第5話
過激なことは口走ったが、もちろんどれも本気ではない。本音は多分に混ざっていたが、実際に行動に移せるかとなると話が変わってくるのが人間の常である。実行できないからこそ、言葉にして鬱憤を晴らすのだ。
ユマだって、可能であるなら庭の保全に努めたいのだ。国に尽くしてやる義理こそないが、どんなに拒否したところで一国の命運を背負わされてしまった事実には変わりがなく、自分が役目を果たせなかったために大勢の人間が命を落とし、路頭に迷うという未来は、想像するだに寝覚めが悪い。無理なものは無理だ。しかし無理でない可能性があるならば、それを漫然と見過ごすこともしたくはない。
問題は、目の前のゾンビ男が明らかに『狂人』の類であることだった。発言と行動、願望と現実が必ずしも合致しないことを、普通の人間は理解している。しかし頭のネジの外れた人間というものは、誰かが口にした妄想も願望も全て実現すべきものだと判断しがちだ。実行する強い意志をもって言葉を紡いでいるのだと思い込みがちだ。おそらくこのゾンビもそうだ。そんな輩に新しいゾンビを作ってくれと頼んだなら、武力百、知力ゼロの極限の呂布のようなゾンビしか生まれない。ユマが求めているのは、ただ静かに土地の管理を手伝ってくれるロボット兵なのだ。
にわかに現れた希望を逃したくはないが、その救世主が明らかに混沌、悪属性の腐りかけのゾンビであるために躊躇いがある。どう切り出すべきか、今はやめて時機を見計らうべきか。悩んでいるうちに、ゾンビの方は行動を開始していた。
「まずは手始めに毒の調合から始めよう。いいかポチ、この先端が紫を帯びた剣のような葉を持つ植物を、傷つけぬように根ごと引き抜いてくるのだ。葉には幻覚の作用しかないが、根には神経を麻痺させる劇毒が含まれている」
「おい待てなんでそんな物騒なものを持ってるんだ」
なんでもない顔をして物騒な説明を始めたゾンビ男を問いただすと、舌打ちとともに手に持った毒草を無造作に放り投げてきた。ユマが大げさなくらい飛び退くと、男は鼻で笑って溶けかけのローブの袂に手を突っ込み、同じものを取りだした。
「道々見つけた植物を採集してきただけだ。その辺りにいくらでも生えていたぞ。ほかにも数種、毒草や毒キノコを拾ってきたが、本格的に土地を腐らせるにはやはり鉱毒を使いたいな」
「やめろやめろしれっと大量虐殺の計画を進めるんじゃない!」
悪臭のことも忘れて男に駆け寄り、手に持った草を叩き落とし、ついでに袖口もばさばさと揺らして毒物を振り落とし、床に落ちたそれらを壁に向かって蹴り飛ばした。
「あっこら何をする! いくらでも採れるからといっても粗末に扱うな。そういうことをしていると、いつか草一本分の毒素が足りなくて泣く日が来るのだ」
「来ないよそんな日は!」
「何を言う。お前もこの国に復讐がしたいのだろう。ならばいずれ、そういう日もくる。なあに案ずるな。今は草むしりも満足にできないずぶのど素人でも、貴様の気概を見込んで、この俺が直々に毒の抽出、精製、調合について教えてやるからな。五十年もすれば貴様も立派な呪詛師の端くれだ」
「長すぎだろ。お前教育者として無能なのでは?」
ほかにも言うべきことはあったのだが、ついポロリと鋭いツッコミが口をついてしまった。当然のごとく、男は土を吐いて怒鳴り散らした。
「なんだと! 貴様……ポチ! 被造物の分際で先ほどから口が過ぎるぞ!」
「はあ〜? 百歩譲ってわたしが五人分の死体から生成されたことはだいぶ認めているんですけど、もともとあったものを繋ぎあわせただけのくせに創造主とか言われるのは片腹痛いのですが。ブラックジャックだって多分そのくらいのことはできたのですが」
「俺の知らない魔術師の話をするな! 所詮、俺が死んでいた間に生きていただけの凡夫だろう。同じ時間を生きていれば、そのような凡骨の名は俺の影に霞んで歴史に残ることはなかった! 生きているだけでいい思いをしやがって!」
「まあ……それは当然なのでは」
ゾンビ男のぶっ飛んだ主張に、すっと冷静さを取り戻して返す。この男の傲慢さは天を突き抜けている。話題の人物がそもそも魔術師でないという事実を抜きにしても、自分の死後の他者の活躍が許せないというのは、いっそ病的だ。しかし、そこに勝機があるとユマは気付いた。
「生きている人間が死んだ人間よりも優遇されて評価されるのは当たり前ですよ。世の中みんな生きてますからね」
「たかだか生きているだけで偉そうに……」
実際えらいのでは、と思ったが、今度は口を滑らせないようにした。今、男の神経を逆なでするわけにはいかない。
