第22話 魔女様、突然魔力切れになる

 アンソニー王子に告白した日の夜。

 諸々の処理が片付き、夜遅くになってようやく私はベッドに飛び込んだ。


「うわっ、何このフカフカ。お城ってすごーい」


 ゴロゴロと大きなベッドに転がる私。

 というのも、結局のところ私は魔女の森へ帰れなかったからだ。


『チェルシー、あなたの吉日は十日後。慌ただしくはなるけど、まぁ何とかなると思うざます。それに魔女の森は皆魔女であるという固い絆によって結ばれる、悪意なき平和な森ざます。ですからそこから出て行くこと。それは時間を追えば追うほど、辛い事だと思えてしまう。だからあれよあれよと言う間の方がいいざますよ。おめでとう、頑張り屋のあなたは必ず幸せになるざます』


 マーラ様に幸せになると断言されて、恥ずかしいよりも嬉しいが勝った。

 けれど確かに住み慣れた魔女の森をいざ離れる事を考えると、どんどん不安になって、最後には寂しい気持ちが私を襲い眠れなくなった。


 王城で与えられた来賓用という部屋はいい匂いがするし、とても広くて綺麗だ。

 だけど私は今すぐ住み慣れた、アンソニー王子グッズで埋まるツリーハウスに戻りたいと願う気持ちに飲み込まれてしまう。


「ルド、こっちきて」

「もうホームシックニャ?」

「そうかも」

「魔女の森を出たって、魔女を辞めるわけじゃないニャ」

「うん」

「大丈夫ニャ。マスターにはあいつがいるんニャから」

「そうだね」

「おやすみニャ」

「おやすみ、ルド」


 私はいつものようにルドに手を伸ばす。

 そしてまるでぬいぐるみを抱くようにルドをしっかり胸に抱き込み目を閉じた。


 そして迎える新しい朝。


「最悪、一睡も出来なかったんだけど」

「……目の下の隈が犯罪者みたいニャ」

「だよね」


 私は初めての外泊で、自分が意外にもナイーヴな神経の持ち主だという事を知った。

 そして魔女の森を恋しく思う私にさらなる追い打ちをかける事件が起きた。


「え、私の楽ちんワンピは洗濯に?」

「申し訳ございません。汚れが目立っておりましたので。ローブ共々洗濯に回してしまいました」


 申し訳無さそうな顔で頭を下げる私のお世話係だという侍女。

 彼女は良かれと思ってしたこと。となると流石に叱る事は出来ない。

 しかし着替えがないのは大変困るし、何よりあの服は私が魔女である証のようなもの。


 とは言え、乙女心的に洗濯の重要性も承知している。

 私はしばし悩んだ末、結論を出した。


「まいっか。今日はこのパジャマで」


 白いパジャマはかぶるだけ楽ちんワンピに形が似ている。

 色が変わっただけと思えばどうということはない。

 私はそう思ったのだけれど。


「……だめです魔女様。その姿は決して人々の目に晒してはいけません」


 緊急招集がかかったらしいアンソニー王子が私の部屋に駆け込んできたのち、顔を赤く染め「駄目です、駄目です、駄目です」と激しく連呼した。


 駆けつけたアンソニー王子はしっとりとした感じ。

 最初は汗?と思ったけれど仄かに石鹸のいい香りを漂わせている。

 よくよく見れば、汗だと思っていた髪の毛は濡れているけれど、どうやら汗を掻いた時のソレとは違う感じだ。


「朝風呂ですか?」

「早朝、エルロンドと毎日剣の稽古を。それで汗をかくので風呂に。あ、すみません。髪の毛を乾かす暇なく駆けつけてしまいました」


 アンソニー王子は頭に手をやり、湿っているのを確認するとしょぼんとした顔になった。可愛い癒やし系ミニチュアシュナウザーの顔だ。


「あー私のせいですね」

「いえいえ」

「魔法で乾かしていいですか」

「えっ」

「私、得意なんですよ。温風でササッと」

「えっと、じゃお願いしてもいいですか?」

「勿論」

「あ、その前に。魔女様のドレスを手配しないとか。しばしお待ちを」

「え、ドレス!?」


 私を残し続き部屋に消えて行くアンソニー王子。

 何だか尻尾をルンルン気分で振る子犬のようだ。


「ドレスって何?」

「そのままだと思うニャ」

「……なるほど」


 私は先行きが不安になった。

 何故なら王子と結婚すると毎日ドレスを着なくてはならないのでは?と気付いたからだ。


「毎日ドレス生活なんて私に出来るのだろうか?」

「無理だろうニャ」


 ルドのそっけない返事に気分が一気に落ち込む。


 しかし戻ってきたアンソニー王子の手にドレスがない事に私は安心する。


「今衣装部屋に頼んで来ました。すぐに手配してくれるとの事です」

