第6話

 日の出前から忙しなく鳴き交わしていた鳥たちもすっかり落ち着き、太陽はいつのまにか中天に差し掛かっていた。

 頃合いだときりをつけて、ユマはぐっと体を伸ばして立ち上がった。新品の体の数少ないメリットのひとつは、長時間同じ姿勢でも筋肉がこわばりにくくなったことだ。朝から座り込んだままだった今日も、筋を伸ばし関節を回しても凝り固まった感じは一切ない。それでも癖のように体をほぐしてから辺りを見渡すと、随分とそれらしい体裁の整ってきた菜園からにょきにょきと生えるように、三体のゴーレムが直立不動でいるのが確認できた。

 魔術師のゾンビに墓漁りを命じられたユマは結局、その取引を受諾した。遺体を冒涜することへの罪悪感も穢れに対する恐れも当然のようにあったが、背に腹は変えられなかった。幸いにもで育った身には、そういった忌避感を無視することはそれほど難しくない。遺体はただの物質でありそこに宿る霊やら魂やら思念やらはただの妄想だと自身に言い聞かせ、腐敗によって実際に生じている有害物質への対策だけは念入りにすることで、ユマは淡々と墓暴きを繰り返した。

 とはいえ、幼い子供のような寸法ではできる労働にも限りがある。おまけに、礼拝堂に保管されていた埋葬者の名簿や領主一族の家系図と照らしあわせれば、墓地に埋葬されているのはほとんどがハーノウィンの血族であり、それがどんどん先細りになっているのは明白だった。要するに、遺体の発生頻度が極端に少ない。ユマもゾンビ——アルルクと名乗った——も日付の知識がなかったが、暴いた遺体や副葬品の損傷度合いからみるに、最後の死者が埋葬された陰暦一一〇八年とは二年以上前のことだろうというのが、生前あらゆる生物の死体を研究材料にしていたというゾンビの見解だった。

 つまるところ、大変な手間をかけたにも関わらず、墓荒らしではゾンビの肉体に生気を取り戻すことが叶わなかったのだ。課せられたものからは程遠い成果にユマは絶望的になったが、多少は人の心がある——というより生かさず殺さずのご主人様の心得があるらしいアルルクは、ユマに使パーツのいくつかと、ユマ自身の腎臓ひとつと引き換えにゴーレムの創出を承諾した。まさに、身を削って生み出された愛しい子分たちだった。


「うん、綺麗に耕せてるな。いい子だぞ園芸1号、園芸2号。園芸3号は……メンテが必要だな……」


 幼子が好き放題にちぎって丸めた粘土のような塊に、脚として最低限の役割を果たす円筒を二つ、それよりは多少高度な働きを考慮したらしいヘラ状の土板を二つ継いだ、不格好な土人形。胴体にあたる塊が小さい順に、ユマは彼らに番号を振った。園芸3号は胴の重さゆえか、誕生からわずか三日で都合八度の修繕を受けている。今のところユマの腎臓その他で生気を保てているアルルクは、八度分全てをツケ払いにすることを許容した。

 かつてユマが暮らしていた世界では、人間の腎臓には二千万円の価値があるとかないとか、まことしやかに囁かれていた。それがこのような粗悪ゴーレム三体と引き換えにされてよいものか。ゴーレムの相場などユマには知る由もないが、どうしても釣り合っているとは思えなかった。せめて修理費用も含めてもらわなければ納得がいかない。


「ちょっとアルルクさん、3号の脚がまた折れたんですけど!」


 1号と2号に両脇から支えられた3号を従えて研究室の扉を勢いよく開く。勢いをつけるのは気分の問題だけではない。実際のところ、ユマの小人の体には建具のひとつひとつが大きすぎるし重すぎるのだった。

 円錐形の屋根と多面の壁の全てにガラスが嵌った瀟洒な温室を自身の根城とし、日々毒薬と毒草の生産に没頭しているアルルクは、虫喰いの残る顔を上げもせずにフンと鼻で笑った。


「お前の働きが悪いからだろう。哀れなことだ、無能なる者に望まれたがためにかように儚き肉体を与えられ破壊と再生の日々の繰り返しを強いられるとは」

「んなこと言うなら手心を加えてくれてもいいんじゃないでしょうかねえ! 罰当たりなことにここの墓は全てあばきましたけど、あばいた結果が現状なんですよ! 人も草も枯れ果てたこんな土地じゃこれが限界です!」