「生者は生者しか評価しませんよ。とっくに死んだ人の名前が残っているのは、生きている間の成果の名残でしかないんです。あなたは今後も何かを成しとげるつもりで、墓場から出ようとしたんですよね? でもその見るからに死んでる姿である限り、あなたは絶対に評価されない。あなたの偉業を世間に認めさせるためには、世間に死者を増やさなければいけないんですよ! どうだ! 死者蘇生カード、使いたくなっただろう!」
これ以上ないほどに説得力のある完璧な理論だ、とユマは自画自賛した。自尊心と承認欲求の肥大化したゾンビ男は、自己満足のために、機械的にヨイショを続けるゾンビ国民に囲まれた死者の帝国をこの領地内に打ち立てるに違いないのだ。
期待を込めて男の顔を見上げるが、男の表情に変化はなかった。瞬時に失敗を悟り、羞恥と失望で泣きそうになるが、そんなことをしている暇はない。次のプランは『目に見える脅威として死者の軍団があれば人々はさらに怯え、こちらは溜飲が下がる』アピールだ。なんだか次第に、ユマ自身が悪役のような気がしてくる。
だが、新たなプレゼンを始めようとした矢先、男は突然ユマに詰め寄ると硬い手でその頰を鷲掴みにした。
「な、なんだ、何が気に食わなかったんだ!」
唐突な動きに怯えて体を竦めたが、男はまるで気にする様子もなく、ぐにぐにとユマの頰を揉むように指先に力を込めた。そうして反対の手では、自分の頰を撫でさする。自分の企みがバレたのかとびくびくしていたユマは、まさかと思い至る。まさか男は、自分のゾンビ面に気づいていないのでは。
「おいポチ、俺はそんなにも死んだ顔をしているか」
予想は大当たりだった。確かに、鏡がなければ自分の顔など見えはしない。しかし、その手肌の色はどう見ても灰褐色だし、土も吐いていたし、なによりこれだけ死臭を放っておいて、気づかないものなのか。
そんな疑問を持ちながらも、ユマは力強く頷いた。
「これでもかってほど死んでます。色あせた砂みたいなヤバい色してるし、ひび割れとか虫食いもあるし……むしろ生きていると言われた方が怖いくらい死んでますぜ旦那」
「色あせた砂……?」
男は眉をひそめ、鷲掴みにしたままのユマの顔を持ち上げた。ユマは爪先立ちになって男の腕にしがみつくことになった。
「貴様も灰色だぞ。ついでに言えば世界中どこもかしこも灰色だ。俺が死んでいる八百四十年の間に光線の屈折率が変わったのではないのか?」
「変わるわけねーだろ! お前の視神経死んでるぞ! ていうか八百四十年って、よく生き返れたな!」
「俺は天才だからな。死ぬ前に不老の術式を完成させた。おそらくそれで、死体が土に還ることがなかったのだろうな」
ドヤ顔で鼻を鳴らすゾンビ。だが次の瞬間には悔しそうに顔が歪む。
「だが、これで好きなだけ時間をかけて不死の研究に取りかかれると思った矢先、欲に目のくらんだ愚か者に魔術式をよこせと襲われてな」
「殺されたのか……」
ユマはこれまでの話の流れを忘れてごくりと唾を飲んだ。生死というシビアな話題を出されると、途端に緊張してしまうのは人間の性だ。だが、男は軽く首を振った。
「いや。術式が欲しければ相応の対価を支払えと伝えたところ逆上され、研究所を燃やされた」
「……昔の人間はみんな短気だな」
「全くだ。ただ嬰児の破瓜の血と生涯日の光を浴びずに死んだ男児の精巣と百一歳と一日で死んだ人間の腰椎を求めただけだというのに」
「いや相手は悪くなかったわお前の要求が気違いすぎだわコトリバコでも作る気か」
「ふむ、貴様のような異世界の下民にもそれが魔術の素材だとわかるというのに、奴らは何も理解しなかった。それどころか苦労して集めた素材や資料を根こそぎ燃やされ、俺の手足であったゴーレム達も破壊の限りを尽くされた。おかげで見習いの子供のように足りぬものを自分の足で探し回る羽目になり、道中患った肺炎を拗らせてこのざまだ。この俺を失ったことで、世界の進歩がどれほど遅れたか。いや、あの親子の用いた術を見る限り退化してすらいる。まったく、欲深いだけの愚かな人間とは救いようがないものだ」
「欲の深さについては誰もお前に指摘されたくないのでは? いやそうじゃない。今、ゴーレムって言った? そういう魔法ってアリなんですか?」
なんの癖なのか、相変わらず律儀に突っ込んでしまいながら、ユマは都合のいい情報に食いついた。ゴーレム。それがユマの知識にあるものと同じならば、死者を蘇らせるよりも更に都合が良い。なにしろそれは死体を必要としないし、死者の軍団を作るようにそそのかすよりも簡単に誘導できるはずだ。
ユマの期待に応えるように、男は胸を張って頷いた。
「もちろん、あの程度の使役術、生命操作を専門としていた俺にとっては児戯にも等しいものよ」
「す、すごい! 今すぐ見せてもらえますか!」
「それは無理だ」
気持ちいいほどにばっさりと依頼を一刀両断した男は、ユマの顔から手を離し、自身の左胸を指差した。
