第5話 【千剣】対【常勝】

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 戦闘におけるグロ表現があります。

 苦手な方は読み飛ばして下さい。m(_ _)m

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『それでは、ここで改めてルールを説明致しましょう!』


 実況が言うには、


 ①意識を失って十秒以内に意識を取り戻さなければ負け。(仮初の肉体が消滅する)


 ②場外に出た場合は十秒以内に戻ってこれなければ負け。


 ③死亡、降参も負け。


 ということらしい。


 そして、そんな実況の説明の間にアイドルたちは円形の試合場をうろうろと動き回っていたりする。


「アイドルたちは何をしているです?」


 ノアが疑問に思ったのだろう。ティムロード侯爵に尋ねる。


 その疑問はもっともだとばかりに頷き、彼女は解説を始めていた。その顔は若干紅潮している。アイドルについて語るのが余程好きなのだろう。


「アイドルは開始一分前までは、自陣内であれば自由に移動することができるのじゃ」


 自陣といっているのは、試合場を真ん中で区切って東と西に分けた試合場の半円スペースのことだ。


 アイドルは入場してきた方角の陣地を自陣とし、試合開始一分前までは自陣内を自由に移動して良いことになっている。


 これはリーチを取って戦いたい魔法使いや弓使いたちの為に考案されたルールであり、詠唱時間等を加味すると妥当とされるルールだ。


「遠距離攻撃が得意なものであるならば、当然試合場の中央からは離れるじゃろうし、接近戦が得意なものであれば、当然のように試合場の中央に位置を取る……この辺から既にアイドルの性格や戦法が見えてきて面白いのじゃ!」


「あっ! 早速、ムンって人が試合場の中央に陣取ったです!」


 だろうな。


 ムン女史の魔力は一般人と変わらない1という低い数値だ。魔法が使えても攻撃手段になるというレベルではない。そもそも本人が猪突猛進型だ。距離をおく意味がない。


『ムン選手がいつもの開始位置に立ったのは分かるのですが、アイリス選手の立ち位置が随分と中途半端に見えるのですが?』


 実況が訝しげに言う。


 確かに、アイリス女史の立ち位置は試合場の中央から若干離れた位置であり、遠距離というには微妙な距離にいる。


『棍のリーチを考えた上での距離だと僕は思いますが。マグマレイド卿はどう思います?』


 アイリス女史は武術家というよりは、戦術家だ。それを加味すれば……。


「あの位置がムン女史の速度が一番乗る位置なんだろう」


『速度が一番乗る、ですか?』


「ムン女史が猪突猛進型なのは俺でさえも知っている事実だ。試合ライブの開始と同時に仕掛けてくるだろうというのは簡単に予測が付く。俺なら、そんなムン女史の速度が乗った所でカウンターを狙う」


『なるほど、だからあえて、ムン女史の速度を乗せると……。あ、ちなみに、この実況と解説の音声はアイドルたちの耳には届いておりません。アイドルの集中を阻害しないための処置となっております。以上、プチ情報でしたー』


 アイドルに実況の声が届くのは、アイドルがダウンした時だけだ。というのも、試合場に審判が居ない分、実況がカウントを数えることになり、その音声が試合場に流れるためである。


『試合開始まで残り十秒を切りました!』


 試合場の上に数字が表示され、それが刻一刻と減っていく。そして、数字が0に変わった瞬間、『試合開始ライブスタート!』の音声と共にムン女史が走り出す。


『おおっと! ムン選手速攻!』


 事前の予想と何も変わらぬ展開。


 だが、試合場の石畳を踏み砕いて進むムン女史のスピードが尋常ではない。あれは、猛獣というよりはバケモノの類だ。開始位置の距離を見誤っていれば、一瞬で決着ケリがつくだろう。


(想定よりも早いな。とはいえ……)


 カァンという甲高い音が響き、ムン女史の突進が止まる。


 腰だめに棍を構えたアイリス女史の体重の乗ったカウンターの突きがムン女史の上体を浮かせたからだ。

 それこそ、目にも止まらぬ電光石火の突きであったが、ムン女史は獣の直感とでもいうべき素早さで右手の手甲でその一撃を受けていた。手が痺れたのだろう。ムン女史の表情が僅かに歪む。


