第2話 理不尽な現実


 教室の窓から見える空は久しぶりの快晴だった。


 七月になり夏が間近に来ている気配がそこかしこからしてくる中、残念ながらまだ梅雨は明けきっていない。


 今日の晴天は中休みのようなものなのだろう。


 あまり出てこれなかった不満を爆発させるように輝いている太陽は、久しぶりに見るからかいつもより輝いて見えた。


 僕は自分が天気に影響される方だということを自覚している。


 晴れている日はなんだか元気な気がして無駄に外に出たくなるし、曇りや雨の日はどことなく身体が重くて眠気がなかなかとれない。


 単純に気分の問題なのかもしれないけれど自分にそんな傾向があることは知っていた。


 その法則にのっとれば快晴の今日は元気はつらつと気分が高揚している……となるはずなのに、今の僕の心は陰鬱とした雲に覆われている。


 学校に登校してきてもう十分以上は軽く経過しているけれど、僕はまだ誰とも会話をしていない。


 会話どころか軽い挨拶すらしていないし、なんなら誰とも視線すら合わせていない。


 窓際の一番後ろにある自分の席に座って以来、僕がずっと窓から外を眺めているのは教室の中を見るのが怖いからだ。


 正確に言うなら、教室にいる他のクラスメイトたちを見るのが怖かった。


 登校してきた時、僕の机には『最悪の戦犯! 下野しもつけ優人ゆうと惨状!』とデカい文字で僕の名前が書かれていた。


 他にも『お荷物優人』『お前のせいだ!!』などなど罵倒が盛りだくさん。


 他にも泣いているような気持ち悪い似顔絵もあった。きっと僕の似顔絵だろう。


 一応消しゴムを取り出してこすってみると落書きは予想外にも消えてくれた。


 証拠を隠滅できるように消えるもので書いたのだろうか。それでも沢山の落書きを全て消すのは結構な労働だった。


 必死になって消しゴムで机をこすっていると半分程消したところで周りから笑い声が聞こえてくる。


 楽しそうなものではない。コソコソとした喩えようもなく不快な声だ。


 クスクスと漏れるような笑い声が僕を囲むように教室中から聞こえてくる。


 自分が笑われているのだということを一度自覚してしまうと、僕は顔が熱くなってくるのを止めることはできなかった。


 机の落書きを消すという当たり前の事をしているはずなのに、どうしてか羞恥心が湧き上がってくる。


 僕は机の落書きだけに集中して一心不乱になって消しゴムでこすり続けた。その瞬間だけは集中できる落書きに感謝したくなった。


 会話はおろか目線すら合わせられないクラスメイトたち。


 机に書かれた落書き。


 嘲笑うような声。


 その全てが物語っている通り、僕はクラス中から仲間外れにされている。


 もっと正確に言うならば、虐められている。


 別に小さい頃からずっと虐められているというわけじゃない。


 こうなったのは少し前からで、原因にもある程度の予想はついていた。


 僕は今高校三年生。高校最後の一年を過ごしている。


 この一年にある行事は、当然のことだが全て高校生活最後のものになる。


 試験、行事、そして部活もその一つ。


 先月、大抵の部活動で三年生にとっては最後になる大会が行われた。


 僕の所属していたテニス部も例外ではなく、部員全員でその大会に臨んだ。僕は補欠だったけれど……。


 うちの学校のテニス部はそこまで実績があるわけではないけれど、今年は少し学内で注目されていた。


 正確に言うと部員のある一人が皆から応援されていた。


 カッコよくて実力もある学校中の人気者。そのエースがいるからこそ、いくつもある部の中の一つでしかないテニス部が例年よりも脚光を浴びていたのだ。


 この人の実力なら、この人がいるなら県大会で終わるはずがない。その上を充分に狙うことが出来る。


 そんなふうに男女問わず応援されていたし、先生たちからも期待されていたらしかった。



 そしてその期待を、僕が全部台無しにした。


 エースの活躍もあり順調に団体戦で勝ち上がっていた僕たちテニス部は、県大会の準々決勝にまでコマを進めていた。


 例年通りなら一、二回戦で敗退していたことを考えると、それだけでもうちの部にしては充分な快進撃で、皆の士気も異様なほどに高まっていた。


 けれど、そこで事故が起きた。


 団体戦メンバーの一人が怪我をしてしまったのだ。


 その交代要員としてコートに立つことになったのが補欠で登録されていた僕だ。


 これまでずっと補欠として試合には一度も出たことがなかった僕に、最も重要な局面で出番が回って来たのだ。


 テニスの団体戦は三本勝負で先に二勝した方が勝ち。一つは負けてしまったけれど、強豪相手にも実力を発揮したエースが勝利を収めた。


 どちらも譲らぬ手に汗握る名勝負。見ている観客は興奮していて、部員たちも皆が闘争心に溢れていた。


 僕だけは違った。


 いつもならここで最後のメンバーに試合が託されていたのだが、急遽その役目を任された。


 自分が負けてしまえば全てが終わり。


 そんな感じたこともない極限のプレッシャーに、僕はまったく抗うことができなかった。


 手が震えてラケットを持っている感覚すらあまり感じられなかった。


 結果、強豪校の相手選手に手も足も出ず無様にストレート負け。


 初めの頃は大きな声で応援してくれていたチームメイト達が、後半はすっかりと俯いてしまい、コートの外で頭を抱えていた姿は今でもはっきりと思い出せる。


 部が敗退したのは僕のせいだ。


 負けた原因ははっきりしている。いつも控えで皆の応援をしていただけの僕には荷が重すぎた。


 いつものメンバーがそろっていれば、もしくは結果は変わっていたかもしれない。皆にはそれくらいの気迫があった。


 それからだった。あの大会から少しして僕を取り巻く状況は変わってしまった。


 初めは気のせいだと思っていた。けれど、すぐに気のせいではないと実感することになった。


 誰に話しかけても距離をとられ、周りからは馬鹿にするような笑い声が響いてくれば、自分がどんな状況におかれているかはすぐに察することができた。


 初めに思ったのは、過剰すぎるということ。


 部が敗退したのは僕のせいだということはもちろん認めている。


 けれど部活の仲間からならいざ知らず、どうしてクラスメイト達からもこんな扱いを受けなければならないのかは、正直意味が分からなかった。


 しかもそれだけでは終わらなかった。いつしか僕は学校のどこにいても後ろ指を指されるようになっていた。


 いくら部が注目されていたからと言って、ここまで目の敵にされるとは思ってもいなかった。


 何の関係があってこんな事をしてくるのかと問いただしてやろうかと何度も考えた。部活のことなんて関係なく、単に誰かを貶したいだけなのではないかと思えてくる。


 今までなんの関りもなかったような人からさえ後ろ指を指される日々。


 正直学校に行くだけでも辛くなった。


 僕は別に何事にも動じない鋼のようなメンタルを持っているわけじゃないし、どんな逆境にも負けないような強い闘争心もない。


 本当ならもっと前に学校に来る事を止めていたと思う。


 でもそうはならなかった。この通り僕はまだ学校に来ている。


 それは何故か、誰のおかげなのかと言われたら、それはひとえに僕の大切な幼馴染たちのおかげだ。


 皆とはもう十年以上の付き合いになる。


 幼馴染たちは学校中から目の敵にされている僕の傍に寄り添ってくれた。それだけで何にも負けないと思えるくらい心強かった。


「お~す! 優人~!」


クラスメイトたちを意識しないよう必死に窓の外を眺めていると、明るい幼馴染の声が僕の耳朶じだを打った。

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