第44話 四人目
「もしもし! 恵里香!」
すぐに着信を取り、夜中である事も忘れて大声で呼びかけた。
『……』
「恵里香? 恵里香!!」
返事がない。
嫌な想像が現実になってしまいそうで、焦りが募る。
「恵里香! 返事をして!」
『……ッ……け、て』
「恵里香⁉」
『……たす、け、て』
その言葉が聞こえた瞬間、疲れ切った身体に鞭を打って僕は立ち上がっていた。
恵里香はまだ生きている。
もう大切なものを失いたくない。
「すぐ行くから! 今どこにいるの⁉」
『じ……ん、じゃ……』
かすかな返答が聞こえてすぐ、電話は唐突に切れてしまった。
途切れ途切れで聞き取りづらかった恵里香の声は、それでも確かに『神社』と言っていたように聞こえた。
神社なんていくつもあるけれど、どこの神社に行けばいいのかそれくらいは何となく分かる。
あの山奥の寂れた神社だ。
僕たちが身代わりかくれんぼをした場所。
言いつけを破って、かくれんぼをしてしまった場所。
ガマズミ様が祀られている神社だ。
神社までは住宅街を抜けて山道を進まなければならない。脚はもうとっくに限界超えてていて少し震えている。それでも僕は走った。
一秒でも早く神社に行かなければ、大切な幼馴染を全員失ってしまうかもしれないのだ。僕はもう三人もガマズミ様に連れていかれてしまった。
残っているのはあと一人だ。弱音を吐いている場合じゃない。
恵里香だけ、もう僕には恵里香しかいない。
ガマズミ様に渡したくない。
余計なことは考えずその一心でひたすらに走るけれど、住宅街を抜けて山道に入った頃には、電話を受けてからもう何十分と経ってしまっていただろう。
もう手遅れだと心の中の自分が冷ややかな視線を向けてきて、正論に心が折れそうになる。
それでも絶対に諦めないでただ足を前に進めた。
もう身体に力が入らず、平衡感覚も保てないくらいにフラついていた。
酔っ払いのようにフラフラと左右に蛇行しながら山道を進む。
その頃には目がチカチカして視界が狭くなっていた。
酷使した肺が痛みを訴えてきて口の中で血の味がする。
満身創痍。その言葉がぴったりな状態で、それでも僕はなんとか神社に辿り着いた。
手を付きながら四つん這いで石段を登り、やっとの思いで境内に入る。
昼間とは正反対の真っ暗な境内は酷く不気味だった。
スマホのライトで辺りを照らすが、見える範囲に恵里香の姿はない。
「ぇ……えり、か」
大きな声を出したつもりだったのに、かすれたような小声しか出なかった。
当然のように返事はない。僕の声が小さすぎたせいだと無理やり思い込む。
もう一度呼びかけようとして、どうやっても声が出なくて諦めた。
咳込みながら足を引きずって境内を探し回る。
「恵里香……お願い」
探している間、僕の頭の中では絶えず恵里香との思い出が再生されていた。
一緒にいて楽しかった日々、恵里香の柔らかい笑顔。それがまるでお別れの儀式みたいで、縁起の悪い回想を何度も自分で断ち切った。
境内をしらみつぶしに端から端まで見ていくけれど、それでも恵里香を見つけられない。
涙で顔をぐしゃぐしゃにしながら、それでも諦めずに境内を歩き回る。
そうしているうちに僕は、なんだか前にもこんな事があったなぁと軽く現実逃避をしていたらしい。
気が付けば懐かしい思い出の中にいた。
小さい頃の僕たちは神様を見てみようという一真の発案で、神社ではしてはいけないと言われていた『かくれんぼ』をした。
鬼をしていた僕は三人をすぐに見つけたけれど、最後の一人、恵里香だけはどうしても見つけられなかった。
あの時の記憶が鮮明によみがえって来る。
あまりにも見つからない恵里香に、初めは見ていただけの三人も一緒になって探し始めた。
それでも恵里香は見つからない。
何時間も経って日が傾いてくる頃、境内の外まで探した僕たちには、すっかりと探すところもなくなっていた。
三人は恵里香が飽きて先に帰ったのではないかと言い出す。
今のお淑やかな恵里香しか知らない人には想像も出来ないだろうけど、あの頃の恵里香はやんちゃで、見た目も性格も男の子みたいだった。
なよなよしていた僕とは馬が合わなくて、恵里香から揶揄われることなんて珍しくなかった。
恵里香は僕に男らしくないとか、一緒に遊んでもつまらないとか、とにかく厳しい言葉をよく言ってきてあまりいい感情は持っていなかったように思う。
だからきっと、鬼の僕を残して先に帰ってしまったのかもしれない。三人はそう考えて納得し、恵里香を探すのを止めて帰ってしまった。
そうだった。
思い出した。
だから僕は、一人で泣きながら恵里香を探したんだった。
正直に言えば、三人の言う通り恵里香は先に帰ったのかもしれないと僕も思った。
それでも、もしまだ隠れていたらと思うと勝手に帰るのは気が引けた。
僕は何も決断する事ができずに、泣きながら恵里香を呼び、探し回った。
