僕は必死になって叫んだ。
恵里香の言葉と、僕の中で急激に湧き上がって来る過去の記憶のような何かを認めてしまったら、僕という人間が根本から崩れてしまいそうだった。
だから必死に抵抗した。
そして、それは無意味だった。
「じゃあどうして、かくれんぼをする時優君は毎回鬼だったの?」
恵里香に言われた言葉で僕は全てを悟ってしまった。
僕はたしかにいつも鬼だった。
皆が楽しそうに隠れている中、一人目をつぶって数を数えていたのは何もジャンケンで負けたからではない。
『鬼は優人でいいだろ』
はっきりと一真の声が聞こえた。その後ろで皆が笑って同意している。
僕は皆から鬼をやらせられて いた。
だからこの前思い出した記憶でも、僕は全て鬼だったんだ。
「思い出した? 辛いよね? ごめんね。忘れさせてあげてたんだけど、でもこうでもしないと優君はあの三人を嫌いにならないでしょ?」
恵里香がよく分からない慰めを言いながら背中を撫でてくれるも、そんな事では落ち着けそうにない。
僕が固まったまま反応できないでると、落ち着いたと思ったのか恵里香はそのまま喋り続けた。
「私は見てたよ。かわいそうだったね。特にこの女は酷かった。優君のことを沢山馬鹿にしてたし、酷い時はガマズミの実を無理やり食べさせたりもしてたよね」
自分を指さしてそんな事を言う恵里香。
どうして自分をそんなふうに言うのかと疑問に思うも、ガマズミの実の話しを聞いて新しい記憶を思い出した僕は、すぐにそれどころではなくなっていた。
以前思い出した記憶。一真と二人で実を食べようとして止められたなんて事は実際にはなかったのだ。
本当は一真と恵里香に無理やり 食わせられていた。
そして二人は、僕が吐き出すのを見て楽しそうに笑っていた。
「ぁ、ぁ、ぁ、ぁあ、ぁああああああ!!」
記憶のフラッシュバックが止まらない。
今まで隠されていた記憶が、何かを合図にして一気に脳に流れ込んでくる。
僕は一真からこき使われていた。
翔也は僕の事をまるで相手にもしてくれなかった。
神奈からは一緒にいるだけで露骨にため息をつかれ、それだけ毛嫌いされていた。
そして恵里香からは、僕はいつも蔑まれて馬鹿にされていた。
思い出した衝撃で呼吸が上手く出来ない。
ひゅー、ひゅーという音が僕の喉から漏れ出ている。
「落ち着いて優君。大丈夫だよ。私が傍にいるからね」
「え、恵里香……僕は、本当に、皆から虐められてたの?」
「うん。でも安心して、もう私が殺したから」
真顔でそんな事を言う恵里香に僕は絶句した。
何が安心して、なのだろうか。
僕の事を本心から心配しているような表情と、その言葉はまったく釣り合いが取れていない。
「な、何言ってるの恵里香? そんな、殺しただなんて冗談止めてよ」
「冗談じゃないよ。あの日一真君と神奈ちゃんを殺したのは私だよ」
いつもの柔らかな笑顔で、まるで朝の挨拶でもするかのようにそんな事を言う恵里香は、もしかしておかしくなってしまったのだろうか。
「別に私はあのおじさんみたいにおかしくなったわけじゃないよ」
「ッ!?」
まるで心を読まれた気分だった。
僕が驚いた事に気分をよくしたのか、恵里香は機嫌良さそうに語り出す。
「神奈ちゃんは首吊りにしたんだけど、一真君は面倒になって突き落としちゃった」
「ちょ、ちょっと待って恵里香! あの時いなかったのに何で知ってるの?」
「何でって私がやったから知ってるのは当然なんだよね」
「いや、そんなわけ、だいたいなんでそんなこと」
「それはもちろんあの三人から優君を守るためだよ。あいつらを野放しにしてたら優君はもっと酷い目に合ってたかもしれないんだからね」
そうするのが当然だというように胸を張る恵里香。
どことなく期待に満ちたその表情は、良い事をしたから褒めて欲しいと待っている子供のようだった。
「私はどんな事をしても優君をあの三人から守りたかったの。本当は説得しようと思ったんだよ。でも、あの三人の本性は人間の中でも本当に最低だった。説得なんて無駄だったの。あいつらは優君を虐めて心底楽しんでた。だから、もう殺すしかなかったの。優君なら分かってくれるでしょ?」
理解を求めるような恵里香に、僕は素直に頷く事なんて出来なかった。
