第25話 魔女様、王子とデートする

 鳥の声、木々のざわめき。

 王族が管理するという森に私は到着した。


「お疲れではないですか?」

「最高だったわ」


 主に推しの背中が。


「地上からの景色をお気に召して頂けたようで何よりです」

「まぁそうね。そっちも悪くはなかったわ」


 実際の所私は推しの背中に張り付く事を優先し、爽やかな香りと張った筋肉を堪能する変態と化していた。ルドがいたら、「こいつはだめニャ」などと呆れ果てる事であろう。

 

 今までルドとコンタクトが取れなくなった事を憂いでいた私。

 しかしこの時ばかりは、ルドに見られなくて良かったと、ルドの不在を有り難く思った。


 更に言えば、推しの背中のお陰で私はかなり精神的に満たされた気持ち満載だ。


 それに目の前に青々しく茂る若葉に、漂う澄んだ空気は何処か魔女の森を彷彿させ、私に安らぎを与えてくれている。


「魔女様、この道を少し先に進むと湖があるんです。行きましょう」


 アンソニー王子は決定事項とばかり、有無を言わさぬ勢いで私の手を引いた。


「アポロはいいの?」


 私は森の中にある獣道を歩きながら振り返る。

 すると森の入口にはここまで護衛としてついて来た近衛に手綱をひかれるアポロが隙きあらばといった感じで周辺の草をハムハム齧っている姿が見えた。


「アポロは休ませないといけませんので、森の入り口で他の馬と放牧させておきます」

「なるほど」

「それに彼らにアポロを預けておけば、魔女様とのデートを邪魔する近衛の数も減らせますしね」


 悪戯な顔を見えるアンソニー王子。

 確かにデートと言うわりに私達の周囲には、アンソニー王子を守るような感じで黒い騎士服姿の近衛が沢山配置されている。


「本当は魔女様と二人きりになりたくはあります。でも僕が城を出るとなると、こうなっちゃうんですよ。まぁ彼らも仕事ですから。空気だと思って無視して下さい」

「普段の私ならアンソニー王子の一人や二人くらい守れるけど、確かに今日は誰かに着いていて貰えるのは有り難いかも。とは言え何だか申し訳ない気分だけど」


 私は自分の不甲斐なさのために大勢の人を巻き込んでしまったと、やっぱり浮かない気分に陥る。


「魔女様……チェルシー。君はいつもみんなの為に頑張ってくれている。だから彼らだってこの任務を面倒だなんて思っていない。むしろ光栄な事だと思っているはずだし、何より城の外は誰にとってもいい気分転換になるだろう?」


 突然名前を呼ばれ、私は隣を歩くアンソニー王子の顔を見上げる。

 背後の緑溢れる景色も相まって、まるで森の王子様といった感じ。

 許されるのであれば私の目に映るアンソニー王子を景色ごと切り取り、額に閉じ込める魔法をかけたい。それからその額を私の部屋の壁に飾ったのち、末永くひっそりと愛でたい。

 私についそんな邪心を抱かせるほど、素晴らしく癒やし系王子としてアンソニー王子は森に馴染んでいた。


「僕が魔女様とお呼びすると、魔女様はそのたび魔力の事を思い出し、辛そうな顔をなさる。だから今日は無礼を承知でお名前をお呼びしてもいいですか?」


 突然の申し出に私は激しく戸惑ったのち、歓喜乱舞の舞を踊り出しそうになり耐える。何故なら推しに、大好きな人に自分の名を甘く囁かれる。それはもうマニアにとってみれば大枚をはたいても構わないくらい、夢の出来事でしかないからだ。


 しかし私は絶賛トラブル中ではあるが、正真正銘魔女である。

 そして魔女は畏敬を抱かれるべき存在であるわけで。


「好きに呼べばいいと思うわ」


 私は全神経を集中させ冷静を装い、ツンとした声で許可した。


「ありがとう、チェルシー」


 アンソニー王子の耳心地の良い声で私の名が告げられた。

 結果私は、歓喜のあまり心肺停止。即死しかねない勢いで胸が高鳴った。


「もはや歩く殺人兵器」

「どうかされました?」

「いいえ、何でもないわ。じゃ、私もあなたの事を王子と呼ぶのは今日はやめるわ。そうね、エルロンド王子のマネをしてトニーって読んでいい?」


 内心ドキドキしながら私は大胆なお願いを口にした。

 かねてからエルロンド王子が親しげに口にするその愛称を、私も本人に呼びかけてみたいと贅沢な願望を密やかに抱いていたからだ。


 私はこう見えて、どんな状況でも推しに関するチャンスは見逃さない、そんなギラギラとしたマニアなのである。


「光栄です、チェルシー」

「私もよ、トニー」


 許可された途端、私は噛みしめるよう愛称を口にする。やばい、何だか急に距離が縮まった気がする。恥ずかしいけれど浮かれた気持ちの方が大きくなる。


 そして、そう感じたのは私だけではなかったようで。

 私達は無駄にお互いの名前を会話に忍ばせはじめる。


「トニー見て、あそこにあなたの紋章担当、フクロウがいるわ」

「本当だ。あ、チェルシー、足元に注意して。木が道を塞いでいるから」

「見て、きのこよ、トニー。真っ赤で美味しそうだわ」

「あれはドクベニタケかな。ヤブレベニタケにも見えるような。どっちにしろ美味しくはないらしいし、きのこは素人が判別しては危険だからね。食べちゃだめだよ、チェルシー」