『上等だぞ!』


 だが、ムン女史はその威力に恐れを抱くどころか、闘志を滾らせて一歩を踏み出す。


 その一歩を迎撃するのは、壁のようになった無数の突きだ。鋭い突きがムン女史の肩を打ち、腕を打ち、腿を打ち、肉を打つ鈍い音を響かせる。その悉くが鎧部分を避けた一撃であり、アイリス女史の高い技術力を窺わせる。


 それでも、ムン女史は正中線の急所に対する突きに対しては手甲で弾くか、叩き落とすなりして守り通す。


 いや、それどころか、指を広げて棍を掴もうとさえするほどだ。さすがにアイリス女史もその辺は警戒していたのか、戻しが早くて掴めなかったが……。


『アァイ!』


 突きに慣れきったムン女史の目が、一瞬で棍の姿を見失う。


 押し引きの動きから、突如として縦への動き、更には横への動きへ。


 動きの変化の原因は、アイリス女史の棍の持ち手にある。


 最初は棍の端に近い部分を握っていたのだが、今は棍の中央部分を握ることにより、取り回しが早くなり、回転率が上がっている。


 あまつさえ、自身の体を支点にして、自由自在に棍を振り回す。


 乱舞は見た目に派手で、観客も盛り上がっているが、あれは大道芸の類だ。


 本気で相手を打ち据えるのであれば、きちんと相手の防御の薄いところを狙って上段、中段、下段、螺旋と打ち込むべきだろう。


 怪鳥音と共に放たれた棍の変幻自在の動きは、虚をつかれたムン女史に立ち直る隙を与えなかったようだ。見る間にムン女史の体に青あざが増えていく。


『ハイ! ハイ! ハイ! ハイ! ハイ!』


『こっの! 煩わしいぞ!』


 大道芸といえど、さすがは【千剣】。その技の繋ぎに淀みがない。自分のものにしている証拠だろう。


 ムン女史としては、アイリス女史の棍の間合いを潰すために、どうにかして懐に飛び込む必要性があるのだが、なかなか難しいか?


 だが、このままだと、一方的になぶり殺しにされるぞ。


 豪雨のように肉を打つ音が響く中、闘技場がゆっくりとしたざわめきに包まれていく。


 まさか、S級アイドルが見せ場もなく敗れるのかと危惧しているのだろう。


 だが、一部の熱狂的なファンは違う。


 ムン女史はここからだ。彼女の恐ろしい所は一方的にやられているように見えて、そこからがようやく本番なのだと、そんな声が漏れてくる。


 なるほど。


 一方的に打っているのはアイリス女史であるのだが、その実、退いているのもアイリス女史であった。


 ムン女史は打たれながらも、その距離を確実に詰めてきており、彼女の瞳には衰えない闘志がギラギラと煌めいている。


 その光景を恐れたのだろうか。一瞬甘く入ったアイリス女史の棍の一撃をムン女史の手甲が大きく弾く。


「射程内だぞ! 喰らうんだぞー!」


 小さな右手をぎしりと握り込み、ムン女史は渾身の力で拳を振るう。そこには、今までの鬱憤を刹那で粉砕するだけの威力があった。


 空気を引き裂くほどの音が鳴り響く。


 だが、人体を水風船のように破裂させるはずの一撃は、呆気なく空を切っていた。


『何で当たらないんだぞー!?』


(予備動作が大きすぎる上に単発だ。如何に早くとも、あんなテレフォンパンチではあたらん)


 軽くステップを踏んで後方に下がるアイリス女史。そして、瞬く間に電光石火の如き突きの一撃。


 ムン女史はその突きから顔面を守るようにして両腕を上げるが、次の瞬間、アイリス女史の顔にしてやったりの笑みが浮かぶ。


 若干緩む突きの速度に、果たしてムン女史は気付けたのだろうか?


