第30話 魔女様、王子と仲直りする

 アンソニー王子を幼年組から救い出した勇者はマーラ様だった。


「ほらほら、チェルシーの大事なお客様ざます。ほらチェルシー、惚けてないで。あなたのお客様なのだからきちんと私の家まで案内するざます」


 マーラ様に指示され、内心どんな顔をしてアンソニー王子と向かい合えはいいのか私は激しく悩んだ。出来たら回れ右をして逃げ出したいくらいだ。

 けれど魔法ありきで成り立つこの森は、魔法が使えないアンソニー王子だけでは木の上に存在するマーラ様の、一際大きなツリーハウスに足を運ぶ事は出来ない。


「ほら、早く行くニャ」


 ルドに急かされ、私は気まずいながらもアンソニー王子を箒の後ろに乗せる事にする。


「魔女の森ってにぎやかですね」

「……うん。乗って」


 私は何となくどうしたらいいかわからず、無愛想な顔で箒の後ろにアンソニー王子を乗せる。そしてみんなが興味津々といった視線を向ける中、私はマーラ様のツリーハウスへアンソニー王子を案内したのであった。


 そしてマーラ様はと言うと。


「結婚式まで日がないわ。とにかく早急に仲直りするざます」


 屋敷の応接間を貸してくれただけで、後は二人で何とかしろとばかり部屋を出て行ってしまった。


 残された私はひたすら気まずく、マーラ様が用意してくれた紅茶をグビグビと飲んで居た堪れない気持ちを緩和する。勿論向かい側のソファーに座るアンソニー王子をチラチラうかがいながら。


「昨日は申し訳ないと、深く反省しています」


 アンソニー王子が耐えかねた様子で私に頭を下げてくれた。だけどよくよく考えてみたら、悪いのはアンソニー王子だけではない。


「私こそ魔女の癖にピクシーの魔法に惑わされちゃって、本当にごめんなさい」


 さっきまではどんな顔をして会えばなどと不安に思っていた。けれどアンソニー王子が先陣を切り素直に謝ってくれた事で、意地っぱりな私も自然に謝罪を口にできた。


 ようやく私はどこか居心地の悪い緊張感から解放される。


「僕とアンデル国に戻ってくれますか?」

「私でいいんですか?」

「魔女様、あなたがいいんです」

「私だって、アンソニー王子がいいわ」

「じゃ、仲直りですね」

「うん」


 私達はお互い照れた笑みを返し合う。

 そして私達はあっさり仲直りをした。


「花はちゃんと届きましたか?」

「うん。届いた。でも何であんなに何個も送ってきたの?」


 私は定期便の如く二時間おきに送られてきた、ディアスキアの鉢植えを脳裏に浮かべ尋ねた。


「昨日王城に帰宅したら何故か急に色々と思い出して、それでどうしていいかわからなくて。だから謝罪を込め花を送ったんです。で、送ってみたものの、やっぱりまだあなたに伝えきれていないと思ってまた送って、それでまたって感じです。迷惑でしたよね。すみません」


 アンソニー王子は恥ずかしさを隠すようになのか、あいまいな笑みを浮かべた。


「嬉しかったわ。でも好きな人から最初に贈られた花が謝罪の意味を持つ花って、よくよく考えたら少し微妙だけど。でもま、花に罪はないものね」

「確かにそうでした。今度はもっと情熱的な花を贈らせて頂きます」

「記念日とか、そういう時だけでいいからね?」


 アンソニー王子の事だ。これから毎日情熱的な花言葉を意味するお花を私に贈りかねないと、私はきちんと釘を刺しておいた。


「了解です。でも記念日には必ず、もっと素敵な意味を込めた花を贈らせて頂きます」

「ありがとう」

「それにしても、魔女様はそのエプロンがとても似合っていらっしゃいますね」


 アンソニー王子がとろけるような甘い顔を私の胸元に向ける。私はそこに書かれた文字を見て、慌てて胸元を握りエプロンのロゴを隠した。


「あ、やだ。こ、これは仕方なく。今朝幼年組の朝食を配膳してたから。それでそのままみんなに拉致されて……って、嫌な気持ちにならないの?」


 私はおそるおそる尋ねる。個人的には推しの前で、推しのエプロンをつけるのは恥ずかしいし、居た堪れない。

 それに私が身につける事で、「あの子がファンなんだ」と神聖なる尊き推しのイメージを穢しやしないかと、密かに心配になる気持ちもある。


「嬉しいです。勿論魔女様が使ってくれているってのはあります。でもどんな人でもそのエプロンをしてくれているということは、僕を応援してくれているという事ですし、エルのエプロンを身につけられるよりはずっと嬉しいですよ」

