六月

6/1(土)

 本日、国王陛下から内々に、私とジークヴァルト殿下の婚約解消の打診があったそうだ。

 久しぶりに城から帰って来た父から「しばらく考えさせて欲しいと願ってきた」との言葉とともに、伝えられた。


 なんでも、ユリアーナ殿下を女王にという意見が、抑えきれなくなってきているそうだ。

 そしてユリアーナ殿下を女王とするならば、王配にふさわしいのはこれまで王太子としての教育を受けてきたジークヴァルト殿下以外にいない。そんな声も同時にあがっていると。

 そうなった場合、王としての実務の大半は実際にはジークヴァルト殿下が行うのだろう。きっと、混乱は少ない。

 ただ、ユリアーナ殿下とジークヴァルト殿下は父君同士がご兄弟であるだけでなく、母君同士もいとこにあたる。

 さすがに血縁的に近すぎるために、陛下としては二人の結婚以外の手段を模索しているらしい。

 ユリアーナ殿下は病弱であられるし、もし他の王族で神の声を聴くことのできる者が現れれば、そちらを王嗣としたいとおっしゃっていたそうだ。

 ただその方が男性であった場合は、陛下としては王妃にふさわしい者を、つまりは私を、その者に添わせたいと。その場合ジークヴァルト殿下には、もっと格の低い、明確に王位を脅かす気はないとわかる誰かを妻とさせると。

 ジークヴァルト殿下を王配とするか、私をジークヴァルト殿下ではない王の王妃とするか。

 いずれの方向に行くにせよ障りとなる私とジークヴァルト殿下の婚約は、解消させて欲しいとのことだった。


 私は王妃になりたいのでなく、ジークヴァルト殿下の妻となりたいだけなのに。

 けれど陛下も能力を認めてくださっている有力貴族の娘の私をこのまま婚約者としていれば、殿下のお立場は難しくなる一方らしい。

 神の声を聞くことができない身にも拘わらず、王太子の地位を譲るつもりがないのではないかなどと邪推されかねないそうだ。

 あるいは、王太子を降りたとしても奪われた王位を取り返しに来る野心を持っているのではないかなどと。

 ジークヴァルト殿下の隣に立つにふさわしくあろうとした努力の結果と、未来の王妃にふさわしいほど恵まれた生まれは、皮肉なことに、王太子殿下以外の隣にあるには過分らしい。


 あのお方の邪魔には、なりたくない。


 けれど、もしあの方の婚約者でいられなくなってしまえば【この世界のすべてを恨み、憎しみ、滅んでしまえと願って】しまいそうで、恐ろしい。

 父からも色々と言葉を尽くされたが、【あの人にとって、私が邪魔になっただけ】【捨てられた、嫌われた】【あの人が、私ではない誰かのものになってしまう】そんな考えばかりが頭を埋め尽くし、どうにかなってしまいそうだ。苦しい。

 もしや、陛下の考えている手段のひとつはフィーネさんなのではないか、なんて、そんな考えも頭をよぎる。

 血が濃くなりすぎるのが問題であるなら、世継ぎは秘密裏にジークヴァルト殿下の恋人としたフィーネさんに産ませて取り上げ、両殿下の子ということにすればいい。こんなの、人を人とも思わない非道な考えではあるが、そう利用できてしまうくらい、あの子の立場は弱い。