 炸裂する轟音。


 俺の目にはアイリス女史が嬉々として、その棍に備え付けられていたギミックを発動するのが見えた。棍の持ち手部分を両手で互いに逆方向に捻り込んだのだ。それと共に、ムン女史の両腕のガードを抜けて、何かがムン女史の頭を大きく後方へと吹き飛ばす。


『な、な、なんでしょうか、今のはぁっ! あ、頭が吹っ飛んだように見えましたがっ! 聞いたことも見たこともないような武器をアイリス選手が使ったぁ!』


 正確には頭は吹っ飛んでいない。


 直前に何かヤバいと感じてムン女史が頭を後方に振ったのだろう。衝撃を逃がしきれずに首が後ろに大きく反れ、右側頭部からは血が華のように舞ったが直撃ではない。


 とはいえ、あまりの衝撃に意識が飛んでいる。ムン女史の足取りはフラフラと覚束ない。


『や、槍みたいなものが棍から突き出しているように見えますが……?』


「槍じゃない。あれは杭だ。アイリス女史は棍に見せかけて、パイルバンカーを棍の先端に仕込んでいたんだ」


 実況の声に思わず答えてしまう。


 うーん、優しい俺。


『ぱいるばんかぁ?』


「パイルバンカーは岩砕きの杭で、坑道の掘削作業などで硬い岩盤の破砕に使われる道具だ。鋭く頑丈な杭のような先端を火薬を使って一気に押し出すことで破砕エネルギーを一点に集約して岩を割ることができる。いわゆる工事道具だが、それを武器にする発想は西の亜人領のドワーフ族特有の発想だ。アイリス女史は恐らくそこから、この武器の作成を依頼して輸入したのだろう」


『岩を割る武器を人間の頭にですか? ぞっとしませんね……』


『僕はその事について知りませんでしたよ。マグマレイド卿は物知りですね。実際に西に行って見てきたことがあるのですか?』


 リヒター卿の問いに、俺は苦笑で答える。


 見てきたというか、剣神会議の際に西の剣神がパイルバンカー仕込みの剣を使ってきたので、身を以て覚えたというのが正しい。


 俺が何とも言えない表情を浮かべる中で、アイリス女史が棍を回転させ、反対側の棍の先端をムン女史に突きつける。恐らくは、反対側にもパイルバンカーが仕込んであるのだろう。それを外しようがない胴体に突き付け、今度は逆に捻って放つ。


 二度目の轟音。


 衝撃にムン女史の体がくの字に折れ、その口腔から大量の血液が吐き出される。腹には大穴が開き、臓器が見るも無惨に飛び散る。それでも、ムン女史は膝を折らずに気力だけで立ち続けているようであった。その姿はある意味奇跡を見ているようでもある。


『…………っ!』


 だが、強烈な衝撃はムン女史だけのものでもないようだ。震える指先から棍が離れ、アイリス女史は棍を取り落とす。


 ……反動か。


『おおっと、ここでアイリス選手が棍を取り落としたようですが、これは一体?』


『【常勝】殿の体にあれだけの衝撃を与えているのですから、【千剣】殿の腕にも反動で相当なダメージがきているのではないでしょうか。どれくらいのものかまではわかりませんが……』


 リヒター卿の予想は恐らく当たりだろう。


 珍しい武器でもあるし、事前の情報を隠蔽する意味合いもあって、アイリス女史は事前にあの武器を試していないはずだ。その為、両腕に掛かる負担を計算しきれていなかった。


 だが、ムン女史のダメージに比べれば、微々たるものだ。よもや、両腕が折れるほどではないだろう。


 事実、アイリス女史は震える手を押さえながら棍を拾おうとしているのだから、致命的なダメージではない。


『よぐも……』


 ムン女史からの圧し殺した声に、棍を拾おうとしていたアイリス女史の動きが止まる。


『何かしら?』


『よぐもやっだなだぞぉぉぉぉあぁあぁっ!』


『!?』


 闘技場をビリビリと震わせるような大声で叫ぶムン女史。


 その声量にアイリス女史は思わず顔をしかめる。ここは棍を取り落とさなかっただけでも上出来だろう。


 そして、叫びに合わせるようにして、見る間に塞がっていくムン女史の傷。


 これは肉体再生か?


