第28話 魔女様、婚約破棄を受け入れる
不機嫌な様子のアンソニー王子に連れ出されたのは人気のない中庭。腕組みをしたアンソニー王子は無言で庭を照らす月を空を見上げている。
無言で月を見上げているだけでトレカの一枚になりそうなその姿は尊いし、何より目の周りを縁取る黒い仮面はダークなヒーロー感満載でたまらなくいいと、私は萌え死にしそうになる。
だがしかし、アンソニー王子は怒っている。
つまり私は推しの尊さに浸っている場合ではないということだ。
「そ、それにしても人がいませんね」
人っ子一人、姿が見えない中庭。
ここでこれから推しにしばかれるのだろうかと、私は不安になった。
推しにしばかれるのはいい。本望だ。
けれど時期が悪い。どうせなら結婚して、アンソニー王子の無防備なパジャマ姿をしかとこの目で確認してからしばかれたい。
万が一今日しばかれて婚約破棄をされたら、私はゴーストとなりこの世を永遠に彷徨い続けるであろう。
いわく、推しのパジャマ姿を求める哀れなゴーストとして。
「みんな物販に集まってるんだろう。まだ集会が始まって間もないし」
アンソニー王子が何気なく漏らした言葉。
私はニヤリと口元を歪ませる。
「アンソニー王子は物販に行かなくていいの?」
「僕はもうめぼしい物は購入したから」
「ふーん、購入したんだ。それって私のグッズ?」
不貞腐れた顔で腕組みをするアンソニー王子。
その不機嫌極まりない顔を、意味深な表情で覗き込む私。
「それは、まぁ色々と。というか、魔女様は何故このような場所にいらしたのですか?」
「それは、エミリーがイゴル関係でアンソニー王子とエルロンド王子が怪しいパーティに潜入捜査するっていうから」
私の理由を聞き、アンソニー王子が発していたプンプンとした気配が何となく和らいだのを感じた。
「魔女様、それは確実にエミリーナ嬢に騙されていますよ?」
「えっ、そうなの?」
「そもそもエルは今日元々エミリーナ嬢と慈善パーティに参加予定でしたし。それにエルには僕の行動を知られている。つまりあの二人に魔女様は仕組まれ、まんまとここにいらしたと。どうせ僕への嫌がらせだろうけど」
「そ、そうかな?」
「そうです。全く魔女様は仮面まで付けちゃって」
アンソニー王子はジッと私の顔。怪しい仮面に視線を向けた。
「その仮面についている羽の色って、僕の瞳の色?」
「うっ」
「そう言えばそのドレスの色も、エミリーナ嬢がいつも着ているような色だし」
「そ、それは全部エミリーが貸してくれたから」
「魔女様は僕の事が好きなんだよね?」
「大好きよ」
突然何を言い出すのかと思った。
しかし、考えるより先に本心が心から漏れ出した。
何度もアンソニーには好きと伝えた気もする。しかし聞かれたら答えない訳にはいかない。がしかし、この言葉は特別すぎて、口にするたび心に甘さと恥ずかしさが沸き起こるから困る。
私は赤く染まっているであろう頬を両手で隠す。
「僕は怒っています」
「えっ、何で?」
私は頬にこもる熱が一気に冷めた。
だって好きって言った。絶対伝えた。
それなのに、何で怒られなきゃいけないのだろうか。
まさかアンソニー王子は結婚を控え、マリッジブルーなのではと私は青ざめる。
「魔女様がこの国の平和を守って下さるみんなの魔女様であること。だからみんなに慕われている事は、この集会に参加した人の数の多さ、それにさっきご覧になられていた写真などを見れば僕にも理解できる」
「うん」
「本当は僕だけの魔女様でいて欲しいけれど、それは無理だ」
「そうね。私は指名を背負う魔女だから」
「けれど箒の後ろに乗せて貰えたこと。あの事は僕の中でとても大事な思い出なんです」
美しい顔を見事に歪めるアンソニー王子。私はそれを意外に思う。
だってアンソニー王子は私から見たら、多少犬っぽい所があるけれど模範的なとても素敵な王子様だ。それなのに今私に気持ちを吐き出すアンソニー王子はなんだか、嫉妬した普通の男の人っぽい。
「それなのに、ニコルをホイホイ僕達の思い出の箒に乗せようとするだなんて、魔女様は酷い」
「え、でも緊急時に箒に人を乗せる事はあるし」
「わかっています。けれど僕は嫌なんです」
アンソニー王子は珍しく声を荒げ、言い切ると私を拒絶するように、プイと横を向いてしまった。
もしかして、私の事を嫌いになったのだろうかと、私は更に青ざめる。
