第23話 魔女様、魔女で良かったと再確認する

 私はフワフワとした雲の上にいた。

 誰かが頭を優しく撫でてくれる。

 右手にはもふもふとした、ルドの温もりを感じる。


「――では、珍しい事ではないと」


 何だか推しの声がする。

 けれど、いつもより声のトーンが低いような気がした。


「そうね。この子はある意味順調にここまで来てしまった。何故ならこの子には心を満たす存在があったから。だから憂鬱な気分に魔力が引き込まれる事もなかったざます」


 変な口調で喋る女性。

 間違いない。魔女の森の筆頭魔女、マーラ様だ。


「目標ですか」

「やだわ、わかっているでしょう?」

「推し事ですか?」

「そうね。チェルシーは毎日とても元気に魔女の森を出発するざます。「担当地域の治安維持は魔女の務め。では見回りに行ってきます!!」って。それはもう魔女の森に響き渡るくらい大きな声ざますよ?でもきっとそれは、あなたの言う推し事のお陰だったざます」

「そうなんですか」


 何となく交わされる会話に私の頭はだんだんとクリアになる。

 どうも雲の上にいる、そんな夢を見たのはふかふかなベッドのせいらしい。


 私は背中に当たる、いつものマットレスとは違う感触でここが王城なのだと気付く。


「僕も彼女の役に立てていた。そう思っていいのかな」

「自信を持つざますよ。この子の家の中を見たらきっとあなたは腰を抜かすざます」


 マーラ様、それ以上はやめて、恥ずかしい。

 それに推しの前でバラすのはルール違反です。

 私は布団の中、一人羞恥心の波に襲われ悶える。


「詳しく聞きたいざますか?」

「いいえ、それはきっと立ち入ってはいけない領域ですからやめておきます」


 アンソニー王子の優しさに救われた瞬間だ。

 さすがわかっていらっしゃる。

 何故なら彼もまた魔女マニアらしいから……うん、嬉しいけれど、感謝する気持ちもあるけれど、とても複雑な心境だ。


「もし十日後を逃した場合。次はいつ、彼女の吉日は来るのですか?」


 アンソニー王子の問いかけ。

 確かに祝福の杖で占った結果に沿って私は魔女の森をある意味卒業する。言い換えれば占いで出た吉日以外で魔女の森を出る事は許されないわけで。


 確かにそれは気になるところだ。


「丁度十年後よ。あなたは待てるざますか?」


 マーラ様の言葉に私はショックを受ける。

 十年は長い。恋心を自覚する前なら我慢出来たかも知れない。けれど今私はアンソニー王子が好きだ。この気持ちを推し事で誤魔化し、ここからまた十年なんてもうそんなに自分を騙せない気がした。


「十年ですか。僕は二十八で彼女は二十七か……。出来れはもう待ちたくはない。それが正直な気持ちです。でも」


 目を閉じているけれど、アンソニー王子が言い淀んでいる姿が脳裏に浮かぶ。


 流石に十年は待てない。

 だって人の気持ちは絶対じゃないから。

 今は好きだと言ってくれていても、明日には他の運命の出会いがあるかも知れない。


 私は布団の中、絶望感に打ちひしがれた。


「けれど、もし僕が事を焦り過ぎて追い詰め、その結果彼女がこのような状態に陥り苦しんでいるのだとしたら、責任は僕にある。だから僕はずっと待ちます」


 アンソニー王子はきっぱりと言い切った。


 僕は待ちます。その言葉は十年という言葉に打ちひしがれる私のどんよりとした気持ちを、いとも簡単に吹き飛ばす。


 やだ、すき、大好き。


 運命の出会いが明日あっても私はやっぱりアンソニー王子、あなたを生涯推します。あなたと同じ時代に生まれた幸せに感謝……などと、私は密かに最大限の萌えに包まれる。


「そう。それを聞いて安心したざます。でもきっと大丈夫。今回のような事は、結婚を控えた魔女にはよくあるざますから」

「それを聞くと少しだけ心の罪悪感が拭えます」


 罪悪感なんてアンソニー王子が感じる必要はない。

 悪いのは環境の変化に順応出来ない私。だけど今のような状況は一時的なものだとマーラ様が断言した。


 その言葉で私にのしかかる重荷のような物がスッと軽くなる。


「魔女の森で生まれた親なし子。彼女達は自分で選んだ訳ではないのに、魔力を扱える人間として神に選定された子。そしてその力を持つが故に普通の人と同じように暮らす事が出来ない、ある意味残酷な運命を背負わされた子達なの」