「神か!!」


 やはり私はアンソニー王子推しで良かったと、この六年追いかけていて良かったと心底そう思った。


「それに僕もマニアの心理は、すごくわかりますし」

「それだ!!」


 アンソニー王子は私を推している。だからこそ、マニアの気持ちがわかる。つまり推しに推しがいて、理解ある推しが出来上がるという、とても良い循環になっているのである。


「アンソニー王子。これからもお互い推し事を頑張りましょうね」


 私は朗らかにそう宣言する。するとアンソニ王子は困惑したような顔を私に向けて、それから苦笑いをした。


「僕としては一人の男としてちゃんと見てほしいような気もします。けれど、魔女様が推し事を頑張る対象は僕なわけで。つまりそれってずっと僕を好きでいてくれるって事ですよね?」

「えーと、まぁ端的に言えばそういう事になるわね」

「じゃ、魔女様はそのまま僕をずっと追いかけていて下さい。僕も魔女様が好きですから、推し事を引き続き頑張ります」


 アンソニー王子はにっこり微笑んだ。

 しかし私はふと仮面パーティの現場を思い出し、何となく落ち着かない気持ちになる。ついでにアンソニー王子が私の抱き枕とやらを購入する姿を想像し、モゾモゾとした気分にも襲われた。


「……何だかとても恥ずかしい」

「ようやくわかってくれました?」

「うん。二人でいる時は推しへの情熱を隠す事にする。それで今までみたいに隠れて活動する事にするわ。それは許してくれる?」


 私にとって推し事は、既に生きる目的。ライフワークの一部に組み込まれている。だから今更辞める事は出来ない。


「勿論。僕も自分の趣味は続けます。けれど、こんな風に魔女様と過ごしている時は一般的な恋人同士でありたい。あ、でももうすぐ僕たちは結婚しますから、夫婦ですね」

「夫婦……」


 なんと甘い言葉だろうと、私はうっとりする。


「魔女様。またこうやって喧嘩をしてしまう事もあるかも知れない。でも仲直りする度、より一層強い絆で結ばれる、そんな二人になれるように僕は頑張ります」


 アンソニー王子がスッとソファーから立ち上がる。

 そして向かい側に座る私の元へ歩みよった。


「だから、僕と一緒に帰りましょう。魔女様の管轄地域、アンデル国に」


 スッと伸ばされるアンソニー王子の大きな手。

 ミニチュアシュナウザーみたいな可愛らしい顔とはちぐはぐな、努力家の証である剣だこが出来た大きな手。


 この手を握れば私は当分、この魔女の森には今度こそ簡単には帰宅出来ないだろう。それを寂しく思う気持ちはある。だけど一生の別れではないし、私はこれからもっと幸せになる為にアンソニ王子の手を、勇気を持って掴むのだ。


