四月後半

4/18(木)

 私はいったい、どうしてしまったのだろう。


 今日は、フィーネさんが殿下に勉強を教わっていた。それだけのことだ。

 場所も開かれた中庭で、校舎からよく様子の見える、そう、なんの問題もない場所で、状況で、なのに。

 ジークヴァルト殿下とフィーネさんが並んでいるのを見た瞬間、【盗られた】と、感じた。

【彼は私のものなのに】と、そればかりが私を支配して、【怒り】が、【怨嗟】が、【積年の】、そう彼女と出会ったのはほんの数日前で積年だなんてあり得ないのに積年のとしか思えない、【何年も何百年も何千年も踏みにじられ続けたような屈辱】が、去来した。

 苦しい。苦しくて、苦しくて、どうにかなってしまいそうだ。

 どうして?

 殿下もおっしゃっていたではないか。私が心配するようなことはなにもないと。

 そもそも、殿下は私のものなどではない。私はわきまえている。彼の心までは望まない。

 ただ、彼を支えたい。それだけだ。そのはずだ。

 もちろん、彼のことは愛している。好きで好きで好きで好きで仕方がない。

 彼に近づく輩はすべて八つ裂きにしてやりたいくらいの嫉妬は、いつだって抱えている。

 けれど、そのすべてを私は飲み込むべきだし、飲み込んできた。

 それなのに、今日の私は、なぜかそうできなかった。

 私は、ジークヴァルト殿下はもちろんのこと、フィーネさんともできれば親しくなりたい。

 ならば、「同輩として、私も彼女の学習を助けたい」と伝えればよかっただけのことだ。

 ただ、フィーネさんに対する陰口が、殿下が懸念した通り広がりつつあった。

 この状況で異性であるジークヴァルト殿下だけではまたも妙な勘繰りをされるかもしれない。そう伝えなければとも思った。

 けれど、「見目麗しい殿方からしか、教わりたくはないのかしら?」なんて、厭味ったらしい言い方をする必要は少しもなかった。

 殿下がお怒りになるのも当然だ。あまりにひどい言い様だ。

 だというのに私は、【あの子の味方をするあの人】が、【憎くて、許せなくて、愛しくて、やるせなくて】、全部、全部、■■■■■と


 あの後、何を言って、何をして、そしてどう家に帰って来たのか、記憶にない。

 ただおぼろげに、フィーネさんがおびえた様子で、ジークヴァルト殿下がそれを護るように私たちの間に立ちはだかっていたのを見たような気がする。

 あの方が、誰か一人の味方をするだなんて。

 彼女が、特別なのだろうか。

 それとも私が、彼がそうせざるを得ないほどに、おかしなことをしてしまったのだろうか。

 私は、【私】は




4/19(金)

 食堂で、ジークヴァルト殿下に昨日の謝罪をした。

 すると、「謝罪をすべきはフィーネ嬢にだろう」と言われた。当然だ。

 当然だと、今なら思うのに。

 その瞬間に感じたのは【やっぱりあなたは、あの子の味方なのか】というショックと、逆恨みでしかない【途方もない憎しみ】だった。

 そして、食堂には多くの学園生がいた。私も殿下も注目を集めやすい立場である。

 当然向けられている周囲の視線が、その瞬間はなんだか【恋敵に負けた私をあざ笑っているもののように思えて】、【ひどくみじめで】……。

 私は「私の婚約者に恥知らずにも言い寄る庶民」と彼女を罵り、謝罪を拒否。それを咎めようとした殿下に「王太子であるあなた様がたやすく籠絡されるなど、嘆かわしい限りです」などと、言った。

 確かに私が、この口で言った。


 今思い返せば、吐き気がする思いだ。


 殿下がおっしゃった通り、ただの友人関係でしかないのだろう。だって、二人が知り合ってまだ何日もたっていない。

 友人としても、それほど打ち解けた関係でないように思う。冷静な今はそうわかる。

 それなのにあの瞬間の私は、【まるで愛する人を奪われたかのように、浮気をされたかのように思い込み】、騒ぎ立てたのだ。衆目の中で!

