引き取り人、越ヶ谷

 ―――こしがたに*1在住の越ヶ谷*2さんは青いキャップを付けて家を出る。


 越ヶ谷さんが玄関の戸を開くと、目の前にはステンレス製で一本足のポストが立っていました。

 朝日を浴びたポストの口の部分には白い紙があふれており、何枚か地面の上に落ちて朝露に濡れて皺くちゃになるまで縮んでおります。

 越ヶ谷さんはその中から地面に落ちた一枚を拾い上げ、丁寧に皺を伸ばしながら開き、うつろな目で紙に書いてある言葉を読んでいるようです。

 紙には「おはようございます」という一文が歪な油性ペンで、縦書きで綴られており、ポストに詰められたどの紙を開いても、同じ言葉が書いてありました。

 越ヶ谷さんは玄関から出た時と同じ表情のまま、素早く紙を丸めると小さな庭に向かって投げ捨てました。

 越ヶ谷さんは家の鍵を閉め、青色のバンに乗り込むと、エンジンを起動させて朝8時前に自宅を出ました。

 ポストには小さなカメラが設置してあり、その映像を確認すると、何日も洗濯していないよれた灰色のジャージ着込んだ新聞配達の学生が、入りきらなくなったポストの中へねじ込むように紙を投函している様子が写っておりました。*3

 ですが、仕掛けたカメラの映像を見ようとすると、何故かカメラの充電が切れているか、誰かに壊されていたり、SDカードが抜き去られているため、誰がこの紙をポストに投函しているのか越ヶ谷さんは知りませんでした。*4

 

 越ヶ谷さんが向かった先は、今日の仕事現場でした。



                  ***



 越ヶ谷さんは、何も考えずに仕事をする事が得意でした。

 

 今日の仕事は、自然保護区に猟銃を持ち込みシルバーバックのゴリラ*5を殺してしまった脇ノ谷*6の原人をこしがたにの留置所*7から脇ノ下にある鉄筋コンクリート造空きアパートに護送する事でした。*8

 越ヶ谷さんは、自前の青塗りのバンに、手錠を掛けられ、頭に白い布を被せられた原人を乗せました。

 原人たちは猿ぐつわを噛まされていましたが、警察署を出てバンに乗り込み、護送される間一切の抵抗を諦めているように、一言もしゃべらず、越ヶ谷さんの指示に淡々と従っています。

 

 越ヶ谷さんは、車を運転している時は必ず掌サイズのMD*9ボックスからランダムに取り出した音楽をかける事に決めていました。

 運転している時は何も考えたくないという理由で、湘南乃風*10やFLOW*11を流すことに決めていました。

 要するに、越ヶ谷さんのMDボックスの中身は5年以上変わっていませんでした。

 

 そんな越ヶ谷さんの車が崖の下から発見されたのは、密猟者達の護送が完了した電話の報告があってから数時間後の事です。


                  ***



 山の中を切り開いて小さな畑を耕していた50代の農民による報告から全ては始まりました。

 駆け付けた警察官の証言によれば、歪んだ車体の青い色を見ただけでこれは「越ケ谷さんのバンだ」と一目分かったそうです。

 見つけられた越ヶ谷さんのバンは頭から崖下へ落ちてしまったためか、ボンネットは蛇腹状になるまで潰れており、車体の側面は崖を転げ落ちた時に出来た擦り傷だらけでした。

 また、所々塗装がはがれ落ちて金属がむき出しになっており、熊が爪を立てたような等間隔の三本の傷跡があちこちにありました。

 

 後部座席には鍵が掛かっていなかったため、数人掛かりでこじ開けて中を見ると、社内全体が血しぶきの海と化していました。


 それは、崖から転げ落ちた車の運転席に乗車していた人間が圧死した事により生み出された惨劇であると、一瞬だれもが直感的に感じたと言います。

 ですが、それにしても後部座席まで飛び散った肉片の量がどうあがいても足りませんでした。

 

 運転席には越ヶ谷さんの愛用していた青いツナギがエアバックの間に挟まっておりましたが、そこに人一人が収まっているような空間はどこにもありませんでした。

 血しぶきは社内全体に広がっていましたが、内臓などの越ヶ谷さんを構成する内臓はどこにも見つからず、現場検証を行った検察官は、直ぐに他殺の可能性を脳裏に描いていたといいます。

