第3話 リヒター伯爵
いや、別に好き好んで人の顔や名前を忘れているわけじゃないよ?
ただ俺の生活は普段、北の森に住んでいて森から出てくるのも二、三年に一度という頻度。
そこを「数年前にお会いしたのですが覚えていませんか?」と言われて、顔までハッキリ覚えているパターンがどれだけあるというのだろうか? 相当印象深くないと、普通は忘れているだろう?
だから、俺がこの赤髪の女騎士のことを綺麗さっぱり忘れていたとしても悪くないはずなのである!
「三年前にリヒター様の領地で卿より練兵訓練を受けたのですが、覚えていらっしゃいませんか?」
リヒター卿というと、ロイド・リヒター伯爵か。
彼は印象深い人物だったから、良く覚えている。何せ、この時代には珍しい、理にかなった剣を目指す人物だったからだ。
剣の型稽古なども積極的に奨励し、本人も『最適化された型を最速で振れば、それ即ち、剣は理と成り、理は全てを制するだろう』と標榜するほどに剣術に対して深い理念を持っている。
そんなリヒター卿の元で練兵訓練は……確かに行った。それは覚えている。しかも、その時に仮面を着けたり外したりするのが面倒臭いからって、素顔を晒しながら、「認識阻害の魔法で不細工に見せているだけだ!」とか宣言しちゃっている気がする。
「その時は、何十人もの兵士を相手にした集団訓練であったと記憶しているが、俺の記憶違いか?」
そして、その何十人の兵士の内の一人を覚えているかと問われると、答えは難しいと出る。
女の兵士は珍しいから覚えていそうなものだが、リヒター卿の領地では女の兵士の割合がそれなりに多い。理由は、リヒター卿が二枚目だということだ。後はお察しである。
「そうです。その時に教えを受けた者です」
「流石に、集団訓練の際の一人一人まで把握してないな」
「そうですか、残念です……。おっと、先触れの仕事が残っていました。マグマレイド卿、また今度教えを請えればと思います。では! ハッ!」
すると、赤髪の女騎士は馬を駆って、貴族側の門の手続きへと行ってしまう。
「…………」
まずいな。騒ぎになったせいで、行列から好奇の視線を感じる。このまま何事もなかったかのように行列に戻ることは出来ない雰囲気だ。衛兵の疑いは解けたようだが、そうは問屋が卸さないか。
やれやれ。どうして不幸はこうして列を成してやってくるのか。
仕方がない。リヒター卿に挨拶するついでに、彼の馬車に乗せて貰えないか頼んでみようか。最悪、日を改めて出直すか。
そんな事を思いついた辺りで、黒塗りに金の細工が施された立派な箱馬車が、五騎のお供の騎兵に先導されながら、俺の目の前で止まる。
ノアちゃんも驚きで声が出せない程、その馬車は立派であり、威圧感があった。
黒塗りの扉の真ん中には金色の鷲が描かれており、それがリヒター家の紋章となっている。確か、昔、王族主催の鷹狩りのイベントで巨大な魔物を仕止めたことから、リヒター家は鷹の紋章になったんだとかなんとか。
そして、その勇壮な鷹の紋章が描かれた扉がゆっくりと外側に開く。
ステップを下りてきたのは、金髪碧眼の甘いマスクの男だ。
見る度に神の不公平さを感じる奇跡の塊。脚が長く、肉体も細身だが鍛えられており、全身のバランスが人間でありながら、美の化身のような黄金比率を保っている男。
そう、彼こそがロイド・リヒター伯爵なのである。
「お久し振りです、マグマレイド卿。こんな所で会うなんて奇遇ですね」
「あぁ、リヒター卿。卿がティムロード領にやってくるなんて珍しいな。ティムロード辺境伯殿にでも呼び出されたか?」
「それもありますが、詳しい話は馬車の中でしませんか? 私の先触れが迷惑を掛けたようですし送りますよ」
「見ていたのか……。迷惑というほどのものは掛けられていないが、出来ればそうしてくれると有難い。このまま列に並び直すのは些か難しそうだからな」
「お察ししますよ。では、どうぞ。少々中は狭いかもしれませんが乗って下さい。そちらの可愛らしいお嬢さんもよろしければ」
「あ、ありがとうです!」
本物の貴族を前にして、ちょっぴり緊張気味なノアちゃん。
「いや、そんな固くなることないぞ? リヒター卿も俺と似たり寄ったりで貴族としてはくだけている方だからな」
「ははは、僕はマグマレイド卿よりも大人しい方ですよ? さぁ、どうぞ」
リヒター卿のエスコートで乗り込んだ馬車の内装は見事なものだった。全体的にシックな雰囲気で統一された車内は一見すると落ち着いた空間に思われるが、見る者が見れば目玉が飛び出る程に金が掛かっていることが分かる。あの扉裏の鷹の彫り物など緻密過ぎて、あれだけでも相当な値段がするだろう。
リヒター卿の領内は金があるように見えなかったが、職人でも囲っているのだろうか?
