第21話 悍ましい気配


「誰かに見られてる気がするんだよ」


 昼休みにいつも集まっている中庭まで僕たちを連れて来た一真は、上ずった声でそう吐き出した。


 それは僕にとって予想もしていなかった内容でどう反応していいか分からなかった。


 ただ神奈と恵里香は違ったらしい。二人ともビクッと身体を震わせて身を引いていた。


「ど、どういうこと?」

「そのままの意味だよ。ふとした瞬間に視線を感じるんだ。すごい不快な、なんて言えばいいか……とにかく吐き気がしそうな気持ち悪い感じがするやつだ。でも、視線を感じた方を見ても誰もいやしない」


 一真は顔を歪めてそう言った。


 軽く説明することさえ嫌で、口にしたくないという様子がありありと伝わって来る。


 冗談なんかではこんなにも嫌悪感を表すことはできないだろう。


「最初は気のせいがと思ったさ、けど何度も何度も感じるんだ。ふとした時に見られてるんだ。流石に気のせいにはできなくなってよ。だいたいよ、家の中で視線を感じるなんておかしいだろ!」


 もう分かっていたことだけど、一真は相当参っているようだった。


 頭を力いっぱいかきむしって、どうしようもできない感情を吐き出そうとしている。


 上ずった感情的な声が中庭に響いても、いつもなら一真に注意するはずの恵里香と神奈も今は何も言わない。


「じゃあさっき校門のところで急に振り返った時も?」

「……あぁ、視線を感じたんだ。絶対に誰かがオレを見てた」

「……もしかしてマスコミが隠れて校舎を見張ってるとか」

「いや、それはないだろ。家でも見られてたんだぞ。それに他の奴らは誰も気にしてなかった。優人も気が付かなかったんだろ?」

「そうだけど……じゃあいったい誰が」


 そんな疑問には誰も答えをくれなかった。


 代わりに神奈まで驚くべきことを口にする。


「アタシも、昨日からずっと誰かに見られてる気がしてた」

「神奈まで!? まさか家にいる時も?」

「うん。一真が言ってるのとまったく同じ、気持ち悪い感じがしてすぐに見ても誰もいないの」


 そう言う神奈の声は可哀そうなくらい震えてしまっていた。


 一真と神奈の様子を見ていれば、二人が嘘や冗談を言っていないことくらいはすぐに分かる。


 二人が相当参ってしまっているのは、その視線のせいなのだろう。そしてきっと……。


 僕は恵里香に視線を向けた。


 目が合うと蒼白になった顔の恵里香はゆっくりと頷いた。


「私も二人と一緒。ずっと視線を感じてた」


 僕はもう何も言えなくなった。


 誰か一人だけなら、もしくは三人がまったく違うことを言っていたら、翔也の死のショックで神経が過敏になっているのかもと思うこともできたかもしれない。


 けれど三人がまったく同じことを言っているとそうもいかなかった。


 三人とも昨日から、そして家の中にいても関係なく視線を感じている。


 まったく同じ現象を報告してくる三人の言葉を、頭から否定することなんて僕にはできなかったのだ。


「マジで神様っているんかな?」


 引きつった笑いを浮かべながら一真が呟いた。


 その声はさっきよりもはっきりと震えている。


 神奈も恵里香も、何の反論もしない。


 翔也が死んだとき傍におかれていた形代の姿が脳裏によぎった。


 普段ならそんな馬鹿げたことを一真は言わない。恵里香も神奈も、僕だって笑って即否定したはずだ。


 もう僕たちは子供じゃない。そんな非現実的なものを探して楽しんでいた時代はもうとうの昔に終わっている。


 だというのに誰も否定の言葉を口にはできなかった。


 それだけ確かに不可思議なことばかり起きているからだろう。


 皆すっかりと神様なんて得体の知れない存在に怯えてしまっているようだ。


 場に漂っている張り詰めた空気が肌を指すように刺激してくる。僕はこの思いつめるような空気だけでも何とかしたいと思った。


「い、いるわけないよ! そうだ、きっとこれも僕を虐めてた誰かがやったんじゃないかな。皆に僕から離れるように警告してるのかもしれない。僕だけが視線を感じなかったからきっとそうだよ!」