「自分の無能を環境のせいにするのは見苦しいぞ」

「環境のせいだよ! 努力でどうにかなるならとっくにしてますよ!」


 ユマは入り口脇に留まったまま怒鳴り立てた。言葉の威勢だけはいいが、いくらかマシになっただけで相変わらずゾンビ然としたアルルクには、依然として近寄れずにいる。人を喰らう化物であり、得体の知れない魔術師であり、その人品が甚だしく横暴で傲岸不遜ときてはただびとであるユマが恐れを抱くのは当然と言えたし、いまだに腐臭をまとうその体に近づくことを本能が拒絶していた。当のアルルクは向けられる感情にも視線にも興味を示さないため、二人の距離は三日間全く変わっていなかった。


「それで? 直すのか、直さんのか」


 薄青い霧を立ち上らせながら毒草を擂るアルルクが、どうでもよさそうに尋ねる。事実、庭の管理もゴーレムの整備も、彼にとっては必要のないことだ。ユマはしかめっ面をいっそう深めて渋々と呟いた。


「……お願いします」


 お願いしなければならないことにも納得しかねているのだが、しなければ直されないという非常にシンプルな理由でそうせざるを得ない。


「当然、ツケというわけだな」

「当っ然、ツケでございます」


 厭味まじりに答えるが、アルルクには通じた様子もない。手元の乳鉢に視線を向けたまま、爪の一枚足りない左手でゴーレムを手招く。ユマを主人として設定された園芸ゴーレムだが、造物主の命令はさらに優先度が上だ。呼ばれたまま素直に歩み寄る彼らが傍らに立ってようやく顔を上げると、まずは彼らに霧吹きで水をかけ、同じように自分の体にも水をかけた。水といってもアルルクいわくの魔力溶液というものである。これが魔術師である彼のかけら程度の気遣いであり、ゾンビである彼の唯一の身繕いであり食事であると知って以来、ユマのアルルクへの嫌悪感は若干増した。

 嫌悪の目を向けられていることにも勿論構わず、アルルクは床に置かれた甕の蓋を開けると、素手で軽くかき混ぜて中身を一握りぶん取り出した。両手で持って更に捏ねられたその塊が、べん、と乱雑にゴーレムの脚の切断面に押し付けられる。それを撫でたり叩いたり伸ばしたりしてもう一本の脚とおおよそ同じ形に整えれば修繕完了というわけだった。毎度ながら、ユマにはこれで対価を取られる意味がわからない。なので、一仕事終えたように息を吐かれても苛立ちしかわかないのだった。


「ほれ、これでいいだろう。お前のゴーレムは完璧だ」

「よかあないんですけどね!」

「ふん、このゴーレムはこれが完璧な姿だ。性能の強化を求めるならば俺にとって有益な働きに勤しむがいい」


 鼻で笑って椅子に戻るアルルクに歯軋りをこらえながら、ユマは園芸1号を呼ぶ。ぼてぼてと不器用な歩みで戻ってきたゴーレムに背負ってきた布袋を渡し、アルルクを指差すと、再びぼてぼてと脚を動かし目的地まで荷物を運んでいく。


「このような無意味な使い方をするからお前のゴーレムは損耗が激しいのだ。少しは自分の体を動かせ」

「お前のような引きこもりには言われたくないよ!」


 言い返しながらも、相手の言が一面の真実であることはユマも認めざるを得ない。それでも、ゾンビから距離をおきたいというわがままくらい許されなければやっていられない。

 アルルクは小言を吐きながらもゴーレムから布袋を受け取り、木製の大皿を引き寄せるとその上に袋の中身を中身をぶちまけた。ユマとゴーレムたちが本日整備してきた菜園と花壇——の予定地や館からの道中で採取してきた、昆虫、土、石、何かの骨、草の実、毒草などである。作業台の引き出しから帳面を取り出すと、アルルクは律儀に品目と価格を書きつけていき、最終的に六十五ムィナという金額を算定した。ムィナという貨幣単位の価値はユマには不明であったが、部位欠損修繕費が一律五万であるから、この調子では完済までに7千日近くかかる計算だ。焼け石に水どころの話ではない。

