五月

5/2(木)

 今日、フィーネさんに、水をかけた。

 頭から、盛大に、魔法を用いて、全身ずぶぬれになるほどに、勢いよく。

 駆けつけたジークヴァルト殿下は私のいきなりの凶行の理由を問い詰めてきたが、私自身、どうしてああまでしてしまったのかわからない。

 申し開きはせずにただ粛々と謝罪をし、なにか処罰があるならば家を通してくれるよう願って、急ぎその場を辞してきた。


 フィーネさんは大丈夫だっただろうか。

 冬の気配はすっかりと消えた春の盛りの昼間とは言え、行水ができるような季節はまだ遠い。

 彼女が体調を崩してしまわないか、心配だ。

 火は間違いなく消えていたとは思うが、それもきちんとは確認しなかった。そちらも大丈夫だろうか。


 放課後、フィーネさんが中庭で魔法の修練をしていて、通りがかりにそれを見た。

 今日は、あれほど恐れていた【憎しみ】が、それほど湧いてこなかった。

 もしかすると、ジークヴァルト殿下といっしょでないときの彼女であれば少しは普通に接することができるのではないか。どうやら苦戦しているようだし、何か助言のひとつでも……。

 なんて思い、彼女に近づいた、正にその時。

 ゆらゆらと不安定だった彼女が魔法で生み出した炎が、ひゅうとひときわ大きく揺れて彼女の服の裾にまとわりつき、燃え広がりそうになった。

 このままでは彼女はどうなるか、すぐに火を消さなければ。と、そんなつもりで杖を振った。はず、だったのに。

 消火のために私が呼び出した水の勢いは【もはや悪意を感じるほどに過剰】で、気づけばフィーネさんは全身を濡らし、かわいそうに、寒さに震えくしゃみまでしていた。

 焦りのあまり、加減を間違えた。

 相手が他の誰かであれば私もそうだと思えたし、そう殿下に説明しただろう。

 でもきっと、それだけじゃなかった。

 自分でも不可思議な、けれど確かに【私】が彼女に抱いている【憎しみ】が、【妬み】が、【恨み】が、私の魔法のコントロールを崩したに違いない。嫌になる。

 こうまで邪悪で陰険な私など、責められて当然だ。

 いったいどんな処罰が下されるか少し不安だが、どんなものであっても不服などない。私が悪い。

 それよりもフィーネさんだ。

 私にいきなり水をかけられた彼女は、ひどくおびえた様子に見えた。

 処罰とは別に、彼女になにか償いをしなければならないだろう。

 というよりは、私が彼女に償いをしたい。

 なにか私にできることがあるだろうか。

 そういえば、今日は以前依頼に出していたアレが届いた。

 とにかく、明日にでも彼女に謝罪をしよう。アレも、謝罪の印として渡せるかもしれない。




5/3(金)

 昨日私がフィーネさんに水をかけた件については、無罪放免となった。

 あの後服が焦げていたことに気づいた彼女がとりなしてくれたらしい。

「むしろ、ありがとうございました」と笑った彼女に、泣きそうになった。

 なんていい子なんだろう。

 なんていい子で、かわいくて、素直で、愛らしくて、天真爛漫で、とても魅力的で、


 みじめになる。


 彼女は昨日私に水をかけられた後、ジークヴァルト殿下と街に出かけたのだそうだ。

 彼の婚約者である私のひどい行いに対するわびとして、濡れてしまった彼女の服の代わりに「かわいいお洋服をいっぱい買っていただいた」のだそうだ。

 制服と運動着はあっても、私服には困っていたらしく、かえって助かったのだそうだ。

 だから、私の謝罪は不要なのだと。


 私はジークヴァルト殿下と二人で出かけたことなど、ない。


【憎い】

 違う。

【私の光を盗らないで】

 違う。あの方は、光のようにまぶしい彼の人は、最初から私のものなんかじゃない。

【あの子さえいなければ】

 違う。フィーネさんは悪くない。

【好き 愛している 誰よりも私があなたを】

 違う。こんな感情は、表に出していいものではない。

【憎い ユルサナイ】

 違う! 違う違う違う!

