第26話 魔女様、王子を襲う計画を立てる

 それからしばらく釣り糸を垂らしていたものの、やはりアンソニー王子は一匹も魚を釣ることが出来なかった。


「何か格好悪いよな。自分に腹が立つ」


 魚に馬鹿にされっぱなしで落ち込むアンソニー王子。


「でも私はトニーが魚釣りをするレアな所を見られたから、楽しかったわ」

「君は優しいな。そう言って貰えると救われる。お昼にしよっか」

「うん」


 私達は気分転換とばかり赤いチェックの布を地面に広げ昼食を取る事にした。


「外で食べやすいようにサンドイッチにしてもらったんだけど、チェルシーは嫌いなものとかある?」

「ないわ。あ、でも今は魚が嫌いになったかも」

「確かに」


 私達は見つめ合い、口を開けて大笑いした。


 王城で働くシェフ特製のサンドイッチはキュウリが新鮮でパリパリしていて美味しかった。

 

 美味しいサンドイッチを作る為には、挟んだ野菜の新鮮度が重要だと私は思っている。それをアンソニー王子に伝えると、王城の野菜が美味しい秘密を教えてくれた。


「王城で使われる野菜は王城内の畑で収穫されたものなんだ。だから新鮮。変な物を口にしないようにするという自衛の面が大きいけれど、結果美味しいからいいよね」

「そっか、トニーは王子だもんね。やっぱり命を狙われたりするの?」

「今は平和だけど、昔は色々あったみたい。その名残だろうな」


 何気なく聞かされた言葉。

 今は平和でもその地位を脅かそうとする人はいるかも知れない。

 問題はその敵がいつ何時現れるかわからないことだ。


「平和だからこそ、見えない敵に怯えなくちゃならないのね」


 だからこんなにも、アンソニー王子には近衛兵がつけられているのだ。


「やっぱり早く魔力を戻さないと」


 私がちゃんとアンソニー王子を守らなければいけないと、強くそう感じた瞬間。

 木々の合間を不自然な風が通り過ぎ、私が被っていた魔女のマストアイテム、三角帽が風に乗りふわりと宙を舞う。


「あっ!!」


 咄嗟に帽子をつかもうと手を伸ばした。けれど私の三角帽子は見事木の上に引っかかってしまった。


「あんなに高くちゃ届かないわ」


 私は立ち上がり、傍に立つ木の上を見上げる。


「普段は頭に張り付いたみたいに落ちないけど、それも魔法なの?」

「そうよ。飛ばない魔法が帽子にかけられているの。だけど今はほら、私は普通の人だから……。ってルドもいないし、魔法も使えない。石でも投げてみようかな」


 私はつい暗く沈む気持ちを払拭するように、足元の石を探す。


「僕が取るよ」

「お願い」

「任せて」


 アンソニー王子は私の隣に立つと、腰にまいた剣の鞘からスルリと剣を抜き去った。そして大きくジャンプをすると、剣先に帽子を上手くひっかけ、難なく私の帽子を木の上から取ってくれた。


「君には失礼かもだけど、チェルシーがこうやって僕に頼ってくれるのが嬉しい。だから魔力が戻らなくてもいいのになって、正直僕は我儘にもそう思ってしまう」


 アンソニー王子は剣を鞘に納めながら本音を漏らした。そして私の帽子についた葉っぱを払いながら、私に向き合う。


「きっとすぐにチェルシーには魔力が戻る。だけど魔力が戻っても僕を頼ってくれると嬉しい」


 アンソニー王子ははにかんだ笑みを向けると、私の頭に帽子を乗せた。


「あれ、チェルシー、顔が真っ赤だけど」

「トニーのやることなすこと全てがいちいち格好いいから悪いのよ」

「それって、僕の事を相当好きってことだよね」


 アンソニー王子はからかうように私にそう言うと、私の顔を覗き込んだ。

 もう完全に私はお手上げ。白旗を両手で振る状態だ。


「そうよ、わりと好き。ううん、本当は大好き」


 私は胸の中に湧き起こる気持ちを開放する。


「ようやく認めてくれたね」


 アンソニー王子が私の顎を指先でちょこんと上げる。

 新緑の中、紫色の瞳が獲物を見つけたかのように怪しく光る。


「でも残念。多分僕の方が君が好きだよ」


 今までで一番素敵な笑顔が私の顔に近づいて、私はその笑顔をまぶたの裏側に焼き付けながら目を閉じる。


 そしてアンソニー王子の唇が私のにちょこんと触れた。


「は?」


 思わず私はパチリと目を開ける。


「いや、ほら、何というか、こういうのには順番があるし」


 顔を赤く染め上げるアンソニー王子。

 照れた様子はミニチュアシュナウザーっぽくてとても可愛らしい。


 けれど違うのだよ、王子。

 場所が明らかに違うのだよ!!