「ありがとうございます。ではそこに座って下さい」


 私はベッドの脇に座れとアンソニー王子に指示する。


「え、そこですか?」

「何か問題でも?」

「あー、いえ。何も問題はありません」


 ポリポリと鼻を掻き、アンソニー王子が渋々といった感じでベッドに座る。


「ではいきます」


 私は杖を握りアンソニー王子に向かって呪文を唱える。


「ヴァーユワーケカ」


 呪文を口にするのと同時に杖に魔力を流す。

 この時に流す魔力の量によって魔法に強弱がつけられるのである。


 ポワンと私の杖の先から風が出る。


「わ、弱風ですね」


 アンソニー王子は玩具を前にした子どものように無邪気に喜んだ。


「そんなつもりはなかったんだけど。ヴァーユワーケカ」


 今度こそさっきより強めに魔力を流そうとする。しかし私はいつもより杖に伝わる魔力が圧倒的に足りていないのを感じた。


「ヴァーユワーケカ」


 私は青ざめながらも再度呪文を口に魔力を杖に流す。

 でも思うように風が起こせない。


「ヴァーユワーケカ」


 何度唱えても。ポワンとした頼りなさげな風しか起こせない。


「どうしよう。魔法が使えなくなっちゃった」


 初めての経験に私はパニックになる。


「ヴァーユワーケカ」

「サンドール」

「イヴァリーヒキ」

「ナルカタールナ」


 私は思いつく限り頭に浮かんだ呪文を立て続けに唱え杖を振る。

 しかし、とうとう杖の先からは何も出なくなってしまった。


「ニャー、ニャー」


 ルドが心配そうな顔で私を覗き込む。

 だけど私はルドの言葉が猫の鳴き声にしか聞こえない。

 つまりそれは私の身体から魔力が抜けきったということを意味する。


「どうしよう」


 私はその場でペタンと床にお尻をつける。


「魔女様、落ち着いて下さい。こういう時は景色を眺め、深呼吸をしてみるといいとか」


 座り込む私にアンソニー王子が片膝をつき寄り添ってくれる。


「景色なんか見たって、魔力が戻るわけないじゃない。どうしよう、私はもう魔法が使えない!!」


 パニックになった私は両手を顔で覆う。

 初めての経験にどう対応していいのかわからない。

 ひたすら不安の波が私に押し寄せる。


「魔女様、大丈夫。きっと寝不足のせいです。目の下の隈が凄いですから。少し休みましょう。立てますか?」


 アンソニー王子が私に手を差し出してくれる。


「魔法も使えない、ルドの声も聞こえない。私はもう魔女じゃない。でもそんなの困る。魔女じゃない生き方なんて私にはわからないわ」


 魔女である時は自分を見て欲しいと密かに願っていた。

 けれど魔力を感じられず魔女ではなくなった途端、私はまた魔女になりたいと切に願った。


「こんな時に言うのもなんですが、魔女じゃなくても僕は君と共にいたいと思ってる」

「だけど、普通の私じゃあなたの役にも立てないわ」


 魔法を使う以外、特に優れた分野はなく平均値を叩き出す私。ましてや私は貴族でもなければ、普通の人間ともいい難い。

 そんな私が王子様であるアンソニー王子の隣に立つだなんて、きっと無理。絶対無理な事なのだ。


 私は全ての事に自信を失い、アンソニー王子の顔を見る事すら出来なかった。


「それでいいよ。君は僕の傍にいてくれるだけでもう十分役に立ってる」

「それじゃ駄目なの」


 アンソニー王子は私を賢明に励まそうと、ひたすら優しい言葉をかけてくれている。

 だけど、魔力が使えない。純然たるその事実が私をひたすら後ろ向きにさせてしまう。


「どうしよう、どうしたらいいの……ルド、助けて」


 私は自分を見つめるルドに手を伸ばす。


「チェルシー嬢、猫殿もいいけど。僕も少しは頼って」


 アンソニー王子はぶすっとした声でそう口にすると、私を突然抱きしめた。

 ふわりと石鹸のいい香りが鼻にまとわりつく。


「だって僕たちはあと少しで結婚するんだ。これから僕が君を守る。だから僕をもっと頼って欲しい。一人じゃ生きていけないから、だから結婚をするんだろう?」


 私を抱きしめ、言い聞かせるように優しく諭すアンソニー王子。


 魔法の使えない、ただのチェルシー・ウィンストンに成り下がった私には勿体ない言葉だ。そう思ったら何だか無性に泣けてきて、私はアンソニー王子の腕の中で、初めて声をあげて泣いてしまったのであった。

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