第4話 引退試合

 菱形に丸みを帯びた領土を持つ、我らがリンドールグレールシェラ王国。


 そして、その北端。


 北には魔素の濃い森が広がり、人類の開拓を阻むかのように、または魔族の侵攻を防ぐかのように、凶悪な魔物たちが犇めきあっている。


 北の大都市ティムロードは、当初はそんな北端の備えの為に造られた防衛都市であったはずだ。


 だが、この都市は不老にして無敵の剣神と、地球より召喚された勇者の科学知識によって、より堅固に、より華麗に、王国内でも随一の先進都市としての地位を築いていた。


 有識者の中には、それこそ王都よりも華やいでいるという者がいるほどに、この都市は栄えているらしい。


 そんな都市の特徴といえば、都市の周囲を囲む、三重に造られた全高二十メートルの大防壁……などではなく、その都市の中央部にある一際大きな建物の存在であろう。


 全高は凡そ二十メートル程で、領主館と比べても遥かに大きい。そして、中はすり鉢状になっており、同心円を描くようにして、背もたれのないベンチが配置されている。


 その建物を簡単に表すのであれば、コロッセオというのが正しいだろう。


 だが、この建物のことをティムロードの人々はこう言うのだ。


 『闘技場アリーナ』と――。


「おー! これが闘技場です!?」


 俺たちは領主の館を出るなり、ティムロード家の馬車に詰め込まれて運ばれ、今はこうして闘技場の中を歩いている。


 一般人は入場までに長蛇の列を並ばされ、ようやく闘技場の観客席にたどり着けるものだが、関係者連絡口から顔パスで入り、すいすいと中に進んでいるのだ。


 どうも、この関係者連絡口は選手の出入口も兼ねているらしく、時折派手に着飾った鎧を着た若い娘や、本当に女性かと疑うような筋骨隆々の野性味溢れる女性などが、ちょくちょく連絡通路を通る。


 彼女たちは、俺たちの先頭を歩く小柄な少女に気付くと頭を下げたり、気軽に挨拶したりと、気安く対応しているようだ。


 そんな挨拶に少女は軽く片手を上げて応じたりしている。


 もう、分かったかもしれないが、この小柄な少女こそが、現ティムロードを統治している侯爵、アリエッタ・ティムロードその人である。


 癖のある金髪を腰まで伸ばし、そのモデルのような小さな顔には勝ち気そうな表情が浮かんでおり、相変わらず十代前半にしか見えない若々しさだ。


 とはいえ、彼女は見た目通りの年齢ではない。彼女はハーフエルフなので、見た目と年齢が一致しないのだ。その証拠に耳も少し尖っている。


 そもそも、何でティムロード侯爵が、俺たちと一緒に闘技場にきたかというと、話は三十分程前に遡る。


 ★


「――辺境伯の地位であれば、マグマレイド卿へと移っておるぞ?」


「はい?」


 俺がリヒター伯爵を通じて、ティムロード辺境伯に会ったところ、何と二年程前に王国内で大々的な拝領地の見直しが行われ、俺は北の森一帯を治める大地主の辺境伯へと封じられていたらしい。


 ついでに、ティムロード家も辺境伯から侯爵へと陞爵されたとか。


 なので、ドラゴンの問題は辺境伯……つまり俺が何とかする問題となり、話し合いはものの五分と経たずに終わってしまった。まだ、時節の挨拶の方が長かったぐらいだ。


 その時に、話題のひとつとして俺とリヒター卿で、闘技場に試合を見に行くという話を出したのだが、ティムロード侯爵がもの凄い勢いで食い付いてきたわけだ。


 で、何故か彼女が先頭に立って闘技場へと向かい、今に至るというわけである。


 ★


「シャノンちゃん、大興奮です」


 此処彼処を通るアイドルたちを血走った目で追いかけている美少女。ドルオタもここまで極まっているとちょっと引く。


 そんな愛娘を擁護するかのように、リヒター卿が柔らかな笑みを浮かべる。


「シャノンはアイドルになりたいのもそうなのですが、アイドル自体も大好きなんですよ」


 そうなのか。勇者が生きていたなら、随分と話の合う相手になっただろうになぁ。


「アイドル、アイドルって、この街に来てから良く聞くようになったですが、そんなに面白いのです?」


「なんじゃ、そちらの娘子は試合ライブも見たことないのかの?」


 振り返るアリエッタ・ティムロード侯爵。その顔には多少の驚愕が含まれているように感じた。


 まぁ、ティムロードに来ていて、試合を見ていないだなんて、炭酸の抜けたコーラみたいなものだしな。


 だが、忘れてはならない。


 ノアちゃんは超田舎者なのだ!