「俺の使う使役術は、俺の心臓のかけらを素体に埋め込むことで擬似的な魂を作り出し、同時に俺の命令に必ず従うよう縛り付けるのだ。今の俺は不本意ながら死体なので、魔術の媒体として使えるかどうかがわからん。それに素体の下処理も必要で、そのために必要な魔力溶液というのがな、素材が全て揃っている状態でも精製するのに十五日はかかる」
「嘘でしょ」
十五日もあれば庭は荒廃する。ゴーレムを庭の整備に用いる案は、あっけなく頓挫した。
がっくりと項垂れたユマの様子に気を向けることもなく、男は壁の向こうを見透かすようにぐるりとホールを見渡した。
「幸いにもこの領地は魔力を多く含んでいるから、材料の採取には手間取らんだろうがな。魔法生物の生成には、魔力を惜しみなく与えてやることが肝心なのだ。人が血によって肉体を保つように、魔法生物は魔力を巡らせることで滑らかに動く。俺が術の媒介に心臓のかけらを使ったのは、その循環の手助けをするためでもあるのだ。だが、まあ」
含みのある言い方で言葉を切り、男はずかずかとホールを横切り、扉の外に出て行く。ユマが扉の影から覗くと、男は階段を下り、鷲掴みにした土を掌の上でこね回しているところだった。
ホールの中に留まったままのユマと目があうと、男は高笑いとともに土塊を宙に放り上げた。
「この土地は魔力で編まれている! ただの土にさえこれほどの魔力が含まれているのだ、この俺がほんの少し手を加えるだけで、単純作業をこなすだけのゴーレムならばすぐに作れる」
「やった! これで園芸ロボットが……あっ」
思わず外に飛び出して素直な感想を口にしてしまい、ユマは慌てて口を押さえた。だが男が聞き逃したはずもなく、にやりと悪辣な笑みを浮かべてあっという間に距離を詰めると、ユマの頭をボールのように掴んだ。
「やはりそのつもりだったか。どうりで毒にも興味を示さんと思った」
ぎりぎりと、万力のような力で締め上げられてユマはがむしゃらに叫ぶ。
「だ、だってなんとかなるならなんとかしたいじゃん! 人殺しがしたいわけではないし! わけのわかならないまま変なもの押し付けられてめちゃくちゃ腹は立ってるけど、さすがに虐殺の王にはなりたくないじゃん!」
叫びながら、無意識に両足をばたつかせていていたことに気づいて、ユマは自分が持ち上げられていることを理解した。子供の体は無力だ。大人の体を経験しているから余計にそれがわかる。事と次第によってはこのまま階段にでも叩きつけられるのだろう。あるいは、また別の魔術で肉体を更に改造されたり、精神を崩壊させられたりするのかもしれない。どれもごめんだが、どう弁解すれば狂ったゾンビに許しを請えるのかは全くわからない。
とにかく思いつくことをなんでも口にして暴れ続けた。世界の半分をくれてやるとか甲子園に連れて行ってやるとか、しょうもないことも口走った。男は特になんの反応も示さなかったが、やがて興味を失ったように無造作にユマを放り投げた。投げられた先は屋敷から少し離れた林の中だった。
「いいだろう。貴様の道楽に付き合ってやる」
「ふあ、へ?」
生命の危機を感じてパニックに陥っていたユマは、唐突に告げられた言葉をすぐには理解できなかった。草地の上でへたりこんだまま目を瞬かせていると、男はすっとどこかを指差す。反射的にその指の先を追えば、幾らか前にユマが滑り落ちてきた崖の上に、礼拝堂の屋根がかすかに見えた。
「俺は志半ばで死んでいるのだ。生き返ったからには、やりたいことが山ほどある。俺をコケにしたあの親子への復讐もその一つだ。だが、この体――お前がいうには随分と死体に見えるらしい」
そう、確かにそう見える。ユマは混乱したまま素直に頷いた。男は特に気を悪くした様子もなく、ただため息をついた。
「つまり不老の術式も不滅の術式とは異なっているということだ。これを放置しておけば、やりたいことの半分も成せぬままに肉体が崩壊し、もう一度死ぬことになる。よって、まずこの肉体を修復することを第一の目標とすることにした。お前にはその手伝いをしてもらう。もう自分の足で動き回るのはまっぴらごめんだからな。その見返りとして、俺はお前に園芸ゴーレムを作ってやる」
「それは……具体的にはどういうお手伝いを」
ぼんやりしたままそう尋ねると、男は崖の上を示した指を、その形のまま軽く振った。
「まずはあの墓場から、できるだけ鮮度のいい死体を探してこい。墓石の新しいものから優先的に暴くんだ。いいな」
どうやらユマは、庭の管理人から墓荒らしへとジョブチェンジをしなければいけないようだった。
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