 魔物や魔族の一部にはこのようなスキルを持っている者も多いが、人間で持っているのは珍しい。


 いや、回復する傷口を覆うのは新しい皮膚などではない。それは青白く輝く硬質な輝き――。


「これはまさか……、竜人ドラゴニュートか?」


『あぁ、マグマレイド卿は三年前に彼女を見たきりですから、この力については知らないんでしたね。この力こそが二年前から彼女が【常勝】になった理由になります』


『出たぁー! 【竜化】だーっ!』


 竜化ということは、やはり竜人か。


 竜人発生のメカニズムについては、良く分かっていないのだが、稀に人類に紛れてそういう特殊な個体が生まれてくるらしい。


 母体となる母親は、竜人を産み落とすと必ず死に至る為、一部では忌み子等として嫌われており、その正体を隠して生活するものが殆どだという。


 そして、そういったものは、大体が日陰の道を進む為に、竜人の社会的な地位が低いのだが……まぁ、それは今は良いだろう。


 問題になのは、今、ムン女史が行っている竜化に関してだ。


 竜人たちは例外なく竜の力を顕現することが出来ると言われ、【竜化】というスキルを使うことが出来るとされている。そのスキルを使うと、一時的に凶悪無比な怪力と、魔物も驚くほどの再生力、そして竜の鱗と同等の固さを持つ防御力まで得るという。


 こんな切り札を切られたら、アイリス女史に到底勝ち目は無いように思えるのだが……。


 おや?


『おぉっと! 普段でしたら全身を覆う筈の青白い竜の鱗が、ムン選手の右顔半分と腹部を覆うのみで止まったぁ! これは一体どういうことでしょうか、リヒター伯爵様?』


『恐らくは、受けたダメージが大き過ぎてスキルを完全に使いこなせなかったのではないでしょうか? 疲れている時などは、普段何気なく出来ている事でも失敗することは良くありますからね』


『なるほど! そして、ここでようやくアイリス選手が棍を構えたぞ!』


 実況の言葉が聞こえたわけではあるまい。


 だが、それを目にしたムン女史の目の色が変わる。彼女自身、慢心していたことを自覚したのだろう。


 アイリス女史の自由にさせてはいけないとばかりに、力強い踏み出しで一気に距離を詰める。


 フラフラの体のどこにそんな力があるのかとばかりの力強い踏み出し。


 石畳で出来た試合場の床が爆ぜ割れて飛ぶほどの威力だ。まさに突進する重機。普通の人間なら怯えて腰が引けるところであろう。


 だが、ムン女史が射程圏内まで後一歩といったところでアイリス女史は薄く微笑む。


『先程の攻撃で【竜化】を引き出せるであろうことは計算の内。私が次の手を用意していないとでも?』


 その微笑と共に、アイリス女史の手元の棍がバラバラに分解する。


『アイリス選手の武器が壊れた!?』


「いや、あれは多節棍だ。さすがに、三十四も節があるのは珍しいが間違いないだろう」


 アイリス女史はバラした多節棍をムン女史に向かって投げつける。節の間を細い鎖で繋がれた棍は一気にムン女史の腕と胴体を封じるように絡み付いた。


 だが、腕を封じられて殴れないと判断した後のムン女史の対応は早い。


 走る速度を落とすことなく、そのままアイリス女史の顎先目掛けて頭突きを食らわしたのである。


 アイリス女史がその衝撃に吹き飛ぶ。


『ぐっ、力任せに……!』


『ヌギギッ! コノテイドノクサリ……! キカナイゾ……!』


 その隙をついて、ムン女史が鎖を引き千切ろうと力を込めているが、逆だ。


 体に巻き付いたものはどちらかというと力を弛めることで、ストンと落ちて脱出できるものなのだ。それでは、上手くいくものも上手くいくまい。


 アイリス女史が立ち上がる。唇が切れたのか、顎を細い血が濡らしているのが見える。彼女はそんな自分のダメージを確かめるようにして体の各所を動かしながら、自分の髪に付けていた白銀の髪止めを二つ外して、その両手に握る。


 はははっ、そこまで用意するか。


 次の瞬間、俺の予想を裏付けるかのように、アイリス女史の両手から緑色をした光の刃が伸びていく。


 魔法剣――。


 王国東の領域で東の剣神が広めているとされる魔法武器だ。


 俺が昔に試した時は、武器に魔法を纏わせるだけの代物だったのだが、最近では魔力自体を刃に変えて、剣という形状に拘らずに戦える汎用性の高い武器として評価を受けているようだ。