「試合どころか、アイドルについて、ついこの前知ったです!」


「嘆かわしい! マグマレイド辺境伯の領地の教育はどうなっておるのじゃ!」


「いや、その領地の話を聞いたのは、つい三十分程前だぞ。教育とか言われても困るんだが……」


「ならば、妾がアイドルのなんたるかについて語ってやろう!」


「あ、そういうのは遠慮しますです」


「なんじゃとー!」


 俺の目の前では、ダークエルフとハーフエルフが仲良くやっている光景が映る。同じエルフだから波長が合うのかもしれない。


 だが、貴族相手の対応としてはまずい。


 ティムロード侯爵が相手だから、子供の言っている事と、まだ穏便に許して貰えるが、他の貴族はそうもいかない。これは、自領に帰ったら言葉遣いぐらいは教えてやらないといけないかもしれないな。


   ★


 ティムロード卿直々の案内でたどり着いたのは、闘技場の中でも屋根も壁も付いた特別な部屋だ。


 しかも、そこはティムロード卿の屋敷の一室と言われても、まるで違和感がないような豪奢な空間であった。置かれた調度品も豪華でありながら嫌味がなく、非常に派手でありながらもどこか洗練された雰囲気を感じる。


 ただ、ティムロード家の屋敷と決定的に違うのは、試合観戦が良く見えるように、壁のひとつが透明度の高いガラスで覆われていることだ。ここまでの大きさのガラス、しかも透明度が高いとなると、相当数の白金貨を積んで作らせる必要がある。


 それだけ、ティムロード卿がアイドルに本気だということの証左でもあるのだろう。


 そして、今回、俺はこの豪華な空間へと通されている。おかしいな。普段はここまで待遇の良い扱いではないのだが……。


 そして、渡される小型の魔道具。


 何だこれは? 何かの発信装置に見えるが?


『はい、それでは本日のメインイベントになります【千剣】のアイリス選手の特別引退試合に合わせまして、解説に特別ゲストを御二方呼んでおります! まずは、こちらの方です!』


 そして、片手を上げて応えるリヒター卿が片目を瞑って、俺に合図をする。


 まさか! リヒター卿め、仕組んだな!?


『リヒター領領主、ロイド・リヒターです。本日は【千剣】殿の引退試合ということもあり、寂しい気持ちと、良い試合を見せてくれるのではないかと期待する気持ちの半々で来ました。宜しくお願いします』


 いきなり、振られたとは思えないそつのなさ。剣もそうだが、何でも無難にこなす男である。やはり、二枚目だからか? 恨めしい!


『リヒター伯爵様といえば、北部でも武闘派で知られる貴族閥【北部三剣】のお一人ですが、そんな御方にまでアイリス選手の武名が轟いているとは驚きました』


『恥ずかしながら、私の領地は痩せた土地ばかりですので……。領民が自然と狩りや魔物討伐を副業とすることが多いのですよ。結果として戦闘に精通する事が多く、出稼ぎの一環としてティムロード領でアイドルデビューを果たす者も多いのです。そうなると自領でも、アイドルの話題が多くなりまして、いつの間にか詳しくなってしまいました』


 なるほど。そんな土地柄だったのか。


 だから、シャノンがドルオタになったのかもしれないな。


 じゃなくて!


 くっ、心の準備をしなければ……!