 騒ぎはすぐに周囲に伝播し、保守的あるいはリーフェンシュタールと派閥を同じくする貴族家の子女は、私の側に立った。

 私は殿下が尊重すべき婚約者の立場にあり、それを軽んじ他の女性を側に置くなど、許されることではないと。

 そう言ったのは、殿下と同輩のマルシュナー公爵家の子息だった。

 さすがに殿下に意見できたのはその公爵家子息だけであったし、殿下は誤解だとおっしゃったが、騒ぎは静まらなかった。

 ならばそんな誤解をさせるような軽率な言動をしたフィーネさんが悪い、分を弁えろと学園生が次々に声をあげ、食堂は異様な空気になってしまった。

 フィーネさんに模擬戦闘で負けた男子生徒や、おそらくはフィーネさんが懇意にしているうちの誰かに憧れているのだろう女子生徒の私怨もあったのかもしれない。

 バルとファビアン・オルテンブルク子爵子息が駆けつけフィーネさんを庇ったのも、火に油を注いだのだろう。幾人に色目を使うのかと罵った生徒までいた。

 最後にやってきたレオン・シャッへ教諭はフィーネさんに私に謝罪をするように促したが、彼が一瞬私を睨んだ視線は背筋が凍るほど冷たかった。

 よってたかって庶民の少女を責め立てるなど、いじめでしかない。

 それも、事実無根の言いがかりを、まるで事実のように騒ぎ立ててなど。

 教諭は、私を軽蔑したのだろう。


 結局フィーネさんは、私に、頭を、下げた。ああなっては、それ以外にどうにもできなかっただろう。私だけではなく、あの場は不気味なほどに【悪意】に支配されていたから。

 バルは、オルテンブルク子爵子息は、教諭は、


 ジークヴァルト殿下は、


 それを、痛ましいように見ていて。

 私はいたたまれず、食堂から、彼女たちから、逃げ出した。

 彼女たちに背を向ける直前、【あの人はあの子を護るように慈しむように寄り添い、私を軽蔑したかのように睨んでいたように見えた】。

【あの人に、睨ま】

 れ


 私、私が謝罪をするべきだった。

 なのに、学園生のほとんどは、私が正しいと。謝罪をすべきはあの子の方だと。

 そんなはずはない。違う。違うのに、きっと、私とあの子の身分差から、私が正しいということになってしまった。

 どうして、私はあんなことを。

 もう、決定的に対立をしてしまっただろう。

 私は【あの子の敵となったに違いない】。

 きっとこんな卑劣なやり方をした私は、軽蔑された。嫌われた。

 嫌われただろう。

 フィーネさんにも。

 ジー  クヴ ァルト 殿下に も

 どうして




4/20(土)

 ひどい【夢】を見た。

 あれが私の本当の望みだなどと思いたくない。

 できるだけ早く忘れたいのに、いやに明瞭に頭の中に残ってしまっている。

 そのせいか、午前中の鍛錬にも自主勉強にも今ひとつ身が入らなかった。


 午後はバルがわが家にやってきて、昨日の件をひどく叱られた。

 あまりに卑劣だと、私らしくもないと。

 素直にそれを認め反省の言葉を口にした私の体調を、バルは心配していたけれど。

 ジークヴァルト殿下とフィーネさんへの謝罪の手紙を、バルに託した。

 受け取ってもらえるだろうか。読んでくれるだろうか。

 確かめる勇気はない。

 どうしても、あの【夢】のように【憎いあの子たち】にひどいことをしてしまうかもしれない恐怖が拭えない。

【私】は【あの子】にも【あの人】にも、近づいてはいけない。


 近いうちに行われる予定の、ティアナ王妃陛下との勉強会。きっとお茶の時間には、いつものようにジークヴァルト殿下もいらっしゃる。

 普段は楽しみなその時間が、今はすこしおそろしい。

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