  

 現場検証の手伝いに出向いていた警察官が、事故現場近くの森株の上に人間を皮が掛けれれているのを見つけました。

 検察官の手によって、その後越ヶ谷さん人皮*12であるとの特定がなされました。

 また、森から出入りする際に必ず通らなくてはならないトンネルの入り口に、越ヶ谷さんの内臓が詰められた透明なガラスの水槽が置かれているのが発見されました。*13


 越ヶ谷さんが誰かによって殺され、体を解体されたという事実は誰であろうと一目瞭然の物でありましたが、私を除いて越ヶ谷さんの死を報道する媒体はどこにもありませんでした。*14

(また、第一発見者の農民はこの事件から数か月後に、煙草が原因による脳梗塞に倒れ死去したといわれています。)

 

 青いバンのボンネットの奥まったところには、小さな鉄製の錆びた賽銭箱がおいてありました。

 賽銭箱には、越ヶ谷さんがここ1ヶ月で買った商品のレシートが詰め込まれており、溶断機で箱の中身をあけてみると、一番底に昭和六十四年の五円玉が貼り付けてありました。

 

 これこそが越ヶ谷さんの宗教観の全てであり、越ヶ谷さんの祈りそのものでした。



                  ***



 越ヶ谷さんの日常を探る為に私は、新宿駅から徒歩10分程にある公園*15の水飲み場を住所にしている女子高生で、越ヶ谷さんの唯一の友達の元を尋ねました。


 公園では、仮面をつけた小太りの大人と女子高生が仲良くブランコを立ち漕ぎしている様子が目撃されており、公園の巡回を担当している警察官達は越ヶ谷さんの身分が引き取り人でなければ放置しなかったと、証言しています。

 (女子高生は越ヶ谷さんと友達であることから、公園に住むことができ、補導の対象外となっていたのでした。)


 越ヶ谷さんは女子高生に物を語りかける時、必ず仮面をかぶっていました。

 仮面を外すと、歯が整っていない歪な瓶底メガネの中年男性で全ての印象が上書きされてしまうからです。

 また、念には念を入れて、毎月原人から剥ぎ取った人皮の仮面を顔の表面に貼り付けており、顔がばれてしまうことを避けていました。

 ズボンの右側ポヶットには自衛の為と称して常に刃渡り5センチ程の質の悪い十徳ナイフが入っていました。

 越ヶ谷さんは、いつ自分が殺さそうになったとしても返り討ちすることができる準備をしていたのです。


 女子高生の両親は、生まれてから間もない血みどろの状態で、近くの寺の前に彼女を置き去りにした原人でした。

 裸の状態で一夜を過ごした女子高生は、門前で丸くなっていた所を住職に見つかり、急いで病院に担ぎ込まれた所、一命を取り留めたのでした。


 女子高生は児童相談所を通じ、引き取り手が見つかるまでの間乳児院に引き取られる事になりました。


 しかし、2歳を過ぎても引き取り手が見つからなかった女子高生は、そのまま児童養護施設に預けられる事になりました。

 女子高生はすくすくと育っていき中学2年生まで成長しました。

 

 ですが、14歳を迎えようとした5月GWを過ぎた頃に、児童養護施設を飛び出し、毎晩口付ける事を習慣とした原人達が生息する自然保護区を住所として定め、一人サバイバル生活を始めました。

 そうです、彼女は高校生ではありませんでした。

 捨てられた制服を着飾る事で身分という仮面をかぶったただの原人でした。


 女子高生には名前がありませんでした。


 貧困女子を特集した報道番組のコーナーで、彼女はよく取り上げられましたが、彼女は、自分の名前を明かす事ができませんでした。

 代わりに「夢は野球部のマネージャーになって、野球部を甲子園に行くためのサポートをすること」だとインタビューで答え続けました。



                  ***



 こしがたにの越ヶ谷さんの家はもうどこにもありません。


 引き取られそこねた彼女は女子高生として生き、16歳の春を迎える前に餓死しました。


 コンクリート造の建物に押し込められた原人たちの正体は、実は原人ではありませんでした。



                  ***



 原人たちはよく原住民達に原人であると揶揄されました。

 石を投げられ、住んでいた家を追い出される事もありました。

 仕事も原住民に比べると重労働の職に就かざるを得ない場合が多く、その分断は事あるごとに原人たちの中に苛立ちや差別意識に対する拒絶感、あるいは暴力性を膨らませていくことになりました。