 アイリス女史はそんな魔法剣の触媒となる柄を、東の剣神の領地から輸入したのだろう。


 それを髪留めに見えるように工夫し、如何にもサブウェポンを持っていないように見せ掛けた。


 パイルバンカーという派手な武器を見た後だと、相手はこれ以上はないと考えがちだが、彼女には優れた次手があった。


 なんという工夫。彼女は将というよりも、暗殺者の方が向いているのかもしれない。


 アイリス女史が両手に魔法剣の刃を灯し、一直線に駆け抜ける。魔力自体を刃として形成する分、物理的なダメージは乗らないが魔力によるダメージはより顕著になる。


 特にムン女史は魔力が低い。如何に【竜化】の鱗といえども耐えられない可能性はある。


『フンヌ~~~ッ!』


 鎖が外れないことに焦れたのか、ムン女史が身体ごとの体当たりを敢行する。


 だが、それは、アイリス女史からすれば、的が寄ってきたにすぎない。


 刹那二閃。


 緑色の光刃が曲線と直線を描いて煌めく。


 右手で逆手に構えた魔法剣をムン女史の左太股に突き刺し、左手でムン女史の首筋を魔法剣で薙ぐ。


 普通ならこれで終わりだろう。


 左太股の痛みに身体が硬直して、ろくな動きも見せずに首を斬り落とされて終わる。


 だが、侮ってはならない。


 ムン女史は腐ってもS級アイドルなのだ。アイドルの頂点は、この程度では屈しない。


『弾いた!』


 ムン女史の首筋に青白い鱗が集っているのが見える。それがアイリス女史の刃を弾き返す。


 如何にダメージを負っていても、ここ一番で踏ん張れないようではS級アイドルとは言えない。瞬間的に首筋に鱗を集めて積層構造にひてみせたムン女史は、弾かれた勢いでよろけたアイリス女史の左腕に噛みつく。


『まるで獣ですね!』


 ムン女史の顎も【竜化】で強化されているのだろう。あまりの咬合力に離れられないと判断したアイリス女史は、ムン女史の左太股から魔法剣を抜くと、今度はムン女史の顔目掛けて、その切っ先を突き刺そうとする。


『グルゥッ!』


 それに呼応するように、アイリス女史の左腕の肉が噛み千切られる。動脈を傷つけられたのか、少なくない量の血液が飛び散り、アイリス女史の顔色もどこか青くなる。


 だが、噛みつきを解除したことで、アイリス女史が剣を振るうだけのスペースが出来た。


 傷ついた左腕と震える右腕の二刀でどれだけやれるのかは不明だが、アイリス女史は必死の形相で剣を構える。


『この、往生際の悪い……!』


『ゾァッ!』


 行動を起こしたのは同時か。


 アイリス女史が光剣で交差するように袈裟斬りと逆袈裟を見舞うのと、ムン女史が拘束していた鎖を無理矢理引き千切ったのとは――。


 恐らく、ムン女史は鎖で隠されていた部分で【竜化】しなかった自身の体の各部位を細かく【竜化】させていたのだろう。無理をしていたのは明白で、ムン女史の顔色は白を通り越して、土気色にまで到達している。痛々しいが無理をしたかいはあった。