『では、アイリス選手以外にも詳しいと?』


『強いと言われるアイドルでしたら大体は把握していますね。そして、今回引退する【千剣】殿は確実に強い部類ですから、それなりに詳しくもあります』


『通算成績が二百十六勝、五十二敗。とにかく、負けが少ないことで有名なアイドルですから、強いという印象も確かだと思います』


 ほう、アイリス女史もなかなかやるものだ。


 俺が前に見たのは、七年くらい前か。戦闘のセンスは皆無だったが、戦術が卓越していた覚えがある。負けぬ方法と勝ち方を心得ているような、純粋な強さとは違った部分で手強いアイドルであった印象だ。


『十五年でその成績ですよね? 年間十勝以上していると考えると、その安定感は恐ろしいと思いますよ』


『全盛期には、二十勝二敗のようなとてつもない成績もありましたが、よる年波には勝てずに最近では成績も七勝七敗のようにイーブンになることも多く、衰えを感じて引退を決意したとの情報もあります』


『本人はまだ三十後半でしょう? 引退は早すぎると思うのですが……』


 俺と比べるのも何だが、確かに早いな。


『まだ体の動く内に後進を育てたいと思っての決断のようです』


『なるほど。試合同様、綿密に人生設計も立てているのですね。流石です』


『さて、リヒター伯爵様には、後程、解説をお願いするとして、もう御一方をご紹介致しましょう。ご存知であろう方も多いはず! ディオス・マグマレイド辺境伯様です!』


「北の辺境伯領を治めているディオス・マグマレイド辺境伯だ。よろしく」


 ちなみに、今の俺は仮面を被っている。町の入り口の時の教訓を活かし、ティムロード邸を辞する時から付けていたのが功を奏したな。不幸はいつ来るか分からないから、こういう備えが大事なのだよ。はっはっはー。


 しかし、客の反応がイマイチだな。


 まぁ、反応を求めているわけではないので、別に構わないのだが。


 ん、何だ?


 解説組の隣に用意された臨時の席に座るお子様三人組が何か合図を出している。俺はその合図をさっと読み解く。


 ふむ、名前よりも二ツ名の方が売れているから、二ツ名を出せということか。


 断る。俺は悪目立ちしたくないんだ。


『ディオス・マグマレイド辺境伯様といえば、どちらかと言えば二ツ名である【北の剣神】様の方が有名でありますが――』


 む、ティムロード卿め。自分の従士である実況者に、無理矢理言わせたか。


 何? ティムロード家としては、北の剣神との太い繋がりがあることをアピールしたいから許せだと? それに、貴族の箔付けとしては良くあることだと?


 確かに、ティムロード家には何代にも渡って世話になっているし、ここで少し恩を返すのも悪くない。


 ちなみに解説の仕事には謝礼が付いてくるようだ。そっちに色を付けて貰うよう身振り手振りで伝えると、ティムロード卿はこくりと頷いた。よし、交渉成立だ。


『北の剣神様といえば、その実力に疑いようがないのは確かですが、アイドルについてはどうなんでしょうか?』


「最近のアイドルについては詳しくないな。ただ、今日やるアイリス女史と、ムン女史については、七年前にアイリス女史を、三年前にムン女史を、闘技場の点検で訪れた際に見ている」


『ほうほう、当時のお二人についてどんな印象を持たれましたか?』


「アイリス女史は戦闘センスに関して、取り立てて目立つ特徴は無かった。ただ、凄く相手を研究し、徹底して相手の土俵で戦わないことを心掛けていたように見えた。戦い方がクレーバーだったな。戦場の指揮官に欲しいタイプだ」


『なるほど。当時のアイリス選手は、A級アイドルとS級アイドルの間を行ったり来たりして、相当脂が乗っていましたからね。戦い方も確立し、安定していたのでしょう。一方の現S級アイドルであるムン選手は如何でしたでしょうか?』


「あれは駄目だ」


 俺の発言に闘技場内がざわつく。


 まぁ、S級アイドルといえば、このティムロードにいるアイドルたちの頂点。たった三人しかいない凄腕の強者だ。そんな存在をいきなり貶したとなれば、アイドルたちを愛するティムロードの領民たちが黙っていないだろう。


『そ、それはどういう意味でしょうか? ムン選手はここ二年は連戦連勝で押しも押されぬトップアイドルの一人であり、最近では【常勝】のムンなどと呼ばれていたりもするのですが……』


「俺が見たのは三年前だから、現在では戦い方が変わっているやもしれん。だが、当時のムン女史は圧倒的な力と体力で相手を殴り倒して勝利を手に入れるという戦闘スタイルだった」


『そうですね。戦いのスタイルは今も変わっていません。どんな厳しい状況下であろうとも、勇気を持って飛び込み、圧倒的な力でねじ伏せるスタイルは分かりやすくて、ファンも多いですよ』