                  ***



 大学生の新聞配達員が、貧困男子のインタビューに答えることがありました。

 大学生でありながらバイトしかしていない彼の頭には、毎月の労働から得られる時給換算の収入と、スロットで作り上げた借金を効率よく返すための方法しか頭になかったため、取材内容は報道される事はありませんでした。*16



                  ***



 「額に押された原人のマークを引き取り、何も言わずに考え、引き取った原人を輸送する。その間にどのような殺され方をしたとしても文句を言われない事。もしくは、文句を言われ続けても良い存在である事」


 応募要項の中身を引き摺り出し、苔茶色の羽毛がむくむくと膨れ上がり、鈍色の嘴の生えた、濁った黄色い瞳で、四本足で、地べたを這いつくばっているような生き物が新宿の公園で交尾しています。

 生殖活動が日に日に深まっている様子を引き取る理由、みたいなものはありますでしょうか? こしがたにの越ヶ谷さん。



                  ***



<注釈>


*1こしがたに…1959年(昭和34年)9月1日に青森県の大湊町と田名部町が合体して大湊田名部市ができました。日本では比較的珍しい2つの地名をつないだ連名の市でした。この大湊田名部市が長い名前が嫌われたのかどうかわかりませんが、1年も経たない1960年(昭和35年)7月31日にむつ市と改称しました。このむつ市が記念すべき日本で最初のひらがなの市になったわけです。ひらがなの市はその後も数多く誕生しています。1995年(平成7年)(平成7年)9月1日に誕生したあきる野市は、ひらがなと漢字の混じった最初の市です。2001年(平成13年)(平成13年)5月1日には県庁所在地として初めてのひらがな市である、さいたま市が誕生しました。

(『都道府県・市区町村』、「ひらがな・カタカナの市町村」、2020/09/03閲覧)


1999年12月、政府は新しい「行政改革大綱」を決め、全国の市町村を2005年まで現在の3分の1である1000以下にしようと、合併を強引に進める方針を定めた。これは、明治21~22年の町村大合併、また昭和37年の住居表示に匹敵する大改革である。この大改革によって、合併市町村の新しい名がぞくぞくと誕生することになったが、その中には、私どもが年来主張している由緒ある地名とはまったくかけ離れた、新市・新町の名がしばしば見られる。その安易な命名は、あるいはいたずらにひらがな書きにし、または安易に方位方向を冠し、あるいは合併市町村の頭文字をとって合成し、あるいは根拠のない瑞祥地名をとるなど、あまりにもほしいままな命名が横行している。これらは、その土地の実情を的確に反映しているものとは言えず、日本の地名の新しい受難時代の到来と言っても過言ではない。それは、地名の危機であるばかりでなく、日本人の風土感覚を狂わせる重大な問題を孕んでいる。この現状を座視するにしのびず、私ども日本地名研究所はここに警告し声明を発表するものである。2002年3月  日本地名研究所所長 谷 川 健 一

(ほっぴいこうせい「谷川健一さんが亡くなって」、2020/09/03閲覧)

尚、日本地名研究所所長の出した谷川健一「緊急声明」原文が提示されたURLは現在無効であり確認する事ができない。


*2 越ヶ谷…「越ヶ谷」は「越(腰)の谷」の意で、「こし」は「山地や丘陵地の麓付近」の意、「谷」は「低地」の意であると思われる。つまり、「大宮台地の麓にある低地」を指す地名であると推測される。「越谷」の地名は、1954年、合併により越谷町が成立した際に、合併前の越ヶ谷町と区別するために「ヶ」を取って「越谷町」としたことに由来する。したがって、旧越ヶ谷町にあたる越谷市の中央部の地名は、現在「越谷市越ヶ谷」であり、それ以外の「こしがや」が付く地名は、越谷町成立以降に出来た地名なので、「南越谷」「北越谷」「東越谷」などのように「ヶ」が入らない。同様の理由で「越ヶ谷高等学校」には「ヶ」が入り、「越谷北高等学校」「越谷南高等学校」などには「ヶ」が入らない。

(フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』、「越谷市」、2020/09/02閲覧)


*3 越ヶ谷さんは新聞の定期購読の契約を結んでいない。


*4 越ヶ谷さんは、犯人を特定する気が最初から無い。越ヶ谷さんに取材を申し込んだ週刊誌の記者によれば、越ヶ谷さんがある日このような話をおもむろに語りだしたという。「多分これは、いたずら好きな人間が嫌がらせを生き甲斐として生きている事から生まれた仕業なんですよ。そうでなければ、毎日こんな辺鄙な場所まで歩いてきて、せっせと挨拶文を書きなぐっただけの紙をポストに入れ続けるわけがないんですから。こんなくだらない事に人生を賭けられるって素敵な事だと思いませんでしょうか。そして、僕はその生き甲斐を向けられた対象として選ばれた訳です。つまり、彼に挑まれているんですよ。これは僕が今引き取り人という職業に従事している理由の一つかもしれませんね。こうして、僕が彼が生きるための生き甲斐として選ばれた事が本当にうれしいです。逆に僕にとってそれが生き甲斐になる。また、僕がこうして選ばれた事は天の思し召しだと思うんです。わかりやすくいうと神様が与えてくれた試練なのかもしれません。彼の感情を受け止め、引き取り、寛かいするまで付き合う事ができたら僕は本物になれると思うんですよ。最近、朝の目覚めがとてもいいんです。今まで無気力に生きてきた人生が嘘みたいに変わって、僕も彼に負けてられないと思うようになったら布団から出るのが楽になったんです」越ヶ谷さんは犯人を突き止める気はなく、自分で仕掛けたカメラを意図的に破壊する事により、毎朝ポストに投函される紙を、表面的には拒絶しつつ、心の中で望んでいた。


*5シルバーバックのゴリラ…アフリカ東部・ウガンダで特に有名だった雄のマウンテンゴリラ「ラフィキ」が殺害された。ラフィキは25歳だったとみられている。ブウィンディ原生国立公園で暮らしていた「ラフィキ」は、銀色に見える白い毛を背中に生やした「シルバーバック」と呼ばれる雄で、17頭の群れのボスだった。鋭利な物体で内臓を刺されて死亡しているのが見つかったという。男4人が逮捕されており、絶滅危惧種の殺害で有罪となれば終身刑、もしくは540万ドルの罰金刑を科せられる。世界中にマウンテンゴリラは1000頭余りしかいない。ウガンダ野生生物保護庁(UWA)は、ラフィキを失ったことは「大打撃だ」と話している。ラフィキが率いた群れは、人間との接触に慣れていた。「ラフィキが死亡したことで群れは不安定になる。バラバラに離散してしまう可能性もある」と、UWAのバシール・ハンギ氏はBBCに話した。「リーダーを失った状態で、野生のシルバーバックにのっとられるかもしれない」。そうなった場合、群れは人間との接触を避けるようになり、その場合は観光に影響するという。マウンテンゴリラは観光客に人気で、UWAは観光収益に依存している。(『BBC NEWS JAPAN』、「有名なシルバーバック・ゴリラ、密猟者に殺される ウガンダ」、2020/09/04閲覧)


*6 脇ノ谷…和歌山県・大阪府、奈良県。地形。脇の谷から。和歌山県では家の周囲に「わきん谷」の通称があったと伝える。推定では江戸時代。和歌山県橋本市隅田町山内に分布あり。(『日本姓氏語源辞典』、「脇ノ谷の由来、語源、分布」、2020/09/04閲覧)