 あるいは、明確に王位を脅かす気はないとわかる程度の妻というのは、強い魔力はあるが後ろ盾のない彼女が、どこか適当な貴族家の養女となって、ではないか、なんて。


 要するに、【あの人があの子を望んだから】、その望みをどうにか叶えるために、【邪魔者の私を排除しようとしている】のではないかなんて。

 そんな考えにとりつかれてしまって、私は


 どうして神は、ジークヴァルト殿下にお声を聞かせてくださらないのか。

 どうして神は、ユリアーナ殿下にお声を聞かせたのか。

【どうして世界は、私からあの人を奪うのか】

【どうして】


 私の思いを知る父は、せめてジークヴァルト殿下が学園をご卒業されるまで、婚約解消は待っていただけないかと食い下がってくれたらしい。

 殿下ならばきっと、それまでに神の声を聞くからと。

 そうなれば誰より王の座に相応しいのはジークヴァルト殿下であり、その妃にふさわしいのは私なのだからと。

 けれど陛下は、そんな可能性はまずないだろうと、苦々しい表情で仰っていたそうだ。

 父は交渉を続けてくれるそうだが、どこまで粘れるかはわからない、と。

 国王陛下も、貴族議会も、王太子の変更は避けられないと考えているらしい。


 そんなはずない。

 あのお方は王となる。

 絶対。絶対だ。

 いっそ私が妃となれなくたってかまわない。

 けれどジークヴァルト殿下が王とならないなど、そんなことはあってはならない。

 あの方が王となるために、これまでどれほどの努力と忍耐を重ねてきたと思うのか。

 あの方以外の誰が、この国を導くのにふさわしいというのか。

 けれど同時に、殿下はもう、王太子というお立場が、それほどの努力と忍耐を要する立場が嫌になってしまわれたのかもとも思う。誰のことも特別扱いすることはできず誰に対しても平等であらねばならないことに、嫌気がさしたのかもしれないとも。


 殿下はもしや【どうしてもあの子を手に入れたいと思ったが故に】、ご自身にはまるで王にふさわしい能力がないように振舞っている のだろうか。

 本当は神の声が聞こえているが、あえてその事を隠している、なんて。二人が出会った時期から考えてもそんなわけはないのに、その可能性を否定しきれない自分が嫌になる。

 あの方が、どれほど王にふさわしくあろうとしているか。私はそれを、痛いくらいに知っているのに。

 けれど【世界のすべてと天秤にかけてもいいくらいに、あの子を望んでいるのではないか】と、

【あの子と愛し合うためなら、王の座だって神の座だって惜しくはないのだろう】と、

 そんな【声】が、絶えず頭に響いて

【私】は

【私はただ、あの人を愛しているだけなのに】

【あの子が、あの人が、この世界がそれを邪魔するのなら、いっそ、全て】


 ああ、この国かこの世界の危機でもあれば、きっとジークヴァルト殿下は神の声を聞くのだろうな。




6/14(金)

 今日が、創世二神武闘大会のエントリーの最終日だったようだ。

 バルに言われて初めて、もうそんな時期だったかと気づいた。

 私が茫然自失の間にも世間は動き、婚約解消回避のためにあれこれと奔走しているうちにそれなりの時が過ぎていたようだ。

 それと同時にバルが教えてくれた優勝候補の出場予定ペア情報が、まだ信じられない。

 本当に?

 そんな馬鹿げた話があるだろうか。

 だって、あの方は例年、不参加だったそうではないか。

 他の者を萎縮させてしまうからと。

 それを、あの子のために……?

 半信半疑ながらとりあえずエントリーは急ぎ行ったが、大会当日まで、少し日がある。

 それまでは、不確定の情報で動くのはやめておこうと思う。

 もしこの情報がただの噂に過ぎない誤情報であったなら、出場を取り消せばいいだけだ。




6/21(金)

 本日学園で、創世二神武闘大会が開催された。

 創世神は女神リレナ様だけでなく、かつて力を使い果たしこの世界から消えた創世の男神様もいらっしゃったという伝承になぞらえ、男女二人一組でペアを組み武を競いあうこの大会。