「その戦闘スタイルが問題なんだ。その戦闘スタイルじゃ、少なからず被弾する事を覚悟しなくちゃならない。それは、恐らくピンチを演出するという興行の意味では、良い緊張感を与えてくれることだろう。だが、本来の戦いにおいて、傷は体の動きを阻害し、思考を冷静でいられなくする要素だ」


 そんなもの、なるべくなら負わない方が良いに決まっている。


「戦場では、傷を受ける度に身体能力の性能は下がる。傷なんて受けないに越したことはない。だが、この闘技場は皆が知っているように、一試合毎に受けた傷は無かったことにされる。ムン女史は、この闘技場の特徴を最大限に活かして戦っている。それが悪いとは言わないが、アイドルとしては超一流でも戦士としては欠陥品だということだ」


『な、なるほど……。これは手厳しい意見ですね。いえ、数多の戦場を駆け抜けた故の重い言葉とでも言いましょうか。大変参考になります』


 とはいえ、毎回傷を負うような無茶な戦法で二年間負け無しというのは凄い記録だ。


 普通なら、傷を負う恐怖に負けて心が折れそうなものだが、ムン女史はそれを克服しているように見える。欠陥を抱える戦士ではあるが、彼女は決して弱いわけではないのだ。特に精神に関しては誰にも負けないものを持っているのかもしれない。


『えー、それではそろそろ時間も宜しいようですので、両アイドルに入場して頂きましょう! まずは西側入場ゲートを御覧下さい!』


 実況の案内に合わせて、クラシックのような重厚でいて厳格な曲が流れ始める。それと共に舞台の中央には顔写真に名前とレーダーチャートが映し出される。


 【千剣】アイリス

 筋力8、敏捷8、体格8、魔力8、武装8。


 見事な五角形。バランスが良いな。


 曲と共に入場してきたボブカットの黒髪黒目の女性が周囲の歓声に応えるように手を振りながら愛想を振り撒く。その髪には大きめの銀の髪飾りが二つ煌めいている。


 愛想の良い登場ではあるが、表情は引き締まっており、今日という日の為に完璧な準備をこなしてきたことを感じさせる顔付きだ。


『S級アイドル歴最長一年! その戦闘スタイルは相手に合わせて変幻自在! 彼女が扱えない武器など無いのではないか? そんな思いから付いた二つ名が【千剣】! ここまで器用に戦い、これだけの結果を残してきたのは、後にも先にも彼女だけ! 引退試合では引退者からの指名で対戦相手を決めることができますが、昨今は勝利して現役を終えたいと考えるアイドルが多く、格下を指名する流れが多い中、あえての格上指名! 果たして、最後の花道を飾ることが出来るのか? 【千剣】のアイリス選手の入場だー!』


 軽快な足取りのまま、アイリスは舞台の上にふわりと飛び乗る。


 まるで重さを感じさせないその動きは、まだまだ腕が錆び付いていないことを感じさせる。


『アイリス選手は、本日は棍を選択したようですね。棍が【常勝】のムン選手に有効と考えたのでしょうか?』


 森の暗殺者、キングスパイダーの頑丈な糸で編まれたビジネススーツのような衣装を着たアイリスは片手に白色の棍を握っての入場であった。


 ちなみに、入場口を通る時に出場者の体はスキャンされ、本当の体は別次元へと格納されてしまう。今、目の前に見えているのは、そんな出場者の体をスキャンして造られた仮想の肉体だ。そこに、出場者の精神を宿らせて戦う。仮想の肉体と言っても痛みは普通に感じるし、身体能力以上のことが出来たりするわけでもない。本当にアイドルの身を守る為だけに、この仕掛けはあるのだ。


『【常勝】殿の武装は手甲ですから、リーチのある武器の方が有利と考えて棍を選択したのではないでしょうか。それと白というのも面白いですね』


『白が面白いというと?』


「駄洒落か?」


『闘技場の壁や床は白を基調としています。そこに白い棍ですから、対戦相手としてはかなり攻撃が見え難いと思いますね。特に棍は持つ位置を変えることで射程を自在に変えられますから、対戦相手は【千剣】殿の攻撃を見誤り易いのではないでしょうか』


『なるほど、保護色のようなものですね』


 俺の突っ込みも見え難かったようだな。保護色のようなものか。


『それに、あの棍はただの棍ではないようです』


『私には普通の棍にしか見えませんが?』


『その辺りは、マグマレイド卿に聞いてみては如何でしょう。恐らく詳しい解説が聞けるはずです』


『そうなんですか、マグマレイド辺境伯様、解説をお願いします』


 …………。


 ちょっと茶化したのを怒っているのか、リヒター卿?