 ■■■■■

 違う。違うと、思うのに。

 頭の中に響き続ける【声】に、【私】は


 あの【夢】のようにしようと杖を取り出そうとし、けれど私の手に触れたのは、彼女に渡そうとしていたソレだった。

 彼女の瞳のように澄んだ水色に輝くソレが、ただそこにあるだけで全てを癒し浄化するような清らかな気配のソレが、【声】を遠ざけ、私を冷静にさせてくれたように感じた。

 とっさにソレをきつくきつく握りしめて、私は彼女に、昨日の謝罪をした。

 フィーネさんはただ無邪気に笑ってそれを受け、改めて私の消火に礼をしてくれたけれど、立ち会っていたジークヴァルト殿下の私を見る目は【本当はあの子を害そうとしていたのではと疑っているように感じた。】


 謝罪の品は渡すことができなかったが、ひとまず頭を下げることができたのは前進だと思いたい。

 なんだか疲れた。




5/6(月)

 神官のアルトゥル・リヒターが学園に復帰した。

 ジークヴァルト殿下が嬉しそうであるのは喜ばしいが、またリヒターばかり重用される日々が始まるのかと思うと腹立たしい。

 アルトゥル・リヒターばかり殿下に頼られていてずるい。

 あんな軽薄で、確かに神官としての能力は優秀なようだが私生活はけしてほめられたものではない、思いやりと気配りに長けてはいても無駄にあちらこちらにそれを振りまいているような男、何が良いのか。

 私の方が役に立てる。あの方のためならばなんだってする。

 なにより私たちは、将来は夫婦として並び立つ予定の間柄のはずなのに。

 なぜ殿下はリヒターばかりに気安く接するのか。私にも少しくらいは素の顔をみせてくれたらいいのに。

 色々と腹立たしくはあるが、やはり殿下が頼れ気安く接することのできる存在は、得難いものだ。

 何事もなく帰ってきたことは、喜ばしいと思わないでもない。


 いや、やっぱり腹が立つ。

 なんなんだあいつは。気安くジークヴァルト殿下と肩など組みやがって。

 今日の放課後のことだ。

 殿下もそんな馴れ馴れしいあいつを嫌がるどころか笑ってそれを受け入れていて、その笑顔は年相応とでもいおうか、普通の学園生のような、気取ったところなど少しもないもので、目を引かれた。

 ものすごく邪魔をしたいのにどうしてもできず、ぎりぎりと歯噛みしながら彼らの後を追いかけていたらいきなり試合が始まり、気づけばリヒターがフィーネさんに吹っ飛ばされて宙を舞っていた。ざまあみろ。

 まあさすがに目の前で死なれでもすれば寝覚めが悪いかなとはほんの一瞬だけ思ったが、フィーネさんだって手加減ぐらいはできるだろうし、リヒターは意識さえ戻ればどんな傷だって即座になかったことにできる。なによりあの場には殿下がいらっしゃったのだから、心配などはしていなかった。しなかったったらしなかった。

 その後よく見ればその場にいたらしいバルはそれなりに善戦していたが、どうにも攻めきれずにいるうちに一方的になぶられ試合は終了した。

 情けない。本来の彼の実力ならば、少なくとも一方的にやり込められることなどないはずなのに。

 リーフェンシュタールの人間が、いったい何をやっているのか。

 まあ、あの負け方はある意味ものすごくリーフェンシュタールらしくあるけれど。

 うちの人間はみんな、“惚れたら生涯負けっぱなし”だから、仕方ないと言えば仕方ない。

 バルは、いつうちの父に妹たちとの婚約を取り消して欲しいと頭を下げに来るのだろう。

 まさかまさかまさか、自覚がない……? なんてことは、さすがにないと思いたいが。いやでも、バルだから……?

