第43話 三人目②


 悲痛な叫びだった。その声は紛れもなく一真のもので、その後は慟哭と大きな物音だけが続き、そのまま電話は切れてしまった。


 いったい今、何が起きているのだろうか。


 脳の処理能力はとっくに限界を超えていて、僕はどうにかなりそうだった。


 神奈は僕の目の前で死んでいる。


 恵里香は行方不明のまま。


 そして今、一真からは助けを求める電話がかかってきた。


 もう僕一人で消化できる状況をはるかに超えてしまっていて、今から何をするべきなのか考えがまとまらない。


 冷静に、なるべく冷静になるべきだ。


 そう考えてまずは深呼吸をする事にした。どんな時でも落ち着くときには深呼吸をするイメージがあったからだ。


 すぐに肺いっぱいに空気を吸い込むと、部屋に漂う死の香も吸い込んでしまって吐き気がした。


 失礼にならないように神奈から顔を背けてせき込む。


 幸い神奈が気にすることはなかった。


 僕はそのまま深呼吸を続けて、今するべき事を順番に整理していく。


 まずは神奈に布団をかけてあげることにした。いくら真夏の夜でもタオルくらいはかけていた方がいいとネットで見たのを思い出したからだ。


 恵里香には悪いと思いつつ、ベットの端にたたまれていたタオルを神奈にかけ、見開かれたまま目をそっと閉じてあげると、少しは表情が安らかになったような気がして僕は満足した。


 次は恵里香か一真だ。


 緊急性が高いのはどちらかといえば一真の方かもしれない。


 恵里香も行方不明になってから時間が経っているけれど、直接助けを乞う連絡をしてきた一真の方が現在は危険な状況にさらされているだろう。すぐに戻らなければ今度は一真が危ない。


「神奈はここにいてね」


 寝ている神奈に一声だけかけて部屋を出る。


 一応他の部屋も目を通したけれど、恵里香はこの家の中にはいないようだった。


 それだけを確認して、あとは必死になって走って来たばかりの道を逆走する。


 五分かもう少しながいくらいの全力疾走だ。


 誰も見ていない中、長距離走をしている自分が何の意味もないような事をしている気がしてきて、虚しさがこみ上げて来る。


 それでも急がないと今度は一真が危ない。


 走り出してすぐに足が重くなってきた。来た時の疲れを一度実感してしまうと、急激に苦しくなってくる。


 それでも足は止めない。こんなに必死になって走ったのは、部活をしていた時以来……いや、初めてかもしれない。僕は人生で一番気合を入れて走り続けた。


 それでも気合だけではどうにもならない事もある。


 行きの時間の倍はかかっていそうなくらいの時間をかけて、もはや歩いている速度しか出せなくなった頃、ようやくマンションが見えて来た。


 ここまで戻って来る間、相変わらず人には一度も会っていない。


 覚束ない足取りでマンションに入る。


 流石に限界を迎えて一度立ち止まり、エレベーターに視線を向けた。


 待っていたように、丁度エントランスに止まっているエレベーター。乗ればどれほど楽だろうか。それでも僕は階段を駆け上がることにした。


 一段飛ばしで階段を上がり、肺が痛いのを我慢して五階にある自分の部屋まで駆ける。


 鍵を開けようと寄りかかるように手をかけたドアが何故か開き、僕は危なく転びそうになった。


 どうして鍵がかかっていないのだろう。


 そんな疑問も、奥に見える窓が開いているのが見えた瞬間には霧散していた。


「……うそでしょ?」


 予想もしていなかった光景は、脳の処理能力を超えている。


 訳も分からぬまま、部屋に上がり、開いている窓からベランダに出た。


 恵里香の家の時とは違い、もう物音には注意する余裕もない。


 僕が玄関を開けた時、それなりの音が出たはずなのに、一真が僕の前に姿を現すことはなかった。


 強烈に漂ってくる嫌な予感にひきつけられて、ベランダの下を覗き込む。


 その瞬間に、僕はまた部屋を飛び出していた。


 上ってきたばかりの階段を駆け下りて、マンションの裏手に回る。


 そこには上から見えた何かが落ちていた。


 その何かには見覚えがある。


 ごく最近みたばかり、記憶に焼き付いて離れないそれは、翔也の飛び降り死体だ。


 それとそっくりなものがまた落ちていた。


 あたりの壁に赤い液体が飛び散っている。


 うつ伏せになっているそれの背中には、見せつけるかのように形代が貼り付けてあった。


 異様な空気を放つ形代だが、今はそれほそ気にならない。


 死体そのもの方が僕にとっては重要だった。


 たぶん顔面が潰れてしまっているのだろう。たとえひっくり返したとしても、顔ではもう誰かも判別できないだろうその死体。


 それでも、それが誰かなんてすぐに分かった。


 どうしてかと言われたら、それは髪の毛とか着てる服とか、これが誰かを判断する要素は沢山ある。


 上を見上げれば丁度僕の部屋のベランダから真っすぐに落ちて来たのだろうことが分かった。


 つまり今ある全ての要素が、この死体が一真だった事を証明していた。


「ぅ、嘘だ。そんなはずない。だって部屋には御札が貼ってあったはずなのに」


 受け入れたくない。


 さっき神奈の死体を見たばかりなのに、どうしてすぐに一真の死体まで落ちているのかまったく意味が分からない。


「一真?」


 肩を揺さぶるっても当然返事はない。


 当たり前だ。


 死んでるから。


 力が入らなくなって僕は膝から崩れ落ちた。


 身体を折り曲げて小さくなり、どうしてこんな事になってしまったのかと考える。


 僕たちは解決策を見つけたはずだった。


 御札を貼って二日間外に出なければ、ガマズミ様、つまり神様が連れて行くのを諦めてくれる。その筈だったのに……。


 御札が本当は意味のないものだったのか。それとも神奈と同じく一真も自分からドアや窓をあけてしまったのだろうか。


 見ていなかった僕に真相は分からない。


 分かっているのは神奈と一真が死んだということだけ。


 僕はまた失った。


 四人の幼馴染はもう一人しか残っていない。


 その一人も連絡が付かないままだ。


 もしかしたらもう……そんな想像が止められなくて、一人になってしまったようなとてつもない孤独感に襲われた。


 怖い。


 一人は嫌だ。


 恐怖に負けて丸くなり、そのまま芋虫のように這って一真にくっついた。


 死んでからまだそれほど時間が経っていないのだろう。神奈よりは少しだけ温かさを感じたけれど、一真も僕に安心感はくれなかった。




 どのくらいそうしていただろうか。体感的には一瞬だったと思う。


 不意に何かの音が鳴り響いた。


 働かない頭が、それが何の音かを理解した瞬間、僕はスマホを取り出していた。



 着信は恵里香からだった。

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