第15話 魔女様、王子と夜中のデートを楽しむ
オークション会場を出ると、意外にも時間が経っていた。
既に日が落ち、空には星が輝いている。
「殿下をよろしくお願いします!!」
オークションハウスの部屋の中、箒に跨る私にアンソニー王子の近衛達が頭を下げてきた。なるほど私にアンソニー王子を押し付け、自分たちはしばしの休憩かと私は複雑な気持ちになった。
しかし。
「一応下から追いかけますので」
「えっ?どうやって?」
「勿論走ってです。馬でとも考えたのですが路地裏等は小回りの利く己の体のみが良いかと思いまして」
アンソニー王子付きの近衛だという青年は二パツと白い歯を見せ、それはもう職務に忠実な近衛騎士の見本のような言葉を口にした。
「ゴードン、大丈夫だ。なんせ相手は魔女様だぞ?僕をどうこう……魔女様にならば、何をされてもまぁ構わないか」
顔を赤らめ、物騒な事を口走るアンソニー王子。
可愛い、けれど私だって職務に忠実な魔女だ。
「私は五つ星の魔女よ?自分の担当地域の王子を落として迷子にしたりするわけないじゃない!!全く失礼ね」
「えっ、お、落とすですか!?」
ゴードンとアンソニー王子に呼ばれた近衛が青ざめた。
「そりゃ暴れたりしたら落ちるし、何事もハプニングはつきものでしょう?でも大丈夫。地面にぺしゃんこになる前に、私が魔法の縄を召喚して釣り上げるから」
「そこはいばる所じゃないニャ」
首に巻き付き襟巻きと化したルドが指摘した。
「と、とにかく早く乗って、行くわよ。それに着いてくるのは自由だけど、下を追いかける人の事は私は考えないで飛ぶからね?」
「御意!!」
ゴードンさんはピシリと右手をこめかみ辺りにかざし私に敬礼した。
「さ、アンソニー王子、乗って」
「はい。では魔女様失礼致します」
願っていたらしき夢が叶うからか、いつもより子供っぽい顔になったアンソニー王子が私の箒をまたぐ。
がしかし、アンソニー王子の気配を背後に感じない。
私は両手で箒の柄を持ち振り返る。
するとアンソニー王子は通常であれば枯れ葉を掃くところ。
穂先の部分に跨っていた。
「あのさ、落ちるから」
「僕はここで」
「いいから前にきて。ちゃんと私の後ろに」
「いえ、魔女様とは適切な距離感でいないとまずいのです」
「まずい?」
「はい」
小さく首を振り、前に来ることを拒絶する姿勢を崩さないアンソニー殿下。
一体何がまずいのだろうかと私は困った時のルド頼みとばかり、襟元にぐるりと巻き付くルドに尋ねる。
「ねぇ、どういう事だと思う?」
「好きな子を前に猛獣になる恐れがあるってことニャ。きっと」
「猛獣?ドーベルマンってこと?」
「まぁ、色々雄には雄の事情があるニャ。というか、そうニャ。マスターが握手会の後、あいつと繋いだ手をエミリーとだらしない顔で嗅いでたのと同じ感じニャ、たぶん」
ルドの言葉で蘇る至福の時。
確かに私はギュッと握ってもらった手。
その匂いを嗅いだ。
「でも残り香とかなかったし。って変態か!!」
「マスターがニャ」
「うっ」
確かに私は変態になってしまう時があると深く反省した。
とは言え、アンソニー王子が前に来てくれないと出発出来ない。
近衛のゴードンさんもそのまますんなり出発すると思っていたようで、いってらっしゃいの意味を込めた敬礼をしたままだ。腕がプルプルしている所を見る限り、一刻も早く腕を下ろしたいと願っている事は明らかである。
「アンソニー王子。お互い様ですから」
「お互い様?」
「もうバレているらしいので正直に言います」
「何をですか?」
「私はアンソニー王子推しのロイヤルマニアです。しかもマニア歴六年目。そろそろ十年目の節目に向け、古参ぶってもいいかな?と思う充実したマニア生活を送っています……ではなく、問題は紅茶セットの販売に合わせて行われた握手会。通称ファンミーティング、略してファンミにおいて、王子と握手したのち、その手を私は……」
「その手を?」
「…………しっかりと嗅ぎました!」
私は推しに断腸の思いで自分の変態行為をカミングアウトした。
もう生きて行けない。私のHPはゼロよ。
「そうなんですね。嬉しいです」
「う、嬉しい?」
「えぇ、そこまで喜んで頂けると、握手会を頑張った甲斐があったなと思います」
アンソニー王子が、首を横に倒し可愛らしくニコリと微笑んだ。
「くっ、顔もいいし、声もいいし、全部いいし……たまりません!!」