『なぁ!? がっ!?』


 近距離で千切れ飛んだ鎖は、まさに散弾銃となってアイリス女史の身体に食らいつく。


 受けたのは主に腹部や胸か。


 口腔から派手に血を噴き出しながら後退するところを見るに、重要臓器を傷付けたのは間違いない。顔色が見る間に白くなっていく。


 たたらを踏むアイリス女史の様子を見て、ムン女史が駆け出す。


 咆哮を上げて、拳を握り混み、全力でアイリス女史の顔面を打つ。アイリス女史の整った鼻が曲がり、盛大に鼻血が渋いた。


 だが、試合開始時に予感させた水風船が破裂するかのようなダメージが出ない。


 恐らく、無理をし過ぎたツケが回ってきているのだろう。出力が足りなすぎる。


『回復……、魔法を……』


『コンナモンジャナイハズ、ダゾ……! アンタハコンナモンジャナイハズダゾ……ッ!』


 魔法を唱えようとしていたアイリス女史の動きが止まる。


 見上げるアイリス女史の目の前には、息を荒げて立つ、満身創痍のムン女史の姿があった。それこそ、ちょんと押してやれば、そのまま倒れそうな状態である。


『カイフクマホウナンテ、コザカシイコトヤルンジャナイゾ! ムンガ、アコガレタ、センケンノアイリスヲミセテホシイゾ……!』


『そうですね……。引退試合なのです……』


 どのみち、回復魔法は詠唱時間が長過ぎて、完成するまでにムン女史に潰される公算が高い。ならば、どうするか。


『派手に……いきましょう!』


 アイリス女史が右手に持っていた魔法剣を構え、ムン女史に飛び掛かる。彼女の刃はムン女史の上げた右腕に深々と突き刺さっていた。


 あまりの痛みに思わずくぐもった声を漏らすムン女史。


 常に突進してきたはずの彼女が思わず後退する姿は、観客にも驚きを覚えさせたようだ。じわりと動揺が伝播する。


『ムン選手が退いたのを見るのは、初めてのような気がしますが……。マグマレイド辺境伯?』


「それだけギリギリということだ。ムン女史も、アイリス女史もな。そもそも、ムン女史は今まで【竜化】に頼りきって戦ってきたんじゃないか? ピンチになっても【竜化】があれば切り抜けられる……そんな思いがあったから、いつでも突っ込んでいられたんだ。だが、今は状況が違う。ムン女史も余力があまりなく【竜化】が上手く操れない状態だ。そんな状況で後先考えずに突っ込んでいけるわけがない。あれは、生物の正しい本能だよ」


『なるほど。切り札があるからこそ、突っ込んでいられるということですか。ムン女史の戦闘スタイルにはそんな秘密があったんですね!』


『でも、これは【千剣】殿にはまずい状況です』


「あぁ。アイリス女史の傷も深いし、このままだと五分もせずに出血多量で死ぬだろう。そうなれば、そこで決着だ」


『では、このままムン選手が逃げ回っていれば、ムン選手の勝利は揺るがないと?』


『逃げ回れれば、ですけどね』


「火事場のくそ力ではないが、死を覚悟した人間の力というものは侮れない。逃げてばかりであれば、五分ももたずにアイリス女史に潰されることだろう」


 俺たちがそんな事を言い合っている内に、試合場の真ん中では、二人の死闘が続いていた。


 アイリス女史が斬り付ければ、ムン女史が致命にならない部位を斬りつけさせ、痛みに歯を食い縛って、拳で反撃する。


 顔の骨格を軋ませながら、悲鳴を喉の奥に飲み込んだアイリス女史はムン女史の腕を取ると、負けじと今度は背負い投げだ。直下型のもので受け身すら取らせない早業は、ムン女史の苦悶の表情と割れた石畳の破片から威力が想像できるだろう。