 それともまさか、フィーネさんがバルではないに惹かれつつあることに気づいて、自分の気持ちはあきらめようとしている……?

 やめて欲しい。もうさっさと奪い取って欲しい。そうすれば、私も……。

 うん、今度バルの背中を蹴り飛ばしておこうと思う。

 バルのことはまた今度の課題だ。


 それよりも、今日、私はまたやらかした。

 試合後、入学からひと月が経過しそうだというのに変わらずフィーネさんの腰についていた例のゴミのような杖を、破壊した。

 殿下を追いかけていたことをごまかしたくて、またなにかしでかしてしまうのではないかという緊張とやっぱり少しの嫉妬があって、ひどくとげとげしい態度でそんな蛮行を行った私に、場の空気は凍り付いていた。

 いや、あの場で完膚なきまでに壊しておかなければとは、確かに思ったのだ。

 あんなにあっさりと素手で破壊できる代物にフィーネさんの魔力など通せば、絶対に杖は壊れた。

 そうすれば込められた魔力は行き場を失い暴発。フィーネさんや、もしかしたらその場にいっしょにいる誰かも怪我をしてしまう。

 だから、あのゴミは絶対に使用できないよう破壊しておくべきだった。それは間違いない。

 けれど、やはり態度とやり方がよくなかったのだろう。

 私の主張は一応認められたが、バルとリヒター、それからジークヴァルト殿下は私のやり方を非難し、そして代わりの杖は自分たちのうちの誰かが用意すると言ってきたのだ。


 私が用意した物など、信用できないと。

 そう言って暴発するような代物を渡してくるように思えてしまうと。


 そうだろうな、と、思う。

 私が逆の立場でも、4月からずっと嫌がらせばかりをしている卑劣な女の用意した杖など、怖くて使えない。

 まして、直前に彼女のこれまで使用していた杖を無残に破壊しているのだ。悪意しかないと思われて当然だ。

 フィーネさんは、そんなはずがないと男性陣に反論していたが……。本当にいい子だ。嫌になるくらい。

 結局新しい杖は、どうやらジークヴァルト殿下が用意するらしい。王家のコレクションの中から、フィーネさんにふさわしい物を贈ると言っていた。

 ああ、ああ、きっと素晴らしい杖だろう。素材はやはりユニコーンのものだろうか。

 けれど以前の物が破壊されてしまった以上仕方のないこととはいえ、既にある物を渡すのでは、やはり一からあつらえたようにフィーネさんにぴったりの物ではないのではないか、なんて。

 そんなことを言ったって、もうただの嫌味としかとってもらえないだろう。


 なんだか何もかもが裏目に出ている気がする。

 全て私が悪いのだけれども、【あの子が現れたからだ】【あの子さえいなければ】という思いがぬぐい切れず、また嫌になる。

 ああ、もう、本当に何もかもが嫌だ。

 私はこんなにも愚かだったか?

 どうしてフィーネさんとジークヴァルト殿下に対して、普通に接することができないのだろう。

【あの子】が【あの人】が、【私】の心を乱す。違う。

 私が悪い。改めなければならない。改めたいのに。

 どうして。




5/21(火)