私は箒に流していた魔力がうっかり萌えに全力で変換されてしまう。
そして魔力を失った箒は呆気なく浮力を失いポトリと床に落ちる。
「うわっ」
「ニャにすんニャ!」
「いてて」
私とルド、それからアンソニー王子は見事に床に尻もちをついた。
「殿下大丈夫ですか?」
敬礼ポーズを解くチャンスとばかり、ゴードンさんがアンソニー王子に駆け寄る。
「痛いニャ!!」
フーッ、フーッと全身を逆立て私を睨むルド。
「魔女様、お怪我は?」
スッと私の前に手が伸びてくる。
アンソニー王子の意外に大きい手だ。
「か、嗅いだりしないから。ごめんなさい」
私は反省の言葉を口にしつつ、アンソニー王子の手を取った。
「むしろ嬉しいので、問題ありませんよ。魔女様」
「そ、そう」
アンソニー王子はどうやら心が海のように広い人らしい。私はアンソニー王子の優しさに、まるで深海から釣り上げられた魚のように優しさの圧にやられ、息も絶え絶え起き上がる。
釣り上げられた魚の気持ちがわかった瞬間だ。
「というか、こういう事になるので、普通に乗って」
私は魔女らしく何事もなかったのように凛々しく箒に跨る。
「かしこまりました」
諦めた様子のアンソニー殿下が箒をまたいだ。
「手は腰に!!」
「はい!!」
「ルドは襟まき!!」
「ついに逆ギレニャ……」
私は勢いで号令をかけ、そして箒に魔力をしっかりと行き渡らせる。
「では、王子をしばし預かりますので」
「よろしくお願いします」
「預かられてくる。悪いなゴードン。先に帰っててくれ」
アンソニー王子の言葉に私は口元をニヤリとさせる。
「それはどうかしら?私の方が早いかもよ?」
「それはどうでしょう?僕が帰さないかも知れませんよ?」
「なっ!?と、とにかく行ってきます」
砂糖を吐き続ける壊れた王子を乗せた私は元気よく窓から夜空に向かって飛び出したのであった。
★★★
私は現在城下町を見下ろす、一際大きな時計台の上にいる。
というのも、我儘王子の「あれを見てみたいです」だとか「あっちはなんですか?」だとかそんなリクエストについうっかり答えてしまったせいである。
『時計台の上、登って見たかったんですよ。でも魔女様にも門限があるだろうし、夜空を一人で帰す訳にはいかないし、またの機会でいいです。お気になさらないで下さい』
気にするなと口にしつつ、全力でしょんぼりとした雰囲気を醸し出す推し。
一体誰がその状況で「今度ね」などと非道な言葉を吐けるものか。少なくとも私は吐けなかった。
何故なら推しの笑顔、いわゆるそれは生きる源だから。
「明かりが綺麗ですね。人工的であるのに、自然の風景と同じくらい綺麗で感動する。何故でしょう」
「あの一つ一つにドラマがあると思うと感慨深いからじゃない?」
私は時折空を飛びながら感じる事を口にする。
現在私達は時計台の天辺近く。
大きな時計の文字盤。その上にあるレンガに腰をかけ地上を見下ろしている。
眼下に広がるのは小さなオレンジの粒。それは皆、アンデル国の人々が灯す明かりだ。
「あーなるほど。確かに色々と想像が膨らみますね。流石魔女様。発想も豊かだ」
推しに褒められた。
私は照れながらニマニマした。
「魔女様はこんなにも沢山の人を見守ってるんですね」
「アンソニー王子だってそうでしょう?」
「まぁ建前上は。勿論国をより発展したいと願ってはいますが、魔女様ほど民の役に立てている自信はありません」
遠くを見つめるアンソニー王子の横顔は黄金比を計算して形どられた彫刻のように美しい。けれど、よくよく観察すると何処か不安げで自信なさげに紫の瞳が揺らいでいる。
「ロイヤルマニアからしたら、その存在自体が生きる活力っていうか。グッズを買うという身近な目標のために毎日頑張って働ける。だからアンソニー王子は物凄く役に立ってると思うけど」
私は推しを励まそうと、滾る思いを少しだけチラつかせる。
「魔女様はもう隠さないんですね」
「そりゃ今更だし」
「実は僕、握手会の時に気付いたんですよ」
「エミリーから聞いた。恥ずかしかったわ」
私は恥ずかしさを誤魔化すよう空を見上げる。
雲ひとつ無い明るい夜空だ。こんな時間にアンソニー王子と二人で、まるでデートをしているかのようにまったりと過ごしているなんて、これは夢かも知れない。
恥ずかしいけれど、幸せが勝る時間。
この時間がずっと続けばいいのにな。
私は乙女心全開に隣に座る推しとの時間を心地よく感じていた。