 私はバルと組み出場し準優勝となり、

 事前から優勝候補だとされていた、

 ジークヴァルト殿下と フィーネさんの  ペアが、優勝を果たした。


 全力は尽くした。

 バルだって、油断も手抜きもしていなかったはずだ。

 彼がフィーネさんに弱いのは事実であるが、ジークヴァルト殿下との組み合わせで彼女を優勝させたくはない気持ちは、だからこそ私といっしょのはずだったのだから。

 なにより、今日のバルは、フィーネさんよりも妹分である私を、私の心を、優先し、守ろうとしてくれていたと思う。

 二人との試合前には「どこまでリーゼを傷つければ気が済むのか」と、私以上に憤っていたくらいだ。

 私もバルも、間違いなく全力を尽くした。

 私たちは互いのクセも熟知しあっているし、連携だって噛み合っていた。

 けれど、負けた。勝てなかった。

 手も足も出なかったほどではないけれど、どうしてもあと一歩、彼女たちには届かなかった。


 フィーネさんたちは、強かった。

 ヒーラーであるにも拘わらず積極的に前に出てくる戦闘スタイルのフィーネさんを、あらゆる魔法に精通されているジークヴァルト殿下が巧みにサポートしていた。

 そう、今日の彼女たちの勝利は、主にフィーネさんの活躍によるものだったように思う。

 いや、正確には、誰にとってもそう見えるように殿下が振る舞っていたのだろう。

 とにかくそんなわけで、大会が終わった後は、学園生たちは皆フィーネさんを見る目が明確に変わっていた。

 これまでどこか彼女を侮るものが多かったものから一転して、好意、興味、敬意、憧れ、そういった類のものに。


 きっと、これこそがジークヴァルト殿下の狙いであったのだろう。

 フィーネさんは難しい立場にあるけれど、その実力を皆に示せば、それが改善に向かって当然だから。

 入学直後から彼女のことを気にかけていた殿下が、その一助を担いたいと思うのは自然なことだ。

 そう冷静な私が考える一方で、二人が互いの健闘を称え優勝を喜び笑いあう姿をみた瞬間、【よくない感情】が暴れだそうとした。


【どうして私を選んでくれなかったの?】

【ここまでみじめな思いをさせられなければならないほど、私はあなたに疎まれているの?】

【あの子はどうして、私の光を奪うの?】


「婚約者のいる身で婚約者以外をパートナーにするなど、軽蔑します。フィーネ嬢が困っていたなど、理由にはならないかと」

 バルが先にそう言ってくれなかったら、私はどんなことを言ってしまっていたか。

 彼が私の背を支えていてくれなかったら、きっと立っていることもできなかった。


【悲しい。悔しい苦しい妬ましい腹立たしい】

 そんな感情が、あれからずっとずっとこの胸で暴れ続けている。

【屈辱には報復を! 不義には制裁を! 裏切りには復讐を!】そんな【声】が、

【声】が


 頭痛がする。ずっと、ずっと。

 春からこちら、深く眠れる日が減ってきている。


 試合終了後、私はこの頭痛のせいでよほど顔色でも悪かったのか、よほど剣呑な気配でも出してしまっていたのか。

 私はすぐに、無理矢理バルに抱きかかえられて退場させられてしまった。

 あの瞬間はとても腹立たしかったけれど、今はそうしてくれてよかったと思う。

 ジークヴァルト殿下は、ほんの一瞬、どこか不愉快げな表情をしているように見えたが……。いや、きっと気のせいだろう。

 あのお方が、人前で感情を、それも悪感情を見せることなどあり得ない。けれど、もしも、もしも気のせいでなかったとしたら。

 私が婚約者以外の異性とパートナーを組みあげく体を密着させてしまっていたのは事実だが、先に組んだのはあちらだし、私たちは兄妹のようなものだし、なによりバルは私を介抱しようとしただけだ。

 それなのに、私こそが婚約者に対して誠実とは言えないふるまいをしているではないかと、そう思われてしまったのだろうか。

 もし、今日のことが、殿下がフィーネさんとの関係について開き直る根拠となってしまうとしたら、


 苦しい。

 考えたくもない。


 ああ、ああ、【もういっそ、全てすべて壊れてしまえば、この苦しみも終わる】のだろうか。

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