「いや、いや、いや、今の雰囲気は完全に何を何するはずでしょう?というか同じ状況に陥ったら、百人中百人が期待するから!!」


 私は激しく抗議し、憤慨する。


「あれ?僕は君にキスをしましたよね?」

「おでこにですよね?」

「あれも立派にキスですよね?」

「そうなの?」


 堂々と主張され、私は自信がなくなる。

 確かにあれはキスかも知れないと思い始める。


 ということは。


「箒の呪いが解けてるかも!!やったー!!」


 私は達成感いっぱい大きくバンザイしたのであった。



 ★★★



 アンソニー王子と湖畔デートした翌日。

 私の魔力は戻らないまま。そして私は王城で私に与えられた貴賓室にエミリーを呼び出し、森での一件に関する愚痴をひたすら零していた。


「つまり箒が吐き出すキャンディーの呪いも解けないし、やっぱりおでこはキスに入らないと思うの」

「そうね、厳密にはキスだけれど、おでこは親愛っぽいわ。恋愛的にはやっぱり唇に欲しい所よね」

「でしょう?とは言え、まぁおでこでも死ぬほど嬉しかったんだけどね」

「わかるわ。その気持ち。私なんて未だに手袋越しに指先にキスされると、胸が高鳴るもの」

「そのシチュエーションもいいっ!!」


 私はエミリーの話を自分とアンソニー王子に置き換え想像し、身悶えた。


「でもあと数日で結婚式じゃない。きっとアンソニー殿下はその時まで大事に取っておこうと思っていらっしゃるのよ」

「その気持ちは嬉しいんだけど、呪いがかけられた箒から吐き出されるキャンディーの数が尋常じゃなくなってきて」


 今や部屋から大量のキャンディーが溢れ出さんばかりという状況なのである。


「それってマーラ様に魔法を解いてもらう事は出来ないの?」

「縁起が悪いから駄目だって」

「確かに、その気持は理解できるかも」

「まぁそうなんだけど」


 キャンディーが溢れ出そうとしている今、悠長にアンソニー王子からのキスを待っていられない状況なのである。


「やるしかないか」


 私は決意を込め呟く。ついでに膝の上に乗せた意思疎通が出来なくなってしまったルドの顎の下を撫でる。


「やるしかって。ルーシーがアンソニー殿下を襲うってこと?」

「そう。夜這いするしかないかも」

「よ、夜這い!?」


 エミリーが大袈裟に仰け反った。

 侯爵家令嬢の淑女の皮をここまで見事に剥げるのは、世界中どこを探したって、私しかいないであろう。


「推しの無防備なパジャマ姿も見られて一石二鳥かも知れないし」

「推しのパジャマ姿……それは確かに魅力的だわ。でもそれは最終手段にした方がいいわよ」

「どうして?」

「だって結婚後のお楽しみに取っておいた方が良くない?」

「なるほど!!」


 私は納得する。

 確かに推しの無防備なパジャマ姿は並大抵のファンではお目にかかれないとっておきだ。


 それにショートケーキの天辺に燦々さんさんと輝くいちごを最後に食べる派の私としては、やはり結婚後のお楽しみに取っておくにというエミリーの意見に一票でしかない。


「そう言えばエルロンド殿下に聞いたのだけど、明後日あの二人は怪しいパーティーに出席するっぽいわ」

「怪しいパーティ?」

「よくわからないけど、イゴルの不祥事によってビックス伯爵家の爵位が剥奪されるのが濃厚になったでしょう?」

「あー」


 私はエミリーの言葉でイゴルの存在を久々思い出した。


 奴は諸々の罪の他、畏敬の念を抱くべき国民的五つ星魔女である私を拐かした罪により現行犯逮捕された。


 その後。


『魔女様を殺しかけたんだ。イゴルにも同じ目に合わせたのち、市中引き回しの上、広場の噴水に磔。最後は国外追放に値すると思いますよ?』


 私の最愛、アンソニー王子は爽やかさな笑顔と共に、私に行き過ぎた今後の予定を聞かせてくれた。

 しかし私は流石にそれはやりすぎだ、冷静になって欲しいと説得。その結果もありイゴルは次の議会が開催されるまでヒックス伯領の屋敷に監禁予定になったと事後報告を受けていた。


 だから王都で開催されるようなパーティにイゴルが関わっているとは思えない。


「私はイゴル絡みでまだ何かあるのかな?と思うのだけど、エルロンド殿下は詳しく教えて下さらないの。だから余計に怪しくない?」

「怪しいけど、仕事の邪魔はしちゃダメじゃない?」


 前に私がオークションでイゴルを貶めた時のように、エルロンド王子とアンソニー王子で何か企んでいる可能性もある。だとしたら、たとえ怪しいパーティに参加したとしても魔法の使えない私や侯爵令嬢のエミリーは確実に足手まといにしかならない。


「でも仮面をつけたパーティらしいの」

「仮面!?」


 私は素直に驚きで目を丸くする。


「仮面をつけるってことは、偽りの姿で参加するって事でしょ?そんなの怪しいわ」

「そりゃそうだけど」


 どうやらエミリーは仕事ではなく、エルロンド王子が浮気でもしているのかと疑っているようだ。

 エミリーが大好きという雰囲気が漏れ出すあの王子が浮気などするはずもない。けれど周囲からは冷静にそう思えても、本人は大好きだから不安が募る。


 まさに恋心の厄介なところである。


「推しの仮面姿、見たくないの?」

「みたい」


 即答だ。

 だってそれはみたいでしかない。


「だったら私と行きましょう」

「えっ、エミリーも行くの?」

「当たり前でしょ。私も冒険したいもの」


 夢見る乙女の顔になるエミリー。

 すっかり忘れていたが、彼女は何を隠そう貴族の御令嬢でありながらロイヤルマニア。推し事に精を出す行動派の貴族令嬢なのである。


「私の魔法が使えないから、無茶はダメだよ?」


 エミリーの並外れた行動力を知る私は観念した。

 それに私も確かに仮面バージョンのアンソニー王子が気になるし。


「勿論、ルーシーから離れないわ」

「約束だからね?」

「必ず守る」


 やる気に満ちた返事。

 しかし魔力を失った私は不安でしかなかった。


「じゃ、ゆびきりしよう」

「わかった。破ったら……」

「迷わずエルロンド王子の写真集の顔に落書きするから」

「絶対、ルーシから離れない」


 こうして私はエミリーと指切りげんまんというオーソドックスな契約をし、二日目後に行われる仮面パーティとやらの準備に勤しんだのであった。

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