「わ、分からないよ。何言ってるんだよ恵里香。恵里香が三人を殺したなんて意味分からないよ」
「あ、正確には一真君と神奈ちゃんだけね。翔也君は一真君が殺しちゃったから私の出る幕なかったの」
もはや困惑という言葉では生ぬるい程の混沌に落ちてしまったような気がした。
ただでさえ理解が追いついていないといのに、今度は一真が翔也を殺したなんて信じられるわけがない。
「こんな時にふざけないでよ恵里香! 一真がそんな事するわけ……だいたい三人が一緒に僕を虐めてたって言ったの恵里香でしょ!」
「本当なんだよ。翔也君はねきっと虐めが大きくなりすぎて途中で怖くなったんだよ。それで自分だけ優君の味方のふりをして、二人を脅したの。で、激昂した一真君に突き落とされちゃったんだ」
「いやいや、急にそんな事言われたって信じられるわけないでしょ!」
「思い出してみて、一真君は優君に虐めの事は大人たちに隠すように言ってたでしょ? あれは自分が黒幕だからバレないように必死だったんだよ。だから私が言った神様の話しにも急に食いついてきたし、警察が自殺だって決めつけた時は嬉しくて思わず興奮してたでしょ?」
確かに恵里香の言葉通りだった。
警察が自殺を決めつけていた事を伝えた時の一真は、妙に興奮していた。
けど、だからと言って恵里香の言葉を信じる事なんてできない。
「もう止めてよ恵里香。一真が翔也を殺したとか、恵里香が二人を殺したとか言わないでよ! たいたいそんな事恵里香にできるわけないじゃないか!」
僕は力の限り叫んでいた。
怒ったわけじゃない、それは願望だった。
恵里香が嘘だと、冗談だと言ってくれるのを聞きたかったのだ。
けれどそう願いながらも、恵里香が嘘を言っていないのは、僕自身もう心のどこかでは気が付いていたんだと思う。
たぶん「この女」と恵里香が自分を指さしてそう言った時にはすでに……。
「できるよ。私には何だってできるの」
そして案の定、恵里香は嘘だなどとは言ってくれなかった。
僕の願望等どこ吹く風で立ち上がった恵里香は、まるでステップでも踏むよな軽快な足取りで参道の真ん中を歩いて行く。
光に照らされた境内の中、制服のスカートを翻して踊るように歩く恵里香は酷く幻想的だった。
歩きながらも恵里香は僕に語り掛けて来る。
「どうしてマスコミが来ないのか不思議だ。警察も信用できない。優君はそう言ってたよね?」
丁度境内の真ん中まで進んだ時、恵里香はくるりと回ってこちらを振り向いた。
遠心力で広がったスカートが綺麗な円のように広がり、本人の美しさと相まって僕はこんな状況でも見惚れそうになった。
そうはならなかったのは、その美しい光景の向こう側、境内に続く階段付近に沢山の人影が見えたからだ。
何時の間にいたのだろうか。
何人もの人間がただ立ち尽くしてこちらを見ていた。
思わず立ち上がりかけた時、その中にさっき帰って行ったばかりのあのおじさんがいるのが見えた。
よく見れば、くたびれたあの警官、小田巻もいた。
何度訪ねても一度も会えなかった三人の家族もいた。
……僕の父さんもいた。
他にも見知らぬ顔が何人もいる。
全員が微動だにせず立ち尽くし、皆が瞬き一つせずに僕を見ていた。
「その答えはね、私ならこんな事も出来ちゃうからなんだ」
無表情な人間たちが並ぶその前に、一人満面の笑顔でたたずむ恵里香はとても歪だった。
「……恵里香、君は、本当に恵里香なの?」
「私は恵里香だよ。優君が見つけてくれたあの日から、私が恵里香」
その返答で思い出すのは幼い頃の記憶。
この神社で恵里香が一度いなくなる前の事。
今のお淑やかな性格とはまるで違い、恵里香は男の子みたいに活発でやんちゃだった。
一真や翔也と外で遊ぶ方が好きで、インドアだった僕とはあまり馬が合わなかった。
あの日までは……。
「優君だけが私を探してくれて、優君だけが私を見つけてくれたよね。本当に嬉しかった。今でもあの時は事は詳細に思い出せるよ。あの日から、私が恵里香なの」
恵里香の言葉を聞いて、僕はこの十年間、誰と一緒に過ごしていたのかを悟った。
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