そして、車内には人間にも見間違わんばかりの等身大のビスクドールが一体。俺の生きていた時代でいうところの創作ビスクドールって奴に近い。
何て言うか、物凄く人間離れした美しさって奴かね?
それにしても、リヒター卿がこういう人形趣味だとは思わなかった。蒼髪碧眼のセミロングに、細身のつるぺた。こういうのがリヒター卿の趣味なんだろうか?
まじまじと人形を見つめていたら、人形の瞼がパチリと瞬く――。
……む。
「おー、何かすっごい可愛い人形が置いてあるです! 触っていいですか? 触っていいです!」
自己完結しながら、可愛い人形を見てテンションが上がったらしいノア。いや、お前もエルフだし、可愛さに関しては大概だぞ。目は死んでいるが。
それにしても、さっきまでの借りてきた猫のような大人しさが欠片もないのは如何なものか。いや、子供に落ち着きを求める方が間違っているのか。
「ムフー! 触っちゃったです! 柔らかくてスベスベでプニプニで暖かいです!」
止める暇もなく、ノアはビスクドールに頬擦りをする。そのビスクドールの頬が若干赤く染まったのを俺は見逃しはしない。
「…………。人形が暖かいというのが、おかしいとは思わないのかね?」
「そういえば、そうです!」
目を見張る程の素早い動きで離れたノアは、何かを確かめるように、じぃっとビスクドールを見つめる。やがて、ビスクドールはその状況に耐えきれなくなったのか、ついと目を逸らしていた。
「人形じゃないです! 人間です! しかも超綺麗です!」
「おや、また黙っていたのかい? 駄目じゃないか、いつも挨拶するように言っているだろう?」
リヒター卿が馬車に乗り込んで、後ろ手に扉を閉めながら、嗜めるようにそんなことを言う。傍らには扉を閉める為に従者が待機していたりするのだが、リヒター卿が先に動いて何でもやってしまう為、出番が少ない。その辺は彼の性格だろうか。戦場でも先頭に立って剣を振るいそうだ。
「…………」
だが、リヒター卿に促されても少女は口を開こうとはしなかった。
「ははは、申し訳ない。シャノンは極度の人見知りな上に口下手でして、慣れた人でないと話せないのですよ」
「それだと、普段はどうやって生活しているのです?」
「表情は豊かですから、そこからですね」
「玄人の犯行です!」
「いや、この子の反応は俺でもわかるぞ」
「そうです?」
「そうだな。今は綺麗と言われて少し頬が赤くなっている。だから照れていると推測出来る。今は瞳孔が小さくなったから、言い当てられて驚いているのだろう。唇が若干震えたのは、どうして、と聞こうとするほど動揺したからだろうし、今は俺の洞察力を恐れて少し及び腰だ」
「やっぱり玄人の犯行です!」
「マグマレイド卿の洞察力が鋭いのは昔からですが、流石ですね。彼にとっての普通は、常人にとっての異常に思えるほどですよ」
「それは心外だな。少し修行すれば、それぐらいは誰でも出来るようになる」
「「え?」」
え? なるよね?
