第5話

 例の連絡から一夜明けて、翌朝の学園は予想以上に煩雑していた。


「デルタ! お前、あのデブ公爵の妹と婚約するって本当なのかよ!!」


 こういうものは本来、決まってから世間に伝わるものだと思っていた。しかし、かの公爵家は外堀を埋めてきている。まさに政争の一手が如く。顔も名もまだ知らぬというのに、もう既に2人の運命が決まっているかのようにそれは広く、拡く。


「ガンマ、騒がないでよ。ただ、お見合いが決まったというだけの話。いい加減、自分で情報の精査ぐらいできるようになってくれないかな」


 いの1番に君が来ると思ってたよ。馬鹿正直な君と違って他の2人はそれが画策されたものだと分かるからね。


「そ、そうか。でも公爵派は、もう決まってるように話してたぜ」


「そりゃそうさ。僕は伯爵であっちは公爵令嬢。僕に決定権はない。あっちがその気なら既に決まっているようなものさ」


「じゃあ、どうするんだよ! お前、このままじゃ......」


 本当に君は表情が豊かだ。見ているだけでも飽きないな。


「大丈夫。まだ決まったわけじゃない。やり過ごす手はいくらでもある」


「そうなのか! さすがデルタだぜ!俺が力になれるならいくらでも協力するからな!じゃあ俺、アリミネスの所に行くから何かあったらいつでも来いよ!」


 彼の言葉に一切の含みはない。心に浮かんだ言葉をスラスラと連ねているだけ。だからこそ、僕は彼を──


「やぁあ! ゲルダス伯爵! 」


 脂質を含んだ声。なんだかここ毎日、彼に会ってるような気がする。


「これはゴルモンド公爵。おはようございます」


「いやいや、そんなに畏まらなくて結構。これから君と義兄弟になるかもしれない仲ではないか。もう少し砕けた口調でも気にはしない」


「しかし─「そんな固くならず、もう少し肩の力を抜きたまえよ。そんなことでは我が妹ナルシアの尻に敷かれてしまうことになるぞ!あの子はかなりの偏屈者だからな!あっはっは!」


 力強く肩を叩いて、彼は去っていた。その笑い声は姿が見えなくなった今も、まだ廊下にこびりついているような気がする。


「今日、休もうかな」


 既に本日の注目の的となってしまっている。この場所の居心地は最悪だ。優等生を目指している訳でもないから、授業をサボることに対してあまり抵抗はない。ただ、後に来る罪悪感を飲み込むだけ。


「デルタ様」


 踵を返して、寮へ戻ろうとするとパドラ嬢に呼び止められた。


「パドラ嬢、おはようございます」


「おはようございます。デルタ様、単刀直入に言います。貴方が望むなら、この私、差し支えながら助力致しますわ」


 妖艶な笑み。気味が悪い。僕が1番嫌いな顔だ。


「結構。それでは、失礼します」


「え? ちょっと待って! 少しは考えませんの!? 」


 慌てて僕を呼び止めるパドラ嬢。あんな顔、久々に見たな。以前はよく暴れふためいていたというのに、最近はどうにも落ち着いていて。僕からしたら昔の方がよっぽど彼女らしくていいのだが。


「これは僕の問題だ。貴女が出る幕はない。それに他者の家の関係に第三者である貴女が手を出すことによる影響も考えて頂きたい。公爵令嬢としての自覚を持つことは結構ですが、もう少し他人の心情を慮ることを学ぶことをお勧めします」


 お前からは気持ちの悪い大人のがする。利を求め、常に思考と思惑の水面下に立ち、この世界を盤面と見る。あの純粋無垢で気ままな彼女がそんなことを考えるはずはない。僕はお前を決してとは思わない。


「どうしてアルが貴女からアリミネス嬢に鞍替えしたと思います?」


 ふと深層から漏れた言葉。彼女の表情が驚愕と絶望に変わる。


「グイン!!」


 それは僕の言葉によってではない。自身の従者が、僕の喉元に銀の刃を滑らせていたからだ。


「いい加減にしろよ、このクソチビ眼鏡が! これ以上、パドラ様のことを侮辱してみろ! ぶっ殺してやる!!!」


「グインの馬鹿! 早くそのナイフをしまいなさい!私のことなんてどうでもいいから!」


 あぁ、なんだこの茶番は。朝からどんどん気力が損なわれていく。どうせ、出来もしないくせにチンケな脅しをするガキと大人に酔った公爵令嬢サマ。もうどうにかなってしまいそうだ。


「やってみろよ。できないくせに」


 流動する思考に歯止めが効かない。今の僕はガンマだ。彼と同じだ。


「─っっ!!」


 ナイフを掴む手に力が入る。コイツ、本当に殺る気だ。


「デルタ!!!!!!」


 聞き慣れた怒声。いつもそうやって、君は僕を助けに来てくれるね。変わらない。あの日のままだ。


 ガンマから繰り出される突きは、轟音を唸らせながらも寸分の狂いなく、ナイフを弾き飛ばした。そして、流れるようにグインを蹴飛ばして、僕を抱える。


「デルタ! 大丈夫か!?」


「ああ。君にしては随分と遅かったじゃないか。それほどアリミネス嬢に熱が入ってたのか?」


 本当は素直に感謝すればいいのだろう。でも、僕たちはそんな関係じゃない。それはお互いに理解しているし、受け入れている。


「ってぇ......」


「はぁ〜、とんでもない事態になっちゃったわね」


 パドラ嬢は吹っ飛ばされたグインを介抱しながら溜息を吐く。


「おい! お前、遂に本性を表しやがったな!! 今のは言い逃れ出来ねぇぞ! よりにもよってデルタに手ぇ出すとはな。有り得ねぇんだよ、ドーラが俺たちに危害を加えるなんてな」


 そうだ。彼女と僕たちは言わば竹馬の友。幼き頃からアルファの婚約者として共に過ごしてきた彼女とは切っても切れない縁だ。


「やっぱ、テメェはアリミネスの言う通り、悪魔に取り憑かれてるみてぇだな」


「悪魔?」


 聞き慣れぬ言葉に疑問符を浮かべながら彼女の顔を見れば血の気を失せていた。蒼い。


「はっ! その顔、図星みてぇだな! バレないとでも思ってたのかよ」


「ほ、本当に彼女がそう仰ったのですか?」


 なんだかややこしい事になりそうだ。巻き込まれる前にこの場を去ろう。


「あ、おいデルタ! 大丈夫なのかよ!」


「おかげさまで。 それじゃあ僕はこれにて失礼させてもらうよ」


 面倒事は大人になってからでいい。どうして学生の頃から必要以上に揉まれなくちゃいけないんだ。


「そうはいかないよ、デルタ。今の話を聞いてしまったのであればこのまま君を帰す訳にはいかない」


「アル、ファ殿下ですか。僕は何も聞いていないですよ。それでは」


 これ以上ないほど厄介事の匂いだ。今の僕のキャパシティでは受け入れられそうにない。


「待てって、デルタ!!」


 ガンマが何か喚いているが、逃げるように駆け走る。



 ───ふざけるなよ



 これ以上侵すな


 奪うな


 僕から


 僕が何をしたっていうんだ?


 どうして上手くいかない?


 僕はただいつもの変わらない日々を望んでいるだけなのに


 この世界は


 なんて


 鬱苦うつくしいんだ

















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