結局、あの時は社殿の床下で眠っていた恵里香を見つけることができた。
恵里香を見つけた瞬間。やっと見つけられたという達成感と、帰らないで探してよかったという安堵で僕はその場にへたり込んだ。
ただ何時間も見つけられなかった事で、恵里香に文句を言われるだろうということだけは覚悟していた。
けれどそんな想像とは違って、目を開けた恵里香は「やっと見つけてくれた!」と満面の笑みで抱き着いてきた。
僕にとってそれは本当に予想外の出来事で、その時初めて恵里香に女の子らしさを感じてドキドキしたはずなのに、そんな事まですっかりと忘れていたのが不思議なくらいだった。
あれ以来、恵里香は変わってどんどん女の子らしくなっていき、僕にもすごく優しくなった。
それはきっと諦めなかったから恵里香に認めてもらえたということだ。
だから今も諦めるわけにはいかない。
あの時の記憶を急に思い出したのには何か意味があるような気がして、僕は這いつくばって社殿の床下をライトで照らした。
昔、恵里香を見つけた場所。
まだ小さくて、男の子みたいだった恵里香が静かに寝ていた場所。
そこに――
――人が落ちていた。
ピクリとも動かず横たわっているその人物が誰かはすぐに分かった。
間違えようもない。
恵里香だ。
まったく動かない恵里香を見て何も考えられなくなる。
顔は見えない。
すぐに近づきたい気持ちと、確認したくない気持ちがせめぎ合う。
心の中で決着が付かないまま、それでも僕は這って床下に入り込んだ。
だんだん近づくと恵里香の身体には目立った傷や血が出ていない事が分かったけれど、それでも安心はまったくできない。
すぐ近くまで近づいて、恐る恐る恵里香に声をかけた。
「恵里香?」
「……」
呼びかけにはまったく反応がない。
額から汗が流れてくる。
「恵里香、起きて!」
少し声を上げて身体をゆする。
「起きてよ恵里香! お願いだから起きて! 僕を一人にしないで!!」
僕は必死だった。
恵里香がどこか怪我をしているのなら、あまり動かなさない方がいいのかもしれない。
けれど、そんな事を気にしている余裕はどこにもなかった。
ほとんど叫ぶようにして恵里香の名前を呼び、これでもかというくらいに身体を揺さぶり続ける。
正直に言えば、僕は心のどこかで諦めていたのかもしれない。
だって立て続けに二人の幼馴染が死んでいたのだ。どちらも僕は間に合わなかった。恵里香も、もう目を開けてくれないかもしれないと思い込んでしまっても仕方ないことだと思う。
「……ぅ……ゆう、くん?」
だからその声が聞こえた時、僕はまず自分の耳を疑っていた。
けれど目の前で恵里香が薄っすらと目を開けてくれて、それを見た瞬間に僕は恵里香を抱きしめていた。
「恵里香! よかった……」
「優、君……ちょっと、いたい」
普段の僕だったら慌てて恵里香から離れていたと思う。
けれど今だけは恵里香を離したくなかった。
せっかくこの手に取り戻した大切な幼馴染をもう誰にも奪われないように、抱きしめる腕にもっと力を込める。
「よかった。本当によかった」
「優君? 泣いてるの?」
「ごめん……ちょっとだけ、嬉しくて」
頭に心地よい感触を感じる。
恵里香がゆっくりと撫でてくれているみたいだった。
神奈や一真に触った時とは違う。
ひんやりとはしているけれど、ちゃんと動いているその手が愛おしい。
流石に泣き顔は見られたくなくて恵里香の肩に顔を埋めた。
その瞬間、急激に意識が遠くなっていくような気がした。
尋常じゃない疲れと恵里香を見つけた事の安心感で、一気に緊張がほぐれたのかもしれない。
撫でてくれる恵里香の手の心地よさがさらに微睡みを促してくる。
「ごめんね。また、優君に見つけてもらっちゃったね」
「いいんだよ……無事ならそれで、僕が何度だって探すから」
話しかけてくる恵里香に何とか返事をするけれど、段々自分でも何を言っているのか分からなくなってきた。僕も限界が近いのかもしれない。
「本当?」
「うん」
「いつでも私だけを探してくれる?」
「うん」
「ずっと私だけを見てくれる?」
「……うん」
「これからも私だけと一緒にいてくれる?」
「…………うん」
「だってもう私しかいないものね」
恵里香じゃない。
瞬間的にそう悟った時、僕はすぐに距離を取ろうとした。
けれど、それは出来なかった。
逆に恵里香に抱きしめられて、その白くて細い腕のどこにそんな力があるのかと思うくらいの恐怖すら感じるほど締め上げられる。
肺からすべての空気がなくなって声も出せない。
呼吸が出来なくて苦しい。意識がもうろうとしてきて視界が暗くなっていく。
次第にぼやけていく意識の中で、僕は自分を締め上げているモノを見た。
かすかに見えたのは、優雅な微笑みを浮かべる口元だけ、それだけ見て、僕は意識を手放した。
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