ひらがな・カタカナ地名(ひらがな・カタカナちめい)は、地名を命名法・由来などをもとに分類した地名種類の一種である。仮名書き地名(かながきちめい)とも呼ばれる。日本の地名表記のなかで漢字で地名を全て表記していない場合に言われる。一部に漢字を用いる場合もこれに含まれるが、長野県下高井郡山ノ内町の「ノ」のように助詞を漢字で表記せずに用いるものは含まない。ひらがな・カタカナの市町村名は当て字でひらがなではない漢字表記が存在する。それを、イメージアップを狙って、あやかって、漢字よりも優しく感じる等の理由で意図的にひらがな表記にしたものである。市町村合併、特に新設合併によって誕生する事例が多く、「柔らかなイメージを持たせるため」という理由で付けられることが多い。一方で2019年1月現在、都道府県名・郡名・区名にはひらがな・カタカナのものはなく、新たに生まれる予定もない。(フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』、「ひらがな・カタカナ地名」、2020/09/04閲覧)


*7 ひらがな地名の最大の欠点は、文章の中に地名が埋没してしまうということだろう。特に走り読みする場合、自分の興味のある都市のことが書かれていたとしても、ひらがな文字だと読み過ごしてしまう恐れがある。例えば、「明日たつので一度会いあい」という表現があったとする。この文章の中に地名が潜んでいるとは、地元の人でなければ発見できないだろう。その内容から、「明日旅立つので、その前に一度会って話がしたい」と解釈したとしてもおかしくはない。またか「明日、“たつの”という町で会いたい」という意味だとは、思いもよらぬことではないだろうか。(浅井 建爾『都道府県 アラカルト Vol6』、「なぜ、ひらがな文字の市町村名が増えるのか?」、2020/09/04閲覧)


*8 脇ノ下の動物殺しは森に帰ってくるな運動…自然保護区で厳重に管理されていたシルバーバックのゴリラを殺してしまった原人4人が釈放されることになり、住んでいた脇ノ下に帰ろうとした所、脇ノ下在住の原住民達による。「動物殺しを森に返すな」運動が活発化した。騒動は1000人規模のデモを発生させ、一時的に原人が留置されたこしがたに警察署前は空前絶後の混雑に見舞われ、交通事故が発生したり、無関係の市民がデモ中に投げられた瓶で怪我を負うなどの被害が発生した。こしがたに市長は原人たちを脇ノ谷に長らく放置された幽霊アパートに隔離する事で、騒動を抑える事にした。引き取り人の仕事の多くはこうした厄介ごとにまつわる後処理を任せられる事がほとんどである。


*9 MD…ミニディスク(英語: MiniDisc)とは、ソニーが1991年(平成3年)に発表し、翌年の1992年(平成4年)に製品化したデジタルオーディオの光学ディスク記録方式、および、その媒体である。略称はMD(エムディー)。アナログコンパクトカセットを代替するという目標が開発の背景にあった。

(フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』、「ミニディスク」、2020/09/04閲覧)


…(中略)…カセットに代わる次世代の録音メディアとして、ソニーが開発しました。当時は松下電器産業(現パナソニック)がオランダのフィリップスと共同開発したDCC(デジタル・コンパクト・カセット)というメディアも同時期に発表しており、どちらが覇権を握るか注目されていました。…(中略)…DCCはカセットテープとほぼ同じ形のメディアにデジタル音源を磁気録音するもの。カセットとの互換性が高く、DCCデッキはカセットテープが再生できました。一方、MDはご存じの通りランダムアクセスで、テープよりも頭出しや追加録音が容易。シャッフル再生や曲順の入れ替えもできました。結果的にはその使い勝手の良さが評価され、MDが普及していったんです。…(中略)…それだけ一世を風靡したMDですが、2000年代に入ると、MDの何十倍もの楽曲を記録できて、パソコンさえあれば扱いも簡単なiPodをはじめとするデジタルオーディオプレーヤーに取って代わられることになります。…(中略)…今、カセットテープは録音するためではなく、CDやアナログレコードと同じ音楽タイトルとして人気じゃないですか。実はMDも登場した当時は音楽タイトルも発売していたんです。…(中略)…ソニーがMDを売り出した時の広告には、確かマライア・キャリーが使われていて、彼女のアルバムが収録されたミュージックMDも発売されていたはずです。他にもいろいろ発売されていたんですよ。…(中略)…MDのマーヶットは日本が中心で、あとはヨーロッパの一部で使われていた程度でした。これがカセットテープのように世界的に流通していれば、事情はまた違っていたのかなとも思います。