 そうじゃなくて、普通に解説して欲しいだけ?


 …………。


 うん、普通に解説して欲しかった、ということにしておこう。


 ただ、武器の種明かしを言ってしまうとアイリス女史に恨まれてしまうから多くは語らない。そうだな。


「ヒントはレーダーチャートだ。そこに答えはある」


『レーダーチャート? ってあの正五角形の奴ですよね? あれに何があるのでしょうか?』


「それは自分で考えてくれ」

 

 実況が期待しているのとは逆に、俺はアイリス女史から突き刺さるような鋭い視線を受けていた。これ以上は言うな、という牽制だろう。


 逆にその態度から棍に仕掛けがあると知れてしまうのだが、ムン女史はまだ登場していないし、大丈夫か。


 事実、彼女の棍には仕掛けがある。棍を細かく揺らして誤魔化してはいるが重心の位置が通常の棍とは違っていて不自然なのだ。


 恐らく、棍の両先端部に重量の違う何かが仕込まれているのだろう。それを裏付けるように、その棍は彼女の体格で扱うには些か太いように感じる。


 俺がレーダーチャートと言ったのも、その辺に端を発する。


 この闘技場に仕掛けた戦力分析の魔法式はアイドルの持ち込んだ武装の性能を事細かに把握するのだ。だからこそ、断言出来るのだが、ただの棍に武装評価8なんて高得点は付かない。例え、素材が良かったとしても、8は高過ぎる。


 アダマンタイトのツヴァイハンダー装備の重戦士でさえ、せいぜいが6程度だ。ミスリルで全身装備を揃えれば7くらいはいく。そこに、迷宮ものの魔剣を加えれば9ぐらいはいく。


 つまりは、そういうことだ。


 普通の棍では絶対に8という武装評価は得られないのである。


 その辺をアイリス女史はキングスパイダーの糸から出来たスーツを着ることで誤魔化そうとしているのだろう。キングスパイダーの糸は高級品だから、高級品イコール強いという思い込みが発生する。だから、武装評価が8でも不自然さは無いと考えてしまう者もいるだろう。


 だが、キングスパイダー装備は布装備だ。特殊金属を加工した全身鎧に勝る武装評価にはなりえない。そう考えると、思い込みを利用して上手く棍の特殊性を隠そうとしているようだ。


 俺には見破られたが、一般人相手にはなかなか有効なのではないだろうか。


『舞台での動きも軽快なようです。本日は期待が出来るのではないでしょうか』


『これは熱い試合が見れそうですね! く~っ! 楽しみです!』


 リヒター卿の解説に、実況の従士も客を十分に温めていく。


 実際、俺から見てもアイリス女史の調子は良さそうに見える。それこそ、本当にこれから引退試合をやるアイドルかと思うほどだ。


『それでは続きまして、皆様、東側ゲートを御覧下さい!』

 

 実況の案内に合わせて、どこか重厚なクラシックを思わせる曲が途切れ、一転して金属系打楽器を打ち鳴らすような音と軽快な笛の音が合わさったアップテンポな曲が流れ始める。その曲に合わせるようにして、走って入ってきたのは赤く癖のある髪をツインテールにした背の低い少女である。


 緋色の胸当てと関節各所を守るプロテクターに身を包み、分かりやすいぐらいに軽装な彼女は、両腕を肘まで覆う緋色の手甲とツインテールを揺らしながら入場する。それと共に闘技場の上にまたも顔写真と名前とレーダーチャートが表示されていた。


 ムン

 筋力10、敏捷8、体格10、魔力1、武装6。


 一転突破の火力型。大きな体でもないのに体格が10というのは異常だ。


 ムン女史は闘技場の前で勢い良くロンダートからバク転を決めると観客の歓声に手を振りながら、そのまま闘技場の中央に歩み出て、何かを叫び始める。その視線はどうやら俺を捉えているようだ。