 思わず肺の中の空気を吐き出すムン女史。


 その顔色が変わったのは次の瞬間だ。


 石畳を割る勢いで放たれたアイリス女史のストンピング。両腕でガードしようとするが間に合わない。


 ムン女史の前歯が折れ、口腔から血が繁吹く。だが、その目の奥の輝きは死んではいない。ガードの為に上げた腕でアイリス女史の足首を掴むなり力を込める。


 ゴキンという音がここまで聞こえてきた気がした。


 足首を持って無理矢理膂力でへし折ったのだ。


 アイリス女史は激痛に顔を歪めながら力なくその場に倒れ込む。


 いや、ただ倒れ込むだけではない。


 その右手には光輝く緑色の刃がある。それを真っ直ぐにムン女史の心臓目掛けて振り下ろしながら倒れ込む。


『グヌゥアアア!』


 気合い一閃。向かってくる凶刃を左腕一本で掴み止めるムン女史。成人女性の体重を片腕一本で止める姿は化け物染みているが、さすがに出力が足りないか。


 その刃は派手に血飛沫を吹き上げながら、徐々にムン女史の衣服を突き破っていく。


『いい加減、先輩に花を持たせなさい……!』


『加減されて……、勝っても……、嬉しいわけないんだぞっ!』


 もう【竜化】も使えないのか、ムン女史のカタコトの言葉が戻ってきている。


 力と力の拮抗はしばらく続くかと思われた。


 だが、ここで魔法剣の特性が出る。


 アイリス女史が緑色の刃を徐々に伸ばし始めたのだ。目を剥くムン女史がアイリス女史の腕を遠ざけようと気張るが、その刃の進行は止まらない。


 ずぷりとムン女史の体に刃が入っていく。


『ぬがっ! 竜ぅ……、化ぁぁー!』


『出来るわけがない! そんなもの出来ていたらとっくに……ッ!?』


 アイリス女史の握っていた魔法剣の剣先が突如として消失する。


「集中力を乱されたか」


 ムン女史が【竜人化】出来ないと分かっていた分、叫び返すことでアイリス女史の集中力が切れてしまった。ムン女史の苦し紛れの狙いが当たった形だ。


『昔に調べたことがあるんだぞ! 魔法剣は使うのに集中力が必要なんだって……!』


 叫びながら、ムン女史はアイリス女史の噛みきった左腕の傷口を力任せに抉る。


 悲鳴を堪えているが、恐ろしいほどの痛みがアイリス女史を襲っているのだろう。そんな想像を絶する痛みの中で、集中して刃を作ることなど出来るわけがない。ムン女史の見事な魔法剣対策というわけだ。


 このままでは、アイリス女史は出血多量で自然と負けが決まってしまう。ならば次の一手はどうするか。アイリス女史は刃を押し込んでいた柄から片手を離し、ムン女史に馬乗りになって思い切り彼女を殴り付ける。


『気を失わせて、ダウンがとれれば! ――ぎぃっ!?』


『我慢のし合いで、このムン様が負けるわけがないんだぞ……!』


 一方的な拳の雨霰。


 アイリス女史が殴り、ムン女史が耐えながら、今度は腹部の傷口を抉る。血で血を洗う凄惨な戦闘の様子に、アイドルの試合を見慣れているはずの観客たちも固唾を飲んで見守るしかない。


 そして、激しい我慢比べの結果、最後に笑顔を見せたのは……。


『ぐふっ……、こひゅー、こひゅー……』


『残念でしたね』


 試合場に荒い息を吐いて呼吸を繰り返すムン女史を、アイリス女史が馬乗りになったまま微笑を浮かべて見下ろしている。


 だが、その瞳は既に何も映してはいない。血を流しすぎたせいで視力を失ったのだ。


 そして、何よりも彼女の体から青白い光がきらきらと散っている。仮想の肉体が限界を迎えた証拠であろう。


『あと一分もあれば、勝敗は変わっていたでしょうに』


『ひゅー……、ひゅー……』


『本当、残念でしたね』


 その言葉と共にアイリス女史の上半身がぐらりと傾いて、それが全て幻であったかのように青白い粒子となって宙に溶けて消える。アイリス女史の失血死によって決着がついたのだ。


『け、決着~っ! 最後、アイリス女史が追い詰めていたのですが、失血による死亡が確認され、ムン選手の勝利となります! おめでとうございます!』


 実況の言葉により、闘技場は大歓声に包まれる。


 そして、立ち上がることもできないムン女史に向けて、盛大なムンコールと共にムン女史を追い詰めた功績を称えてか、アイリスコールがその場に響き渡る。


「す、凄いです……!」


 怒号のような声援に気圧されたノアの頬は紅潮しており、その目がとんでもないものを見たと言わんばかりに輝いていた。


「さて、この後はマグマレイド卿と【常勝】殿の特別試合となるのでしょうが……」


 音声拡大装置のスイッチを切って、リヒター卿がどこか楽しそうに微笑んでいる。


「どうだろうな? ムン女史にその気が残っているのかが疑問だ。俺だったら、あんな勝ったか、負けたか分からないような後味の悪い試合の後でもう一戦やろうという気にはならないが――」


『さぁ、終わったぞ! 北の剣神、勝負だぞー!』


 再度、登場口から現れたムン女史が拳を俺に向けて堂々と宣言する。


 どうやら、決着がついたことでシステムがリセットされたらしい。闘技場内はムン女史の宣言に大盛り上がり。未だに興奮冷めやらぬようだ。


 ふむ、メンタルお化けだとは思っていたが俺の予想以上か。なかなかどうして、俺もムン女史を低く見積もっていたらしい。


「一分待て。そちらへ行く」


 準備を整えて俺は部屋を出ていく。その時の俺は柄にもなく、少しだけワクワクした顔をしていたことだろう。


 そして、俺は闘技場に上がって……。


 ムン女史をボコボコにしたのだった。

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