「わかったわ。美味しそうだけれど我慢するわね、トニー」


 私はアンソニー王子の手を握り、ピョンと道を塞ぐ丸太を飛び越えた。


 確かにアンソニー王子の言う通りだ。

 魔女様と呼ばれない事によりいつも背負う責務を忘れ、私はいつの間にか饒舌になり、自然と笑顔になっていた。


 そして森の中を散策すること数十分。

 目の前がパーッと開け、小さな湖が目の前に現れた。


「わ、きれい」


 私はアンソニー王子と繋いだ手を離し湖の縁に駆け寄る。

 コバルトブルーに光り輝く水面の中を覗き込むと、底まで透けて見えるようなとても透明度の高い湖だった。


「魚が泳いでる」


 私が水面を覗き込んでいると、まるで魚のほうが私を確認するかのように寄ってきた。そして私を小馬鹿にしたように、ペシンと尾びれで私に水をかけてくる。


「ちょっと、魚の癖に生意気よ!!」


 私は腰につけたフォルダーに手をやり、すぐにそれは意味がない事だと理解する。

 今の私には魔法が使えない。よってこちらを小馬鹿にする魚に対抗する手段を私は持っていないのだ。


「チェルシー、これで」


 杖に指先が触れたまま固まる私に、アンソニー王子がハンカチを差し出してくれた。


「ありがとう、トニー」


 私はハッとして、アンソニー王子から遠慮なくハンカチを受け取る。

 勿論水を掛けられた顔を拭きつつ、こっそり香りを嗅ぐことも忘れない。

 変態だ何だと非難され、全国民に後ろ指をさされたとしても、マニアの基本。「推しから善意で渡されたハンカチの匂いを嗅ぐ」これだけは譲れないのである。


「チェルシーに無礼を働いたあいつは、僕が許さない」


 いつの間にか用意していたのか、アンソニー王子の手には長い棒が握られていた。

 棒の先からは糸が吊り下がっており、明らかに釣り竿だ。


「成敗してやる。覚悟してランチの一品になるがいい」


 まるで闇の王子といった感じ。

 ダークな部分全開にアンソニ王子は釣り糸を湖にぽちゃんと垂らした。


 アンソニー王子が釣りをする姿を初めて目の当たりにした私はその場にうずくまる。


「私の為に復讐を誓う推しが尊すぎるんだけど。くっ、萌死ぬ」

「僕も釣り糸を垂らしただけで、そこまで喜んで貰えると嬉しいよ」


 どうやら私の心から漏れ出した聖なる萌えの声が本人に届いてしまったようだ。

 アンソニー王子を見上げると、くすくすと笑い声を上げ余裕の表情だ。


「言ってみただけだし」

「ふーん、それにしては多大なる熱量を感じたけどな」

「わかったわ降参する。意地悪な所すら、尊いと感じる私の負け。いいから早く復讐して」

「了解、チェルシー」


 アンソニー王子に全面降伏をした私。

 しかし素直な気持ちを口にすると、やっぱり心が軽くなった気がした。


 それから私達はたわいのない事を話しながら、魚に復讐を遂げる瞬間を延々と待った。しかし私に水をかけた魚どころか、何の魚も釣り上げる事が出来ない。


「魔法があったら、今頃丸焼きだったのに」


 ピクシーも怖がる魔法の網を作り、一網打尽にすくい上げる事が出来るのになと私は口を尖らせる。


「それだとこんな風にゆっくり君と話したりは出来ないよ」

「……まぁそうね。有意義な時間を過ごせているから良しとするわ」

「うん。楽しいし」

「私も楽しい」

「なんか、幸せかも」

「私も幸せかも」


 静かな森の中、私とアンソニー王子を包む周辺の空気の糖度が増した。


 私は思い切って水面から目を逸し、アンソニー王子に顔を向ける。するとアンソニー王子は照れたような顔をして、だけど真っ直ぐ私の頬に片手のひらを当てた。


 手のひらから伝わる体温。

 紛れもなくドキドキと高鳴る私の心。


 何故ならこの先に続くのはアレだから。


 ようやく穂先から吐き出すキャンディーの呪いが解けると、私は業務的な事が頭をよぎりつつ、どうぞご自由にと期待し、静かに目を瞑る。


「チェルシー、君を必ず幸せにする」


 アンソニー王子が小声で囁き、何となく気配が近づくのがわかる。


 あぁ、ついに。


 私の心拍数がかつてないほど上昇した瞬間。


 ピチャン、ピチャンのちバシャバシャと水面方向から雑音が鳴り響く。しかも雑音の感じから何となく一匹や二匹ではない感じ。


 尋常ではない水面を跳ねる音。


 気になってしまった私は思わず目を開ける。すると間近に迫っていたアンソニー王子の美しい顔がパッと私から離れた。


「ど、どうやら魚のやつ、君と僕の仲睦まじい様子に嫉妬しているみたいだ」

「許すまじ、魚」


 私は憎しみを込めた視線を水面に送る。

 するとそこにはパシャパシャとこちらを小馬鹿にしたように水面を跳ねる魚の大群がいた。


「釣れないくせに、あんなにいたとは」

「きっと僕達の醸し出す甘い空気に水面温度が上昇したんだな。弓矢の方が確実に仕留められるか」


 アンソニー王子が甘い言葉を吐き出したのち、容赦ない冷酷な言葉も添えた。


「それ本気で言ってる?」

「まぁね、良い所で邪魔されたから少し変なスイッチ入ってるかも」

「ドーベルマンが顔を出した……」

「何だよ、ドーベルマンって」

「いえ、こっちの話しです」


 意外にも冷酷な一面を知り、私はまた一つアンソニー王子に近づいたと嬉しくなったのであった。

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