 闘技場の音声拡大機能の魔法式が、その声を拾う。


『コラァ、北の剣神ッ! 好き勝手言い過ぎだぞ! 偉そーに上から目線で、モ~ッ! そこまで言うならキミは超強いんだろうなぁだぞー!』


「まぁ、少なくともお前よりは強いぞ」


『上等だぞー! これ終わったらムンと戦えだぞ~! ボコボコにしちゃうんだぞー!』


 俺はちらりとティムロード卿に視線を飛ばす。領民が貴族にいきなり喧嘩をふっ掛けるなんて前代未聞だ。場合によっては投獄されて処刑なんてルートもあり得る。


 そもそもが、貴族は王よりその地を賜って治めているだけに領地間の不和を呼び起こすようなマネは王命に背く行為と取られて、国家反逆罪が適用されかねない。


 しかも、ここには第三者たるリヒター領の領主までいる。証人として不足はないだろう。


 俺は良いのか? という目でティムロード卿を見つめると、ティムロード卿は貫禄すら感じられる堂々とした態度で、「ムンが剣神殿に稽古を付けて貰いたいようじゃ」と言う。


 あぁ、あくまでも辺境伯ではなくて、剣神としてであり、喧嘩ではなくて稽古ということか。


 とはいえ、こんな何も利益を生まないような勝負にわざわざ俺が片足を突っ込むというのもどうだろう。


 正直、ちょっと気が進まないと渋ってみせたら、稽古代を解説代に上乗せして払うというティムロード卿からの嬉しい申し出があった。ゴネてみるものである。


 ちなみに、俺はそこまで金に苦労してはいない。北の森に棲む魔物たちの素材がそこそこの高値で売れるからだ。


 だが、冒険者ギルドでは素材の査定にも時間が掛かるし、解体もしていないので金になるまでに時間が掛かる。


 そういう意味では即金というのは素直に有難い存在であった。特に、俺一人ではなく、ノアちゃんもいるのだから尚更だ。

 

「分かった。お前さんがアイリス女史に勝てたのなら、稽古に付き合ってやろう」


 俺の宣言に会場が大いに盛り上がりをみせる。まるで、ひとつの獣となって咆哮を上げているかのようだ。


『ちょっと待って下さい』


 そんな闘技場の盛り上がりの中、音声拡大魔法式がアイリス女史の音声を拾い上げる。


 異議あり、と?


『そんな条件を付けられては、闘技場のお客様の応援が全てムンさんに向けられてしまいます。戦う前からやりにくい空気にされるのは、私としては不本意です』


「では、どうしろと?」


『私がムンさんに勝ったあかつきには、剣神様のお墨付きを、私が作るアイドル事務所に頂けませんか?』


 先程よりも小規模ながらざわめきが起きる。ざわめいたのは一般の客でなくて、アイドル関係者か。


 この地域での剣神は一種のブランドのようなものだしな。そして、俺はそう簡単に名前を貸すことを良しとはしていない。


 とはいえ、ムンとの稽古……恐らくは公開試合になるだろう……の約束をしておいて、アイリス女史だけに約束しないというのは不公平だ。俺は鷹揚に頷く。


「分かった。ただし、俺のお墨付きはアイリス女史の試合がお墨付きに相応しい試合である場合に、アイリス女史個人のみに与えることとする」


『十分です。有り難う御座います』


 要するに、アイリスの縁者や子孫にまでは、剣神のお墨付きを使わせる権利はないということだ。


 変に俺の名前を使われて、活動されても困るからね。こういうところから、変な不幸がはじまったりするから、気を付けねば。


 さて、アイドル二人は俺との約束を取り付けて、益々やる気になったようだ。試合場の上で睨み合う。


「思わぬ特典が付いたことで、二人ともやる気十分なようじゃの」


「そうだな。彼女たちの間が歪んで見えるほどに闘気が渦巻いているのが確認できるしな」


「そんなの確認できるの、おにーさんだけです……」


「『え?』」


 リヒター卿にティムロード卿、それに無言ではあるがシャノンも驚いた表情を見せている。意外と見えている者は多かったようだ。


『さて、それではそろそろ試合開始の時間です!』


 一方、見えなかったらしい実況の子は、誤魔化すようにそう言うのであった。

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