だけど私が魔女であることはどうしようもない事実だ。そして私がアンソニー王子を大好きだと思う気持ちも揺るぎない事実。
でもこうなってしまえばどっちかを切り捨てなくてはならないのだろうかと、私は究極の選択を前に絶望で目の前が真っ暗になる。
「すみません。僕がニコルに嫉妬しているだけなんです。僕はこんなんでも王子だから、常に寛大な心を持ち、国民の為に自分の気持ちは後回しにすべきだと、それは承知しています。でも本音の部分ではこの世界に僕と魔女様だけ存在すればいいと願うような男だし、僕が必要とされるのであれば魔女様の魔力が戻らなければいいのにと思ってしまう。そんな疚しい気持ちを抱く悪い人間なんですよ、僕は」
アンソニー王子が恥じたように、頼りなさげな小さな声で私に告げる。
少々重い気もするけれど、誰かを好きになると清廉潔白に見えるアンソニー王子みたいな人でも闇落ちしかけるらしい。
黒い仮面をつけた王子は何処かダークな感じで、吐き出した言葉と相まり、最高に格好良く私には見えた。
正義の味方もいいけれど、いい子ぶるだけでは得られないものも世の中には沢山ある。それが今まさに私の目の前にいるニューヒーロー。ダークなアンソニー王子なのである。
私の中で今までせき止めていた何かが崩壊したのを感じた。
「いいと思うわ。闇落ちしたって。ぶっちゃけ私だって魔女なんてやめて、推し事だけしていたいと思うもの。それに私だって王子はみんなの王子だって、何となくいい子ぶってたけど、そんなの嘘よ。気持ち悪いって思われたくないから口にしないだけで、心の奥底では同担拒否する気持ちが大きいし、アンソニー王子は私だけのものって思う気持ちを抱えてる。抱き枕だってちょっとくらい、いやらしくても、私はアンソニー王子の物なら欲しいわ」
いい子はやめた。
私の世界にはアンソニー王子がいればいい。
共に闇落ちしようと私は本音をぶちまける。
「魔女様って結構過激な僕のマニアだったんですね?」
何故か嬉しそうな表情を私に向けるアンソニー王子。
「あら、アンソニー王子だってスペースさえあれば、私の抱き枕を購入しようとしたでしょう?」
「そうですね」
アンソニー王子が私の抱き枕を購入しようとした事実を認めた。ギルティーだ。
普段ならば冷静になって咎めたいところ。けれど闇落ちしかけた今の私はそこまで愛されているのねと全力で前向き捉え、嬉しい気持ちが勝った。
「もうこうなったら二度と箒の後ろにはあなた以外乗せないし、川で溺れている人がいても助けない……よう努力するわ!!」
私はもうどうにでもなれという勢いでアンソニー王子に迫る。
「すき、すき大好き。だから結婚して下さい!!」
魔法を使えないただの私はアンソニー王子に捨てられたら生きていけない。
ネジが飛んだようになった私はアンソニー王子に猪突猛進。ガシッと抱きついて物理的に推しを捕獲した。
「ま、魔女様。愛が重くて嬉しいし、言い出したのは僕ですが……でもやっぱり嬉しいです」
アンソニー王子も私の体をギュッと抱きしめてくれた。
「魔女様、僕はあなたに相応しいでしょうか?」
「そんな馬鹿な事を聞かないで。私はあなた以外いらないわ」
私は今まで培った、人々に畏敬の念を抱かせるとても怖い魔女の笑みを王子に向ける。するとアンソニー王子はクスリと微笑んだ。
「やっぱり魔女様は可愛い。それに正義の味方です」
「そんな事ないわ。私はみんなを怖がらせる悪い魔女よ」
「でも今、嫉妬の海に飛び込んだ醜い僕を救ってくれた。だからやっぱり良い魔女だ」
「私もその嫉妬の海にあなたと一緒に身を投じたつもりなんだけど」
アンソニー王子と私の視線が絡み合う。
本当はお互い、背負う責任から逃げられない事もわかっている。
でもたまにはこうやって、悪い子ぶってみるのも悪くない。
「仮面をつけていると、何だか気持ちが大きくなりますね」
「わかる。私も結構恥ずかしい。でも嫉妬するあなたは素敵だったわ」
「僕が嫉妬するよう、魔女様が巧みに魔法をかけたのかも知れない」
意地悪なアンソニー王子。
だけどそんな所も尊い。
「失礼だわ。そんなことしないわよ」
「でも君は今、悪い魔女だろう?」
「あなただって悪い王子じゃない」
私達は自然と顔を近づける。
「このまま魔女様の魔力が戻りませんように」
「アンソニー王子がずっと闇落ちしたままでありますように」