「そうね、私がいないとアンデル国と、それからアンソニー王子も困るものね」


 私はアンソニー王子の手を掴む。するとアンソニー王子はグイッと私の手を引き、私はあっという間にアンソニー王子の胸の中に抱きとめられてしまう。


「魔女様、仲直りのキスをしてもいいですか?」

「それはだめ」

「どうしてですか?」


 アンソニー王子が拗ねた声をあげる。


「それはね……」


 私は腰に下げたフォルダーから杖を取り出す。

 そして窓に向かって杖を振る。


「ラロワレア」


 すると部屋の窓に張り付くように覗き込む、ギャラリーと化した大勢の魔女の姿が現れた。


「うわ、覗かれてる!!」


 アンソニー王子が驚いた声をあげる。


「実は私達がこの部屋に来た時からずっとあんな調子なのよ」

「プライバシーは……」

「みんな家族だからね、この森にはそんなものないの」


 私は変わらぬみんなの好奇心に笑顔でアンソニー王子に魔女の森の常識を教えてあげた。


「うーん、これは早く帰らないと、僕の羞恥心が持たなそうだ」


 困惑した顔をしながらも、アンソニー王子は私をギュツと抱きしめたのであった。




 ★★★



「チェルシー姉様、今度こそ帰ってきちゃ駄目ですよ」

「姉様、帰って来ても家はないですからねーー」

「とにかく結婚式だけはして下さい!!」

「そうですよ、みんなで参加するんだから」

「お土産にアンデル焼き、買うって決めてるんで」

「もう帰って来ないでくださいねーー」


 ルドをフードの中に入れ、アンソニー王子を後ろに乗せ宙に浮き上がる私。

 そんな私に、地上にいる後輩魔女達が自己主張たっぷりな声をかけてくる。


「わかってる。それより遅刻しないでちゃんと来てよ」

「了解でーす」


 軽い返事に、あの子達は本当に大丈夫だろうかと私は不安になる。


「アンソニー王子、チェルシーをよろしくお願いしますね」


 箒に乗る私達を取り囲むように魔女友が並走しながら、私の後ろに乗るアンソニー王子に声をかける。


「任せて下さい。必ずチェルシーを幸せにします」

「うわーお熱いことで」

「付き合いたてなので」


 友人達に軽口を叩くアンソニー王子に私は口元を緩める。

 何だか夢みたいな状況だ。


「というか、やっぱり初めて会った気がしない」

「それはチェルシーの部屋にあったグッズのせいよ」

「上下左右、王子ばっかだったもんね」


 突然の暴露に私は焦る。


「ちょっと、ストップ。それ以上は守秘義務違反よ」

「はいはい」


 私は友人達をしっかりと睨みつけ、これ以上暴露するなと威嚇しておいた。


「チェルシー、おめでとう、あたしの占いの結果によると、あんたは必ず幸せになるよ。元気でね」


 占いがよくあたると評判。先日までお隣さんに住んでいた魔女がツリーハウスから私に大きな声をかけた。


「ありがとうございます!!」


 今までで一番素晴らしい占い結果に私は感謝の気持ちを込め、お礼を伝える。


「さてと、仕切り直しということで」

「そうだね」

「おめでとう、チェルシー!!」

「お幸せにね!!」

「子供が出来たら、絶対会わせてね」

「お幸せにっと」

「じゃーね!!」

「まったねー!!」


 既視感たっぷりな状況に私は慌てて後ろを振り返る。


「ちょっと、まさか!!」

「どうしたの?」


 間近に推しの顔があり、私は照れる。


 ではなくて。


「うわ、やられた」


 案の定、箒の穂先には前回同様伸びた紐にくくりつけられた無数のキャンディーが確認できた。祝福のおすそ分け、悪しき風習でしかない例のアレだ。


「やり直しニャ」

「うぅ、大変だったのに」


 私は前回キスまでの道のりが大変だった事を思い出し、思わずため息をついた。


「これ以上キャンディーをばら撒いたら、アンデル国のみんなが虫歯になっちゃう」

「ターゲットはすぐ後ろにいるニャ。今回は大丈夫ニャ」

「虫歯ですか?」


 キョトンとした顔のアンソニー王子。

 可愛いでしかない。


「何を何する呪いをまた掛けられちゃったんです」

「何を何……あぁ、箒からキャンディーがでる魔法ですね」

「王子は飲み込みが早いニャ。そのままキスするニャ」


 ローブから顔を出したルドが私の身を乗り出して私の唇を叩く。


「ん?猫殿は何と言っているのですか?」

「キスするニャ」

「えーと、唇のケアをしてくれているのよ」

「意気地なしニャ」

「痴女じゃあるまいし、言える訳ないじゃない」

「普段は十分その気ありの癖に」

「失礼ね!!」


 私は無駄口を叩くなとルドをフードの中にしまい込んだ。


「酷いニャ、使い魔虐待で訴えてやるニャ!!」


 ルドはフードから顔を出し怒った声をあげる。

 しかし私を痴女扱いした罰であると私はルドを無視した。


「魔女様、今回はあなたと喧嘩をしてしまいました。けれどそのお陰で魔女様の育った森を訪ねる事が出来て良かったです。魔女様の明るさの原点は、あの森なんですね」


 突然アンソニー王子がしんみりとした声で感慨深そうに、魔女の森の感想を漏らした。


 その声に誘発されるように私は今別れたばかりのにぎやかな魔女達を思い出す。


「そうね。みんな好きで魔女になったわけじゃないけど、わりと幸せに暮らしてる。あの森には仲間が沢山いるから」


 私は振り返り、遠くなった魔女の森をしっかりと目に焼き付ける。一生のお別れではない。そう思うのに、やっぱり何処か寂しい気持ちは拭いきれない。


 なんてセンチメンタルな気分に浸っていると、私同様後ろを振り返っていたアンソニー王子が、くるりと突然前を向いた。


 うっ、目がキラキラしてるし、近いし、いい匂い。


 私がしっかり腰を掴めと言ったせいか、思いの外アンソニー王子の顔が間近にあり、私は顔を赤く染める。


「恥ずかしいなら前を向けばいいニャ」

「で、でも、見ていたいような、恥ずかしいような、見ていたいような」

「どっちニャ!!」


 ルドに呆れられつつも、私はうっかりアンソニー王子の顔に見惚れる。


 だって大好きなんだもの。


「魔女様、誰も見ていないし、今なら仲直りのキスをしてもいいですか?」


 アンソニー王子は無邪気を装い、その実ドーベルマン感満載で私に許可を求めてきた。どうやら今回は魔女の森を出発して数分、呪いのキャンディーの魔法は簡単に解除できそうである。


「好きにしたらいいと思うわ」


 私は魔女っぽく偉そうに言って、しっかりと目を閉じた。


「魔女様、可愛い」


 アンソニー王子の浮かれた声がして、それからすぐに温かいぬくもりを唇に感じた。軽く触れるだけのキスは私の脳を幸せいっぱい、ピンク色に染め上げる。


「全く、盛りのついた猫ニャ」


 呆れたルドの声が風に乗って、私に届く。

 だけど、私は聞こえないフリをしてひとときの甘い時間に酔いしれたのであった。

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