「それはそれとして、今回は何故ティムロード領に来たんだ? ティムロード卿に呼ばれたような旨を先程聞いたが本当か?」
「呼ばれたというよりは、こちらから赴いた形ですね。我が娘、シャノン・リヒターをティムロード卿に紹介する為です。それと、もうひとつは娘のたっての希望によるものですね」
「希望?」
「それは……」
と聞き返したところで、リヒター卿が言い淀む。
「聞かない方が良い話か?」
「いえ、そんなことはありませんよ。ただ、貴族の子女にあるまじき行為なので、少し言い淀んだだけです。実はシャノンは『アイドル』になろうとしているんです」
「あいどる、です?」
ノアは森で暮らしていたからか、アイドルのことは知らないらしい。
「昔、魔族の侵攻を止めた勇者と呼ばれる存在がいたことは知っているだろう?」
「馬鹿にしてるです? いくら世間知らずのエルフでも、それぐらいは知っているです!」
「その勇者の残した文化のひとつがアイドルという制度だ」
「だから、それが何か聞いてるです!」
「簡単に言うと女性限定の剣闘士だ」
「けんとうしです?」
「金を貰って、見せ物として戦闘を行う戦いの専門家だ。勿論、強くないとやっていられないし、華がなくても面白くない。それらが揃って初めて成功する職業だ」
「ティムロード領は、アイドルの発祥の地であることもあって、アイドル熱が非常に高い土地柄でもあるんですよ。ティムロードでは若い女性は給仕係に就いている人よりも、アイドルに就いている人の方が多いと言われているぐらいですね。それだけ人気の職業ということです」
「戦闘って殺し合いです? そんなのに魅力を感じないですよ?」
「いえ、闘技場に仕掛けが施してあるため、仮初の肉体を使ってアイドルたちは戦います。なので、人死にが出たりはしませんよ。その辺りの話はマグマレイド卿の方が詳しいでしょうけど……」
「そうなんです?」
「そうだな。その闘技場の仕掛けを作ったのは俺だからな。俺の方が詳しいだろう」
「どれだけ多才なんです……」
「時間があったから色々極めただけだ」
ちなみに原理としては、闘技場の舞台に上がる際にアイドルの身体データや装備品のデータを測定して、舞台の上に擬似的に造った体を上げるといった仕組みだ。
本当の体で戦っているわけではないから、死んでも意識が元の体に引き戻されるだけだし、体に傷が付くこともない。
安心安全の設計思想で、と勇者君には何度も言われたからな。その辺は自信ある。
うむ、懐かしい話だ。
「普通はそのような仕掛けを簡単には造れないそうで……。王宮の魔術師団が直々に調べにきた際、仕組みを理解出来なくて匙を投げたなんて有名な逸話があるほどなんですよ」
闘技場という専用ハードを造って、そこに複雑に魔法式や魔法陣といったプログラムやアプリを絡めた代物だ。魔法式という一分野のみに精通していても理解はできまいよ。
そもそも使っている魔法式も【魔法創造】というスキルで創ったものだ。普通の人間に解析出来るものではないだろう。
「シャノンはそんなアイドルになりたくて、ここまで来たのです」
「変わってるです!」
ノアの素直な感想を受けて、シャノンは少しだけ頬を膨らませる。
「これは、ノアにも分かるです! 不満そうです!」
「シャノンはアイドルが大好きですから。馬鹿にされたと思って不満なのでしょう」
「言っても、ただの喧嘩を見せ物にしているだけです? 何が楽しいです?」
それを聞いて益々シャノンが膨れる。
「シャノンも落ち着きなさい。そうですね。それでは、ひとつお嬢さんもアイドルの試合というものを見てみませんか? 今日は特に興味深い試合をやるようですし、良いものが見られると思いますよ。そこで、シャノンが望むものが何かを、その目で直接確かめられては如何でしょう。マグマレイド卿もそれで宜しいですね?」
「チケット代をそちらが持つなら、俺に異論はないぞ」
「ははは、流石はマグマレイド卿。しっかりしていらっしゃる。それでは、私はティムロード卿にこれから挨拶してこようと思いますが、マグマレイド卿はどうしますか? 何処かで宿を取るというのであれば、従士を走らせますが」
「いや、こちらもティムロード卿には会っておきたい。北の森でドラゴンが暴れて、ダークエルフの村が壊滅したので、その報告が必要になるんだ」
「ドラゴンが出たのですか? それは、穏便ではないですね。もしかして、彼女は……」
「その村の被害者だ。彼女を含めて、これからどう動くのかティムロード卿に相談しに来たんだが、面会の約束もしていないし、会えるのはいつになることやらと困っていたところだ」
「緊急事態ですし、早い方がいいでしょうね。でしたら、僕からティムロード卿に、マグマレイド卿を優先するように進言しておきますよ」
「そうしてもらえると助かる」
「一応、その場で会談の許可が下りるかもしれませんので、一緒に行きましょうか」
そう言って、リヒター卿は爽やかな笑みを浮かべるのであった。
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