私達はクスリと笑みを漏らし、それからどちらともなく顔を近づけた。
少しだけ冷えたアンソニー王子の唇が今度こそ本当に私の唇に振れる。
アンソニー王子とのキスは、不思議ととろける甘いキャンディーの味がして、私の心は一気に幸せな気分いっぱい、ピンク色に染まりあがった。
そして私は自分の体の中に一気に魔力が駆け巡るのを感じた。
「うわ、今ピリッってきた」
驚いた様子のアンソニー王子が私から身を剥がす。
「お陰様で魔力が戻ったみたい。見てて」
私はドレスの胸元に手を突っ込み、隠してあった杖を取り出した。
「そ、そんな所に」
アンソニー王子が上ずった声を出す。
「シャンターユ」
思いついた呪文を口にし私は杖を振る。
すると私とアンソニー王子の周囲にピクシー達の姿が浮かび上がった。
「ちぇっ、つまんない」
「君の魔法は全然だめじゃん」
「もっと嫉妬に狂って絶交するくらいじゃないと」
「というか、この二人ポジティブ過ぎない?」
「もう少し、愛憎劇を期待したのに」
「というかさ、僕いいこと思いついちゃった」
「何を?」
「だーかーらー」
突然現れたピクシー達は顔を突き合わせ、コソコソと内緒話に花を咲かせ始めた。
「ちょっと、見えてるけど」
私は腰に手を当て、ピクシー達を睨みつける。
「げっ、魔女様!!」
「魔力が戻ったの?」
「戻ったわよ。というか相変わらず悪さをしているのね?」
私は懲りないピクシー達に大きくため息をついた。
「でもまだ本調子じゃないっぽくない?」
「そうっぽい」
「じゃ、やってみる?」
「うん」
何だか嫌な予感がするなと身構えた瞬間。
私とアンソニー王子の体がピクシーの羽から溢れる虹色の粉に包まれた。
「やめなさい!!」
私は大きな声をあげる。
しかしピクシーの粉を吸い込んでしまい、その場でむせてしまう。
「魔女様、最後の試練、頑張って」
「真実の愛ってやつで」
「駄目なら離婚」
「結婚してないんだから離婚じゃないよ」
「あーじゃ何だ?」
「婚約破棄じゃないか」
「それだ!!」
ピクシー達の口から漏れる不穏な言葉。
「魔女様!!」
私は切羽詰まったような、アンソニー王子の声。
私は嫌な予感たっぷり、振り返る。
「誰にでも優しい魔女様にはうんざりだ。僕だけのものにならないのであれば、婚約は破棄する!!」
「支離滅裂です」
「スペース問題が何だ!!僕は王子だ。魔女様の抱き枕も購入してやる!!」
「えっ、それはちょっと嫌かも」
私は自分がアンソニー王子と結婚のち、自分の抱き枕を挟みアンソニー王子とベッドに寝転ぶ姿を想像し、全身に悪寒が走った。
「抱き枕の魔女様は僕だけのもの」
「リアルな私だってアンソニー王子のものよ?」
「君だって、僕の抱き枕を購入するんだろう?」
「そりゃ売ってたら、欲しくなるのがマニア魂というもの」
「最低だ」
「あなたがね?」
私が冷静に指摘すると、ピクシーの魔法にかけられたアンソニー王子は憤慨した様子で私をピシリと指差した。
「もう我慢ならない。婚約破棄だ!!」
「……勝手にすれば?私だって私の抱き枕と寝るような男の人はお断りよ!!」
「方向性の違いだな」
「えぇ、完全に明後日の方向を向いているわね」
「「ふんっ」」
私とアンソニー王子はプイと顔を逸した。
今思えばこの時の私は魔力が本調子ではなく、ピクシーの魔法に若干影響されてしまっていた。よって冷静に考える事が出来ない状態だった。
本来であればアンソニー王子と自分にかけられた魔法を解き、仲直りのキスでもしてめでたし、めでたしになるはずだったが、私は箒を迷わず召喚した。
「魔女の森に、実家に帰らせて頂きます」
「む、迎えになんていかないからな」
ぷんぷんと怒りながら箒に跨る私。
「何だ、魔力が戻った途端、修羅場ニャ?落ち着くニャ、マスター」
「ルド、丁度いいわ。迷惑をかけたわね。さ、帰るわよ!!」
「ピクシー、夜遊びは程々にするニャ。はぁ……」
深い溜息を吐き出すルドの背中を掴み、私は自分の胸の間にルドを押し込んだ。
「そ、そんな所に猫を隠すなんて、な、なんて破廉恥な!!」
「お世話になりましたッ!!」
私は久々箒に魔力を通し、一気に浮上。
緊急出動の如く、魔女の森に向かって箒を飛ばしたのであった。
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