 げんなりしながら些か腐敗臭のついた布袋を園芸1号から受けとっていると、アルルクが思い出したように羽ペンをユマに向けた。


「ところで午後の予定だが」

「午後は西の池と南の丘を整備しなきゃいけませんねえ! わ〜忙しい!」


 嫌な予感しかせず、ユマは相手の言葉を遮って断る。だがアルルクは、それで引き下がる温和な精神の持ち主ではない。


「それはそんなに時間がかかるのか? 無能なのか?」

「言うに事欠いて貴様ぁあ! それは諸悪の根源が言っていいことじゃないんだよ!」


 ユマは決して無能ではない、はずだ。怠惰でもない、はずだ。少なくとも、このゾンビ男に蔑まれるほどには。ただし、小人の体には限界があるし、女性の体にも限界がある。何よりも整備すべき庭の広さが割に合っていない。作業が遅いことは事実であり、それに歯痒さを感じているからこそ、怒りは大きい。

 怒りのあまり、つい室内に踏み入りそうになって、それでもやはり腐臭に負けて踏みとどまり、手近な草を毟っては投げていると「毒草だぞ」と冷静な忠告が飛んだ。ユマの憎しみはいや増した。

 歯噛みをするユマをつまらなさそうに一瞥すると、アルルクはフンと鼻を鳴らして背の高い毒草の陰から一頭のロバを引き出してきた。勿論、不細工なゴーレムだった。


「特別にこれを作ってやった。お前、これに乗って外と繋ぎをつけてこい」

「無理だろ」


 万感の思いを込めてバカを見る目で即答するユマに、アルルクは盛大に舌打ちをした。水気の足りないゾンビの舌打ちは何かがばきりと割れる音に聞こえるが、生前の癖なのか、彼は頻繁にべきばきと舌打ちをする。


「領地の端ギリギリまで行って、なるべく集落や街道に近いところで喚いていればそのうち誰かに見つけてもらえるだろう」

「バカだろ」


 発想自体はそうおかしくはない。物理的な壁で阻まれているわけではないのだから、こちらが庭の中にいようとも庭の外にいる人間と交流を図ることは可能だ。確かに領内には、外から続き外へ続く道もいくつもある。しかしそれは、外の人間にしてみれば『ウィンデルノートに通じる道』でしかないのだ。誰が好き好んで通るというのか。必然的に、アルルクの思惑に応えるには『街道ではない場所』にたまたま迷い込んだ人間を探すしかないということになる。そして、庭と繋がれたユマにわかるのは庭の中の地理だけであるし、アルルクの知識は四百年前のものである上にそもそも出自は全く別の土地だという。当てずっぽうに庭の境界線を辿り続けて運良く見つけた人間に声をかけるという考えは楽観的に過ぎる。

 しかしアルルクは、ユマの暴言すら聞き流してロバゴーレムの尻をぺしんと叩いた。ロバは従順に温室入り口に向けて歩き出す。


「この領内は魔力が豊富であるがゆえ魔術素材には事欠かないが、自給自足には限度がある。お前の無能を差し引いても、土地の荒れ具合は相当なものだ。おそらくあの親子も領内で採れる食物だけでは食い繋げていなかったはずだ。つまり、行商人が定期的に訪れている可能性はないとは言えん」

「なんとなく言いたいことはわかりましたけど、ないとは言えんってあまりにも確率が低すぎません? やっぱりバカなんじゃないですか?」

「うまくことを運べれば報酬として園芸ゴーレムを倍に増やしてやるし、そのロバも無償供与してやろう」

「その言葉忘れんなよ!」


 ユマは啖呵を切って、目の前にやってきたロバゴーレムの手綱をとった。我ながらチョロすぎないかとは一瞬だけ迷った。しかし、一瞬であった。たった三日間で、小人一体と素朴なゴーレム三体での整備の限界に気づき始めていた。何より、半地下の食物貯蔵庫に残っていたわずかな根菜と燻製肉は、小人の少食さであってもあと二日分あるかないかといったところである。既に昨晩から、ユマはその辺りで食べられそうな野草や木の根を食事に混ぜ始めている。アルルクの提案はあまりにも博打に思えるが、悲しいことにひどく現実的でもあった。

 園芸1号2号3号に領内西部の池の整備と、そこから引かれる水路の補修を命じると、乏しい食料の一部を持って、ユマはさっと馬上の人となった。馬ではなくロバであるし、ひどく不格好な上に常歩と速歩の機能しかない駄馬であったがユマ自身が歩くよりは何倍も速い。ただし、乗馬には鞍が必要だと言うことを、ユマもアルルクもわかっていなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

ウィンデルノートの庭付きの花嫁 烏目 @cornix

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