「あの時、優君は鬼だったから」


恵里香が静かに呟いた。


 その言葉を聞いた時、どうしてか分からないけれど僕は心臓を鷲掴みにされたような気分になった。


「……鬼だった事が何かこの件に関係あるの?」

「あると思う」


 迷いなく返答されて面食らう。


 僕が動揺しているうちに、恵里香はそのまま言葉を続けた。


「身代わりかくれんぼをした時、鬼だけは紙人形を付けなくてよかったよね? それって、鬼は隠れた人を見つける神様と同じ立場で、連れて行かれる心配がないからなんじゃないかな。つまり、いつも鬼をしていた優君は神様が連れていく対象外だってこと。だいたい、私たち三人とも外だけじゃなくて家の中でも誰かに見られてるんだよ? 優君を虐めてた奴らだって、普通の学生なんだし、そんなことできないよね」


 まるで聞き分けのない子供を諭すような恵里香の声色。


 言っていることも辻褄が合うような気がしてならない。


 もし恵里香の言う通りなら、僕だけが……。


「だから私たちだけが神様に見られてるんじゃないかな。翔也君の次に連れて行く人を誰にするか決めてるのかも……私たち三人の中からね」


 恵里香は自分の考えを怖がるかのように手を強く握りしめていた。


 一真と神奈が複雑な顔で僕を見ている。


 僕はたまらず目をそらした。


 今でも神様なんて関係ないと思ってはいる。虐めの主犯のせいだって考える方が絶対に現実的だからだ。


 けれど、段々とそう主張する自信が僕にはなくなってきていた。


 認めたくはないけれど、もし神様なんてものがいるとして、本当に僕たちを連れて行こうとしているのなら、恵里香の言う通り僕だけが仲間外れになってしまう。


 鬼をしていた僕だけが安全圏にいるのだから。


「神様なんて、いるわけないよ」


 力強く否定したいのに、僕の声は皆よりも震えてしまっていた。




 休み時間。


 僕は翔也の死体を発見した場所に一人で向かっていた。


 学校にはまだ警察も来ていて、捜査の邪魔になるからと教師からは現場に近づかないように言われている。


 それでも今起きているよく分からないことを少しでも解決したくて、居ても立っても居られなかったのだ。


 翔也を見つけた現場に行ったところで何もできることがないのは分かっている。ただそれでも憔悴していく幼馴染たちのために何かしたかった。


 僕は神奈が心ここにあらずでいるうちに教室を抜け出した。


 初めは屋上に行くつもりだった。そこに何か残されているかもしれないと思ったからだ。


 けれどそんな重要な現場に立ち入れるわけもなく、屋上へ入り口には当然のように警官が立っていて流石に入り込めそうになかった。だから翔也を見つけた場所に向かったのだ。


 意外にも現場の近くまではすんなりと行くことができた。


 さすがに近くには立ち入り禁止のテープが貼られていたけれど、校舎の陰から充分に現場が見えるくらいには近づけた。


 現場には制服を着た数人の警官と、スーツ姿の人物がいるのが見えた。


 スーツの人物も警察の人間なのだろう。制服の警官を指揮しているところを見るに、それなりに役職が上の人物のようだ。もしかしたら現場の指揮官かもしれない。


「……に……自殺だな……あぁ……撤収……いいだろ……」


 コソコソと様子を伺っていた時、微かに聞こえてきたその会話に驚き、僕はたまらず飛び出しいた。


「あの! すいません!」

「ん? キミ! ここは立ち入り禁止だぞ! すぐに戻りなさい!」


 テープを潜るまえに制服の警官が立ちはだかった。


 最初から無理やり突破するつもりなんてない。少しでも話しが聞ければそれでいい。僕はなるべく大きな声でスーツの警官に向かって話しかけた。


「あの、僕は第一発見者で! 翔也の友達なんです! 今自殺って聞こえたんですけど!」

「コラ! 静かにしないか! 現場付近には近づかないように言われているはずだぞ!」


 立ちふさがっていた警官に腕を掴まれる。


 流石に大柄なだけあってとても抵抗できるような力ではなかった。


 なすすべもなく離れたところまで連行されそうになった時、


「あぁちょっと待ってくれ、その子から少し話しを聞きたい」


 天が味方してくれたのかただの気まぐれか、スーツ姿の警官の方が向こうからやって来てくれたのだった。

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