(MONO TRENDY『AVフラッシュ』、「平成生まれのMD 再生機は生産終了間近、部品も…」、2020/09/04閲覧)


*10 湘南乃風『睡蓮花 MV』https://www.youtube.com/watch?v=PjGbnPYwt1g


*11 FLOW 『GO!!! ~15th Anniversary ver.~』https://www.youtube.com/watch?v=IYIOr_1G7y0


*12 皮剥ぎの刑(かわはぎのけい)とは、罪人の全身の皮膚を刃物などを使って剥ぎ取る処刑法。古代よりオリエント、地中海世界、中国など世界各地で行われていた。全身の皮膚を失った罪人は、長時間苦しんだ後に死に至る。執行から死に至る長時間の苦痛はもとより、皮をはがされた人体は正視に堪えるものではない。そのため、見せしめとしての意味合いも大きい。 拷問として、体の一部分の皮のみを剥ぐ場合もあった。

(フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』、「皮剥ぎの刑」、2020/09/04閲覧)


『最後の審判』(さいごのしんぱん、イタリア語 Giudizio Universale)は、ルネサンス期の芸術家ミヶランジェロの代表作で、バチカン宮殿のシスティーナ礼拝堂の祭壇に描かれたフレスコ画である。1541年に完成した。…(中略)…また、キリストの右下には自身の生皮を持つバルトロマイが描かれているが、この生皮はミヶランジェロの自画像とされる。

(フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』、「最後の審判 (ミヶランジェロ)」、2020/09/04閲覧)


*13 世界を騒がす怪盗・殺人鬼。「怪盗X」の呼び名は邦訳であり、正しくは未知を表すXと、不可視 (Invisible) を表すIを合わせた“怪物強盗X.I(monster robber X・I)”。作中では「X(サイ)」と略されることが多い。美術品を盗むと同時に人を一人誘拐し、遺体を「赤い箱」に加工して返却するという、類を見ない手口で恐れられている。全く目撃されない上に証拠一つ残さない手際の良さや後述の特徴を、海外のメディアは「怪物強盗X.I」と名付けた。…(中略)…人間の突然変異とも言うべき存在で、細胞を操作し、子供から老婆、果ては犬にまで姿を変えることが可能。理屈は癌細胞であるらしい。便宜上、普段は幼い少年の姿をとっている。殺した人間に化けることで、一般人から著名人まで多くの人間に「なって」おり、普段は行方をくらませている。人間を一撃で叩き潰すほどの怪力と不死に近い体力を持ち、傷の治りも非常に速い。弱点はあるが、「関節を砕く」「電流で筋肉を麻痺させる」など、せいぜい数秒の時間が稼げる程度。だが最大の欠点は、脳細胞も常に変化するため記憶がその都度失われてしまうこと。故に年齢や性別などを含め、自身の正体が自分でも分からず、「作った奴の中身が全部詰まった」美術品を盗んだり、他人を解体(殺害)して中身を「箱」詰めして観察することで、自分が何であるかの答えを探し出そうとしている。性格は極めて無邪気で残酷だが、内面には「自分の中身がわからない」故の苦悩と不安を抱え込んでいる。(フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』、「魔人探偵脳噛ネウロの犯罪者」、「怪盗“X”と協力者」、「怪盗X(かいとう サイ)」、2020/09/04閲覧)


*14 「引き取り人、越ヶ谷」を書いた報道記者の名前は不明である。また、報道記者がどの出版社に属しており、どの週刊誌に越ヶ谷さんの記事を載せようとしたのか不明である。


*15 (Odekake7『【新宿周辺】おすすめの公園10選!子連れに人気や遊具のある公園も!』)https://odekake7.net/shinjuku-park-1252/


*16 報道記者にとってもまた、男子大学生の貧困に興味がない。


*17 注釈の内容は全て報道記者が下水道の隅に落とした一冊のノートに殴り書きされた内容を補足するものであるが、私の関心は次に餓死した女子高生の正体や社会の闇について調べる事になるだろう。

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