「魔女様は僕が好きだと、そう思っていいんですか?」
率直な問いかけに私はドキリとする。
好き、そんな言葉で完結できるほど簡単な言葉では足りないくらい、アンソニー王子に対して私は様々な感情を抱ける自信がある。
けれどもし、この先結婚して共に歩む未来をとなると、その先に浮かぶビジョンは真っ白な、何も描かれていないキャンパスのよう。
推し事を続ける先には楽しみで彩られた未来が簡単に描けるのに、いざそれが現実の結婚となるとわからない。
「言葉に詰まる感じか……。どうしたら魔女様は僕を一人の男として見てくれるんですか?」
またもや難しい質問をアンソニー王子は私に投げかける。
「見てるよ。もうずっと前から。だけどアンソニー王子には婚約者がいる。そう思い込んでいたから、推しとして見なきゃってずっと自分に言い聞かせてた。だから今更普通に好きになっていい。そう言われて混乱してるって感じ」
「なるほど。それははっきり魔女様に言わなかった僕が悪いな」
「でもオフィシャルな情報、婚約破棄したって情報を確かめず思い込んでいたのは私だし」
それに私は途中から確実に推し事が楽しくなってしまい、グッズを集める事、推しについて推し友と語る事に夢中になってしまっていた。
もはやライフワーク。
推し事を辞めること。それはある意味私が生きる屍になる事を意味する。
「魔女様は悪くない。でも言い訳をさせてもらうと、魔女様が五つ星を目指し頑張っていらっしゃるのを知っていたし、僕も王立学院で寮生活をしていた。学生のうちは自分の気持ちを伝えるべきではないと思っていました。だからなかなか魔女様に思いを告げる機会も、それから勇気もなかったのは本当で。でもそろそろ僕は限界です」
「限界?」
一体何がと私はアンソニー王子に顔を向ける。
「忠誠心を誓いますだなんて口にして、自分の気持ちを誤魔化すのが限界。僕は魔女様がもうずっと前から好きでした。そして漠然と抱えていた好きの気持ちは現在、共に歩みたいと願う気持ちに明確に変化している。だから魔女様にも推しとしての好きを、そろそろ将来を見据えた好きの方に、出来たらその、軌道修正して欲しい……です」
口にした内容はかなり情熱的なのに、最後は照れが勝利したのか俯き、モゴモゴとしたのちはにかむアンソニー王子。
「がんばる」
私は今の心境を短く伝える。
「ありがとうございます」
アンソニー王子も私に短く答える。
私なんかよりずっと可愛らしくはにかむ王子の雰囲気に飲み込まれ、私は何だか照れくさくなる。けれど、色々と抱えていた秘密や想いを口にする事で不思議とスッキリとした気持ちになっていた。
「魔女様、手を繋いでもいいですか」
突然の申し出に私はビクリとする。
けれど、それが嫌かどうか自分に尋ねると嫌だと思う気持ちは沸き起こらなかった。
「嗅がないから、安心して握るといいわ」
私は恥ずかしさの限界。魔女らしくならなきゃと、偉そうに許可を出す。
すると一人分ほど距離が空いた位置に座るアンソニー王子は私がレンガの上に置いていた指先にちょこんと触れた。
私はおずおずと躊躇するアンソニー王子の手をしっかりと握る。何故なら握手会のとき、緊張した私の手をギュッと握ってくれたのはアンソニー王子で、私はその強引さがとても嬉しかったからだ。
「意外に大きいのよね、王子の手」
「魔女様は小さい。けれどこの手に僕たちは守られてる」
「それはあなたの手だって同じでしょ。私が握手会でどれだけ緊張して、それで嬉しかったか。全てがバレちゃった今だったら、あの時の私を見せてあげたいくらい」
「……嬉しすぎて手汗がすごいかもです」
「気持ちはわかるから大丈夫よ。だって私も握手会の時凄かったから」
私が告白すると、アンソニー王子が笑いながら私の手をしっかりと包みなおした。
アンソニー王子とつなぐ手は緊張するけれど、でも嬉しさの方が大きい。それに何だか心がくすぐったくて、なのに安心するような。
とにかく私にとって推しの手はとても良い手の象徴だ。
「魔女様、今日がずっと続けばいいと思うのは僕だけですか?」
問いかけられて私は顔を赤く染める。
「奇遇ね。私もずっと今の時間が続けばいいなって、今思ったとこよ」
小さな声で私はアンソニー王子に本音を少し漏らしたのであった。
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