 マーラ様は私達が抱える複雑な事情を告白する。

 確かに私の記憶は魔女の森から始まる。だから小さい頃は当たり前のように魔女の森で生まれたと思っていた。


 だけど成長するに連れ、時折新しい赤ちゃんが森にまるで捨て置かれるように出現するのを目の当たりにした。だから私もそういう経緯で魔女の森に拾われたのだと知った。


 そして大人に近づくに連れ、普通の人には両親という存在がいるという事実に気付き、私にはいないという現実に気づいた。


 それから私はこの世界で生まれた瞬間、人生の終わりを迎えた人間なのだと、マーラ様に聞かされた。


 未だ解明されず仕舞い、不可思議な力が体に宿り、魔女の森で息を吹き返した子。

 それが私達魔女だ。


 私達は自分を幽霊だなんて思わないし、ちゃんとした人間だと思っている。

 けれど一度は産まれた瞬間死んだ子だなんてことを、外の世界の人が知ったら化け物扱いされる。だからそれは魔女だけの秘密なのである。


「魔女はね、物心ついた時から多くの人と自分は違うと嫌でも認識して生きて行かなかればならない。だから魔女は皆、口には出さないけれど普通に憧れるものなのよ」

「普通に憧れる、ですか?」

「そう。普通に家族がいて、普通に外で遊べて、普通に学校へ通い、普通に恋をして」

「魔女様達は、それらが叶わない。そういう事ですか?」


 アンソニー王子は確認するような声でマーラ様に問いかけた。


「そうね。正しくは人間に受け入れてもらいにくい、だからなかなか人間らしい幸せを掴むことが難しい。それが正しいざますね」

「受け入れてもらいにくい……」


 シンと静まる室内。

 確かに私達魔女は、誰かの役に立たなければ不気味だと阻害されるだけの存在だ。

 現在私達が受け入れられているのは、世界の治安を守っているから。味方のように思われているからなのだろう。


 だけどあまりにもフレンドリー過ぎると、今度は悪い企みを持つ人間を引き寄せてしまう恐れがある。


 全く魔女はある意味この世界の厄介な半端者なのである。


「結婚だってそう。誰しもがあなたみたいに、魔女である事を受け入れてはくれない。だから魔女の恋には失恋が付きものざます。けれど、運良くチェルシーのように外に出て行く事になる子もいる」

「運良く、そんな感じなんですね」


 何となくアンソニー王子が眠ったフリをする私を眺めている気がして緊張する。


「残念だけれどそうね。でもそれが、魔女の森を出ていく事が本当に幸せかどうか。それは正直私には判断できないざます。何故なら魔女の森は守られた森であり、魔女しかいない。だから私達魔女にとって、とても居心地がいい場所ざます。ですから結婚し、生活拠点を移すという事実に不安になる。そして魔力が使えなくなる子は過去にもいたざます」

「それは平均してどのくらいの期間なのですか?」

「一概には言えないざます。元に戻るためには心の安定が最重要ざますから」

「心の安定ですか……」


 マーラ様の言葉を耳にし私はどんよりとした気分になった。

 何故ならこれをすれば元通りになれる。そういった具体的な解決方法ではなかったからだ。


 心の安定。

 そんなのよく寝てよく食べる。

 それくらいしか今の私には思いつかない。


「そんなに暗い顔をしないで頂戴。チェルシーの方が不安でずっと辛いのだから。それに魔法が使えるとそれに頼ってしまう事が当たり前になるけれど、ある意味魔法が使えない期間は憧れの「普通」を楽しめるチャンスざます」

「普通を」

「そう。あなた達は確かに付き合いは長いけれど、交際期間がまだ一日。だから恋人らしくデートでも楽しめばいいざますよ」

「デートですか。何だか心が前向きになりました」


 アンソニー王子の声が少しだけ力を取り戻したのを感じる。

 そして起きるタイミングをすっかり失った私もまた、会話を盗み聞きし前向きな気持になれた。だから私は布団の中で、密かに心でバンザイをしておいた。


「マーラ様、ためになる話をありがとうございます」

「必ずチェルシーを幸せにすると約束してくれたお返しざます」


 そう言ったマーラ様は私の頬に手を置いた。


「チェルシー、焦らなくていいざます。今まで働いてくれた分、有給休暇だと思ってアンソニー王子とゆっくり過ごすといいざます。それに魔法が使えなくとも、あなたは私達の仲間さますよ」


 マーラ様の言葉がじわじわと身に染みる。

 今は魔法が使えなくて不安だ。けれど、そんな私でも仲間と言ってくれる人がいる。


 私は魔女で良かったと、そしてそんな半端者の私をアンソニー王子が好きになってくれて良かったと、心底そう思ったのであった。

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