第6話

 心を噛み潰して


 残ったのは夢の抜け殻


 煮ても溶けず、焼いても散らず


 今この瞬間にも己の精神を蝕んでいく



「いいか、デルタ。例のお嬢様はとんでもなく気難しい女子らしい。失敗は許されない。失敗したら、お前だけでなく私の首も──」


 この男の名はなんであったか。父の名が聞こえた気がしたが、その顔は靄が掛かって見えない。声もどこか機械的に滲んで聞き取りにくい。


「失礼します。マモン・ゲルダスでございます。本日は─「貴方は結構。用があるのはデルタ伯爵よ」


 部屋に入るや否や冷たい声が差し込んでくる。


「は、はぃ」


 父らしき人物は喉をひゅいと鳴らして部屋を飛び出す。まったく、あんな腰抜けが僕の父親なわけないだろう。大方、似たような人物を寄越したに違いない。どうせ、の婚約なのだから。


「聞きしに勝る腰抜けぶり。娘が家の実権を握っていると聞いているけど、これで確信した」


 うん


「さて、お初目にかかります。ゴルモンド家長女、ナルシアと申します。どうぞお見知り置きを、と言いましてもどうせ婚約するのですからこれからよろしく、の方が正しい?」


 なんだ


「どうしたのかしら?なんでずっと黙って立ってるの?」


 第一印象で人間を決めつけるなと僕自身大いに思っている。だが、これはあまりにも


「ちんまりしてる......」


「なっ!? この──」


 ────無礼者!!!!



 机を叩きつけ、立ち上がる彼女の顔は怒りで紅潮し、眼には薄らと涙が見える。その表情はなんとも─


「───ぁ」


 なんてことだ


 あれほど


 あれほど鹿


 どうやら


 僕の脳みそも


 桃色に蕩けてしまいそうだ───


「もういい!出ていって!!!」


 声を震わせながらそっぽ向く彼女の仕草はまた僕の心をも震わせる。窮屈そうに縮こまっていた脳みそが大きな伸びをした。世界の色相が一気に増えた。それも赤や黄色の暖色ばかり。だから、だからこそ、僕は


「誠に申し訳ありません、ナルシア御嬢様」


 床に頭を擦り付けた。


「出ていけって──え?」


 ナルシアは驚愕した。あの、あの傲慢知己で国一番の偏屈者と呼ばれているあのデルタ・ゲルダスが今、自分に向かって土下座しているのだ。


「ねぇ、一応聞くけど貴方ってデルタ・ゲルダスよね?」


「はい。デルタ・ゲルダスでございます」


 デルタは微動だにせず答える。


「あの頑固で偏屈で屁理屈の申し子と呼ばれたデルタよね?」


「はい。王宮では我儘で聞く耳を持たない現実逃避のクソガキと呼ばれているデルタでございます」


 そして数瞬の沈黙が流れる。


「先程のナルシア嬢への失言、ご希望であればいくらでもお詫び申し上げます。ゲルダニウムなどいくらでも積みましょう。なんなら探掘権を─「待って!!!」


 ナルシアは状況が飲み込めていないようで左手で額を抑え、右手は何かを掴もうと宙を仰いでいる。


「少しだけ整理させて。貴方と私、以前お会いしたことあります?」


「いいえ」


「ええ、私も今回が初めてだと認識してる。それで貴方は、今回の婚約について乗り気ではなかったはず」


「先程までは」


「あぁ、つまりそういうこと」


「はい。一目惚れです。僕は貴方に恋をした」


「──ぷっ!あっはははははは!」


 何度か小刻みに震えたあと、堰を切ったように彼女は笑い出した。


「ああ、可笑しい。私に一目惚れ、ね。ひとつ、聞いてもいい?」


「いくらでも」


「私のどこに惚れたの? 容姿? それとも声? 」


「それは......」


 この答えはまた君を怒らせてしまうだろうか。いや、それでもいい。僕は君に嘘を吐きたくない。


姿姿


「ッ!!」


 彼女は眉を顰め、腕を振り上げたが、数秒ほど固まったあと、静かにその腕を下ろした。


「これでも私、貴方より1つ歳下なだけなのよ?」


「ええ。僕が幼女好きの異常者にならなくてよかった」


「癇癪も持ってるし、言葉遣いや作法だって覚束無い」


「なんて魅力的なんだ。君はありのままの君を僕に見せてくれるのか」


「攻撃的なのに社交性がなくて、友達だって、できたことないし、両親にだって、疎まれてる。あるの、は家の、名だけ」


 徐々に言葉尻に嗚咽が混じってくる。


「ついたあだ名はゴブリン姫。それでも、私のこと、好きだって言える?」


「それがなんだって言うんだ。そんな些細なことは障害にすらなり得ない。君が死ねと言えば喜んで首を差し出す。それに僕は何の躊躇いもない」


 震える小さな手をそっと手繰り寄せ、手の甲へ口付けをする。


「君への恒久の愛を誓いましょう。妖精姫ティターニアナルシア」


「......もし破れば地獄行きよ。一緒に」


 妖精姫の小さな唇がそっと僕の額に触れた。





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