 今日は、一年生と三年生の合同授業があった。

 殿下が指導役の中心に、私がその補佐に任ぜられ、久方ぶりにあのお方の隣に立ったが、以前よりもどこかぎこちなかったように思う。

 そんな中、なんだか嫌なざわめきがあり、その中心は治癒魔法が得意な者のグループにいたフィーネさんだった。

 私たちが駆けつけたときには同グループのアルトゥル・リヒターがなにやら必死に説明をしようとしているところだった。

 しかしフィーネさんはよくわかっていないのかきょとんと小首をかしげ、その手には

 手 には 美しい金のリボンを巻いた、白い杖を持っていた。

 ジークヴァルト殿下より賜ったのだそうだ。

 杖も、リボンも。


【盗られた】

 その思いでいっぱいになった私は、【怒り】に任せて、ひどくあの子を詰った。

 全学園生のうち、2年生はいない場ではあったが、それでもかなりの衆目の中で、当然抑えなければならない感情のままに。

 そんなことをしてはいけないとわかってはいたのに、【なぜか】自分を律することができなかった。


「リボンの色の意味なんて知らなかった」

「皆さんの真似のつもりだった」

「殿下にいただいた杖だから、殿下にいただいたリボンを巻いてみた」

「けどこのリボンはこの杖を入れてあった箱に巻いてあったものを再利用しただけ」

「他意はない、偶然」


 フィーネさんが焦ったようにそう言い訳するのを、私は【悲憤と絶望】の中で聞いた。

 ならば、彼女にとって偶然だったこの事態をつくりだしたのは?

 フィーネさんは確かに常識や流行に疎い傾向はあるが、ジークヴァルト殿下は?

 そういった俗っぽいことを殿下に吹き込む人物は少ないが、リヒターは女性の流行をよく知っていて、奴は殿下の親友だ。

 奴から聞いていた可能性は高い。

 もし殿下が密やかな恋などしていれば、あの洒落者から積極的にそういった情報を集めているだろう。

 殿下は「全く知らなかった」と言っていたが、【信じられるわけがない】。

 婚約者である私には、そう言うしかないだけだろう。

 また以前のように、周囲の人間を使ってフィーネさんを責められてはならないとでも思ったに違いない。


 事実、彼はフィーネさんに杖もリボンも贈っているのだから。

 これほどできた偶然などあり得ない。

 つまりあれは、殿下が望んだこと。

 フィーネさんの一方的な憧れならまだ看過できたが、それどころか。


 なのにフィーネさんは

【あの子】はひどく慌てた様子で

【あの人の思いのこもった】リボンを解き

 捨てよう  とした


【憎い 憎い 憎い 憎い憎い憎い!】

【私がどれほど願っても手に入らない物を、あの子はなんでもないように捧げられる!】

 その上【自分には不要なものとばかりに雑に扱って】、

【憎しみが、怨嗟が、怒りが、憎しみが】溢れ


 自分がどんな顔をしていたか、想像したくもない。


 アルトゥル・リヒターがあそこで魔法を使わなければ、いったいなにをしたか……。

 突如まばゆく温かい光に包まれ、私は少し冷静さを取り戻し、踏みとどまれた。

 どうも、怒りのあまり立ちくらみをおこしたらしい私に、リヒターがとっさに回復魔法を使ったようだった。

 奴は色々とだらしない男だが、神官としての腕は確かだ。

 リヒターの回復魔法に包まれてからは、いやに頭がすっきりとしたように思う。

 ここのところの眠りの浅さからくる不調もすべて綺麗に浄化されたような、ふしぎな感覚だった。

 その余韻でぼんやりとしているうちに、ジークヴァルト殿下とフィーネさんが、揃って私に謝罪をしていた。


 誤解を与えて申し訳ないと。


 誤解。

 誤解、なのだろうか。


 疑念と不安は拭えなかったが、衆目の前で殿下に頭を下げさせ続けることなどできない。

 二人が並び立って同じように頭を下げているのも、あれ以上見たくなかった。

 あれではまるで、私が二人と敵対しているかのような図で。

【二人の恋を邪魔する悪役】のようで、そんな役目なんて、受け入れられない。

 私はどうにか謝罪を受け入れ、私たちは講義に戻った。


 帰宅直後に、不快にさせた詫びだと殿下から花束が届いたが、色とりどりの花花の中に、レナの花は含まれていなかった。

 もう、あの花はあの子だけに捧げられる物なのかもしれない。

 そんな穿った考えが拭えず、せっかくあの方にいただいたものなのに、素直に喜ぶことができない。


 嫌になる。

 どうして、私は……。


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